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WORLD SMITH ─ 創星の勇者たち ─  作者: pochi.
第六章 災厄を呼ぶもの

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6-8 カーテンウォールの内側



 タケルたちは遠巻きにこちらを窺う人々の視線を避けるように、三つ星亭へと向かう。幸い、入って来た北門からほど近い場所にあるためさほど時間はかからずに扉を開けば、古めかしい音のドアベルが響く。昼下がりの店内は相変わらず客がおらず、カウンターの奥から来客に応える声だけが返ってくる。姿を現したのは、長身で体格の良い女性、ルジュだった。


「あら君たち! お帰り」


 朗らかな声が、途端に店内の物寂しげな雰囲気を吹き飛ばす。カウンターの笠木には伏せられた本が置かれていて、どうやら休憩中だったようだ。


 対してタケルたちは、彼女の明るさに安堵しながらも居心地悪そうにぎこちなく笑った。ネリという新顔も居るが、それよりも不可解な面持ちが並んでいることが気になったルジュは小首を傾げた。


「……まあ、座んなよ。──アンスールに行ってたんだろ? どうだったんだい?」


 サロンに引っ掛けていたクロスを取り出してテーブルを拭き、ルジュはタケルたちを席へと促す。溜息を一つ漏らしたハロディが他の面々に視線を流し、ひとまず腰を落ち着けることになった。


「店主は不在か? 借りていた荷車を外に付けているのだが」

「ああ、そういえばそうだったね。いいよ、そのまま置いといてくれたら後で移動するからさ」


 席に着く前にヴァルターが一声かける。ルジュは記憶から引っ張り出して来た古い荷車の存在に目を丸くし、明るく笑う。カレンやタケルが改めて礼を言うと、彼女は二人の肩を順に叩いてその言葉を受け取った。


 テーブル席にはタケルとハロディ、ヴァルターとカレン、ネリが向かい合って着席し、アルトとガウリーはカウンター席の両端に腰掛ける。それほど広くない店内は、それだけでほとんど埋まってしまう。一階の客室側にも人の気配は無く、相変わらず経営状況が謎な宿である。


「それより、辛気臭い顔しちゃってさあ。何かあったのかい?」


 出て行った時より幾分沈んで見える一行の雰囲気に、ルジュは笑いを交えながら問いかけた。キッチンで簡単な飲み物を用意する音が鳴る。彼女に応えたのは、テーブルに気怠そうに肘をついたハロディだった。


「何かあったのかい? ってさ……君、昨今の外の状況分かってる? 街にも変な噂が立ってるし……」

「ああ、何だか変な生き物が現れ始めたって話かい? 騎士の方々がほうぼうに調査隊やら何やら派遣してるみたいだけど……噂ってのは、ウチはよく分かんないね」

「……相変わらず、ここは客足が少なそうだね」


 ハロディが目を伏せ、細い溜息を吐く。そんな彼の反応をも笑って躱し、ルジュはタケルたちそれぞれの目の前にティーセットを配った。


「アンタは新入りかい? ウチはこの三つ星亭を手伝ってるルジュってんだ。よろしくね」

「ワタシ、ネリ。──よろしく」


 明るい挨拶に多少戸惑いながら、ネリはおずおずとルジュを見上げる。翠の瞳がどこか輝いて見えるのは、ルジュの醸し出す雰囲気が、どこかパゴニを思い起こさせるからだろうかとタケルは心の中で独りごちる。性格も体格も全く異なるのに、漂う頼もしさがそう思わせるのかもしれない。


「──勇者がナントカって噂、君は何も聞いてないのかい?」


 用意されたティーカップの中身を真っ先に啜り、ハロディが尋ねる。するとルジュはトレーを持ったまま手を腰に当て、眉根を寄せた。


「勇者がナントカ? この国は元々勇者ギルドのある勇者発祥の地なんだろう? 何を今更噂するようなことがあるってんだい?」


 その言葉にハロディが肩を竦める。彼に倣って出された飲み物を口にしていたタケルやカレンは、全く毒気の無い彼女の様子に少なからず面食らっていた。


「そいつに聞いたって分かることは無ぇぞ、小僧」


 すると、カウンターの奥からしゃがれた声が追加された。顎に蓄えた髭を撫でながら出てきたのは、三つ星亭の店主、ペールだ。肩を竦めたルジュが、入れ替わりでカウンターの奥へと消えていく。ペールはそんな彼女を横目に見送ってから、カウンターと窓際の間にあるテーブル席へと腰掛けた。


「ペールじいさん、僕らがここを出てから何がどうなったのか、教えてくれない?」


 ハロディが背もたれに寄りかかりながらペールを見遣る。ペールはそんな彼越しに窓の外を眺め、その後ちらりとタケルを一瞥した。


「あれから領王より、何度か布告があってな……」


 ペールが顎を撫でながら静かに語り始める。窓から入る日差しが彼の横顔の陰影を際立たせ、刻まれた皺が彼の年輪を物語る。低く掠れた声は、静寂の室内に重く響いた。





 タケルたちがアルマを発って間も無く、異変に翻弄されるような事件が多発した。エレヴァン地方で増加する異形の目撃情報や被害、港の状況、貿易の制限など、国民の生活に関わる事態が連続したのだという。中でも危険視されたのは、突然苦しみ悶え始める人々の存在だった。タケルたちも出発前に垣間見た光景だ。突然獣のように凶暴化し、他者を襲おうと飛びかかる──現状の対処法としては、教会の祭司が変貌した者の魔力を鎮め、無力化する方法しか取られていない。だがそれも一時的なものに過ぎず、未だに目を覚さぬ者も居る。中には姿を消した者までいるらしい。


 これらの異変を切っ掛けに、アルマでは”勇者伝説”を掘り起こす者が急増した。ロイのギルドには依頼が殺到し、入れ替わり立ち替わりでギルドメンバーが対処に走った。だが所詮、”勇者ギルド”だ。伝承の存在のような神秘性は無い。すると古い本が漁られ、人々は”勇者伝承の地であるアルマには、必ず勇者が現れ救われる”と願い始めた。その結果街の噂が錯綜し、タケルの存在が明るみに出始め、その存在に期待を寄せる者が現れだした。同時に”勇者伝説”に纏わる陰謀論のようなものも生まれ、その結果が先刻の市民の反応に現れていたということらしい。


「誰が言い出したのかは知らねぇが……噂が一人歩きし始めた。突然現れたっていう見慣れねぇ異国風の服着た坊主が、その”勇者”なんじゃねぇかって、な」


 タケルは密かに固唾を飲んだ。勇者に擬えられることには抵抗の念が残るが、人助けに躊躇いは無い。だがあくまで、タケルの目的は故郷へ帰ることだ。勇者として祭り上げられてしまった場合、その目的を果たすことが許されなくなるのではないかと不安が募る。そんな緊張の面持ちのタケルを一瞥し、ペールは報告を続けた。


「お前たちが寄越したカラって坊主から預かった書簡は無事王に献上した。──それから、指示が順調に下り始めてな……」


 アルシオン王はこの混乱に対し、騎士の調査隊などを派遣することから開始した。次に門の開放条件や人々の出入りに規制を設け、魔道具や聖職者、またはそれ同等の魔力を持つ者の募集をかけた。怪我人の増加に際してオーカーンが枯渇しないよう森の採掘場の制限を撤廃し、腕に自身のある者のキャラバン隊も募り、成果物は国が買い取ると宣言。故に、行商や露店で賑わっていたセントラルからはそれらの姿が無くなり、石造りの街並みはその硬質さを露出しているのだという。


「今や行商人だけで外を出歩くのも危険極まりねぇってんで、戦える奴が引っ張りだこってわけだ。喧嘩の腕に自信ありとかいうロワーサイドの連中が外に出たがったり、それをラ・カーヴァが力づくで制止して分からせたり……全く、落ち着きの無ぇ奴らばっかりさ」

「──なるほどね」


 一通り聞き終えると、ハロディは疲労の滲む息を吐く。すると、向かいに座ったカレンが身をかがめるようにしてペールに問いかけた。


「──アルシオン王はタケル様に異変の調査を命じられましたが……タケル様を”勇者”様と明確に宣言はなさらなかったのですね?」

「カレン様、それは──」

「あっ……」


 ヴァルターの制止の声に、カレンが口元を押さえる。だが意外にも、ペールは片眉をわずかに持ち上げただけだった。


「ペールじいさんは大丈夫だよ。……ま、それ以外に無闇に情報流すのは気をつけたほうがいいけどね」


 ハロディが平然とそう言って微笑む。何がどう大丈夫なのかは不明だが、その言い分には謎の信憑性があった。カレンがほっと胸を撫で下ろし、タケルに向けて申し訳なさそうに眉尻を下げる。タケルは小さく首を横に振ったが、半ば心ここにあらずといった様子だった。


「王からは特別、勇者の存在を宣言されてはいねぇ。だから有る事無い事出回ってるわけだが、そっちの混乱よりもまず現実的な対処を優先してるようだ。──ちなみに、異形の呼称は嘗ての記録より、”モル”ってことになってるぞ。ハロ、お前の書簡通りな」

「だって特徴は酷似してるわけだし、異形に呼称を付けて特別視するのは合理的だろ?」


 ハロディがそう言って腕を組み、ペールが鼻を鳴らす。この二人の関係性には謎が残るが、見えない絆で繋がっているのは確かなように見えた。


「──ま、とにかくそういうわけだ。他に何か報告があるなら、直接王に謁見願うんだな」

「ありがとじいさん。ついでにまた、この人ら泊めてくれるかい?」

「そりゃ構わねえが……今度は四人か?」


 ペールが、テーブルの端で縮こまるようにティーカップに口を付けたネリに視線を流す。ネリは弾かれたように姿勢を伸ばしたが、ハロディは首を横に振った。


「いや、前と同じで。──この子は、これからロワーサイドに連れてく予定」

「「「……ロワーサイドに?」」」


 タケルとカレン、ヴァルターの声が重なった。アルマに入ってから三つ星亭に直行した時、三人はハロディの言っていた”伝手”を勝手にペールだと思い込んでいた。だがロワーサイドと宣言され、あの薄暗い場所のどこにそんなものがあっただろうかと眉根を寄せる。ネリだけが、不思議そうにそんな彼らを交互に眺めた。


「そう。だから君らはとにかく荷物を置いてさ、ひとまずロワーサイドに行こう。日暮れ前に紹介したいからね」

「いくらリムの人間だったからといって、あの場所に連れていくのはどうなんだ?」

「そういうわけじゃないんだなぁ。ま、行けば分かるから」


 苦言を呈するヴァルターに対し、人差し指を上げてにこりと笑うハロディ。タケルたち三人は反射的に顔を見合わせた。





「おい、どこ行ってたんだハロ。──あれ、お宅ら、まだコイツ等とつるんでたのかい?」


 三つ星亭で手続きと荷物の移動を終え、タケルたちはロワーサイドへと向かった。なるべく中央通りを避け、迷路のような路地を何度も曲がりながら進み、鉄扉で門番のバイロンと再会する。バイロンはタケルやカレン、ヴァルターを見て目を丸くしたが、タケルで視線を止めてから意味深に逸らし、咳払いをひとつ漏らした。


「無駄話は良い。さっさと扉を開けぬか」


 アルトは相変わらずバイロンには手厳しい。鋭い視線を向けられたバイロンは顔を顰めて溜息を吐くと、鍵束を手に取って鉄扉を開錠する。睨み返す彼を平然と無視して扉を抜けていくアルトとガウリーに、ハロディが苦笑する。カレンも笑みを作ってバイロンに会釈をし、そんな彼らに続く。その後にネリが続き、最後尾のタケルが背中で閉じられる扉の音に振り返る。すると、扉越しにこちらを見送っていたバイロンと視線が合うも、すぐに逸らされた。背中を向けて門の番に戻ったバイロンに溜息を吐くと、タケルは複雑な心持ちで細い石段を下りた。


 ハロディの部屋のある建物を通り過ぎ、昼であっても薄暗い細道に入っていく。アンスールのリムを経験したタケルたちにとって、空が仰げるこの場所は幾分明るくも映った。しかし漂う雰囲気は彼の場所とはまた違った危うさがあり、そこが下層地区であることを思い出させた。


「さて、ここだよ」


 いつの間にか一行を先導していたハロディが足を止めたのは、以前にも通りがかったことのある酒場だった。空が明るいうちは営業していないようで、店の扉は硬く閉じている。前回訪れた時にはウッドデッキに出されていたテーブル代わりの樽も店の側に片付けられていて、夜の賑わいは形を潜めていた。


 上層と下層に分けられたウッドデッキのエリアでは、上に繋がる階段の途中で倒れるように眠る者や、下層部分の奥の暗闇で壁を背に蹲る者などがちらほら見えた。近場では工場が稼働していて鍛冶の音が鳴り響いているが、職にあり付けてない者はこうして路上に放置されている。家がある者もいれば、無い者もいる──下層地区であってもそのような格差が如実にあるようだった。


「リリー! いるんだろ?」


 酒場の扉を何度か叩き、ハロディが中に呼びかける。その背後でタケルたちは、互いに顔を見合わせた。確かこの場所を通りがかった時、声をかけてきた女性がそのような名前だったと脳の片隅で記憶が蘇る。


「何よ、煩いわね」


 果たして、記憶にある女性が扉の奥から現れた。レトロブラウンの長い巻き髪、目尻の釣り上がった大きなカーマインの瞳。誰もが”美女”と述べるだろう、その容姿。


 だが彼女の表情はいかにも鬱陶しそうで、声は低く、目を細めてハロディに冷たい視線を向けていた。


「休んでるところ悪いね。──ちょっと君に頼みたいことがあってさ」

「頼みたいことですって? アンタが、このアタシに?」


 開かれた扉の取手を握り、じとりと睨まれても笑顔を絶やさず、ハロディが申し訳なさそうに告げる。リリーはそんな彼に眉を顰めたが、その背後に並んでいる面々を見つめると、更に目を細めた。


「なぁに? 最近見ないと思ったら……依頼の最中だってわけ? それで、アタシに何か手伝わせようっての?」

「手伝わせようっていうか、手を借りたいというか……」

「知ってるでしょうけど、アタシは高いわよ?」


 リリーは片眉を持ち上げ、一転して不敵な笑みを浮かべる。そんな二人を眺めていたタケルは、ハロディが彼女を「金にがめつい」と評していたことを思い出していた。


「店の利益に繋がることなんだ。紹介したい子がいてね」

「……何ですって?」


 リリーが再びハロディの背後に視線を移した。その目はアルトやガウリーを除き、タケルやカレン、ヴァルターを順に見遣ってからネリで停止する。そしてじっと彼女の翠の瞳を見つめると、わずかに目を細めた。


「……まさか」

「ああ、察しが良くて助かるよ。彼女、ネリっていうんだ。アンスールの酒場で働いてた子なんだけど、訳あって向こうに居られなくなってしまってね。君のところに置いてもらえると、安心なんだけど」


 アンスールはアンスールでも、下層地区であるリムの酒場なんだけどな──と、そんな言葉を思い浮かべつつ、タケルは口を噤む。だがここもアルマの下層地区、ロワーサイドだ。リムと比べれば随分綺麗にも見えるが、それでも鬱屈とした雰囲気は拭えない。


 当のネリは、リリーを見つめたまま目を丸くしていた。両手を胸の前で組み、言葉を忘れたかのように黙っている。タケルとカレン、ヴァルターはそんな彼女の様子に首を傾げたが、程なくしてその口から漏れた言葉が彼らに、湧き上がった疑問に対する答えを齎した。


「──きれい」


 その瞳は、輝いているようにも見えた。声を拾ったハロディや、それまでつんけんとしていたリリーまでもが目を瞠り、一瞬、時が止まる。沈黙の上に鍛冶場の喧騒が蘇った時、最初に口を開いたのはリリーだった。


「あら、この子──わかってるじゃない」


 ネリの呟いた言葉が自分に向けられているものだと確信し、満足げに微笑むリリー。そんな彼女の態度に苦笑すると、ハロディはネリを手招きして側に呼んだ。


「ネリ、こちらが僕が言ってた伝手で、リリー・ローズ。この酒場の看板娘なんだ。ここはロワーサイド唯一の酒場で、”木組の宵灯亭”。このアルマの中で、君にとって最も安全な場所と言ってもいい」

「きぐみ、しょーとーてい……」


 拙く復唱するネリにリリーは目ざとく眉を上げる。だが何を発言するでもなく、彼女は腕を組んだ。


「──どうかな? 君、忙しい忙しいって嘆いてただろう? 人手が欲しかったんじゃないかい?」


 ネリの肩に手を置き、リリーに微笑みかけるハロディ。ネリはそんな彼とリリーを交互に見上げる。三人のやり取りを眺めていた他の面々は、自然と互いに視線を交わし合う。


「ロワーサイドというのでまさかとは思ったが……リ、リリー殿の元であったか」

「チッ、女狐め」


 アルトが尻込みするような声を漏らし、ガウリーが舌打ち混じりに呟いた。ガウリーの苦言を聞き取ったリリーは「そこ、うるさいわよ」と抜け目なく指摘を入れる。ガウリーが鼻を鳴らして外方を向き、アルトは派手に咳払いをしてその場を誤魔化す。それ以上彼らを追求することなく、リリーは再びハロディたちに向き直った。


「……なんか、やばい人なのか?」

「……まあ、初めてここを通りがかった時も客を選り好みしていたようだしな。いささか懸念は残るが」

「まあまあ、お二人とも。ハロディ様にはお考えがあるはずですから」


 アルトやガウリーの脇で更に声を潜め、タケルとヴァルターが肩を寄せ合う。眉根を寄せた二人にカレンが微笑みかけ、三人はハロディたちの様子を窺う。もはや観客と化したタケルたち五人を尻目に話はついたのか、程なくしてリリーとネリは握手を交わした。


「まあいいわ。確かに人手は欲しかったところなの。ハロに貸しを作っておくのも悪くないし、アナタにやる気があるのなら、オーナーに話通してあげる。──安心して頂戴。ハロの言う通り、ここは安全な場所だから」


 ネリに笑いかけてから釘を刺すような視線をタケルたちに向け、リリーは確かにそう宣言した。一見危険そうに見える場所だが、慣れ親しんだ者たちにとって、この店はそういう場所ということらしい。アルトやガウリーも、リリーに対しては思うことがあるようだったが、店自体に言及しているわけではなかった。


「あの、……ありがと」


 ネリが振り返り、短い旅を共にした面々を順繰りに見つめた。そして祈るように両手を組み、一人一人に対して礼を告げる。慌ただしい道中となった旅路だったが、彼女はそんな中で徐々に明るくなった。暗い地下のリムで標的となり、得体の知れない存在から追われていた時とは違う。世話になったパゴニの重荷になることを恐れ、途方に暮れていた彼女だったが、これが本来の姿なのかもしれない。だとするとパゴニの心労は如何程だったことだろうと、タケルは心の中で独りごちた。


「わたくしたちはあなたをお連れしただけで、特別なことはしておりませんのよ。ひとまずは、安心できる場所が見つかって良かったですわ」

「君を狙う人物がもしここまで追ってきたとしても、ここなら大丈夫。むしろ正体だって突き止められちゃうかも。──ロワーサイドはリムと違って、事実上の自治が認められてる区域だからね」

「……以前に言っていたことか?」


 ヴァルターが記憶を呼び戻すように顎を摘み、視線を流す。ハロディは大きく頷いた。


「そう。ロワーサイドを取り仕切ってるのはラ・カーヴァって組織。だから、ここの住民が最も恐れるのは王様よりもラ・カーヴァのボスってわけ。彼らはロワーサイドが脅かされるのを何よりも嫌うから、伝手でも何でも使って取り入れさえすれば安全なんだよ」

「ちなみにうちのオーナーはラ・カーヴァのアンダーボスよ。だからみーんな、この店に手出しは出来ないの」


 リリーが両手を腰に当てて踏ん反り返る。ヴァルターは複雑そうに表情を歪めたが、彼らの話している事情が何のことやら分からないタケルとネリは、一様に首を傾げた。


「ま、まあ……安全ってことならいいけど。──ネリ、良かったな」


 タケルが笑いかけると、ネリは控えめに頷いた。眉尻を下げてわずかな不安を滲ませるのは、まだアンスールに残してきたパゴニたちのことが心残りだからなのだろう。


「──俺たち多分、またあっちの方に行くと思うから……立ち寄ったらパゴニさんにも報告するよ。もし手紙とか書きたかったら、渡してくれたら届けられるし」


 励ますようにそう言うと、ネリは再び頷いて、今度は小さく笑う。そこへカレンやヴァルターも寄ってきて、握手を交わして笑顔で別れを告げ合った。


「じゃ、ひとまずアタシの部屋へ案内するわ。採用されたら住み込みだから、余ってる部屋を片付けてあげる」


 リリーはそう言ってネリの背に手を添え、店内へ促した。ネリは何度も振り返りながら扉の奥へと消えていく。続いて店内に入ろうとしたリリーだったが、ふと思い出したように足を止めて振り返った。


「あ、そういえばハロ。ファントム先生がアンタのこと探してたわよ」

「──ルナが?」


 苦虫を噛み潰したような表情を見せたハロディが、訝しげな低い声でその名を口に出す。タケルは記憶に残っている、幽霊画から飛び出してきたような痩せこけた姿を瞬時に思い出した。


「そ。つい最近、珍しくうちの店に来てね。ハロの奴はまだ帰らんのかって聞いてきたの。お客が震え上がってたわよ」

「僕ら、目的を告げて出て行ったんだから……早々帰らないのは分かってるはずだろうに」

「何だか知らないけど、とにかく行ってやったら? 放置するとまた面倒なことになるわよ?」


 片手を振ってそう告げると、リリーは今度こそ店内へと消えていく。扉の閉まる音とともに訪れた沈黙を、即座に金属音などの雑音が攪拌する。そこへ、ハロディの盛大な溜息が被さった。


「……ルナ様、というのは確か……この奥にお住まいの、研究者の御方でしたでしょうか?」

「あの、白い髪と顔で、白い服着てて、足が消えてそうな……」

「消えてない。消えてないよ、タケル君」


 思い浮かべた記憶と幽霊画の印象が切り離せないタケルに、ハロディが冷静に訂正を入れる。タケルの背後では、アルトとガウリーがハロディと同様、疲労の滲むようなげんなりとした表情で視線を落としていた。


「本当は街に周辺情報の聞き込みしたり、ファーブラー自治区の情報収集したりしたかったんだけど…………ついでだから、ちょっと寄ってってもいいかな?」


 肩を竦め、ハロディが上目遣いでタケルたちに伺いを立てる。だが彼らの中には、それに異を唱える者はいなかった。



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