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WORLD SMITH ─ 創星の勇者たち ─  作者: pochi.
第五章 似て非なるもの

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5-7 鍵を回す手


 地下の水路を抜け、階段を駆け上がる。タケルはそのまま街へ飛び出した。船着場ではちょうど着港した船から人々や荷物が下ろされており、人だかりを巧みに避け、時折ぶつかりながらもなんとか大通りへと繰り出す。しかしそこでタケルは、行き交う人と段差だらけの通りに、思わず足を止めた。


「あ、あの……灰色の長い髪の、女の人見ませんでした?」


 目に入った小さな土産物屋の店主に声をかける。初老の男性は怪訝そうに髭を撫で、首を横に振る。


「? さあねぇ……それより君、見かけない格好をしているけど、どこの人間だい? その斬新な服はどこの仕立てで? 旅の人なら、是非うちの商品を見てってよ」

「あ……、えっとじゃあ、金髪で青い服着た女の子と、一緒に居る真面目そうな男は? 一瞬男に見える、白っぽい髪に黒装束の女の子とかは? この辺通らなかったか?」


 店主がカウンターの下にある商品棚を指し示すも、上手い言い訳が思いつかないタケルは強引に質問を続ける。客になりそうもないと思ったのか、店主は肩を竦めて呆れ顔で溜息を吐いた。


「何を言ってるんだい? 見てないよ。──なんだ、仲間かなんかと逸れたのか? だったら兵団の駐在所を訪ねなよ。あっちの階段上がって一つ目の橋付近にある建物だ。翠の旗が特徴だから」


 面倒そうにあしらわれ、タケルは密かに歯噛みする。しかし兵団の駐在所という言葉は、彼に一縷の望みを抱かせた。兵士がいるならば、協力を要請することが出来るかもしれない。


「あの──ごめん、ありがとう!」


 タケルは弓を持ったまま片手で拝むように小さく頭を下げると、言われた通りの階段へと駆けた。途中、人の流れに視線を這わせ、妙な人影が無いか探るのも忘れない。


 焦燥を浮かべて通りを走るタケルを、すれ違う市民が怪訝そうに振り返る。パンの袋を抱えた年嵩の女性は、タケルがぶつかりそうになると振り向きざまに注意する。肩越しに大声で謝りながらも足を止めずに行けば、程なくして店主が言っていた、翠の生地に兵団の紋章をあしらった旗が見えた。


「あ、あの! すみません!」


 弓を手に持ったまま息を切らしながら駆けてくるタケルに、建物の入り口付近に立っていた兵士が目を瞠る。近くまで寄って足を止め、膝に手をついて息を整えながら暫し肩を上下させたタケルは、すぐに顔を上げた。


「どうしたんだい、少年?」

「シャイネンって人が……今リムに居るんだけど、その、ネリって女の子が、勝手に逃げちゃったらしくて……、街に、出たかもしれないから──」

「──何だって?」


 荒い息のまま辿々しく紡がれる言葉を巧みに汲み取り、兵士は顔色を変える。彼が速やかに建物内に声をかけると、中で待機していた兵士たちがわらわらと姿を現す。


「各船着場と、下の門番に伝達を。──君、その女性がどの出口から街に出た可能性があるのか、わかるかい?」

「……え、どういう事?」

「リムから街に出られる場所は四つあるんだが……質問を変えよう。君はどの出口からここに来たんだい?」

「えっと……髭の人がやってる店の側にある、船着場の方。使われてない寄合所? っていうのがある──」

「分かった。──西には一名、他二名ずつで手分けする。残り二人はこの場で待機」

「了解」


 兵士たちが速やかに散開する。指示を出していた兵士もそれに続こうとするが一度足を止め、タケルを振り返った。


「ご連絡感謝する。あとは我々に任せて──」

「俺も探してるんだ! 他の出口ってどの辺?」


 兵士はさっとタケルの装備に目を走らせ、その素人っぽさに逡巡した。彼からすればタケルは、一応武装はしているが歳若く、格好やリムの知識に乏しいところを見るに、外部から来たただの旅人だ。何故かリムの件に関わっているようだが、おいそれと巻き込むわけにはいかない。


「出口は我々が押さえる。君は人目のつかなそうなところを頼む」


 巻き込むわけにはいかないが、事情を知るタケルをそのまま外すのは惜しいと考えたのか、兵士はそれだけ言い残して今度こそ走り出す。タケルは待機を命じられていた他の兵士を見やったが、彼らは黙って建物の入り口に待機したまま視線を合わせようとしない。


「──わかったよ!」


 吐き出すように言ってから、タケルは再び街中へと駆け出した。




 中央で一際存在感を際立たせる、円筒が連なる華麗な白亜の城。陽の光を反射させた箇所は一際眩しく、その強い光が全てを見透かそうと街を照らすも、影を生んでいる。


 タケルは一人大通りを走りながら、怪しげな階層やアーチの陰、細まった路地、階段の裏……人気の無い場所があれば足を向けた。城と同じく白を基調とした美しい街並みにも、注意深く探してみればそういった死角が多く、次第にタケルの表情は焦燥に歪んでいく。息が切れるも、疲労は感じず足だけはひたすらに動く。タケルは早鐘を打つ心臓と痛む喉を叱咤して、ただ闇に視線を走らせては移動した。


「──街の人が普通ってことは、追手はいないのか?」


 タケルの声が、人の気配が遠くなった細い通路にこだまする。怪しげな箇所をいくつか見て回ると、いつしかもう何処にいるのか分からなくなっていた。暗がりを選んで足を進めるうちに、街とリムの中間のような日陰の通路に出ていたのだ。建物の隙間から大通りらしきものはちらつくが、どこをどう進めばそこに戻れるのか──複雑に入り組む街並みが、まるでタケルを阻んでいるかのようだった。


 いくら走ってもネリの気配は無い。通りがかりの人間に聞き込むも、有力な手がかりは無かった。しかしこのアンスールは、山頂を占める広大な湖の中心に浮かぶ国だ。船を使って地上までの回廊に出なければ外に出ることは不可能──タケルはしばし足を止め、暗がりを睨みながら思考した。


「俺が、ネリだったら──」


 別れる前、ハロディが言っていた。”望んで出て行ったならリムを出る”。確かに彼女は気弱ながらも、必死に「自分はここにいない方がいい」と言っていた。それはひとえに、世話になったパゴニを思ってのことなのだろう。出て行った方が良いと分かるのに、それが無謀な選択でしかないこと──何より、パゴニをそう説得出来ないこと。もどかしさを携えたネリが、誰の身を一番に案じているのかは、初対面のタケルから見ても明白だった。


 ならば、街へ出てどうするか? 酒場が襲われ、そのいざこざを好機と捉えて無理やり出て行ったのなら……リムを出たとて途方に暮れるだけだ。追手がいるかも分からない。しかも、相手の狙いは明らかにネリだ。パゴニの酒場という要塞から飛び出した彼女には、自らを守る術がない。駐在所の兵士がネリのことを分かっていなかったということは、兵士を頼ることすらしていない。


「他に頼れる人もいないだろうし……しばらくどっかに隠れるとか、するか? 逃げられる山とかあれば別だけど、ここは山のてっぺんでそういうの何もないしな。湖を泳いで、向こう岸に渡って無理やり山を下りる? いやでも、俺でもあの断崖絶壁は──」


 そう独りごちながら、薄暗い通路を歩く。しばらくそうして足を進めていると、思考を巡らせる散漫な彼の視界の端に、微かに動くものが映った。


 タケルの意識が瞳に集中する。黒い布切れのようなものが、路地に吸い込まれて消える。ネリの服装とは異なるが、気になったタケルは小走りにそちらへ向かった。


 日差しから陰った路地をそっと覗き込む。そこは、建物と建物の間にある物置のような空間だった。木箱や樽が端に寄せられて並んでおり、奥に行くほど暗くなっている。


 その奥まった行き止まりの前に、黒い影が浮かんでいた。タケルの脳がそれを幽霊と認識して一瞬硬直するが、すぐに思い止まる。それはカレンやヴァルターが羽織っていた、頭の先から足先まで覆うような外套と似ていた。黒いので陰には紛れているが、街中に出れば一際目立つことだろう。


 佇む影に目を凝らしていると、タケルの耳が微かな息遣いを拾った。奥に積まれた荷袋らしきものの陰に隠れて姿は見えないが、荒くなる息を必死に潜めようとして漏れ出たような、震えた息遣い。黒い影はそっと、一歩一歩確実に奥に向かっている。荷袋の陰でその足が止まると、布に隠された手が伸ばされる。息遣いに微かな声が混じると、タケルはその場から飛び出した。


「待て! 何してんだよ!」


 瞬時に弓を構え、影を狙って弦を引く。フードに隠された顔がわずかにタケルを一瞥するような動きを見せる。しかし、動きを止めた手はそのまま、再び積まれた荷袋の奥に伸ばされた。


「お前、ネリを狙ってる奴か⁈ ──止まれって!」


 タケルは影の足元に向かって矢を放つ。矢が石畳の地面に刺さろうとして跳ね、飛び退った影の居た場所を掠め、奥の壁に当たる。タケルが次の矢をつがえると、影は徐にタケルの方に足を進めた。


「こ、今度は当てるぞ!」


 矢を向けられてなお恐れることなく、影はゆっくりとタケルに近づこうとする。その得体の知れない行動に慄き、タケルの瞳がわずかに揺れる。弦が限界まで引き絞られた時、布に隠された影の腕が突然、タケルに向かって掲げられた。


「なっ──」


 突然、頭が心地よく浮いたかと思うと、戒めのように締め付けられる。不可解な感覚の連続に額を押さえたくとも、タケルは動作が封じられたように弓を引き絞ったまま動けない。その間にも影は徐々に距離を詰めていく。顳顬から冷たいものが一筋落ちる。喉が引きつり、細かい息遣いが不安定に空気を求める。──あと数歩。タケルの瞳が戦慄いた時、背後からの声が緊迫した空間に落とされた。


「タケル?」


 アルトだ。歩み寄っているうちにタケルが弓を構えていることに気づいたのか、すぐに足音が早まるのが分かる。タケルはそれに応えられず、振り向くことも出来ない。しかし、影の気がアルトに逸れたのか、脳を縛るような苦痛が緩まった。


「──うっ、」


 タケルは急激に喉を通る酸素に咳き込み、意図せずしてその反動で、矢があらぬ方向に放たれる。影はそれを避けたが、わずかに布が裂かれ、石畳で軽い金属音が鳴る。胸を押さえてそちらを見やれば、小さな浮き彫りが刻まれたペンダントのような物と、切れた細い鎖が落ちていた。鈍色の小さな土台に黒く描かれた片翼が、タケルの視界の中で何重にもぶれる。


「貴様、何奴!」


 アルトが刀を抜いて構えるのが音で分かった。膝をついたタケルの目の前で落ちたペンダントは掻っ攫われ、戸惑っているうちに次の苦しみが襲う。


 視界が明滅するように霞んでは戻り、建物が歪み、地面が揺れているかのように足が蹈鞴を踏む。影の足音や布擦れの音が殊更に脳に反響し、その雑音が今度は吐き気を呼ぶ。震える手から弓が離れ、無残にも地面に落ちる。


「な、なんだ、これは──⁈」


 その影響はアルトにも及んだようで、不確定な視覚の中で、彼女がその場に踏みとどまって額を押さえるのが分かった。逆手に握った刀を決して離さないのは、矜恃の為す技だろう。


 影は黒い布を翻し、颯爽とその場を離れていく。その姿が小さくなるにつれ、得体の知れない苦しみが遠ざかっていく。タケルは引きつる喉を必死に抑えながら、涙の滲む瞳の片隅で影が角に消えていくのを見た。


「タケル、大丈夫か」


 アルトが刀を鞘に収め、肩を弾ませながらタケルを気遣う。タケルが頷きながら弓に手を伸ばすのを見ると、彼女は気を沈めるようにひとつ、大きく呼吸した。


「ならば某は奴を追う。──お前はネリ殿を見つけたら大通りへ出ろ。カレン殿とヴァルターが通り沿いの主要な店に、ネリ殿と同じ特徴の人物を確認次第一時的に匿い、兵士に知らせるよう呼び掛けているからな」

「わ、分かった」


 なんとか声を絞り出して応えると、アルトは影が消えた角へと姿を消す。タケルは何度が大きく深呼吸をすると、立ち上がって弓をホルダーに収め、路地の奥の気配を探った。


 冷静になってみれば、息を殺しながら啜り泣く音を耳が拾った。それは明らかに女性のもので、タケルは安堵で崩れそうになる膝をなんとか前に出して奥へと進む。──果たして、積まれた荷袋の隙間で膝を抱えて蹲るのは、ネリだった。


「あの……ネリ? 俺、さっき酒場に居た──タケルだけど」


 片膝を着いて呼びかけると、ネリがゆっくりと顔を上げる。銀糸にも似た灰色の髪がほつれて頬で蟠り、肩から落ちる。リムでは何とも思わなかった彼女の服装は、暗がりの路地であっても、街では粗末にさえ見えた。


「パゴニ、……大丈夫?」


 充血した翠の瞳は光を失っていたが、それでも彼女はパゴニの身を案じた。抱えた膝を覆うスカートの裾を握りしめるだけで、他には何も持っていない。リムを出た後、陰を求めるようにここに来たまま、どうしようもなくなっていたのだろう。タケルが「うん」と短く答えると、ネリは安堵の息を漏らして再び膝に額を乗せた。


「なあ、──……ここにいてもしょうがないよ。俺がついてるから、大通りに出よう。そしたら多分、兵士の人が助けてくれる」

「……いい。ワタシ、ここいる。──メイワク、イヤ」


 顔を埋めたまま首を横に振るネリに、タケルはどう言葉をかけたものかと天を仰いだ。その言葉から察するに、彼女は自分のために誰かが動くことを怖がっている。──タケルはそう受け取った。


 静かな路地に、音楽や呼び込みの声と──遠くからの街の喧騒が届く。タケルは、どこからともなく聞こえる鳥の囀りや羽ばたきが、自分を急かしているような錯覚に陥った。


「……パゴニさん、助けたいんだろ?」

「……ウン。パゴニ、ワタシのこと、たすけてくれた。──お礼、したい」

「でもさ、あんたがここに居てもパゴニさん助からないよ。俺、まだ会ったばかりだからよく分かんねぇけど、あの人……泣いてたよ。あんたが見つからないって知ったら、きっと探しにくると思う」


 ネリはタケルの言葉を理解しているのか定かではないが、膝に顔を埋めたまま何度も首を横に振る。タケルはその頭頂部を見つめたまま、根気よく声を掛けた。


「リムの人が街に出たら……その、大変なんだろ? でも、あんたを探すためなら──きっと街に出るよ。そしたらどんな目に遭うか分かんねぇし……」


 説得する中で、タケルの脳裏にある記憶がちらつく。密かに夜の町を抜け、田畑を駆け、暗い山を見上げた記憶。意識が捉われる前に勢いよく首を振ると、タケルは何となしに通りに目をやった。


 雲に翻弄され、日光がゆったりと移動している。だが、完全なる日陰となったこの路地には何の影響もない。ただ安定して薄暗く、それも夜が来れば闇に沈むだけ。そこはかとない安堵感はどこから来るものだろう──タケルはぼんやりとそんな事を思った。


「──何だ、お前かよ」

「ガ、ガウリー?」


 呆けていたからか、その姿が路地に現れるまで気づかなかった。──彼の放つブーツや鎖の音は、ネリの息遣いよりも際立つ筈なのに。


 ガウリーは屈み込むタケルを見下ろすと、路地の周囲を軽く探ってから奥へと歩み寄ってきた。


「……魔力の匂いを感じたんだがな」

「あ、それは──」


 偶然居合わせたアルトと違い、魔力を辿って来たらしいガウリーに、タケルは少し前の経緯を話した。脳が揺さぶられ、吐き気さえ催した突然の不可解な感覚が、ガウリーによって闇魔法の一種によるものだと知らされる。彼はその使い手がもうこの場を離れてしばらく経つことが分かると、忌々しげに舌打ちをした。


「──で、お前はこんなところで何やってんだ?」


 ガウリーの低い声はタケルではなく、ネリに向けられた。彼女の肩がわずかに跳ねる。スカートの裾を握りしめる手に力が篭り、さらに縮こまろうとする。


「ババアを説得出来ねぇからって、無闇に出てきたわけか。──馬鹿な奴だな」


 容赦のない言葉がネリの頭上に浴びせられた。タケルは眉根を寄せて口を引き結ぶ。しかし直接庇うことはせず、ガウリーの鋭い眼差しからネリを守るように立ち塞がった。


「ネリを連れて大通りに出たら、店の人が匿ってくれるって。そこからひとまず兵士の人に助けてもらえそうなんだ。……でも」


 タケルが、蹲るネリを振り返る。


「ネリは、誰にも迷惑かけたくないって──」

「そんなことは、自分で自分の面倒見られるようになってから言え」


 ガウリーはタケルの言葉を一蹴すると同時に、ネリに現実を叩きつけた。その言葉にゆっくりと顔を上げ、ネリはタケルを通り越し、わずかに睨むような視線を返す。些細な反抗の意思を受け、ガウリーは低く笑った。


「自分じゃ何も出来ねぇ、でも誰の助けもいらねぇって何の笑い話だ? お前は境遇に胡座かいて我儘ほざいてるだけだ。──そんな奴は、大人しくババアの元に戻って一生隠れて暮らしてな」

「──おい!」


 タケルが口を挟もうとするが、ガウリーはネリを見下ろしたまま視線を外さない。ネリは眉をきつく寄せ、口元を震わせた。


「俺の言い分が気に入らねぇってんなら黙らせてみろ。──おい、お前の武器、そいつに渡せ」


 ガウリーは腕を組み、タケルに顎をしゃくってみせた。訳もわからず戸惑うタケルに、ガウリーは再び同じ動作を寄越して急かす。一見ただ煽っている彼の瞳の奥に冷静さを垣間見た気がしたタケルは、弓をホルダーから外し、一本の矢と共にネリに差し出した。


「イヤ、わからない」


 ネリは、背後の壁に背を押し付けて差し出されたものを拒絶する。だがガウリーはそんな彼女をさらに追い詰める。


「矢を弦に引っ掛けて弾くんだよ。──ついでに教えてやれ」


 不敵に口角を上げ、ガウリーはタケルを促す。タケルは固唾を飲むと、矢をつがえた状態でネリに近づき、彼女をじっと見つめる。


「お前はここに居てぇんだろ? だが俺は、お前をババアの元に連れ戻すつもりだ。お前がそんな様子なら、あの酒場で隠れてるうちに兵団が敵の尻尾を掴むのが、一番事が丸く収まる。 お前はただ、隠れてそれを待ってりゃいいんだよ」


 ネリの手が、タケルの弓を持つ手に重ねられる。身を乗り出した彼女に弓を託し、矢が落ちぬように気をつけながら弦を引き、動作だけで使い方を示して見せる。ネリは涙の跡を残した赤い目元を引き締め、立ち上がって辿々しく弦を引く。弓を持つ手は震え、それが満足に引けていない弦に伝わり、狙いが大きくぶれている。眉間を寄せながら眉尻を下げ、下唇を噛んでガウリーに矢を向けるネリに、タケルの鼓動が重く音を立てる。


 未熟な腕で放たれる矢は、どこに飛ぶかわからない。それは身を持って体験したことのあるタケルだから分かることだ。自分に向けて弓を引かせているガウリーが、その危険性をどこまで理解しているか。狙いが定まらずとも、矢は命中することもある。──それが致命傷になることも。タケルがそれでも見守る理由には、ガウリーならば魔法で対処するだろうという、彼の魔法への信頼があった。少なからずガウリーはこれまで、何度も危険を魔法で回避してきた。


 加えて、ただの罵倒に収まらない、瞳の奥に見える冷えた輝き。苛立ちの裏に隠された余裕。アルトに煽られては苛立ち、煽り返し、彼女とよく言い合いをしているガウリーだが、基本的には物静かな人間だ。短い旅の中でそう判定したからこそ、タケルは彼の言葉に従った。


「それが嫌だってんなら抵抗してみろ。まずここで、──俺を納得させてみろよ」


 ガウリーはネリをさらに焚きつけ、彼女の手に力が篭る。手の力が限界を迎えると、ネリは弓を引く手を緩めて手放すことはせず、勢いのままに矢を弾いた。


 タケルは肩を竦め、片目を細めてガウリーの様子を窺う。放たれた矢はガウリーの頬を掠めたのか、直線的な傷から血の雫が滴った。


 ガラン、と音を立ててネリが弓を取り落とす。ガウリーが余裕そうに頬の血を拳で拭う姿を凝視し、息を荒げる。まさに当たり所が悪ければ致命傷となっていた位置に矢が飛び、それなのに魔法を繰り出す様子も無かったガウリーにタケルは瞠目したが、ほっと息を吐いて弓を拾った。


 向こうの方で、勢いを失った矢が落ちる音がする。人通りのない道で良かったと、タケルは内心で胸を撫で下ろした。


「……納得出来た?」


 弓をホルダーに戻しながら、タケルが小さく尋ねる。ガウリーは「フン」と鼻で笑うと、肩を抑えて首を回した。


「……ババアに引き渡すのは、待ってやるよ」


 再び涙をこぼし始めたネリの肩を、タケルは優しく叩いた。頑なに蹲っていた彼女が、今は立ち上がっている。その足がどこへ向かうのか、その結果どうなるのかは、自分次第だと鼓舞するように。


「歩ける?」


 タケルの問いかけに、ネリはおずおずと頷いた。





「タケル様、ガウリー様!」


 あれから、大通りに面した宿を介して駐在所に移動したタケルたち三人は、その報告が行き渡って仲間が集まるのをその場で待った。言葉の拙いネリと元々寡黙なガウリーに挟まれ、所在なさげに窓から外を眺めていたタケルの元に、やがてカレンとヴァルターが駆けつけた。カレンはタケルたちに呼びかけると、ネリの姿を見つけて小走りに近寄り、その両手を取って微笑んだ。


「ネリ様、ご無事で何よりです。お怪我はございませんか?」


 すっかり落ち着いたネリは、小さく頷いてわずかに口角を持ち上げる。そんな二人の背後で、両手を腰に当てたヴァルターが大きく息を吐いた。


「カレン様を人気のない場所にお連れするわけにはいかなかったので大通りで呼びかけをしていたが……やはり死角にいたのか?」

「うん、下の方の、路地のところ」


 駐在所で兵士に聞いたところによると、ネリがいたのは北側にある水路の出口付近とのことだった。酒場からは最も離れた位置にある出口だが、ネリはとにかく”離れなければ”という意志のもとに足を動かし、隠れながら進んだ末にそこに辿り着いたらしい。比較的日陰の多い区域とはいえ、久しく日差しを浴びてなかったという彼女はそこに足を踏み入れるのを躊躇った。しかし、意を決して飛び出すと、リムから離れた暗がりを探したのだという。


 どこに影踏みが潜んでいるか分からないリム内を移動するのは困難だ。なのに彼女は最も遠い出口まで移動した。それは、兵士たちの予想の範疇から外れた行動だったようだ。


 そんなことを話していると、ハロディとシャイネンが合流する。二人は捕らえた影踏みに軽く尋問し、その後リム内の捜索をしていたらしい。揃ってネリの無事に微笑みを漏らしたものの、その表情は硬く、敵の正体への手応えは無かったのだろうことが窺えた。


「報告聞いたけど、闇魔法の使い手現れたんだって?」


 ハロディがタケルに問いかける。タケルは神妙な顔つきで頷くと、記憶を反芻させて身震いした。


「なんか、気持ち悪いし動けないし……どうしようも無かった」

「それがまさに闇魔法だよ。ルナが言うには、自分の魔力を相手の魔力に繋げて、操作するって感じらしい。魔力差があると操作は支配に変わるって。──よく抵抗したね」


 ルナ。アルマのロワーサイドでハロディから紹介された、最奥に潜む幽霊のような魔法の研究者。真っ白な長髪と、隈の刻まれた大きな目、青白い肌──そしてあの、引きつるような独特の笑い。それらを思い出して粟立つ腕を摩り、タケルは唾を飲み込んだ。


「ちょうど、アルトが通りかかって、それで──」


 タケルはそう言って、周囲を見渡した。影を追うと言ってあの場を離れたアルトが戻っていないことに気づく。ハロディもタケルの視線を追ってそれに気づくと、窓の外を眺めた。


「まだ追ってるのか、探してるのか、それとも対峙してるのか……」

「魔力は無ぇぞ。──迷子かもな」


 ガウリーがそう言ってこの場にいないアルトを揶揄い、小さく笑う。ハロディはそんな彼に苦笑した。


「部下の報告にも、街での目立った騒ぎは無いわね。引き続き、見回りを強化させましょう。──何はともあれネリ、無事で良かったわ。怪我も無いようね」


 椅子に座ったネリのそばに片膝を着き、シャイネンは膝の上で軽く握られている彼女の両手の上に、そっと自らの手を添える。ネリは頷いて微かに笑ったが、瞳を不安げに揺らめかせた。


「──パゴニは無事よ。貴女が自分から出て行ったって……酷く落ち込んでるけどね。店にも部下を残してある。騒動が治るまでは、待機させるつもり」


 ネリは目を瞠り、眉尻を下げながら何度も頷く。涙に潤む瞳が物語るのは、パゴニが無事という安堵と、パゴニを傷つけてしまったことに対する──罪悪感。タケルはそんな彼女がつい先刻、「迷惑は嫌だ」と訴えていたことを思い出し、複雑そうに口元を歪ませた。


「捕縛した襲撃者はどうしたのだ?」


 漂う生暖かい空気が霧散する。カレンの背後に控えたヴァルターの問いかけに、シャイネンは神妙な眼差しで答えた。


「酒場を襲った者の一人として、城に引き渡してあるわ。今のところは、配給を奪おうとした暴徒ということになってる」

「──その暴徒を操っている、闇魔法の影については……」

「……ええ、そうね」


 言及されたシャイネンは曖昧な返事をした後、気まずそうに目を逸らす。その先のネリと視線が交わると、目を伏せて溜息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。


「闇魔法の使い手がリムに潜んでいるとリーバス様が知れば……どうなるか、分からない」


 室内を警戒するように見渡し、声を潜め、シャイネンは小さくそう溢す。わずかに歯噛みするような彼女の表情を見上げたカレンは、気遣うように眉根を寄せた。


「リムの方は、利用されていただけとお伝えしては?」

「”リムに潜めた”というのが問題なの。リムが闇魔法を呼んだとも言い換えられる。──それは、リムを撤去する大義名分に成りかねないわ。あそこに行きついてしまった人々が、その後どうなろうが……関係なく、ね」


 シャイネンは目を伏せ、力なく首を横に振る。


「そんな……」


 目に見えて落胆するカレンに、シャイネンは興味深げな眼差しを向けた。薄汚い外套を外した服装も、立ち居振る舞いも、確かに貴族のそれなのに、カレンはこれまでリムを否定していない。むしろずっと、気遣うような姿勢を見せている。


「そうなると、そのリーバス家とやらが”切っ掛け”欲しさに起こした騒動──という可能性も……」

「滅多なことを言わないで。確かにリーバス家には強硬策を辞さない冷徹さもある。けど、決して卑怯な手は使わない──それだけは確かな事実よ」

「──失礼」


 気まずくなった空気を敢えて読まず、ヴァルターが真剣な表情でとんでもない推理を淡々と口に出す。彼は血相を変えて弁明するシャイネンに悪びれることなく謝罪し、そんな二人を見ていたハロディが呑気に笑いを漏らす。シャイネンは疲労の混じる溜息を漏らすと、そっと胃のあたりを摩った。


「でも、──そうね。だからこそ報告に上がるべき、という見方もあるのかもしれない。五分五分の賭けになるけど」

「この子一人を切掛けに、リムが無くなるかもしれないって? ……根本を解決しない限り、また同じような場所が生まれるだけじゃない?」

「だから、そうならないよう私が掛け合えば──」


 騎士に一縷の望みを託そうとしたシャイネンを遮ったのは、ハロディだ。苦し紛れに反論しようとしたシャイネンだったが、その言葉はけたたましい椅子の音に阻まれた。


「ダメ!」


 膠着しかけた話し合いを断ち切ったのは、ネリの悲痛な叫びだった。その場にいる全員が、椅子を倒す勢いで立ち上がった彼女に振り向く。突然の行動に誰もが声を発せず、両手の拳を握りしめ、必死にシャイネンを見上げるネリをただ見遣った。


「リム、無くなる──ダメ! パゴニ、助ける……みんな、助ける。だから──ダメ」


 縺れる言葉を必死に紡ぐ。ネリが何を言いたいのか、全てを理解することは出来ない。しかし彼女がずっと主張しているのは、問題の渦中にある自分がリムから出ることで、リムを守るということだ。

 

 タケルはネリの声を聞きながら、頭の片隅で”あるかもしれない平和な結末”を組み立てた。シャイネンが騎士に報告し、事情を受け止めた騎士が真相究明に乗り出し、騒動が解決する。そして、リムを哀れんだ人々が手を差し伸べ、次第に地下の暗闇は消えていく──希望的観測を積み上げるのは容易だ。しかし、ネリやパゴニ、シャイネンの言動が、ままならない現実を伝えてくる。満足な解決策の浮かばないタケルは、やり場の無い思いを拳で握りしめることしか出来ずにいた。


「逃げましょう!」


 今度は、カレンの力強い言葉が全員を彼女に注目させた。必死にシャイネンに訴えかけていたネリも、口を開けたまま目を丸くして呆気にとられている。そんな彼女の両手を取り、カレンは眉間を寄せて詰め寄った。


「わたくしたちは今日、この地を離れる予定です。一緒に国外へ出てしまえば、リムが狙われることは無いのではありませんか? ──逃げることは、守りの一手となる場合もありますのよ」

「に、逃げる……」


 戸惑いながらカレンの言葉を繰り返すネリ。その背後で、タケルは唐突に光が差したような錯覚を受けた。別の希望的観測が、具体的な事例など蹴散らしてタケルの胸を高揚させる。心の中の澱みを串刺しにされたような、圧倒的な衝撃──タケルはその興奮のままに、二人の手の上に己の手を添えた。


「そうだ、逃げよう! 逃げてその先に何があるか分かんねぇけど──」


 タケルは揺れるネリの瞳を見つめ、それからハロディたちをぐるりと眺めた。だが急速に言葉を詰まらせ、悩ましげに顔を顰める。


「──何ていうか、ここじゃないどっかなら……今よりは良いんじゃないかって。上手く、言えねぇけど」


 ヴァルターが溜息を吐き、ハロディが空笑いを溢す。ガウリーは室内の隅で壁を背に、黙って腕を組んで目を伏せたまま。それぞれの反応に自嘲すると、タケルはネリの表情を窺う。ネリはタケルとカレン、シャイネンの間で瞳を彷徨わせたが、程なくして決意したように一つ頷いた。


「……しょうがない。無謀なタケル君とカレン様に代わって、おじさんが君にひとつ提案しよう」


 ハロディがネリに歩み寄り、タケルとカレンの間に入って屈むようにして彼女を覗き込む。明るいアクアブルーの瞳は、まるで窓の外にある空を反射させているかのようだ。


「僕らはこれからアルマに戻る。アルマにはリムと似てるけど──あそこよりも比較的安全な、ロワーサイドって場所があるんだ。そこに、紹介できそうな人がいる」


 ネリの目が見開き、瞬きを忘れたかのように硬直する。ハロディはフッと笑いを零すと、重ねられた三人の手の上に、そっと自らの手を添えた。


「──君が望むなら、だけど?」


 翠の眼の目尻から、一筋の涙が溢れる。それが、何から来るものなのか──呆けたようなネリの表情からは推測が難しい。それでもタケルは、彼女の纏う空気が湧き立っているのを肌で感じたような気がしていた。


「……ネリ、本当にそれで──いいのね?」


 黙って成り行きを見守っていたシャイネンが一歩踏み出し、優しく問いかける。タケルたちはネリから手を離し、わずかに退いてネリの側を彼女に譲る。


 どこか哀しげにも映るシャイネンの表情に、ネリの口から意味を成さない小さな音が漏れる。しかし彼女は目を見開くように力を込め、零れ落ちる雫を振り払う。


「それで、いい」


 そしてとうとう、彼女は望みを口にした。その声は小さかったが、誰にも覆せない重さを持っていた。




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