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WORLD SMITH ─ 創星の勇者たち ─  作者: pochi.
第五章 似て非なるもの

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5-8 風断ちの桟橋


 ネリをアルマまで同行させることにしたタケルたち一行は、速やかに出国の計画を立て始めた。騒ぎを起こすことなく港へ向かい、荷物をまとめて連絡船に乗船し、何食わぬ顔で山を降りて脱出する──これが最善の流れだが、その前にいくつかの問題もあった。


「一応、ガウリーと合流する前にある程度の食料調達はしてあるけど……ネリの旅支度は全くしてない状態だからね。関所までは立ち寄れる街も無いし、ある程度揃える必要がある」

「お洋服でしたら、わたくしのものをお貸ししますわ。同じくらいの背丈ですし、大きいということは無いと思います」

「それはそれで良いとして、最低限の武装はしてもらわないと。カレン様も、身に付けられそうな防具を買っただろう? 僕ら、真っ直ぐアルマを目指すわけじゃないし、モルの危険もあるからさ」

「そうでしたわね。──装備も、予備を用意しておくべきでした」

「結果論だし、僕ら……余裕のある旅をしてるわけじゃないからね?」


 リムに向かう前、ハロディの進言でタケルたちは武具店に立ち寄っていた。そこで、カレンとヴァルターは身なりを隠す古い外套の他、いくつか身に付けられそうな軽い防具を見繕っている。粗末にも見える布の服しか身に纏っていないネリは、あまりにも無防備だ。そんな彼女に対して慈悲の精神を躊躇いもなく差し出すカレンに、ヴァルターが何度も深く頷きながら静かに感動を噛み締めている。タケルは見慣れた光景に密かに苦笑した。


「ならば、俺が武具店に行こう。リムでは姿を隠していたし、万が一追手がいたとしても気付かれないだろう」

「まあそれが妥当かな? でも君ら二人は、街中の店を回って呼びかけしてたんだろう? 僕らと行動してるのだってどこで見られてるかわからないんだから、充分用心してくれよ」

「ああ、分かった。では、先ほど立ち寄った店に行くからな」


 ヴァルターが一人、駐在所を出て行く。すると残る問題は、この場に居ないアルトだ。どこで何をしているか、巡回の兵士たちに尋ねても情報が無い。


「戦ってるなら分かりそうなもんだし、まさか、闇魔法の餌食になったりしてないよね?」


 ハロディが縁起でもない冗談を言う。アルトの戦力に対する信頼から来るものだろうが、タケルは闇魔法と対峙した彼女の様子を目撃している。刀を取り落とすことも膝をつくこともなかったが、確実に動きは止められていた。それをハロディに伝えれば、彼は眉根を寄せて小さく唸った。


「──相手が魔法を使ったなら俺が分かる。気配は無ぇって言っただろ」


 壁を背に立っていたガウリーがぼそりとそう告げる。ハロディはそれを聞くと、肩を竦めた。


「……じゃあ、しょうがない。兵士の方々に、アイツを見かけたら声かけてもらうことにしよう。シャイネン兵長、いいかな?」

「分かったわ。それで、全員がここに集まり次第、速やかに出港というわけね。──ただ、船の時間はずらせないから、頃合いを図らないと」

「うーん、ヴァルターはすぐ戻るだろうし、アルト次第かなぁ。船の時間ってさ──」


 ハロディとシャイネンが船の出港時間と船着場の位置、そこまでのルートを話し合う。カレンは申し訳なさそうに成り行きを見守るネリに微笑み、何か話かけている。


 タケルは辿々しくカレンの声に応えるネリの様子を横目に、リムのことを思い返す。ネリの事を守ろうと反発していたパゴニ、そんな彼女を思って飛び出したネリ。そんな二人が、このままあっさりと別れてしまって良いだろうか、と。


「──なあ」


 計画を立てていくハロディとシャイネンの話がちょうど途切れた頃合いで、タケルは控えめに声を上げた。


「パゴニさんと会わせてやる時間って、無いか?」


 二人はタケルを振り返って軽く目を瞠った。そして顔を見合わせる。


「うーん、どうかな。パゴニさんの動きで勘付かれる可能性もあるし……」

「……それにまず、パゴニがネリを素直に送り出すかどうかが問題よ。心苦しいけど、そこでまた一悶着となれば、好機を逃すことになるかもしれない」


 大人たちの反応は芳しくない。タケルの眉間に思わず力が篭る。何か良い案がないかと一度ネリを振り返ると、彼女は半ば目を伏せて俯いた。元々小柄な彼女がさらに小さく見える。


 それを痛々しく思った時、タケルの脳内にふと案が浮かぶ。途端に胸が高揚し、勢いよくハロディたちを振り返る。若干身を引いた大人たちに詰め寄るように、タケルは両手の拳を握って進言した。


「ネリがこの国を出てった、って思わせた方がリムも助かるだろ? だからさ、敢えてネリが俺らと出てくって見せつけてやるのは? シャイネンさんは何も知らないふりしてさ、その間にどうにかパゴニさん誘き出してくれよ。そしたら、船が出るところでちょっとでも顔合わせられないか?」


 シャイネンとハロディは再び互いに視線を交わした。しかし二人とも一様に、難しい顔をして小さく唸る。同意を得られるものだと確信していたタケルは、その反応の悪さに狼狽えた。


「つまり、僕らで相手の目を引きつけるってことだよね? そうすると効率が良いのはちょっとした騒ぎにすることだけど……程度によっては騎士が黙ってないよ?」

「リムが発端となった騒ぎとなると、リムの立場が悪くなるわ。それに──騒ぎを持ち込んだリムが、最後の砦である穏健派の市民に見捨てられれば、それこそ進退の問題に発展する。……ネリにとっては良い案だと思うけれど、手放しに賛成は出来ないわね」


 諭すような返答に、タケルは口元を歪めて押し黙る。二人の問題を二人だけの間で片付けられないことに納得出来ず、しかし、反論しようにもその案が思い浮かばす、喉がつかえるだけだ。タケルの傍ではカレンも、思案顔で顎を摘んでいた。


「──ただ、一芝居打つのは……良案かもしれないわ」


 黙り込んでしまったタケルたちの背後で、ネリは俯いたまま胸の内を抑えるような面持ちで口を噤んでいる。そんな彼らを見やったシャイネンは、苦笑してひとつ、助け舟を出した。不敵に口角を持ち上げる彼女の表情に、顔を上げた三人は期待に満ちた眼差しを向ける。


「君たちは大通りをなるべく避けて、船着場へ向かう。私は、それとは見当違いの場所に部下を送る。その足でリムへ向かって、パゴニに”ネリが見つかったかも”と告げて彼女を誘い出す。──そして、船着場の出口から街に向かう道すがら、君たちに紛れるようにして船に乗り込んだネリを偶然発見する。──こんなシナリオはどう?」

「なるほど、部下を陽動に使って、その間に事を済ませるってことか。上手くいけば揉め事もなく、”ネリがアンスールから脱出した”って事実だけが残る。……これはネリ自身の意思であって、僕らが無理矢理彼女を連れ出そうとしてるわけじゃない。──って言うのは、シャイネン兵長からパゴニさんに念押ししてもらえれば」

「それはもちろん。そうじゃないと信頼関係が崩れるし、何よりパゴニも納得しないでしょうから」


 騒ぎを起こさず、国を出る。そのうえで、パゴニを納得させる。結果的にパゴニをあの場所に一人にしてしまうことにはなるが、いた仕方ないことだ。


 シャイネンの案にハロディが賛同の意を示し、カレンが嬉々として両手を合わせるも、気遣わしげにネリを窺う。タケルは兎にも角にも、状況が進みそうな雰囲気に安堵の息を吐いた。


「ネリ、パゴニにちゃんとあなたの意思が伝わるよう、伝言を考えておいて」


 そう言ってシャイネンは目を細める。ネリは潤む瞳を誤魔化すように何度も瞬きをし、確かにひとつ、頷いた。 


「──ちなみに兵長って、演技派?」

「少なくとも……騎士団にとっての私は、従順で扱いやすい、真面目な一兵士ってところでしょうね」

「え、本当は違うってこと?」

「私用で夜、パゴニの店で一杯やる程度には逸脱してるわよ」

「わお」


 大人たち二人はそう言って、肩を竦めて笑い合う。タケルは、シャイネンがパゴニと妙に気安かった由縁はそこにあったのかと、軽く目を瞠った。





 作戦を明確にしつつヴァルターの帰りを待つ一行は、緊張の混じる穏やかな時間を過ごしていた。シャイネンは部下に詳細を伝え、こちらの合図で徐々に巡回範囲を狭めるよう計画を立てていく。


 そんな束の間の静かな空間が、扉を蹴り破るような破裂音によって強引にこじ開けられた。


「うるさ! ……て、アルト⁈」


 思わず肩跳ねさせ、耳を塞いだハロディが駐在所の入り口を見やって目を見開く。同様に驚き、弾かれたようにそちらに視線を向けたタケルたちの目に飛び込んできたのは、無表情ながらも息を弾ませるアルトの姿だった。


「すまぬ。──急ぎ伝えることがあってな」


 この場所にいることは巡回中の兵士から聞いたのだろう。アルトは足早にタケルたちに歩み寄ると、タケルを一瞥してその前を通り過ぎ、窓から外を窺った。


「その後、あの妙な使い手を途中までは追えていたのだが──見失った。しかし、同じような格好をした、気配の違う人物を別の場所で見かけたのだ。暗躍している相手は一人ではない、と、某は思い至ったのだが」


 外の気配を探りながら、アルトが早口でそう告げる。穏やかだった空間に、即座に緊張が走る。タケルは無意識に唾を飲み込んだ。喉の鳴る音が、耳の奥で妙に響く。


「奴ら、煙のようでな。存在が判然とせぬが故に影を追う他ないのだ。だが、幸いにも気配の違いだけは明白だった。──こちらには、まだ手が及んでおらぬようだな」


 一通りの気配を探り、アルトは刀の柄に手をかけたままタケルたちを振り返る。すると、壁に背を預けたまま黙っていたガウリーが口を開いた。


「魔力の匂いはしてねぇぞ。てめぇの視力にも焼きが回ってんじゃねぇのか、ソレガシ?」

「魔法については某の預かり知らぬこと。だがお主の方こそその鼻、衰えているのではないのか」


 にやりと口角を上げて煽るガウリーに、真顔のアルトが平然と言い返す。ガウリーの舌打ちが盛大に響いたところで、ハロディが口を挟んだ。


「闇魔法の撹乱術ってのは未知の部分も多いってルナも言ってたから、もしかしたら相当な隠密術を持ってるのかもしれない。──こうなると、危険かもしれないけど……次の船に合わせて作戦決行した方がいいかもしれないよ」


 どうどう、と二人を宥めつつ、ハロディはシャイネンに伺いを立てる。シャイネンは硬い表情で頷き、部下へと合図を送る。


「ですが、ヴァルターがまだ戻っておりませんわ」

「何だ、何か策が決まっているのか?」


 眉尻を下げるカレンの傍で、兵士たちの統制された動きを横目にアルトが疑問を投げる。ハロディは眉間を寄せて額を抑え、天井を仰いだ。


「──説明は道すがらで済ませよう。ひとまず僕はヴァルターを迎えに行くよ。そのまま船着場に直行するから、ガウリーはタケル君たちを頼む。アルトはそっちに同行して、説明は彼らから聞いといて。船で合流しよう」


 タケルとカレンは頷き、ネリを窺う。彼女は胸を抑えながら、覚悟を決めたように強く頷いた。


「状況がよく読めぬが、ひとまず相分かった」

「先に船着場に着いた方が、キャリッジハウスの荷物を船に移動させること。船に乗ったら一人は外から分かる位置に立つ。ネリとカレン様は向こうに着いたら基本、馬車の中で待機ね」

「分かりました。──ネリ様、わたくしから離れないようお願いしますね」

「わかった」


 兵士たちに続き、ハロディたちも慌ただしく計画を組み立てて実行に移す。その場の荷物をかき集め、唐突に訪れた作戦決行の時に備える。


「じゃあ、向こうでね」


 ハロディがそう残して扉の先に消える。すると入れ替わる形で、部下への指示を終えたシャイネンがタケルたちの元に駆け寄った。


「今、北側に部下を行かせてる。君たちは裏口から出て、大通りを避けながら船着場へ向かって頂戴。──道は分かる?」

「ああ」


 駐在所の裏口へとタケルたちを先導し、シャイネンは扉の前で彼らを振り返った。念を押すような問いかけに、ガウリーが即答する。


「じゃあ、私はこのままリムへ向かう。──今しか無いからここで言うけど、……今回のこと、協力してくれて感謝するわ。君たちの仲間にも、そう伝えておいて」


 タケルたちの先導を任せたと言わんばかりに、シャイネンは長身のガウリーの肩にそっとガントレットに覆われた手を乗せた。そして一行をぐるりと見渡し、足を揃えて敬礼の姿勢を取る。


「いいえ。シャイネン様に後を任せるような形になってしまっていますので、お互い様ですわ」

「そっちも、気をつけてな」

「あの、……アリガト」


 カレンやタケル、ネリが手短かに別れを告げる。シャイネンは笑顔を見せて一つ頷き、表口へと走る。去っていく背中をしばし見送るうち、ガウリーが裏口の取手に手をかけた。


「行くぞ」

「殿は某が任された」


 頼もしい二人に後押しされ、タケルたちも人気のない路地に一歩足を踏み出した。





 階段を下り、水路脇を抜け、また階段を上る。大通りを避けるように、しかしそれに沿うように、船着場へ進む。ガウリーは迷いなく大股で後続を先導し、カレンとネリが小走りに続く。タケルも弓を手にしたまま、同じように時折小走りに追いかけながら、周囲に警戒の目を巡らせる。


 気もそぞろのなか、タケルは背後のアルトに事の経緯を説明する。相変わらず表情の乏しいアルトは、「承知」と短く応えただけだった。


 一段下がった小道の商店街を抜ける時、すれ違う人々が、一列になって足早に通り過ぎるタケルたちを振り返る。その目が誰よりもネリに向けられていること──そして、怪訝そうに眉を顰める者も多いこと。そんな市民の姿をネリの背後から垣間見たタケルは、街とリムとの目に見えない隔たりを直感的に察した。


 ぽつぽつと立ち並ぶ商店を抜け、大通りの真下を潜り抜ける薄暗い通路に曲がる。視界の先に、水の気配。大通りの路上演奏なのか、笛と弦楽器の軽快な二重奏が聞こえてくる。それがタケルに言い知れない不安を覚えさせた時──明確な不穏が背後から彼らを襲った。


 強烈な、”視線”。周囲を見渡してもそれを向ける者がいないのに、まるで至近距離から凝視されているような、圧迫感すら覚える強烈な視線だ。天井や壁、地面に無数の目が生え、その瞳がタケルたちの動きを追うような──はたまた巨大なひとつ目が、背後からじわじわと迫ってくるような。


「おい、足止めんな」

「ネ、ネリ様、行きましょう!」


 思わず足が止まりそうになる後続に、先頭のガウリーが吐き捨てるように忠告する。カレンが慌てて怯えるネリの手を握り、前方へ導く。タケルは弓を持つ手が思い出したように震えるのを叱咤し、三人を追う。


「姿を現せば迎え撃つものを……小癪な」


 アルトはそう言って珍しく舌打ちを漏らす。姿が不鮮明でありながらこちらを翻弄する相手に、どうやら相当手を焼いたようだ。


 通路の先に船の姿が見え始める。湖面の煌めきが建物に反射するようにして、タケルたちの意識を導く。しかし進むにつれ、視線の圧迫感がやがて、覚えのある吐き気を誘導する。胃が浮遊するような不快感を何度も飲み込み、タケルはひたすらに前方だけを見据えた。


「つ、着いた……!」


 まるで長時間の潜水をしていたかのように息を吐き出し、タケルは思わず声を漏らした。通路を抜けるとそこは、大通りから船着場に下りる階段の脇道だった。日差しが強く視界を刺激し、眩しさに瞼が痙攣する。着港している船を見上げれば、甲板でこちらに手を振るハロディの姿があった。


「おーい! 早く乗って乗って!」

「カレン様! ご無事でいらっしゃいますか⁈」


 側にはヴァルターも居て、相変わらずカレンが最優先の彼は、必死に彼女に呼びかけている。ほっとしたのも束の間、背後からは次の衝撃が襲った。


 風もないのに身体が押され、足が縺れるような感覚だ。そのまままるで、地面に足が縫い付けられたかのように動きが鈍る。周囲の人々は、突然よろめいた彼らに驚いた様子で狼狽ている。


「な、何なんだよ⁈ どこに──?」


 水際の鉄柵に手をつき、おぼつかない足取りでタケルは背後を振り返る。あの怪しげな黒い外套の姿を探ったが、それらしきものはどこにも見当たらない。どこから仕掛けられているのかが分からない。


「チッ」


 ガウリーが忌々しげに舌打ちすると、カレンの腕を強引に取った。そのまま力任せに進み、半ば引きずられるようにカレンが船へと連れられていく。彼女に手を握られていたネリも連鎖的に、足を縺れさせながらそれに続く。甲板からヴァルターの騒ぐ声が届く。その異様な光景に、船着場周辺の市民たちが騒めいた。


「おい、ソレガシ!」


 カレンやネリの首根っこを掴むようにして彼女らにタラップを踏み越えさせながら、ガウリーが大声を上げる。タケルが何とか足を動かしながら前方の彼を見上げると突然、首元を引っ掴まれる。殿のアルトの仕業だ。彼女はブツブツと何かを呟きながら、ガウリー同様、そのまま引きずるようにしてタケルを先導した。


「心頭滅却、心頭滅却、心頭滅却」


 念仏のように唱えるアルトの目は見開き、不可解な術を相殺しようとしている。タケルはその声に意識を寄り添わせ、脳内で同じ言葉を唱えながら、やっとのことでタラップに到着した。


「──ネリ!」

「……パゴニ!」


 タラップを上がるタケルたちの視界の先で、馬車に向かおうとしていたネリがカレンの手を振り払い、船尾に駆け寄る。タケルがそちらへ向かうと、彼女が見下ろす先──シャイネンに両肩を支えられながら柵を掴み、身を乗り出すパゴニの姿があった。


 表情を歪ませ、近いのに遠く隔たれた距離で視線を交わすパゴニとネリ。その隙間から、シャイネンがタケルにひとつ頷いて見せた。彼女はうまくパゴニを誘き出してくれたようだ。


 パゴニは唇を噛みしめ、一心にネリを見上げたまま何も言葉を発せないようだった。柵をきつく握りしめたまま、その場から動かない。──それは、彼女の精一杯の譲歩にも見えた。


「パゴニ、ありがとう、ワタシ、行くね」


 同じように船尾の欄干を握りしめ、ネリが身を乗り出して必死に叫ぶ。頬を涙で汚し、引きつった声も構わず、一心にパゴニに感謝を告げている。パゴニは、そんな彼女を鏡に写したように表情を崩していた。しかし、ネリの言葉のひとつひとつに頷くだけで、言葉は発さない。


 タケルは吐き気も周囲への警戒も忘れ、そんな別れ際の二人をじっと見つめた。強面のガウリーや居合わせたタケルたち、兵団を束ねるシャイネンでさえ跳ね除けていたパゴニ。パイプを吸って煙を吐く姿は強かだった。それが今、崩れ落ちんばかりの膝を耐えるように立ち、涙に崩れる眼差しでネリを見上げている。彼女の服装はネリ同様、周囲から浮いていた。だがそれがタケルの目には、ひどく美しいものとして焼き付いていた。


「おい、てめぇら全員掴まっとけ! 振り落とされんなよ!」


 目頭に痛みすら覚えた束の間の別れ際、無音にも思えた二人だけの世界を、ガウリーの声が引き裂いた。馬車に置いていた大杖を片手に船尾まで大股にやって来て、タケルの目の前を通り過ぎてすぐさま身構える。すると彼の杖の先に嵌められた、透き通った歪な鉱石が翠に輝き、彼を中心に巻き起こった小さな風が周囲の人々の衣服をはためかせる。


「おいおい、お前まさか──」


 駆け寄って来たハロディが瞠目し、慌てて近場の手すりに掴まって身を屈める。タケルは狼狽えつつも、本能的にネリの肩に手を添える。──程なくして、空が唸った。


 空中に突如として竜巻が発生し、天へと霧散する。その瞬間的な衝撃が船着場の人々を翻弄し、タラップを吹き飛ばし、船尾を押す。船は文字通り、急激な風の動力によって船着場を飛び出した。


 タケルは振り落とされそうになりながら必死に踏ん張り、ネリを支えた。その耳が風の轟音や水飛沫に混じり、確かな声を拾う。


「ネリ、どうか無事で──!」


 悲痛な叫びにも似た、精一杯の激励。やがて巻き上がった水飛沫が雨のように船に降り注ぎ、一瞬にして無防備なタケルたちを水濡れに変えてしまう。


 船着場から船が離れると、勢いのまま湖を進む船を気にせず、ガウリーが踵を返す。動揺した船員たちがそんな彼に詰め寄ろうとするも、ひと睨みで追い返して甲板へと歩き去っていく。呆然とその背を見送るタケルの元に、苦笑したハロディがやって来た。


「まったく……ここで魔法使うの、あれだけ嫌がってたくせにねぇ」


 濡れた髪をかき上げ、服を払いながら呆れたように呟く。そんな声を聞きながら、タケルはネリを横目に見やった。彼女は黙って欄干を掴み、遠く離れていく船着場をただじっと、見つめ続けていた。


「別にあの二人、リムの人間だからって悪い人じゃないのに……なんで離れなきゃいけなくなるんだろう」


 ネリからそっと距離を取り、その背を見守りながらぼそりとタケルが呟いた。ネリを守ろうとして気丈に振る舞っていたパゴニ。そんな彼女をただ気遣って、力無い自分と葛藤していたネリ。──もしリムという場所の住人でさえなければ、二人は街に受け入れられただろうと思わずにはいられなかった。二人だけじゃない。リムの暗い路地から現れてアルトを引き留めた女性もまた、同じだ。手を差し伸べられれば息を吹き返しそうな人々も、一部の悪人の所業によって同じように蔑まされる。無限にも思える厚みのある隔たりが、柵もなく地下に押し込められている。


 徐々に速度を緩めていく船上で、風が濡れた身体の熱を奪う。ハロディは、遠い目をしたタケルを一瞥し、力なく笑って肩を竦めた。


「”リムの人間だから”──確かに理不尽に感じるけど、実は僕らだって、そういう一括りを背負って生きてるんだよ」


 タケルは風に靡く前髪を払ってハロディに視線を移す。彼は船縁に寄りかかり、船尾の先──湖上に浮かぶ白い国を見やった。


「下層ギルドの人間だから、北の国の貴族だから、その娘に仕える従者だから……僕らの括りですら、誇りだったり、羨望だったり、蔑視に使われたりする。重要なのは個人だけど、まずそのしがらみが付き纏うものなんだ」


 ハロディはそう言って、試すような視線をタケルに向けた。


「君もそうじゃない? ”突然何もないところから現れたから”──それが、”かつての勇者と似てるから”。そう言われながらここまで来て、腑に落ちないことだってあっただろう?」


 突然嵐の船上に転がされ、カレンたちと出会い、勇者と呼ばれ、言われるがままに異形を倒し、さらに羨望の目を向けられる──確かに、最初の出会いはそうだった。今ではカレンから、自分の背後に憧れの勇者を見るような目は向けられていないと確信できる。でもそれは短い間で、互いに個人を見て来たからだ。タケルも今や、カレンをただの”勇者に過剰な憧れを持つ少女”だとは思っていない。


「評判とか噂も付き纏うし……ま、”己の目で個人を確かめよ”って話なんだけど、それが難しいのが人間ってやつだよ。──みんな危険や面倒は避けたいわけだしね」


 彼の口調は日常を語るように軽かった。しかしタケルにはそれが、耳の奥で重く響くように感じた。


 平らな湖面を、船が飛沫を上げて割っていく。その水音に身を委ねながらタケルは、目を閉じる。そして、故郷の山では知り得なかった知識や感情が、胸の内の最たる部分に沈んでゆくのを、瞼の裏で見つめていた。





 小さくなっていく船をいつまでも見つめ、パゴニは微動だにせずネリを見送った。その小さく震える細い肩を摩りながら、シャイネンは船着場を見渡す。ガウリーの魔法によって吹き飛ばされた細々とした物が散らばった広場や階段。呆気に取られる人々。湖面に投げ出されたタラップを、湖に飛び込んだ職員たちが桟橋に引き寄せている。


「ドナー兵長! い、今のは一体なんだったんです?」

「さあ……急いでいたようだから、翠誓騎士団に目をつけられていたのかもしれないわ。あれだけの魔法を使うキャスターですもの。──さあ、それはそうとひとまず落ち着いて。この場を片付けてしまいましょう」


 狼狽る人々に向けて片付けに集中するよう呼びかけ、後からやって来た部下に後始末の指示を下す。その間もシャイネンは、パゴニを隠すようにその場を離れなかった。


「──パゴニ、手紙を預かってるの」


 置き物のようにそこにいるパゴニに呼びかけ、シャイネンは懐にしまっていた一枚の紙片を取り出した。紙だけは上質な、四つ折りにされた便箋をパゴニに差し出すと、彼女はようやく瞳を動かす。戸惑う眼差しに、シャイネンは便箋を近づける。おずおずと手に取ったパゴニは、力なくゆっくりと、それを開いた。


 滑らかな紙の上に滴が落ちる、そこに書かれた歪な文字のインクが滲んでいく。便箋を掴む手に力が篭って皺が寄る。その様をシャイネンが気遣わしげに見下ろしていると、とうとうパゴニは頽れた。


「何て書いてあった?」


 同じように屈み、シャイネンは優しく問いかけた。船着場の片隅で二人は、後始末や噂話に勤しむ人々の背景と化していた。


「──ありがとう、さびしい、つよくなる……また来る」


 震える声で、パゴニは手紙の中身を読み上げた。シャイネンは、駐在所で待機中に紙とペンを求めたネリの姿を思い出す。


 テーブルに向かい、慣れない手つきで紙の上にペンを滑らせる彼女は真剣そのものだった。向かいに座った異国の貴族たちから助言を受けながら、一心にその思いを綴っていた──あの、無駄に力の篭ったペンを握る手。


 ネリがリムに来た時の年齢を鑑みれば、彼女はとうに少女ではない。しかし彼女の境遇と、おそらく怪我が、彼女を幼くさせている。そんなネリが新たな一歩を踏み出そうとしている姿は、シャイネンの胸を熱くさせた。


「……娘のように、思ってたんだ」


 絞るような声が、シャイネンの意識を記憶の片隅から呼び戻す。パゴニは蹲り、額を紙に押し付けるようにして肩を引きつらせた。


「──知ってるわ。貴女は私にも、そうだった」


 シャイネンは外套を掴み、その手で再びパゴニの肩を摩った。暗い場所で過ごす彼女が光にさらされて焼かれぬよう、守りながら。




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