5-6 檻の内鍵
カクヨム掲載作品です。
5-6
「ネリはどうしたい?」
一歩も引かないパゴニの説得を諦め、シャイネンはネリに直接語りかける。ネリは返答をせず、半ば怯えた表情で胸の前で両手を握りしめ、上目遣いにパゴニの様子を窺う。
「ネリ、答える必要はないよ」
パゴニは牽制を止めない。シャイネンは頑なな彼女の様子に乾いた溜息を吐いた。ガントレットに守られた指先が、小刻みにカウンターを叩く。タケルたちは口を挟めず、そんな三人の様子を黙って見守る他ない。すると程なくして、シャイネンは軽く両手を上げた。
「……分かった。ひとまず二人は奥へ移動して。もうすぐ部下が偵察を終えて戻ってくる頃でしょうから」
「不審な動きをする奴は、とっととひっ捕らえて連れて行ってくれ。──それが、アンタら兵団の仕事だろう」
「──ええ。それまでは施錠を忘れずに、なるべく奥に潜んでいて」
ぞんざいに言い捨てるパゴニの言葉に憤ることなく、シャイネンはゆっくりと瞬きをして二人を奥へと促した。申し訳なさそうにパゴニについていくネリにひとつ頷いて見せ、軋む音を立てて閉じられる扉を最後まで見守る。二人が奥へ消えると、店内の緊張の糸はするりと解かれた。
「……はぁ」
疲労の滲む吐息が漏れる。カウンターを叩いていた指先を眉間に移動させ、寄せられた皺を念入りに解す彼女は、その顔を上げた時には凛とした表情を取り戻していた。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ない」
軽く肩を竦め、努めて笑顔を取り繕うように口角を持ち上げて座したまま振り返る。しかしそれは微笑みにならず、瞳は凪いでいた。
「ままならないものですね」
シャイネンとは対極の位置であるカウンターの端から、気遣うような声がかかる。二人の問答を黙って見ていたハロディだ。彼は口調とは裏腹にカウンターに頬杖をつき、足まで組んでゆったりと構えていた。シャイネンはそれを見ても眉一つ動かさずハロディに振り向き、わざとらしく、興味を失ったように視線を逸らす。
「支援って、潰すための前段階って見方も出来るけど……アンスールの上層部はどうお考えなんですか?」
「ウォード家の御当主が……共生を掲げて市民に訴えかけ、支援策を投じておりました。その意思を継ぐ市民も多く、諸々の事情を汲んで、こうして我々常備兵団もこの場に介入するようになったのです。しかし──」
シャイネンの眉間に力が篭る。するとハロディは神妙な面持ちで口を挟んだ。
「ウォード家……たしか、度重なる不運に見舞われたんだとか」
「ええ。ご当主は病に倒れ、たった一人のご子息は幼少期に姿を消したまま発見されず、残された奥様も失踪──リムと街の共生策は宙に浮いたまま、我々も今後を模索しているところなのです」
「……なるほど。──ところで、シャイネン兵長」
「ん?」
姿勢正しく生真面目に答えるシャイネンに対し、ハロディは肩を竦めて片眉を上げた。
「僕らも今回の件、一枚噛もうかと思っているんです。……そうじゃないと、アイツが梃子でも動かなそうなもんで。──いいよね、カレン様、タケル君?」
そう言って苦笑し、親指を立てて扉脇の壁を背に立つガウリーを指し示す。そしてカレン、タケルと、順に視線を巡らせた。
「なっ、お前──」
「ええ、もちろん! 何かお役に立てることがあるのなら」
ヴァルターの焦った声に、カレンの嬉々とした声が被さる。もうお決まりの光景となったやり取りをぼんやり眺めるタケルのもとに、再びハロディの視線が戻ってくる。タケルはガウリーを一瞥すると、小さく頷いた。
「──だから、お互い協力者としてお堅い態度は無しにしませんか? 僕らは所詮ロワーサイドの人間。あっちの二人は他国の貴族だけど、見ての通り、体裁をあまり気にしない方々なんで」
「おい!」
「まあまあ」
ハロディの申し出に目を丸くするシャイネンの背後で、ヴァルターが反論の声を上げるも、すげなくハロディにあしらわれる。これも、タケルがこれまで幾度となく見てきた光景だ。
「もし依頼としてご用命いただけるなら、一枚噛むどころか……一役買ったっていいですよ?」
試すような微笑みが、不敵にシャイネンを見上げる。呆気に取られていた彼女は一瞬遅れ、弾けるように笑った。
「──そっちの都合で首を挟まざるをえない状況なら、わざわざ依頼する必要はないと思うけど?」
シャイネンはそう言ってカウンターに肘をつき、ニヤリとハロディを見返した。
偵察から戻った部下を店の前に待機させ、シャイネンはタケルたちを連れて街へ上がった。唯一の安全地帯である酒場はパゴニの砦だ。今後を話し合うにも場所を変える必要があった。
ハロディはガウリーの事情を鑑み、街中へ入ることを拒む。するとシャイネンは、リムから程近い寄合所を提案した。船着場からは少し離れた場所にある、小さな石造りの施設だ。近場に新しい施設が建ってからは、ほとんど使われていないらしい。中には簡単なキッチン設備も整えられているが、有志で店を開く者も居なくなり、ほとんど空き家状態となっていた。
シャイネンは奥へ足を進めると、テーブルの埃を払って周囲から椅子をかき集めた。木製のそれらは乾いて軽く、室内には小気味いい高い音が響く。タケルたち六人とシャイネンは、四人用のテーブルの周囲に、各々着席した。相変わらずアルトとガウリーは少し離れた位置に移動し、それぞれの聞く姿勢を取った。
「はじめに伝えておくと、パゴニの言い分も分かるの」
全員が席に着くと、シャイネンは腕を組んで一行に視線を流した。酒場では冷静にパゴニを説得し、寄り添う姿勢を見せながらも諭していた彼女は、その実、現実をしっかりと見据えていたようだ。
「街にいる人道派は騎士にとっても無視できない存在になってるけど……パゴニの言ってた通り、彼らが支援出来るのは、あくまでリムと距離が離れているから──という現実もある。実際、共生計画の一端で、リムの中でも共生に賛同を示す”比較的適応出来る人材”を街に招いたことがあったけど、ほとんど混乱を生んだだけで失敗に終わったわ」
シャイネンの話はこうだった。騎士をまとめる二大巨頭のひとつであるウォード家当主が、リムの撤廃計画に際して”共生”を謳った。戦後の代償として生まれてしまったリムを平和的に無くすという主張──それは市民の支持を受け、街を中心に支援の動きが活発となる。だが現実にはしがらみを埋める忍耐、辛抱、時間が必要だ。魔法国家とあれど、透明で、蔦の絡まった鉄錆の鎖を魔法で消し去る術は無い。
街とリムでは、常識も倫理も違う。それが衝突すれば、小さな火種でも簡単に燃え広がる。
「例えば街に呼ばれたリムの人間の一人が、何の悪びれた様子もなく盗みを働く。その行為は、それまでその人間がリムで培ってきた常識に基づくものよ。それを街の人間も理解しているはずなのに、目の当たりにすると途端に蔑視する。リムの人間を善意で受け入れた家や店の人まで、まとめてね。──ここで、赦しと教育が為されれば良い。けど、現実問題……そう簡単に物事は進まない」
「でも、あの人は、……そんな悪いことするような感じに見えなかったけど」
タケルはネリの姿を思い出す。気弱そうだが、言葉が拙いながらも必死に何かを訴えようとする姿は真っ直ぐにも見えた。何より、世話になっているパゴニを気遣うようなひたむきさがあった。思ったままを伝えると、シャイネンは物悲しそうに小さく笑みを溢した。
「……そうね。私もそう思う。けど全員が全員、私たちと同じなわけじゃないわ。”リムから来た”というだけで軽蔑したり、その立場を利用しようとしたりする人もいる。──もちろん優しい人も多いけど、その優しい人が標的になってしまう場合もある。残念なことにね」
重苦しい声音に、タケルはそれ以上口を挟むのを止めた。彼には想像の及ばない話だったが、シャイネンの纏う空気が、彼の知らない現実の信憑性を物語っていたからだ。
「パゴニは、その街側で起こる”落差”に……ネリが晒される事を恐れているのよ」
静寂が降り、船着場から聞こえる人の声や、船殻が水を弾く音がざあざあと鳴る。湖面に煌く日差しが窓を通し、室内で揺れた。
「──確かに、とても複雑なお話ですわね。でも、それでしたら……パゴニ様とネリ様のお二人を、街に移して差し上げるのはいかがでしょう? パゴニ様がそばにいらっしゃれば、ネリ様も──」
「それは、難しいわ。……だって、失敗に終わった共生計画で街に来た適応者の中に、パゴニも居たから。そこで手酷い差別を受けて、──結局、リムで暮らす他なくなった。それから彼女は、街の人を信頼出来ないでいる」
「……そう、だったのですね」
「まあ、彼女はネリの他にも──支援の配給先として、食い扶持の無い人を助けてるから……そういう理由でも、あの場を離れようとはしないと思うわ」
カレンの提案に、シャイネンはそう答えて力なく首を横に振る。半ば伏せたその瞳の奥には過去を滲ませていたが、彼女は深くは語らなかった。分かったのは、ネリをパゴニから離すのも、パゴニをリムから離すのも、困難を要するということだけだ。ネリはパゴニのためにあの酒場を出ようにも、その後の当てが無い様子だった。「それではパゴニを説得出来ない」と言ったガウリーの言葉が、タケルの脳に重く反芻された。
「──……じゃあひとまず、敵の正体を探るのは? 摘発出来たらひとまず。現状維持で安泰なんじゃない? 兵団の方では何か情報を掴んでいたりとか……」
「いいえ。今まで何人かは捕縛したけど……何も知らないリムの影踏みばかりで有力な情報は無かった。姿を上手く隠してるみたいね」
ハロディが話題の流れを変えるが、シャイネンは力なく首を横に振る。先刻のように碌に姿も見せず、影から獲物を狙い、蜘蛛の子を散らすように逃走する連中ばかりなら、捕縛すら困難だろう。加えてタケルが目撃したように、追い詰められた逃走者はどこからともなく始末されている。胸にナイフを受けて倒れ、項垂れる姿を思い出しそうになって、タケルは慌てて首を振る。そんな彼に、ハロディがすっと視線を向けた。
「そしたら今のところ、闇魔法の使い手ってことぐらいしか分からないってわけか」
彼はそう言って、シャイネンに事の経緯を伝えた。突然店を襲われ、逃げる敵の追跡を試みたタケルとガウリーが、その唯一の手がかりを持って帰ってきたこと。そして、どこにいても殊更に闇魔法が敬遠されるこのアンスールの地で、敢えて闇魔法の使い手が暗躍している不自然さも。
「その闇魔法の使い手が、個人的な事情でネリを狙ってるのか──それとも、”誰か”から指示を受けているのか……わざわざリムの連中使って間接的に動いてるみたいだから、前者は無さそうだけど」
するとシャイネンは、顎を摘んで俯いた。
「──そういえば捕縛した者の中に、前金を受け取ったと証言する奴がいたわね。それが結構な額で、……だからリムの影踏みがこぞって食いついてるんだろうって部下とも話してた。でも確かに、影踏みと接触しているのがその闇魔法の使い手で、受け渡しまでやっていたのだとしたら──不可解な動き方ではあるわね」
「だとしたら、単なる仲介者の可能性が高いかも。指示役に頼まれて、敢えて直接関わらないようにしてるって感じかな?」
二人はそのまま、互いに情報の摺り合わせを始めた。個人のナチュラは一見してそれと分かるものではない。常備兵団にも魔法の心得がある者はおらず、故に街に溶け込むのは容易だという。一方で、城に紛れるのは極めて困難とのことだった。騎士の全てはキャスターで、オルヴェイン王や、その側近のリーバス家を筆頭に魔力の”匂い”に敏感な者ばかり。魔力を嗅ぎ分けられ、門前で弾かれることになるらしい。
「じゃあ、この国の外にいる奴なんじゃないのか? その、指示してるって奴」
タケルはそう言ってハロディとシャイネンを交互に見やったが、彼らが何か応える前に、ヴァルターが口を挟んだ。
「……騎士が、街に出る機会は? 貴女方常備兵団が街の守備を担っているとはいえ、城に篭っているわけではないだろう?」
シャイネンはわずかに瞠目し、腕を組んだまま椅子の背もたれに寄りかかった。逡巡するように瞳が彷徨うも、すぐに眉を顰めてヴァルターに向き直る。
「ええ、まあ……我々では手に余る問題があれば騎士団が出向くけど……滅多に無いわね。騎士や貴族は全員、城の敷地内に居を構えているから──日常生活で街に下りてくることは稀なのよ。あとは周囲の守護塔に行き来したり、特殊な遠征に出向く時に街を通り過ぎるくらい」
それまで明朗に紡がれていた言葉が若干の辿々しさを帯び、声には若干の戸惑いと警戒が混じっていた。しかしヴァルターは平然とその答えを受け止めてひとつ頷くと、さらに続けた。
「ならば、動向も洗い易いだろう。調べてみるのもひとつ、手だと思うのだが」
「騎士団に話を上げるのが早いけど……内容が内容だから、難しいわね」
「では、秘密裏に行ってみては」
あっさりと上層部に疑いを向けるヴァルターは、至って真摯な眼差しで言葉を紡いでいる。その隣で彼の発言に違和を唱えるでもなく座しているカレン。ハロディはそんな二人をまとめて視界に入れると、目を瞠った。
「──ちょっと前から思ってたけど、もしかして……イス帝国って結構物騒な国だったりするのかな?」
カレンはどこか気まずそうにヴァルターを見上げ、ヴァルターがわざとらしく咳払いをしてみせる。ハロディは肩を竦め、それ以上の追求を諦めた。
室内に微妙な空気が流れる。そんな時、水際の音や汽笛に混じり、壁の外から金属音を携えた乱れた足音が彼らの耳に届いた。近場の窓から外を窺えば、兵士が走り抜ける姿が瞬きの間に通り過ぎる。シャイネンが、弾かれたように立ち上がる。それと同時に、その兵士によって荒々しく扉が開かれた。
「兵長! 酒場が襲撃を受けました!」
「何だと? 警備もいるのに間髪入れずに襲うとは……」
帯刀ベルトに素早く剣を装備し、シャイネンは部下の元へ駆け出す。反射的にタケルたちも立ち上がり、その後を追おうと足を踏み出す。兵士の報告に”一名捕縛済み”という文言があったことで誰ともなく安堵の息が漏れる。しかし次の言葉で再び緊張が走った。
「申し訳ございません、襲撃に紛れ、守護対象が姿を消しています……急ぎリム内に捜索の手を回しておりますが──」
ガウリーが舌打ちとともに、テーブルに立てかけていた鎖鉄球を手に取る。タケルも弓を手に取り、そのまま駆け出していく彼の背を反射的に追いかけた。
部下に連れられて酒場へ駆けつけると、店前でうつ伏せに押さえつけられた捕縛者が真っ先に目に入る。しかしそれよりもタケルたちの気を引いたのは、取り乱すパゴニの声だった。
「いいから離しな! 早く追いかけないと──」
「落ち着いて! 追跡の手は打っているからあとは我々に……」
「アンタらじゃ信用ならないって言ってんだよ!」
シャイネンが扉を開いた先では、店を出ようともがくパゴニを一人の兵士が必死に押さえつけていた。パゴニは痩せた拳を容赦無く胸当てや兜に拳を叩きつけて罵声を浴びせ、屈強な兵士はそんな彼女を気遣いながらも翻弄され、出入り口は突破される寸前というところだった。
「パゴニ、貴女が落ち着いてくれたら彼も捜索に向かえる。大人しくして! ──ネリは誰かに連れて行かれたの?」
部下を押し除けてパゴニの手首を掴む。シャイネンはそうやって彼女を諭しながらも部下に目配せし、ネリ捜索に向かわせる。路地を駆けていく兵士を見送ると、タケルは二人を振り返った。
「パゴニ、答えて。ネリは連れ去られたの? どっちに向かったか分かる?」
暴れるパゴニに根気よく問いかけるも、パゴニは碌な答えを寄越さない。シャイネンが怪訝に眉を顰めると、捕縛者を取り押さえていた兵士が声を上げた。
「兵長、自分の見た限りでは──対象は……騒動に乗じて、自ら出て行ったものかと」
「……何ですって?」
その言葉にパゴニが歯噛みして動きを止め、口を閉ざす。ガウリーが踵を返し、その場を駆け出して行く。追おうとしたタケルだったが、入れ違いで駆けつけたハロディと出会した。
「ひとまずアルトと、カレン様とヴァルターが街に不審者がいないか探しに行ってるよ。──で、どういう経緯でこんなことになってるんだい?」
息を切らせながら周囲を窺い、ハロディは店内を覗き込む。するとそこには、力なく膝を折って肩を震わせるパゴニと、その肩に手を添えて宥めるシャイネンの姿があった。
ハロディがタケルを振り返る。タケルは眉根を寄せ、弓を握る手に力を込めた。
「ネリが、──自分から出て行ったかもって……」
二人は呆然と、宥められながら息を殺すように涙を流すパゴニを見下ろした。だがそれはほんの一瞬で、タケルはすぐに口元を引き締めた。
「俺らも探そう」
ハロディは強く頷き、タケルの肩を叩く。
「そうしよう。君は街へ。望んで出て行ったなら、リムから出るはずだ」
そう言って、ハロディはパゴニを一瞥する。
「──出口分かる?」
「大丈夫だ!」
力強く返事をし、駆け出すタケルの背中をハロディが叩く。その勢いのまま、タケルは薄暗い路地を駆け抜けた。




