5-5 庇護という檻
遺体をそのままに細く入り組んだ地下の暗所を進み、酒場へと戻る。湿った石煉瓦、取り残された塵。脆いのに妙に重く堅牢に見える木製扉、怪しい灯火が浮かぶ窓──同じような景色が続くなか、視線を彷徨わせるタケルと対象的に、ガウリーは迷いなく先頭を歩く。会話は無い。重いブーツの底が砂利を踏みつける音だけが、殊更に反響する。不気味な静けさが路地に満ちている。そこに、彼の所持する鎖鉄球や、身につけている飾りベルトなどの金属音が無遠慮に鳴る。タケルは、歩幅の広い彼の足取りに、小走りに追随した。
酒場へ戻ると、あの妙な気配は跡形もなく消えていた。壁に真新しい傷があるのは、ガウリーが武器を振り回した痕跡だろうか。敵は痕跡を残さず散ったようで、それ以外の違和感は見当たらなかった。
戸締りされた店の扉を開いて中へ入ると、店内はすっかり元の空気に戻っていた。突然のナイフによって裂かれたアルトの腕もハロディが治療済みで、破れた服だけがその痕跡を残していた。
「大丈夫だったか?」
「ああ。──不覚をとった。面目次第もない」
「……別にそんな、気にするほどでも。大した怪我じゃないなら良かったよ」
真剣な面持ちで頭を下げるアルトに狼狽し、タケルは思わず両手を振って頭を上げさせた。どこかぼんやりとしていた彼女だったが、瞳にはいつの間にか意思が戻り、真っ直ぐにタケルを見据えている。ほっと息を吐いたところで、カウンターに移動していたハロディが頬杖をつきながら含み笑いを漏らした。
「アルトは知っての通り強いからねぇ。運と強さで困難を困難としないタチだから、普段怪我なんて滅多にしないんだ。持ってるカタナも”斬れない”っていう不思議な呪い付きみたいだし、こう見えて意外と血を見る機会が無いんだよね」
「血を見る機会って何だよ。無いなら無いでいいだろそんなの」
事もなげに言うハロディに、呆れ声でタケルが指摘を入れる。的を相手に山で弓の鍛錬を重ねる毎日だった彼も、アルトと同じようなものだった。記憶に残る最も鮮烈なものは、この世界に来る直前に目の当たりにした、自らの師匠の血。思い返しそうになったタケルは、慌てて首を振ってそれを意識の外に追いやった。
「で、どうだった? 手ぶらということは、お前も収穫無しか」
「タケル様もガウリー様も、お怪我が無いようで何よりです」
ヴァルターが腕を組んで店の奥から横槍を入れる。彼はカレンやネリ、パゴニと共に安全な位置で待機していたようだ。カレンは彼の背から顔を出し、追跡に走った二人を見やって安堵に肩の力を抜いていた。
「いや、追ってた奴は誰かにやられたんだけど……」
答えながら、タケルは扉付近で壁に寄りかかって目を伏せるガウリーを振り返る。すると気配を察したように、ガウリーはゆっくりと瞼を持ち上げた。
「──襲ってきたのは全員リムの”影踏み”だが……指示した奴には魔法の心得がある」
「”影踏み”?」
カレンが首を傾げる傍で、パゴニとネリが眉を潜める。タケルは答えを求めるようにガウリーに視線を投げたが、苦々しく答えたのはパゴニだった。
「リムの中でも影に紛れてコソコソ悪事を働く奴らのことさ。上の顔色を窺うことも忘れない、狡猾な連中だ」
彼女の隣で、ネリが胸を押さえて俯く。カレンはそんな彼女の肩を抑え、気遣うように摩った。
「──魔法の心得って? この国でそんな人間がリムに潜めるんだ?」
「白紙に文字が浮かんで指示されてたみてぇだ。──闇魔法だな」
「……ああ、なるほど」
ハロディとガウリーが、互いに意味深な視線を交わす。タケルがそんな二人を交互に見やると、その無言の問いかけに苦笑したハロディが肩を竦めた。
「この魔法国家ではね、単純にキャスターや高い魔力保持者は重宝される。でもそれは”四属性”や治癒技術に優れた人たちだけで、──例外もあるんだ」
「例外……?」
「それは、”闇”のナチュラを持ち──その能力を扱う人たち。前も言ったかもしれないけど、闇魔法って単純な”武力”じゃないんだ。人の内面に作用したり、とにかく性質が読めないものが多い。魔法国家として魔法を”神聖化”させたいアンスールにとって、そういう陰謀に繋がりそうな力は”不浄”なものとして特に疎まれる傾向にあるんだよ」
まだ魔法に触れたばかりのタケルは、ハロディの解説に眉を捻って口角を下げる。しかしヴァルターとカレンは互いに顔を見合わせ、無言で互いの理解を共有したようだった。
「その闇魔法を使う輩が、リムに混じってネリを狙ってるって? 騎士連中はリムが力を持ち過ぎることを恐れて警戒を怠らない。リムの連中も、魔力持ちに支配されることを嫌ってる。そんな八方塞がりの環境にわざわざ踏み込んで来る奴なんか居るもんかい。魔法の片鱗を見せたら最後、徒党を組んでやられるのがオチだ。何も理が無いじゃないか」
吐き捨てるようにそう言って、パゴニは殊更に足音を立ててカウンター内へと戻る。彼女が通り過ぎた後のカウンタードアが激しく軋む音を立てて揺れ、次第に元の位置に戻る。その頃には小皿の上に載せていたパイプを手に取り、再び灰に火を入れていた。
「でも、理があるから今、こうなってる。──そう考えると、やっぱり”後ろ盾”の存在は否めませんかねぇ」
苛立ちを隠せないパゴニを、カウンターに座したハロディが見上げた。吐き出されて漂う煙をふっと吹いて散らし、──どこか挑戦的な色を含んだ半眼を光らせて。パゴニは舌打ちとともに、乱暴に顔を背けた。
「コンタクト出来る上の人間に確認を取った方がいいのではないか? 常備兵団だったか……その人間が貴女にとって信じられる人間なら、という話ではあるが」
「──……もう、呼んでる」
「……あ、もしかして、”さっき”の?」
どうやらタケルが敵を追跡している間、店内に避難していたパゴニは一度カウンターの奥に消えたらしい。それから遠く鐘の音が響き始め、程なくして再び店内に戻って来たのだという。事情を聞いたタケルは、店に戻る前に遠くから聞こえて来た鐘のような音を思い出した。
「緊急時用の措置として、この店だけに許された代物でね。上にある兵団の詰所と繋がってる。街にも響くから乱用は出来ないが、非常時だから仕方ない」
「そんな物を作るぐらいなら、直接避難路を繋げればよいのでは?」
「お互い悪用されたら困る。繋がりは最小限に収めないと、均衡が崩れるんだよ」
ヴァルターが指摘するも、パゴニは諦めたように首を振るだけだ。上層と下層での見えない制約は根が深いようだ。
緊張の面持ちで俯くばかりのネリにカレンが付きっきりとなり、店内にはしばし”待ち”の空気が流れた。パゴニはタケルたちを「帰れ」と突き放すことも無くなったが、それでいて距離感は縮まらず、絶妙なもどかしさが漂う。
ぽつぽつと上層やリムの内情が話題に上がるなか、話の片隅でタケルは、店外から届く重い足音の群れを聞き取った。
少し遅れて、全員に僅かな緊張が走る。程なくして静まった店内に、扉を叩く硬質な音が鳴った。
「失礼、知らせを受けて参上した。──入ってもいいかしら?」
始めは形式的に、それがその後すぐに見知った口調変わる。扉を隔てて篭った声は、凛とした女性のものだった。
「ああ」
パゴニは短く返事をすると、ガウリーに目配せした。扉付近に佇んでいたガウリーが、施錠を解く。丁寧に扉を開けてまず入って来たのは、銀色の鎧に身を包んだ短髪の女性だった。湿っているはずの空気に、乾いた風が舞い込む。
「君たちは周囲の警戒に当たってくれ。事情は私が聞く」
さっと店内に視線を走らせると、女性は背後に控えた数人の部下にそう指示をした。兵士たちが短く応え、暗い路地に消えていく。それをしばし目で追って、女性は静かに扉を閉めて施錠し直した。
「随分と繁盛しているようだけど、パゴニ?」
エメラルドグリーンのサーコート。同色の外套は裏地が白く、騎士のそれとは真逆の意匠だ。全体的な雰囲気は騎士と似ているが、銀の鎧やガントレット、グリーブは近接戦を重視したもので、腰には杖ではなく、剣を携えている。片側のポールドロンに取り付けられているのは、控えめだが重厚且つ華麗な紋章のレリーフ。それは部下の装備には無いもので、彼女の地位を物語っていた。
「居合わせた連中ってだけだよ」
「──ま、敵では無さそうね」
女性はそう言って外套を翻す。そして右手を腹の前で握ると、足を揃えた。
「私は常備兵団長、シャイネン・ドナー。よろしく」
溌剌とした声と真っ直ぐな姿勢、涼しげな目元に、自信に満ち隘れた不敵な微笑み。歳はパゴニと離れていそうだが、それでもタケルたちよりは上に見える。年齢詐欺のハロディと同じくらいだろうか、とタケルは頭の片隅で思いながら、小さく頭を下げた。
互いに軽い自己紹介が終わると、シャイネンはカウンター端に座るハロディの対極に座った。大ぶりな仕草は威厳というよりも大雑把さを感じさせ、それが彼女の性格を体現しているようにも見える。その一挙手一投足を、初対面のタケルたちはひっそりと目で追っていた。
「アルマの下層勇者ギルドに、北の貴族のお二人──何とも不思議なご一行とお見受けしますが、こんなところで厄介ごとに居合わせるとは、何とも不運でしたね」
こちらを気遣う発言をするシャイネンは、それでいて言葉通りの念を微塵も感じていない抑揚の無さと表情でタケルたちに瞳を巡らせた。試すように目を細め、口の端をわずかに持ち上げている。
「ご存知でしょうが、ここはこのアンスール大陸で最も危険な地と言っても過言ではない場所です。物理的な危険はもちろんのこと、状勢に於いても複雑極まりない。地下にありながら浮遊するような掃き溜め──とでも言いましょうか」
声は一貫して淡々としているのに、値踏みするような目尻はついと持ち上がっている。貴族を引き連れた見知らぬ一行を前にしてさっさとカウンターに座したことも相まって、彼女は腕を組んで姿勢を正しているだけなのに、ふんぞり返っているようにも見えた。
「わざわざ足を運ぶような場所ではありません。──もちろん、興味本位でも」
言葉の裏に”部外者は帰れ”という意味を交えつつ、あくまでシャイネンは冷静にタケルたちを諭す。すると、そんな彼女の背後で、苛立ちを孕んだ太い吐息が吐き出された。
「──俺が、ここに縁があって立ち寄った。こいつらは……ただ迎えに来やがっただけだ」
「そ、そうだったのか?」
面倒そうな様子で渋々事情を打ち明けるガウリーに、タケルが思わず横槍を入れる。縁があったとは初耳だ。
「まあそんなことだろうとは思ったよ。最高の隠れ蓑かもしれないけど、普通の人はいくら面倒を避けるためだからってリムをわざわざ選ばない。それにガウリーは、この店が無くなるかもって情報を手に入れたってそれだけで、僕たちを巻き込んでまで善意でここに残ろうとする奴じゃない。パゴニさんの口振りからしても、顔見知りなのは明白だったね」
「そ、そうだったのか……」
ハロディの言い分に、タケルは自分だけが置いていかれていたのかと呆気に取られる。しかし、反射的に顔を向けた先でカレンが同じような表情をしているのを見ると、内心で安堵した。
「……昔、ちょっと拾って世話してやっただけだよ。けど、どうにもここに馴染まないんでね。……追い出してやったのさ」
「──フン」
小声ながらも、煙を吐き出すと共に呟かれたパゴニの言葉に、ガウリーが鼻を鳴らす。そんな二人の視線を介さない睨み合いを、シャイネンは交互に観察する。
「それでも、ガウリー様は貴女に御恩をお返ししたいとお考えだったのですね。──でしたら、わたくしたちにもお手伝い出来ることがあれば、ぜひご助力させてくださいませ」
カレンがネリの肩から両手を外し、胸の前で指を組んで瞳を輝かせる。その隣でヴァルターが複雑そうに眉を歪め、眉間を押さえ俯いた。
「──余計なお世話だよ、お嬢ちゃん」
カレンの正体が貴族と知っても、パゴニは謙ることなく冷たく言い放つ。一方でガウリーは忌々しげに顔を顰めて低く唸り、カレンの瞳から逃れるように視線を逸らした。
「……まあ、あなた方の事情は薄らと把握しました。──で、パゴニ……ネリの件だけど」
取りつく島もないパゴニの態度に為す術なく眉尻を下げるカレン。しかし漂う緊張を、凛としたシャイネンの声が両断した。そのまま低く、言い聞かせるような含みを持たせてパゴニに語りかける。そのたった一言が、パゴニの瞳を沸騰させた。
「無理だって言っただろ!」
パイプをキッチンに叩きつけ、細かな灰が舞う。衝撃でわずかに浮いた食器やカトラリーが雑音を立て、部屋の隅でネリが肩を跳ねさせる。不意の騒音に、タケルの全身にも瞬間的な緊張が走った。
「──貴女が彼女を大事に思ってるのはわかる。けど、ひとまず……街に移した方がいい。その方が安全だし、彼女の今後の人生の可能性にも影響するんじゃないの?」
諭すような、慈しみを交えた静かな声が、パゴニの表情をたちまちに歪ませる。怒りや絶望を帯びた見えない圧が室内に重くのしかかり、タケルは息をするのに気を取られながら、渦中の二人を見守ることしか出来ない。
「たまたま見つけたからって、今さら都合良くあの子を使うのはやめてくれ。助けたいなら、他にも拾ってやれる奴なんかいくらでもいるはずだ。 ……大体、あの子に酷い怪我させて、ここに追いやったのは誰だい? ──紛れもない、上の連中だろう! 言葉も拙いリムの女が街に出たところで、どんな好奇の目に晒されるか……」
「パゴニ、そんな事はないわ。リムで苦しむ人の身を案ずる人も大勢いる。だからこそ、支援が成り立っているのよ」
「見えない場所に物を送るだけなら簡単だ! けどそういう連中は、実際にあたしらリムの人間と対面したら等しく好奇と蔑みの目を向けるだろう。扱いだって期待出来ない。笑顔や哀れみの下に隠してるものを、──あの子は見抜くことが出来ない」
パゴニの瞳には、憎しみとやるせなさが滲んでいた。強い口調でシャイネンの言葉を跳ね除ける声は、ただ怒りを吐き出すようで、一方で恐れを塞き止める防波堤を築くかのように硬い。タケルは、拒絶を訴える彼女がたった一人だけランタンの淡い灯火に照らされ、揺らめいているように見えた。
「この国は、潔癖なほど白い街の下に、──こんな掃き溜めを隠してるような国なんだよ」
散った灰をぞんざいに払い、再びパイプを手に取って小皿のルビライトに近づけ、火を入れる。そのひとつひとつの音を、静寂が拾い上げる。
掠れたパゴニの声は、そんななかで消え入りそうだった。なのにタケルにとっては、それが先刻の鐘の音のように、重く胸に残った。




