第九話 四ノ島の試験 沈黙は金雄弁は銀
海燕たちは、土属性の初級魔法で柔らかく固めた土を寝床に眠りについた。そのままでは蟻や毛虫やらが寄ってくるので、虫除けに水属性初級魔法、蟲殺をかけて最低限の快適性を確保している。
本当に最低限ではあるが、柔らかい寝床で安全を確保できるという部分だけでも、体の疲労を軽減し消費した魔力の回復することにはつながる。四人は交代で見張りをしながら、三人づつ眠りについた。
「おーっす……海燕、あとは頼まぁ……」
「お疲れさん。ぐっすり眠れよ文次」
「へーい」
夜の闇の中で海燕は文次郎と入れ替わり、結界の周囲に土属性の魔力を展開する。
動物から変じたもののけのほとんどが山から逃げ出したとはいえ、もののけの中には夜の間にだけ動き回る種族も多い。またいつ不測の事態が起きるか分からないことから、海燕たちは交代で朝まで見張りをすることにした。
最初に文次郎、次に海燕。八雲が最も中途半端な時間に起き、朝に強く早起きらしい瑠璃が明け方の見張りを担当することになり、海燕は燃え盛る火に薪をくべながら、物思いに浸っていた。
(山の中とは思えないほど、澄んだ空気だぜ……)
通常ならば、夜の山というものはもののけの魔力が最も色濃く満ちる。その中から魔力によって自分たちにとって脅威となるものだけを警戒するというのは、神経を磨り減らす。
だが、突如発生した膨大な魔力に恐れをなしたのか、”障魔陣"の周辺にもののけの気配は存在しない。海燕は穏やかな気持ちで見張りについていた。その間に、四人で相談し合った連携の内容を反芻し、想像の中で手順を確認する余裕さえあった。
見張りの交代から数刻が経ち、空腹感を感じて余っていた肉を火にかけていた海燕は、突如違和感を感じた。
(……ん?こいつぁ……)
土を通して、もののけの禍々しさとは異なる人間の魔力を感じる。
(……この感じ、歩幅と体重からして男か…?あの魔物の大暴走の中で生き残りがいたのか?)
まず間違いなく人間だ。恐らくは受験生の生き残り。これは非常に喜ばしいことだった。その歩みに力強さが感じられないことを除けばだが。
その歩みは徐々に海燕たちの野営地に近づいてくるが、今の状態で進めば、海燕たちの野営地を通り過ぎて先に進むだろう。
一刻も早く合格したいと、夜も休まずに歩いてきたのだろう。その精神力には敬意を表するが、足元がふらついている。明らかに休息が必要な状態だった。
(……放っとくとやべえな)
嫌な予感がした。このまま先に進ませてよいのだろうか。
もののけの恐れが限りなく少ない場所で、休ませた方がよいのではないだろうか。
退魔師は人を助ける仕事ではある。しかし、今目の前にいる受験生は、もののけの被害を受けて窮地にあるわけではない。このまま見過ごしたところで、それはその受験生の問題なのだ。海燕たちも同じ受験生であり、競争する立場にある。
手を貸すことが、その受験生にとっては侮辱になる可能性もある。
海燕は念のために、八雲を揺さぶり目を覚まさせた。八雲は木刀を抱えたままがばりと飛び起きる。
「もののけか?」
寝起きの八雲の瞳は、獣のように輝いていた。
「いや、人だ。ただ、ものすごく弱ってる。……俺がちょっくら話を聞いてくる」
「俺が行こうか?」
そう言った八雲の瞳に、海燕は何かよからぬものを感じ取った。
(別に喧嘩するわけでもあるめぇし)
「いいや、八雲はここに居ろ。代わりにちょっと番を頼むぜ」
「……そうか、わかった。気をつけろよ」
八雲にその場を任せ、海燕は結界に近付いてきた受験生のもとへと足を運んだ。
もののけが嫌う魔除けの聖水によって覆われた野営地は、人間の歩みを止めることはない。侵入者が同じ退魔師であり受験生である以上、警戒する必要はない。
海燕は右手に抱えた木槍を杖代わりにして、松明を抱えて歩く。結界の外に近づくたびに、轟音によって山が受けた惨状が目に入る。
長い年月を生きた幾つもの樹木が魔物の遺体と共に薙ぎ倒され、何らかの魔法によって粉砕され散らばっている。逃げ遅れた弱いもののけ達が踏み潰され、肉と血と骨をそこら中にぶちまけている。
結界の外で生き残った男を見つけた時、海燕の心に沸き上がったのは敬意だった。
(……よく、この山の中を生きてたもんだ……)
その男の背丈は八雲ほど高くはないが、海燕よりはあった。白髪であることから、男が高い魔力を持っていることが分かる。山を歩いて来たせいか、それとももののけの大軍を乗り切ったせいか道着はぼろぼろになっていたが、近付いてきた海燕を警戒する目には、疲労の色は見られない。
「貴様、何者だ!?」
松明の灯りに照らされた白髪の男は、白い道着に身を包んでいた。海燕はその姿に見覚えがあるような気がしたが、いつ見たのかは思い出せない。もしかすると、受験会場で出会っていたのかもしれない。その男の腰には、八雲のものと同じ支給品の木刀が差してあった。
「人に名前を聞く時は自分から名乗るもんだぜ。俺は海燕ってもんだよ」
「……ふん。燕とは随分と貧相な名前だな。私は白川光三郎。皇区の退魔師白川家に連なる者だ……!」
堂々と宣言する光三郎の表情には誇りと自信に満ち溢れている。よほど家が自慢であるらしい。
「あ?何だと?」
思わずそう口にする海燕。光三郎は海燕の反応に満足げに頷く。それに合わせて白い髪が流れた。
次の海燕の言葉を聞くまでは。
「俺は無学なもんで記憶にないんだが、白川家ってのぁ一体なんなんだ?」
光三郎は失望したような表情を浮かべたが、無知な人間に知識を与えるのも上の人間の役目だと、彼は割り切って堂々と宣言する。
「……知らぬなら教えてやる……!白川家とは皇区で二百年続く名門退魔師の家系!代々二級退魔師を輩出する一族だ!」
「あ、ああ、そりゃあスゲェな」
光三郎の権幕に押され、海燕はうんうんと相槌をうった。
(確か瑠璃が、普通の退魔師は三級とかがせいぜいって言ってたか?)
長く続く家系で、安定して高い実力の退魔師を輩出しているとなれば、光三郎の尊大な態度になるのも当然なのかもしれない。海燕は、とりあえずから話を聞くことにした。
「己の立場を理解したか?それで、突然現れて一体何の用だ?私を蹴落としに来たのか?」
「蹴落とすって物騒だなおい……ま、俺は退魔師同士のいざこざはよく知らねぇが。あんたが結界の外にいたもんで、ちょっと休んでいかねぇかと思って声をかけただけだ。もう真夜中だぜ。結界の中ならもののけと遭遇する可能性も低いしよ。寝てった方がいいんじゃねぇか?」
海燕は、皇区における退魔師同士の礼儀作法に疎い。その粗雑な態度は、光三郎にとって好ましいものではなかったようだ。
「私は貴様などに用はない。貴様、私に恩を施しに来たのか?皇区の退魔師が他所の退魔師と同格だなどと思うなよ」
海燕の提案を光三郎は冷たくあしらう。
「……そうかよ。声をかけて損したぜ。瑠璃とは随分と違うじゃねぇか」
(余計なおせっかいだったかよ)
光三郎の言い方は、海燕の心を少し傷つけた。
別に、海燕には打算があったわけではない。ただ純粋に心配して声をかけただけなのだ。
(つーかもしかして皇区の退魔師の中で、瑠璃が例外なのか?)
もしもそうなのだとすれば、それは南部出身の海燕にとって、いや、この試験を受験している大勢の少年少女にとっては過酷な現実だった。学校に通い、魔法の技術を磨いて昇進しても出身で区別されるという現実が、自分たちの未来には待っているからだ。
その差を乗り越えるだけの力。退魔師としての実力と、人脈と、知識を身につけなければならないのだ。
「……待て。貴様今何と言った?」
光三郎に背を向けて立ち去ろうとする海燕を、しかし光三郎が呼び止めた。
「あ?声をかけて損したって言ったんだが。俺に用はねぇんじゃなかったのかよ」
「その後だ!貴様!唐草を知っているのか!?瑠璃は何処にいる!?」
「唐草ぁ?」
(唐草って誰だよ……いや、待てよ俺は……何て言った。瑠璃とは違うなって)
光三郎が反応したのは、海燕の瑠璃という単語に対してだ。
そう海燕が思い至ったとき、光三郎は海燕に対して指を指し、命令口調になった。
「ふん。偶然にも逸れてしまったが、唐草瑠璃を知っているようだな。彼女の家は私の家に仕える一族。私には彼女を従える権利があるのだ。今すぐ唐草を連れてこい」
その言葉を聞いて、海燕は思い出す。
瑠璃と出会った時、瑠璃を置いて魔熊から逃げ出した受験生の男のことを。その時、海燕は二人に逃走を促したが、動けない瑠璃を置いて、この男、白川光士郎は一人逃げおおせたのだ。
(……こいつ……)
海燕の心に、今までにない感情が湧き上がってくる。
その時は、逃げ出した男に同情する気持ちさえあった。突然命の危機に見舞われて混乱したのだろうな、とも思っていた。
しかし。
しかしだ。
「……あんた……本気で言ってんのか?魔熊相手に逃げ出しといて?どの面下げて言ってんだ?」
しかし今、海燕は驚愕の目でまじまじと男を見る。光三郎は、己の滅茶苦茶な物言いが通ると信じ切っているようだった。いっそ清々しくすらある。
(こいつには恥って概念がねぇのか?)
瑠璃に対してせめて一言、逃げ出したことを謝ろうとか。合わせる顔もないし許されるわけもないけど謝罪したいとか。
そういった罪悪感らしきものがあることを、海燕は逃げ出した男に期待していたのだ。だが、考えてみれば当の瑠璃が光三郎に対して、何の期待もしていなかった。
『もう……いいかな……』
彼女は完全に、光士郎に対して愛想を尽かしている。少なくとも海燕の目にはそう見えた。
「あれは私を守れなかった唐草に責任がある!私は白川家の人間として、それを罰する義務がある!さあ、彼女を連れてこい」
それは違う、と海燕は思った。
あるいは今日、魔熊と出会って死にかけるまでの瑠璃は違ったのかもしれない。だが、人の心は移りゆくものだ。
命を賭けてもののけと戦っている時に、事故とはいえ見捨てるような形で自分を置いて逃げられた。
はたして白川光三郎とは、そうされた瑠璃が安眠の時を放棄してまで出会うべき相手なのだろうか。
「……てめーに都合のいいことばかり言ってんじゃねぇぞ。連れてくるわけねぇだろ。阿呆が」
「何だと?」
海燕は、瑠璃の言葉を思い出す。彼女は自分が生き残るために全力を尽くし、海燕たちに対しても決して見下したりはしなかった。全員が生き残り合格するためにこの夜も話し合った。
たった半日の付き合いだが、人間として、今の白川光三郎と彼女を合わせるわけにはいかなかった。
「今日会ったばかりとはいえ、瑠璃はあんたと違って尊敬に値する退魔師で、俺たちの仲間だ。仲間を屑に引き渡す馬鹿がいるか?」
光三郎は信じられないものを見たという表情で海燕を見る。実際、今の今まで、光三郎にそう言う人間はいなかったのかもしれない。
「……?意味が分からないぞ?私は交渉しているのではない。
命令しているんだ。早く連れてこい!」
「大声を出すんじゃねぇよ。皆疲れて寝てるんだ。分かったら、ここで寝ろ。それが嫌ならさっさとどっかに行っちまえ」
海燕にとって、光三郎の白川家という肩書は何の意味も持たない。海燕は感情に任せて言葉を放ったために、自分が何を言ったのかも分かっていない。
それがいけなかった。
「……寝ただとぉ!?貴っ様ぁ!!」
「ん?」
光三郎は鬼の形相になり、残り少ない魔力を解放する。
「まさか、こんな侮辱を受けるとはな!成敗してくれる!唐草は力ずくでも私の前に連れて来させてやる!!」
光三郎は腰の木刀を引き抜く。
「何か変な誤解があるみてぇだが……?おい、こっちの本拠地で喧嘩する気か?俺も甘くみられたもんだぜ」
海燕は冷や汗を流しながら木槍を構える。
冷や汗の原因は、光三郎が解放した魔力にある。流石は名家と言うべきか、その魔力量は決して油断できるものではなかった。強化された身体能力は、海燕に匹敵するものがある。
「……ほう?やる気か……?」
「……ああ。大声を出すんじゃねぇぞ。皆が起きちまうだろうが」
海燕には言動ほどの余裕はない。昼間に動き回り、警戒のために魔力を張り巡らしていたのだ。魔力は戻り切っておらず、動きも普段通りとはいかないだろう。だが、それでも疲労は光三郎の方が大きい。だからこそ、海燕は平静を装う。
光三郎に勝負を焦らせるために。
「いいだろう。だが、私はお前ごときに負けるほど弱くはないぞ!」
「……それはどうかな?」
二人は同時に走り出す。互いを敵と認識した、退魔師同士の決闘だ。
光三郎の体が、海燕の予想より一歩早く海燕に迫る。先手を取ったのは光三郎だった。
光三郎は木刀に魔力を込め、袈裟斬りに振り下ろすが、海燕は魔力を込めた木槍の柄でそれを受け止める。海燕はそのまま槍をふるって光三郎を押し返すが、光三郎は木の根を踏んで体勢を立て直す。
それは明らかな好機だったが、海燕はその隙にも手を出さなかった。
「そんなもんか?」
明らかな挑発。罠があるという前提での誘い。白川光三郎が普段通りの体調であったならば、そこに違和感を感じ、中級魔法で遠距離攻撃をしながら牽制したかもしれない。
「舐めるなよ!」
だが、光三郎は疲労で判断力が鈍っている。彼は振り下ろしが効かないと見るや、今度は木刀で突きを放つ。木刀を介して魔力が斬撃となって放出される寸前、海燕は後退して斬撃をかわすが、光三郎はその隙に懐に飛び込む。
(…もらった!)
光三郎が勝利を確信して海燕まであと一太刀まで迫ったとき、光三郎の足元が突如として歪む。
「な、何だと……!?」
土属性の中級魔法、”柔石”である。海燕は反撃せず、自分自身の前の足元を柔らかくしていたのだ。
周囲が夜の闇の中であったこと、光三郎が怒りに我を忘れていたこと、光三郎が疲労の極致にあったこと。その三つは光三郎の魔力感知能力を鈍らせ、単純な罠をも見抜けなくさせていた。
更に、海燕は膝まで嵌った光三郎の足を石固によって土で固め、動きを封じる。
「光三郎。あんたと瑠璃が仲間だってんなら、まずは逃げたことを瑠璃に謝るべきなんじゃねぇのか?」
(おれぁ何を上からものを言ってんだろうな……?)
そもそも海燕は、自分が人に説教出来るような人間ではないと自覚している。しかし、この男について話をしていた時の心底話題にもしたくないという瑠璃の顔を思い出すと、今の状態で再会させるのは不味いのではないかと思った。
何より、この男を今の状態で放り出すのは、寝覚めが悪かった。
「黙れ!」
光三郎は足に魔力を集中させ地面から這い上がろうともがく。
だが。
「”石固”」
枯渇寸前の魔力を補うため、海燕は詠唱することで魔法を補強する。言霊のちからで強化された土の魔力は、集中することでさらに光三郎の足元を固める。
「くっ……!」
「落ち着けよ。真夜中に寝てる女の子を叩き起こすのは良くねぇよ。あんたは今、頭に血が上ってて冷静じゃねぇ」
「私は冷静だ!」
「なら何で俺に負けたんだよ」
光三郎は海燕の言葉に、沈黙するしかなかった。目の前の男に自分は今、負けたのだ。それもかなりあっさりと。
「じゃあ顔を洗って泥を落として寝て、頭を冷やして明日の朝に来い。あんた、瑠璃のこと知ってんだったら彼女の都合ってやつくらい汲んでやれるだろ?」
海燕の言葉を聞き、光三郎はようやく冷静さを取り戻す。
そして、自らの行動を思い返し、罪悪感と羞恥心が湧き上がる。
「……わ、私は……」
「まあ、そんなわけでだ。俺の肉を少し置いてくから……今日はもう、来るんじゃあねぇぞ」
今度こそ海燕はその場を後にし、その場には、熊肉を抱えてうずくまる光三郎だけが残された。




