第十話 四ノ島の試験 あなたを許す
翌朝、草木が吸収した水分が魔力を含んだ霧となって山を覆う中で、雲の隙間から微かに差し込ん日差しを浴びて海燕は目を覚ました。主と違って寝惚けたままの赤毛が空に向かって逆立ち、海燕の動作とともに火のように揺れる。
「よう、起きたか兄弟。朝飯が出来てるぞ。瑠璃さん特製猪骨と山菜のお吸い物だ。干飯は戻しといたぞ」
海燕が起きたことに気付いたのは文次郎だった。彼の声には元気があり、全身の魔力は滞りなく流れている。どうやら、休養は十分だったらしい。
「おっす。兄弟になった覚えはねぇぞ文次。おめー、早起きしたからって俺の飯まで喰ってねーだろうな?」
「ないない。俺ってそんな大食いに見えるか?ちゃんと一口分は残しといたぜ?」
「いい笑顔で言ってんじゃねぇ!たった一口か!?」
文次郎と軽口を叩きながら、海燕はお椀を取り猪の吸い物に飛びつく。朝の冷気に冷えた体にとって、温かい吸い物は大歓迎だった。
「八雲はどうした?」
「朝の鍛錬だってよ」
文次郎が指さした方を見れば、八雲は大木の幹に足をかけて腹筋の最中だった。八雲が幹にかけた足は微動だにせず、腹筋の力のみで起き上がり続けている。何度見ても、その動きは再現したかのように代わり映えがしなかった。海燕が見た限り、八雲の肉体は海燕や文次郎よりも鍛え上げられているが、島一番の船乗りよりはまだ細いようにも見える。
まだまだ強くなろうというのだ、八雲は。
「試験中だってのによくやるぜ……」
「俺らも昨日は魔法の修行をやったろ?ま、八雲は毎日あれやってるらしくて、やらねーと落ち着かないんだと」
そう言う文次郎も、柔軟体操をしながら体内で魔力を練り込んでいる。体の動きと共に少しずつ魔力を練り上げることで、魔力の消費を抑えつつ、体の状態を万全へと近付けていくのだ。
(この試験を生き残ったら、八雲に鍛錬のやり方を聞いてみっか…)
肉体の鍛錬も、退魔師にとっては基本中の基本である。基本であるがゆえに疎かにし易く、そして疎かにした分だけ肉体というものは正直に持ち主に答える。
魔力を練って全身に回することで、退魔師は肉体の強度を強化し、老いを遅らせ、疫病から身を守ることができる。より強い魔力をかけ、より負荷の高い訓練をすれば肉体を鍛えることは出来るが、怪我にも陥りやすくなる。
だからこそ、八雲がどんな鍛錬をしているのかには興味があった。
魔力で肉体を強化するにしても、魔力を流さない状態の肉体強度を上げることができれば、体術や移動速度などで恩恵があるのは勿論、魔法を使った際に体へかかる反動にも耐えやすくなる。
「……にしても、ああまで見事に鍛錬をしてると、声を掛けづれぇな。文次、瑠璃はどこ行った?」
「こっちですよ海燕くん」
魔蕗を咀嚼しながら海燕は周囲を見回す。すると、海燕の真後ろから優し気な声がかかった。瑠璃は魔法で髪を梳かしている最中だった。
風にたなびいて揺れる長く青い髪の一本一本が、魔力によって紐解かれ、また魔力によって操られ丁寧に結ばれていく。あれよあれよという間に髪は縄のように編まれ、瑠璃の後ろでみごとに束ねられた。
海燕は口笛を吹いて賞賛した。
「おはよう」
瑠璃は仕上げた髪の出来に満足したのか、会心の笑みを浮かべていた。
「海燕くんもよく眠れたみたいですね」
「まぁな。結構待たせたか?」
もぐもぐと猪汁を頬張りながら尋ねる海燕に、今度は苦笑して瑠璃は言う。
「いいえ。私もさっき朝ごはんを終えたところです。食器の片づけは私がやっておきますので、海燕くんと文次郎くんも歯を磨いて、準備運動をしておいてください。結界の効力もあとわずかですし、結界が解ける前にはここを出ましょう」
「おう」
海燕は干飯に猪汁をかけてかきこんだ。疲労の中で眠りについた後で、ゆっくりと朝食を楽しむ余裕があり、試験中であるということも忘れて朝の時間を楽しむことができた。
(もう休息は十分だ)
ここからは、退魔師としての仕事をするべきだった。
しかし、海燕は瑠璃に対して報告すべき出来事を忘却していた。
「いやいやそれは悪いぜ瑠璃ちゃん。俺はもう顔を洗い終わってるから、後始末は俺にやらせてくれ」
「そうですか?じゃあ、お言葉に甘えまして」
海燕が食べ終わった食器を文次郎に渡したとき、
「頼もう!!」
というはっきりと大きな声が海燕たちの耳まで届いた。風の魔力によって空気を振動させ、声をここまで届けたのだろう。
(ん?……あ、あー)
木から降りた八雲が木刀を抱えて警戒態勢をとる中で、海燕は昨晩の出来事を思い出した。
「……人が来てるのか?でも何で?どうする瑠璃ちゃん」
「……」
文次郎の問いかけにも、瑠璃は答えない。
文次郎が瑠璃に指示を仰ごう彼女に向き直るが、そこで文次郎は今までにない瑠璃の顔を見た。
ゆとりがあり警戒心もなかった先ほどまでとは異なり、瑠璃の表情に笑みはない。全身から立ち昇る魔力はもののけとの戦闘を思わせるような冷たいものだった。
「瑠璃ちゃん、瑠璃ちゃん。よく分かんないけど深呼吸して。落ち着いて。夕べの化け物は試験官の仕業だって話だったしよ?受験生だったとしても敵だって決まったわけじゃないから。俺が挨拶してこようか?」
瑠璃を心配してか、文次郎は彼女に希望的な意見を述べ、自ら偵察役を買って出た。
文次郎は瑠璃の冷たい顔は見たくなかった。出来ることなら自分の恩人には笑顔でいて欲しい。文次郎は瑠璃にとっての不機嫌の原因を取り除きたいと考えたようだ。
「…なぜ、奴がここに」
「奴?」
瑠璃の言葉で、海燕は己の行動が失策だったと気付いた。瑠璃が白川光三郎のことを、会話もしたくないほどに嫌悪しきっていることは明らかだった。
「……すまねえ。白川って奴が昨夜ここを通りすがったんだ。あのままじゃあ死ぬと思って、見てられずに声をかけちまった」
海燕は瑠璃に深々と頭を下げた。昨晩で光三郎の人となりを確認したにもかかわらず、会いに来いと言ったのは海燕だ。そもそも初対面のときに逃げろと言ったのも海燕だった。
「……そうですか。それについては謝る必要はありませんよ海燕くん。人としても退魔師としても正しい判断です」
ここで瑠璃は一つ誤解をした。
死にそうになっていた光三郎を、海燕が助けたのだと。
(きっと海燕くんにお礼を言いに来たんでしょうね……)
海燕の説明不足によって起こった不幸なすれ違いであった。
「ですが、今後そういうことが起きた時は私に報告をしてください。八雲くんたちもです。対応について考える時間が必要ですから」
「ああ、次はそうする」
「では海燕くん、彼の相手をしてきてください」
そして瑠璃は快く海燕を送り出し、海燕が光三郎を連れてきたことで、光三郎が海燕ではなく自分に会いに来たことを知った。
白川光三郎という、名の通りに白い髪をし、泥にまみれた道着を着た退魔師は、海燕に案内されて大地を踏みしめながら歩いてきた。足元を気にしているように見えたのは気のせいだろう。
彼は唯一の武器である木刀を置き、瑠璃の前に来た。自分自身に敵意がなく、相手に敬意を示すという退魔師としての意思表示だ。それを見た八雲は内心で荒事にならないことを残念がった。
(どんな剣技が使えるのか見たかったんだけどな)
八雲がそう考えていることなど知る由もない瑠璃は、男子三人には半歩下がってもらい、自分一人で白川と対峙することにした。
瑠璃を気遣って傍に居ようとする文次郎の提案は魅力的だったが、瑠璃はそれを断った。
光三郎が瑠璃との話を望んでいる以上、他の人間を出しても時間を消費するだけである。光三郎と腐れ縁である瑠璃は、彼の性格を理解していた。完全にと言えるほど親しくはないが。
「よく顔を出せましたね、貴方は……!退魔師の風上にも置けない臆病者。逃げ出した卑怯者のくせに……!」
瑠璃と光三郎が対峙したとき、最初に口を開いたのは瑠璃だった。一切の容赦がない痛烈な罵声が光三郎を襲う。
開口一番に瑠璃がぶつけた言葉には、魔熊から置き去りにされた怒りと恨みが籠っている。光三郎の返答次第では、杖を構えて戦闘態勢に入ることすら選択肢に入るかもしれなかった。
(まぁ……そうだよな)
海燕も瑠璃の怒りには何も言えず、ことの成り行きを見守るしかなかった。退魔師にとって、命を懸けた戦いの中で仲間から逃げられることほど恐ろしいものはない。
逃げられた瞬間に死ぬからだ。
そしてだからこそ、人として、海燕は光三郎が瑠璃に謝るべきだと考えた。
瑠璃と話をし、謝罪するという最低限の筋を通しても光三郎は許されないだろう。少なくとも海燕が瑠璃と同じ立場なら光三郎を許さない。人として当然のことだ。海燕は、光三郎にはそういう罰が与えられるべきだと思った。
許されないことをしたという事実からも目を背けて逃げるなど、それこそ許されないのだから。
瑠璃の言葉を聞いて、光三郎は一も二もなく土下座した。
ごん、という低く鈍い音が森に響く。
「君の言うとおりだ、唐草瑠璃!昨日は本当に申し訳なかった!」
「え……?」
「この通りだ!許してくれ!」
突然の光三郎の行動に、八雲以外の全員が驚いた。海燕は生まれてはじめて土下座というものを見た衝撃で。文次郎は明らかに身分の高そうな退魔師が土下座しているという異常事態に対して。
そして瑠璃は。
「……」
吹き抜ける風に三つ編みがたなびくなか、彼女は腕を組み自分自身の感情を整理していた。
ふう、と瑠璃はため息を吐く。
数拍の間があり、彼女は膝をついて光三郎の手をとった。
「白川くん、顔を上げてくれますか?」
(!?)
文次郎は瑠璃の言葉を聞いて驚いた。瑠璃の声には、怒りだけではない感情も籠っているように聞こえたからだ。
「自分の何が悪かったのか、分かります?」
「唐草、君を置いていったことだ!すまなかった……魔熊と遭遇し、動揺し……私は本当に恥ずべきことをした!
私は私が信じられなかった!!
だが信じてくれ!君のことが心配でたまらなかった!一刻も早く君に会いたいと、私は君のことを捜したんだ!君は私を信じてくれるだろう!?」
(……白川…何だこいつ…)
昨日海燕が抱いた危惧とはまるで逆。
まるで主人に仕える子犬のように。
教祖に対して救いを求める信者のように、光三郎は瑠璃に縋る。
そして瑠璃は、それに対して優し気な笑みを浮かべて答えている。その姿に海燕は何ともいえない感覚を抱いた。
「ええ、信じます」
「唐草!ありがとう唐草!!」
「私は後ろの八雲くん、海燕くん、文次郎くんの助力もあってこの森を生き延びられることができましたが。白川くんはよく、あの後も無事でしたね」
「……三人?」
瑠璃に言われた光三郎は、言われてはじめて気が付いたように瑠璃の後ろの三人に視線を向ける。
光三郎は今の今まで、瑠璃に謝ることだけを考えていた。だから、後ろに赤毛以外の人間が居たことすら気付いてはいなかった。
昨晩に自分を打ち負かした赤毛、魔力が低いことを示す黒髪の”平民”、上半身は裸で正装もしていない上に、灰色の髪を持つ”北の民”。
(何故そんな人間が瑠璃の傍に居る!?選りすぐりの退魔師を選別する神聖な場に!?
……いや……だが……)
光三郎の脳裏には彼らに対する侮辱的な言葉が浮かび上がるが、すんでのところで光三郎はそれを自制する。
昨晩光三郎が誤解たようなことが、彼女と三人の間であったとは到底思えない。そもそも瑠璃という少女は試験中にそんなことをするわけがないのだ。
身分はどうあれ、彼ら三人は瑠璃を助けた。自分は助けなかった。大事なのはその事実だ。
逃げ出した男が侮辱することなどあってはならないと必死で心を落ち着かせ、光三郎は瑠璃の質問に対して言葉を返す。
「私は白川家の人間なのだ!時間をかければ移動式の結界魔法を使うことだってできる!秘伝の結界魔法を使えば、もののけを避けることなど造作もない!」
その光三郎の言葉は嘘ではなさそうだった。もののけ達から逃げおおせ、夜の大暴走を生き延びる力がなければ、この森を一人で生き延びれるはずもないのだから。
「命があって何よりです」
光三郎は瑠璃の言葉に安心し、勇んで立ち上がる。
「唐草。私と共に来てくれ!今度こそ必ず唐草を守ってみせる!私の結界術と唐草の知識があれば、試験を突破することもー」
「白川くん」
光三郎が言葉を言い終える前に、瑠璃は光三郎に言葉を被せた。
「私は貴方のことは嫌いではありません。白川くんは見ていて面白いですし、私に対しては優しいですし。友達としては好きかもしれません」
「おお!」
「!?」
(マジか?)
海燕が驚いたのは、瑠璃の口調が昨晩海燕たちと話したときと同じものだったからだ。瑠璃は今、誠心誠意で白川光三郎に向き合っている。少なくとも海燕にはそう思えた。
(どんだけ心が広いんだ、瑠璃のやつ)
「ですが……私は退魔師として、信頼できる人とともにこの試験を突破したいと思っています」
「……!!私が下等な…っ!い、いや、見ず知らずの退魔師たちに劣ると言うのか!?」
光三郎の動揺が滲み出た縋るような声が響く。瑠璃は少しの間顔を伏せたものの、すぐに光三郎に向き直り。
光三郎の黒い瞳を正面から見て、こう言った。
「退魔師として、私は貴方を信頼するわけにはいきません」
それは、退魔師として光三郎とは組まないという宣言だった。
「……」
絶句する光三郎に、瑠璃は言葉を続ける。
「勘違いしないで下さいね?私は別に光三郎くんを嫌っているわけじゃありません。さっきも言いましたが、友達として面白い人だと思っています。けれど、私の実力では貴方と一緒に逃げることは出来ませんし、私が貴方を守ることもできません。貴方の結界魔法も、効力が尽きればもののけと戦うことにるでしょう。結界で弾けない類のもののけも居るはずです。そうして避けられない戦いのとき、私たち二人は死にます」
「……」
それは、光三郎にとって否定できない事実だった。
今度こそと意気込んではみても、それを成し遂げる力が今の光三郎にはないのだ。
「それに何よりも。光三郎くんは、自分より強い人を率いることができますか?」
瑠璃の理路整然とした言葉に、光三郎は掌を握りしめた。
彼女は光三郎とは町に出てからの腐れ縁だ。光三郎が身分の低い退魔師の指図を受けることはないと知っている。光三郎が五人目として同行することはありえない。
「そう、だな。唐草の……言うとおりだ」
退魔師は、もののけから人を助ける生業だ。魔物を倒し、また勝てそうにないならば撤退するか否かは、その場の指揮官の判断に委ねられる。だが、仲間を置いて逃げ出す人間と行動を共にしたい退魔師はいない。昔馴染みだからという理由だけで光三郎を受け入れたり、まして瑠璃だけ光三郎についていって死んだのでは八雲や海燕や文次郎に申し訳が立たない。瑠璃は、この命懸けの試験における同行者に光三郎を選ぶ気はなかった。
そして、光三郎にとっても、瑠璃たちに頭を下げて同行を申し出るという選択肢はなかった。光三郎は白川家という名門の出だ。二級退魔師を輩出する皇区の名門が、皇区出身ではない退魔師と行動を共にするということは、光三郎の育ってきた環境ではありえないことだった。
光三郎は、思わず瑠璃に対して背を向けた。
自分の頬を伝う雫を見せたくはなかった。
もう、彼にかられける言葉は瑠璃にはない。瑠璃も光三郎を止めはしなかった。
話は終わったのだ。
「……唐草」
それでも光三郎は、最後の最後に意地を張った。
それは退魔師としての、白川光三郎の意地だった。
「はい。光三郎くん」
「君はいい従者を持った。命を預けられる従者を持った。それは……それは退魔師にとって、
……とても幸運で、とても不運なことだ。私が言えることではないが、その道を進むなら……容易くはないだろう」
今の光三郎に出来る精一杯。とても他人に見せられるものではない無様な顔だ。
だが、その言葉は本物だった。
「それでも前に進むわ。私たちはそのために、ここに来たんですから」
だからこそ、瑠璃は全力でそれに応じた。
「……私もいつか、君に負けない立派な従者を持ってみせる。……その時まで、何があろうと。どんな困難があろうと負けるなよ。挫けても、折れても、道がなかろうとも、絶対に」
こうして、白川光三郎は去り、その場には四人の退魔師が残された。
光三郎が去った後、八雲は濃紺の道着を着て、文次郎は食器を洗い、海燕は夜営地の後始末にかかった。
全員が無言の気まずい雰囲気の中で、瑠璃が最初に言葉を放つ。
「いやぁ、皆さんすみませんね私のせいで!本当に試験中なのに何やってんでしょうね!!半刻位無駄になっちゃって!!」
何とかその雰囲気を壊そうと瑠璃が大声で皆を鼓舞する。
「いや瑠璃が謝るとこじゃねーだろ。さっきも言ったけどあいつを引き込んだの俺だし」
「まぁそれはそうなんですけどね。従者とか色々と言わせっぱなしですみません。私と皆は対等ですし、従者なんてことはまったくありませんから!」
従者とは、位の高い二級や三級の退魔師に仕えている、位の低い五級、六級の退魔師に対して使う通称である。
名門退魔師の中には侮辱的な意味合いでこの言葉を使う人間も少なくない。光三郎も会話の流れで言えばむしろ海燕たちを褒めてはいたが、対等な退魔師ではなく主従として見ている時点で、海燕たちの士気を下げかねない発言だった。
瑠璃本人には、海燕たちを下に見るつもりは全くない。
(対等な退魔師として、この試験を突破したい)
瑠璃の中にあるのはその気持ちと、自分が大変な時に傍に居てくれたことへの感謝だけだ。
「謝るのは俺の方だぜ。瑠璃ちゃんが大変な時に何もしてあげられなくってよ」
文次郎がそう言うと、八雲も肯定的な意見を返す。
「俺も別にいいよ。というか、この一件で瑠璃が謝る必要は全くないからな。むしろ謝るな。本当に良く頑張ったよ」
「そうですか?」
瑠璃は胸の前で手を組んで八雲を見上げて問いかける。
「ああ。この試験中の従者ってんなら別に俺はそれでも構わないよ」
屈託のない笑顔で八雲は笑った。
「それにしてもあの光三郎って男、わざわざ謝るなんて律儀なところがあるじゃないか。普通、あの手の輩は自分が悪いなんて絶対に認めないぞ」
「それ、本気で言ってんのか八雲?」
海燕はうへえとうめき声を出す。自分に非があるときに謝るのは人として当然のことではないのか。
「高位の退魔師を見たことあんの?」
文次郎が興味津々で八雲に問いかける。四人に流れていた微妙な雰囲気は既に解消されていた。
「ああ。坊ちゃんやお嬢ちゃんたちだけどな。位の高い退魔師がおいそれと頭を下げると、敵対派閥の退魔師の信頼を損なうし、位の低い退魔師は増長して仕事をサボり出すし、退魔師全体の信頼を損なうんだ。そのせいか、本当に頭を下げるべき時にも下げない奴も滅茶苦茶多いんだ。俺が会った退魔師で謝ってくれたのは今まで一人だけだったぞ」
「すっっごく分かる!白川家って私の家とは昔敵対関係にあったらしいんだけど、ずーっと嫌がらせとかしてきたらしくてー」
四人が野営地を経つ頃には、山を覆っていた霧は晴れていた。




