第十一話 四ノ島の試験 聖域を目指して
夜営地を去った海燕たち四人は、海燕を先頭に、八雲が後ろに控え、左側に文次郎が、右側に瑠璃が立ちながら周囲を警戒し、森の探索にあたっていた。
今、海燕たちは瑠璃の指示に従い、森の聖域を目指して歩いている。
聖域とは、瑠璃によると魔力が弱まっている緩衝地帯のことを指す。
魔熊や大猪のような生物が転じて狂暴化したもののけは、生物と同じように肉を喰って生きる。海燕たち人間も、栄養のある食べ物を喰い、それを消化して力をつけ、魔力という別の力へと変換している。しかし、もののけの中には、土地の魔力そのものを喰らって生きるものも存在する。
土地自体の魔力が弱く、魔力だけで生きるもののけが存在しない緩衝地帯はほとんどの山に存在する。瑠璃によると、皇区の人間はそうした緩衝地帯に鳥居を造り、豊葦の国の神であり建国の祖でもある初代皇帝陛下、”豊葦彦”を祀ることで、もののけを遠ざけているのだそうだ。
海燕が育った南部の島に、人が神であるという教えはなかった。人は死ねば骨も魂も等しく海に還り、彼方の地で清められた魂が海から還って来るのだと、そう教わった。だが、海燕自身は熱心に島の教えを信じていたわけではない。
島を出て世界を見ることが夢だった赤毛の腕白小僧にとって、故郷の信仰は考え方を形作る上での指針ではあったが、絶対的な信仰と呼べるものには至らなかった。
他所の宗教に属する人間が鳥居を訪れてもいいのか、と疑問に思った海燕は今更ながらに瑠璃に問いかけると、瑠璃は当然のように、
「勿論です」
と笑った。
「豊葦の国は、異なる神を受け入れて発展してきました。内に閉じこもっているだけでは、それを継承し、護ることは可能でも、より優れた国に発展させることはできませんから。
皇区にある神社では、受け入れた神々を祀るものも多くあります。私の実家もそうです。
海燕くんの故郷の神様も、きっとこの国でも神様として崇められていると思います」
「そいつぁまた、随分と寛容な教えがあったもんだな。俺にとっちゃあ嬉しいけどよ」
海燕は少し呆れてそう言った。瑠璃が光三郎に対して異様に忍耐強く、そして異様に嫌悪感が強かったのも、あるいはその信仰があったからかもしれない。
海燕たちは聖域を目指す途中で、森の惨状を目の当たりにした。
無残にも倒壊した巨木と、逃げまどう中で踏み潰され息絶えた幾多のもののけの死骸。
そしてその波に飲み込まれて、原形を留めない姿になった受験生と思われる大勢の遺体。
その数は、あまりにも多すぎた。
土属性の魔力を大地に流し、魔力が遺体に触れる度に海燕は冷たい感覚に襲われる。
(一体、昨夜で何人の受験生が死んだってんだ……!)
彼らと海燕たちの間に、魔法の技術における実力的な差はなかっただろう。今となっては知る術もないが、ここまで進んでいたことを考えれば上だった可能性の方が高い。
しかし、魔除けの聖水が残っていたかどうかや、結界系の魔法を使うことができる仲間が居たかどうか。
ただそれだけの差で、何も得ることなく何百という受験生が死んでしまったのだ。その無常さに、海燕の胸に言いようのない寂しさが訪れる。
「……すまねぇな。先を急ぐんで弔ってはやれねぇが……」
せめてもの情けにと、文次郎は通りすがった遺体に開いたままの瞼があれば、それを閉じた。
遺品を一つ、あるいは遺髪なりを持ちかえれば、もしかしたら身元を特定することは出来るかもしれない。だが、何十という遺体の山のほとんどは、原形をとどめてはいなかった。
瑠璃は彼らが魔烏やもののけに喰い荒らされないよう、心の中で祈りを捧げた。今の彼女に出来ることと言えば、それしかなかった。
海燕は彼ら彼女らの遺体が蟲にたかられないように、せめて土葬くらいはしてあげたかったが、時間も魔力も圧倒的に足りない。結局海燕に出来ることも瑠璃と変わらず、心の中で彼らが海に還り、安らかに魂を清められたのだと思い込むことだけだった。
(…いや、それじゃあ駄目なのか?)
死んだ受験生たちの信仰は何だったのだろうか。信じる神は。彼らの信仰次第では、海に還るという海燕の信じる教えに基づく祈りは的外れなものになる。
文次郎と話す瑠璃を見ながら、海燕はそんなことを考えていた。
「先を急ぎましょう文次郎くん。生き残った人間には、彼らに代わって務めを果たす義務があります」
「おう、分かっているぜ瑠璃ちゃん」
死んだ魂が還るべき場所は、一体どこにあるのだろうか。
海燕が先頭に立って獣道に土属性の魔力を流し、地上に怪しい魔力がないかを探る。後ろの八雲は風属性の魔力を周囲に撒いて、動いている物体や怪しい魔力が上空に存在しないかを探索する。
昨晩起きた騒ぎの影響か、魔熊や大猪といったの大型の魔物たちの反応はない。その代わりに、厄介なもののけとの遭遇が海燕たちを待ち受けていた。
「…左手から何かが来るぞ!」
八雲の声に従って、海燕たちは瞳に魔力を集中させ、左前方に視線を向ける。
鉄のような硬い羽根を持ち、高速で接近する魔蜂の群れがこちらへと迫ってくるのが見えた。人間の子供ほどの巨躯を持つ彼らの毒針を受ければ、現在の海燕たちに解毒の手段はない。海燕は地面に展開していた土属性の魔力を解除し、戦闘態勢に移行した。
「上です!!文次くん、火を!!海燕くん!落ちた蜂に止めを!!」
「了解ぃ!!”木洩火”!!!!!」
魔物たちの暴走によって魔力のある大木が倒れたことで、燃料には苦労しない。文次郎が拾った木を使って投擲した何本もの木に燃える炎は、先手を取って蜂の群れを襲いその大半を撃ち落とす。
「よっしゃ!」
撃ち落とされた魔蜂たちに海燕が土属性の初級魔法、石固で固めた石を投擲して息の根を止める中、木洩火の炎を風属性魔法で緩和し、生き延びた魔蜂たちは二手に分かれて四人へと迫る。
「八雲くんお願い!私が仕留めます!!」
「承知」
が、八雲がそれを許さない。八雲は木刀に風属性の魔力を集中させ、魔蜂たちに向けて斬撃を解き放つ。中級魔法を超える威力の斬撃が魔蜂たちを襲い、防御もままならず撃墜されていく。
魔蜂たちは高い速度と硬い羽根を持ってはいるが、硬い羽根はもっぱら同族との縄張り争いで使用するものだ。魔蜂を上回る速度があり、狙う場所を間違えなければ、羽根に護られない体を狙うことは可能だった。
とどめに瑠璃が中級炎属性魔法”蓮火閃”を放とうとした、その瞬間。
「きゃあっ!?」
瑠璃の足元が崩れ去り、瑠璃は大地に引き摺りこまれようとしていた。
瑠璃は足元を見た。瑠璃を引き摺りこもうとする毛むくじゃらの巨体を見て、瑠璃の心に一瞬、魔熊の恐怖が呼び起こされる。
だが、退魔師として瑠璃が培った知識は、襲撃者の正体を見切っていた。
爪土竜。地中に得物を引き摺りこみその身を喰べつくす狩人。意外と柔らかく柔軟な体を持つ大食漢でもある。
このもののけは、海燕が土属性の魔法を解除する瞬間を待っていた。いや、得物たちの狩りの瞬間、最も無防備になるその瞬間を狙っていたのだ。
「!?」
「瑠璃!?」
海燕と文次郎は反射的に瑠璃のもとに向かおうとする。
しかし。
「振り向くな!蜂を殺さなきゃ俺たちは詰みだぞ!!」
八雲はこの瞬間、瑠璃の命を諦めた。
戦闘の最中、全力を尽くすのは当然だ。だが、今海燕たちが持ち場を離れればどうなるか?
生き残った魔蜂は、背を向けた海燕たちに襲い掛かり海燕たちを殺すだろう。八雲は木刀を振りながらも、本能的にそれが分かっていた。
「そのまま!蜂は任せたわ!!こいつは私がぶっ殺すわ!!」
そして瑠璃は、退魔師としてこんなところで死ぬつもりは毛頭なかった。
地中へと足が沈み引き摺り込まれかける中、爪土竜の硬い爪が瑠璃の左足を刺そうとする。
瑠璃は、手に集中させていた火属性の魔力を全て左足に集中させる。痛みはある。恐怖もある。だが、それに屈してはならない。
瑠璃は退魔師なのだから。
「……っ!!ああああああああああああああああああ!!!!!!!」
練り上げた連火閃の炎が足元から放射される。本来は幾本もの火の筋が放射される魔法が、爪土竜のその手だけに集中して放ち続けられる。
爪土竜が炎の熱に負け手を放すか、瑠璃が痛みに負け炎を弱めるか。
互いの忍耐強さを競う争いになるかと思われたが、瑠璃はそこで終わらなかった。
「まだまだっ!!”釜戸火”!!」
痛みに涙を流しながら、瑠璃は更に火属性の魔力を追加し、足元から放射する。
釜戸火は、密閉された空間内で使用する火属性の中級魔法だ。土中のわずかな空間の隙間を蒸気のような炎が満たし、瑠璃の足を掴んでいた爪土竜の全身を覆う。
爪が足を離れ、爪土竜の悲鳴が土を通して響き渡る中でも瑠璃は火を弱めない。
(必ずここで仕留める!!)
「灼けろぉぉぉぉ!!!!!!!!」
悲鳴がやがて弱弱しくなり、爪土竜の魔力が消失するまで、瑠璃は釜戸火を解除しなかった。黒い煙が土の中から立ち昇り、爪土竜の悲鳴が聞こえなくなったとき、海燕たちが瑠璃のもとへ駆け寄ってきた。
「本当に無事でよかったぜ、瑠璃ちゃん」
「ええ。いやぁ死ぬかと思いましたが、人間死ぬ気になればなんとかなるものですね」
戦闘後、足に薬草を塗り込んだ瑠璃は元気に歩き回っていた。
「……足は大丈夫なのか?」
海燕が気づかわし気に瑠璃の足を見る。瑠璃の足には、瑠璃が用意した軟膏が塗り込まれ、微かに傷が残っていた。
「問題ありません。完全に制御した自分の魔力で体に傷はつきませんし、この怪我も動く分には支障はありませんから」
そう言って瑠璃は手で鋏をつくる。爪土竜の傷は足に残るだろうが、退魔師である以上、後に残る傷などは日常茶飯事だ。気にすることではない。
それよりも、瑠璃は自分自身の力で難局を乗り切れたことが誇らしかった。
「次からは土属性魔法はもう解除しねぇ。俺が居る限り、地中からの奇襲は許さねぇ」
「それでは海燕くんの魔力消費も激しくなりますし、攻撃の手がひとつ欠けてしまいます。次同じような相手が来た時も、先ほどと同じように上空からの相手には他の魔法で迎撃してください」
海燕の提案を瑠璃は却下した。海燕の魔力量は少なくないと瑠璃も何となく把握しているが、激しい戦闘の最中でも警戒用の魔力を解除しないというのは無駄が多すぎた。それでは精神的な負担と相まって、半日と持たないだろう。
「んん……」
「それよりも、お互いがお互いを支援できる範囲内で動くことにしましょう。この問題は海燕くんだけが責任を負うことではなく、全員で考えるべきことです」
海燕は少しの間だけ渋った、結局は瑠璃の指示に従うことにした。
自分自身が窮地に置かれても堂々としている彼女のことを、信じることにしたのだ。
「何はともあれ、お疲れさまでした。みなさん、先へ進みましょう」
「……まぁそうだな。お疲れさん文次。おめー、一夜漬けにしちゃあいい炎だったぜ」
「本当か!?いやー俺二日目にして木洩火を完全習得しちゃったかな!?」
「私も”木洩火”は習得したいですね。”連火閃”より速度はありませんが、燃費は段違いに良さそうです」
「俺の斬撃はどうだった?」
「八雲はどうやってあの程度の魔力であんな威力の斬撃になっているんだよ……!」
四人で手を叩き合い、互いの健闘を称えながら先へと進む一行は、それからももののけに遭遇した。その多くは小型の、拠点を変えられない類のもののけだったが、とにかくその数は驚異の一言だった。一行は、四人という数の強みを活かしながら奇襲を避け、陣形を利用して流れ作業のようにもののけの襲撃を撃退しながら進んだ。
瑠璃は足に怪我をしたことなど無かったかのように、軽快に山を歩くことが出来ていた。戦闘を進む海燕が土属性魔法によって邪魔な木や石を排除しているせいもあるが、瑠璃の体は今、自信と達成感に溢れていた。
(……凄い……体が軽い)
瑠璃の経験上、退魔師が連携を合わせるまでには長い時間がかかる。互いの実力に差がある場合、動きを阻害してしまうことも多々あるからだ。しかし、事前に話しあい修正を重ねたことで、不測の事態があったにも関わらず全員が生き残ることが出来ている。これは驚くべきことだった。
(この速度なら、今日中に攻略できるかも……
いえ、駄目ね。こういう時こそ気を引き締めないと)
瑠璃は深呼吸して己を落ち着かせながら、獣道を進むのだった。
日が昇り、海燕の腹が雷属性の魔法を習得して微かな空腹感を訴えはじめたころ、四人ははじめて人が作ったと思わしき分かれ道にたどり着いた。
右側の道にはなめらかな顔の地蔵があり、真ん中には誰かが目印につけた印があった。そして、最後の左側の道には、何もありはしなかった。
「……瑠璃。この先が聖域か?」
風属性の魔力で周辺を探索していた八雲は、分かれ道の近くから明らかに魔力が弱くなったことを感じていた。
「はい。そして、私たちの運命の分岐点になりそうです」
聖域における最大の難関、運命の分岐点が、一行の前に立ちはだかった。




