第八話 四ノ島の試験 指揮官
轟音と共に、山全体が大きく揺れた。その揺れは数秒で収まったが、その間海燕は身動きも取れず、ただ必死にその場に踏みとどまっていた。
海燕の全身から汗が噴き出す。
(何だ、この魔力は……?)
海燕は、この轟音の原因となったであろう魔力を感知した。海燕が野営地周辺に張り巡らせた土属性の魔力を通して伝わってきたのは、あまりにも膨大な火属性魔力の残滓だった。土全体が熱されているような魔力。だが海燕が恐怖したのはその質ではなく、その量に対してだった。
まるで自分の全身が巨大な熱の塊によって押し流されるような恐怖。その濁流のような圧倒的な魔力量に眩暈がするのを必死で耐え、海燕は叫ぶ。
「瑠璃ぃ!八雲!文次郎ぉ!!大丈夫か!?」
思わず海燕の口から出た言葉は、仲間を求める声だった。
しかし、その声が聞こえたとは思えない。
轟音が大地を震わせると共に、何千羽という魔鳥の群れが、山から飛び去っていったのだ。まるで何かから逃げるように羽ばたくもののけたちは、海燕たちの頭上をも越えて空の彼方へと消えていく。
逃げていたのは魔鳥だけではなかった。海燕は、夜営所周辺に置いた魔除けの聖水による結界を避けながら、魔熊や角鹿、猪や沸々といった多種多様なもののけたちが逃げていくのを感知した。
もののけたちの逃走によって、草木や土埃が舞い上がり、幾つもの木々が倒れていく。山というもののけたちの棲家は、彼ら自身の手で無惨に荒らされていった。
もののけたちの恐怖と、もののけたちの暴走する魔力を土を通して感知してしまった海燕の足は、地面に根を張ったように動かなくなった。
(……もし、魔除けの聖水がなかったら。今ここで夜営していなかったら)
暴走する魔物の群れに飲み込まれて、訳も分からないままに死んでいただろう。
気が付くと、服を着た瑠璃たちも海燕の周囲に集まっていた。皆一様に険しい顔をしている。
「みん……お前ら……」
呆然として他の三人を見る海燕の顔には、荒くれた退魔師志望の面影はない。ただ友人の無事を喜ぶ年相応の赤毛の少年でしかなかった。
「海燕くん!私は無事ですよ!皆も無事です!!誰一人として死んでいません!」
「何だ今の音は!?結界は無事か!?」
「無事だから俺たちは生きてんだよ!
……でも、すぐに逃げねぇとここもやべぇかもしれねぇ!!さっきのはとんでもねぇ火属性の魔力だった!火山が噴火したのかも!」
(……火山?)
切羽詰まった様子の文次郎の言葉に、海燕は違和感を覚えた。
確かに先ほどの轟音は、膨大な魔力だった。
それこそ、火山の噴火によって放出されるほどの量はあった。
しかし。
「火山が!?」
文次郎の推測に瑠璃は青ざめた。もしも火山が噴火したというのならば、ここに留まるわけにはいかない。
魔除けの聖水の範囲から出るということは、逃げ遅れたもののけや、逃げてきたもののけと遭遇する可能性を常に孕んでいる。だが、逃げずに火砕流が到達すればどのみち死ぬのだ。
(逃げても留まっても死ぬ……)
このとき、瑠璃は死を覚悟した。
「……か、火砕流がやってくるかもしれないということですね!それならば、隊列を組んでここから避難をしましょう!」
それでも、瑠璃は生粋の退魔師として己を奮い立たせる。退魔師の一族として狼狽えるわけにはいかない。退魔師ならば、せめて誰か一人だけでも生き残れる可能性を作り、死に抗う義務があった。
彼らの判断は正しい。
ただ、瑠璃と文次郎にとって不幸だったことは、瑠璃の故郷である皇区も、文次郎の故郷である東部の村も、火山地帯ではなかったということだ。
「…私が殿で、八雲くんを先頭にして逃げ」
逃走のため指揮をしようとする瑠璃を見て、海燕の思考回路も戻ってきた。人間という生き物は、自分より冷静ではない人間を見て一時的に冷静さを取り戻す習性があるのだ。
「……いや、慌てんじゃねぇ文次、瑠璃。本当に火山の噴火だったら、こうして話す間もなく火砕流に飲み込まれてる」
「そう……か?でも、あんなの火山の噴火としか思えないだろ。教科書にも、噴火の時は膨大な火の魔力が放出されるって書いてあったぞ」
「たしかにそうだが、噴火なら実際にゃあその数日前から周囲一帯の土が騒ぎ出すんだ。文字は噴火は見たことあるか?」
「いや、ねぇ」
文次郎は首を横にふった。
「そうか。なら少なくともあれは火山の噴火じゃねぇ。俺の地元が南部ってのは文次には言ってなかったか?」
「え、そうだったのか!?」
「ああ……あそこまででかい魔力じゃなかったが、山が火ぃ噴くことは俺の地元じゃ何年かに一度はあった。そんときは一瞬で灰と岩と火の弾が降り注いだが、今は来てねぇだろ?」
海燕は実体験をもとに自らの推測を口にした。冷静でありながらも、その顔に余裕らしきものはなく、冷や汗が額に浮かんでいる。
「確かに、灰は降っていませんね」
「轟音のあった方角を見てみたが、山も火は噴いてないな」
今まで聞き役に徹していた八雲も、無事な木に登り轟音のあった方角に目を向けるとほっと胸をなで下ろした。
「そっかあ……いやあ、そうと分かっちまうとちょっと恥ずかしいなぁ!俺、めっちゃ間違ってるじゃん!?」
「私もですよ!あ゛~恥ずかしいんだけどぉ!?文次くんのせいですよこれぇ!?」
「いやほんとすんませんっ!」
(すげぇな。瑠璃のやつ秒で責任転嫁した……)
瑠璃と、瑠璃に伏して謝り倒す文次郎を、八雲が楽しそうに眺めていた。
「まぁまぁ落ち着いて。さっきの瑠璃は退魔師らしく立派だったぞ?『隊列を組んで』って」
彼はどうやら、火に油を注ぐことにしたようだった。
「八雲くんっ……!」
瑠璃の顔が羞恥で赤く染まり、逆立っていた青い髪はへたりと瑠璃の肩にかかった。
「……あー、でもよ海燕。火山の噴火じゃないとすると、あの魔力は何なんだ?南部出身なら、何かこういう山の異常についての心当たりとかねぇ?」
頭を抱えて身悶えする瑠璃にぽかぽかと胸を叩かれながら、文次郎が疑問を口にする。それは全員が抱いている違和感でもあった。
この山の異変は一体、何が原因なのか?
これは、全員に共通する恐怖でもある。退魔師にとって、原因不明で対処不可能な魔力ほど、恐ろしいものはない。魔を退けるという使命を全うできないのだから。
「もしも。あれが噴火じゃなかったとしてもさ。未知の自然現象でいきなり吹っ飛ぶ可能性があるなら、やっぱ避難した方がいいんじゃねぇかな」
「それはその通りですね」
文次郎の胸をはたいていた瑠璃の手がぴたりと止まる。退魔師として生存を優先するならば、その可能性も考慮すべきだったのだ。
「南部にもこんな自然現象はねぇ。つーかあったら俺ぁ死んでる」
「そっか……」
海燕の言葉を聞いた文次郎は頭を掻きむしった。
(せめて原因が分かりゃ、留まるか進むか逃げるかも決められるのに)
思い悩む文次郎に声をかけたのは、八雲だった。
「なぁ文次。あれはもしかしたらもののけの仕業じゃないか?」
「……もののけが、噴火みたいな馬鹿でかい火属性の魔法を使ったってことか?」
「ああ。火を使えるもののけくらいこの山にも居るだろう。ましてや、これは”試験”なんだ。試験用に用意されたもののけが居てもおかしくはないだろ?」
八雲の口ぶりからは、焦燥感や絶望感などは感じられなかった。
実際彼は、口にこそ出さないが
(もしそうだったら楽しそうだな)
とも考えていた。そうであって欲しいと。仲間の羞恥心を煽るのはまだしも、恐怖心を煽るのは八雲の趣味ではなかった。
しかし、八雲の意見を瑠璃がやんわりと否定した。
「……確かに、そういった災害をもたらすもののけは存在します。可能性は零ではありませんが……
私はもののけではないと思います」
「何でだい瑠璃ちゃん?」
文次郎の問いに、瑠璃は冷静に答える。
「……さっき飛んで行った怪鳥の中に、以津真天や飛蜥蜴を見ました。飛び去った群れに統一性がなくて、混乱していたのが引っ掛かっているんです。あれほどの力を持ったもののけが居たとすれば、生態系の頂点に君臨して、あのもののけを統率しているはず」
以津真天も飛蜥蜴も、火を扱う強力なもののけの一種である。それらが恐れをなすようなもののけが居たとしたら、既に彼らを従えているはずだと瑠璃は主張する。
「瑠璃ちゃん、もののけがいらない連中を追放したって可能性は……ねぇかな~」
「あり得ません」
文次郎が言いかけたように、もののけの世界でもそういったことは往々にしてある。餌が限られている以上、もののけ同士で縄張り争いをしたり、群れの一部を放逐することは当然のようにある。
そうして放逐されたもののけたちが人里を襲うとき、退魔師が立ち向かいそれを撃退するのだ。
しかし。
「餌なら俺らが山ほど居るからな。わざわざ今縄張り争いをするより、早い者勝ちで人間を喰おうとするだろうぜ」
海燕がもののけの習性に基づく意見を述べる。
一般的に、もののけは人を襲う。何故ならば、もののけと対峙してその肉を喰らうより、人間の方が弱いということを、もののけはその本能で理解しているからだ。餌が多いこの状況下でもののけたちが山を捨てる利点がなかった。
「だよなぁ」
文次郎の溜息に瑠璃も重々しく頷き、自分の経験に基づく事実を述べる。
「……もしもあの魔力の正体が八雲くんの言うような試験用に用意されたもののけだとすると、強すぎるんです。私たち受験生の力量はせいぜいが四級ですが、あれは三級が何人居てもも手に負えません。私の一族に限ってですが、三級の退魔師は見てきましたから断言できます」
「三級でも無理なの!?」
文次郎が悲鳴をあげる。
「……三級退魔師は結局、地方のしがないお役人です。都会のお奉行様に放り投げて知らぬ顔する案件ね」
瑠璃は腕を組んで苦々しく吐き捨てた。仕事には適材適所というものがある。瑠璃の故郷では、これほどの災害など今までなかったし、それに対処できるような戦力も、必要なかったのだ。
(せめて護符があれば……逃げられる?いいえ、絶対に無理ね)
現在、瑠璃の手元には一族由来の装備はない。仮に装備があったとしても、あの膨大な魔力に対抗できるようなものでもなかった。
一族の力と、新しく培った上級魔法。その二つを融合させ、自分自身の力で更なる地位に昇りたいと家を出たのに、どうにもならない事態があるということを痛感させられている。瑠璃は、強く拳を握りしめた。
(まぁ……)
(あの魔力は三級じゃ無理だろうな)
悔しがる瑠璃に対して、海燕と八雲はあえて慰めなかった。別に恥じるようなことではなく、ただ単に、そういう領域の強さが世の中に存在したというだけだからだ。
他の二人に異論がないことを見て、瑠璃は言葉を続けようとするが。
「そんなことねぇよ!瑠璃ちゃんを見てりゃ、三級の退魔師さんだって立派なんだって分かるぜ!」
瑠璃の嘆きも、文次郎にとっては理解できない。
文次郎の生まれた村では、退魔師と言えば年老いた、六級か五級の老人ばかりだった。彼らがまともに働くのは四級の、退魔師さまが居る時だけだったのだ。
生まれた時から魔法の技術を磨き、人々を守る為にもののけに立ち向かう。それが出来る人間は多くない。六級や五級の退魔師は結局のところ平民で、普段は村で仕事をしている。命を賭けるような勇気や根性がある人間ばかりではなかった。誰も自分の行動によって責任を負いたくなかった。その結果が望ましいものでなかったとき、村人たちから白い目で見られたくなかったのだ。
だが、四級の、生粋の退魔師が来てくれた時は違った。彼らに任せればいいという安心感だけで、そうではない人間も恐怖に屈さず立ち向かうことが出来た。
その姿に、文次郎は憧れたのだ。だからこそ、文次郎は退魔師になりたいと思ったのだ。
「今だってほら、鳥肌が止まってる」
そう言って、文次郎は腕を見せた。獣傷にまみれた右腕には、恐怖を示す粒は浮かんでいない。
退魔師に守ってもらったという恩を文次郎は忘れない。自分たちを助けてくれた退魔師の背中を見た瞬間から、文次郎はずっとそれに憧れ続けていた。
「……ありがとう、文次郎くん」
文次郎の励ましに瑠璃はくしゃりと笑った。退魔師の汚さも知っている瑠璃にとって、文次郎の曇りない笑顔は少し眩かった。
「ただ事実として、あれほど膨大な魔力を持ったもののけが居たとすれば、二級以上の精鋭退魔師の管轄になるはずです。私たちはその二級退魔師を目指して学園に入学するんですから、学園がそんなもののけを放置するとは思えません」
退魔師の等級は、下から順に六級から一級までが存在する。
平民から取り立てられた退魔師は六級から、退魔師の家に産まれた退魔師も、十五歳からは四級退魔師として任務をすることになる。試験の体裁を保つならば、山に生息するもののけの力量は四級程度とみるのが妥当だった。
「……もののけの線が薄いとなると、あの魔力の原因は何だろうなぁ……」
もののけと戦う可能性が薄まったことで、八雲はどこか残念そうに呟く。
「――人」
海燕は、反射的にそう答えた。
「は?人間?あんな魔力が人間に出せるのか?」
「わ、私も文次郎くんに賛成です。この山に居る受験生で、あんな規模の魔法を使うことができる人間がいるとは思えません。そんな人間がいるなら、それはもうもののけと変わりません」
「ひでぇ言い草だな瑠璃。俺はあれは、人が使う火の魔力だと思ったんだけどよ……」
海燕とて根拠なしに言ったわけではない。
海燕が育った島において、魔力という力は、魔素という極少の粒子で成り立っているのだと教わった。魔素はそれ自体ではただの粒でしかないが、一定の量を集め、魔素を震わせることで性質が変わり、力を持つ。それが、魔力という力となるのだ。
ただ、人間が使うことが出来る魔力の帯域と、もののけが使うことが出来る魔力の領域は少し異なる。人間ともののけが似たような火の魔法を使っていても、魔素を振動させる周期が人間ともののけでは決定的に異なる。
「海燕。お前人ともののけの魔力に区別がつくのか?」
「あたりめーだろ。性質が違うんだから間違えねぇよ。俺は土から伝わってきた魔力を感じたから分かる。あの魔力量に騙されるけど、魔力自体は人間が使う火属性だった」
土の魔力を使い周囲一帯を感知していた海燕は、轟音と共に放たれた火の魔力を感じ取った。
さらに瑠璃の話を聞いたことで、その魔力が、もののけのそれではなく人間のものだということもしっかりと認識できたのだ。
「確かに、人が扱うことが出来る火の魔力ではありましたが……」
自分自身でも火属性の魔法を多用する瑠璃は、火属性の領域の魔法をよく知っている。言われてみれば、瑠璃の使う火属性魔法とも似た魔力だったような気配はあったのだ。
「規模がでかすぎるぜ」
「まぁな。俺だってあれには正直びびった」
そう言う瑠璃や文次郎の気持ちも、海燕にはよく分かった。
「……まぁ、俺にはそこまで厳密な魔力の判別なんて出来ないから違いは分からないな。海燕の言うとおり人によるものだと仮定するなら、試験官がやった可能性があるか?」
「あー、さっき言ってたような試験の一種ってやつか?」
「ああ。皆も道場で先輩からやられなかったか?不測の事態を起こすことで緊急時の対処能力を審査するって理不尽な訓練とか奇襲を受けることあったろ?」
「いえ……?そういうしごきは師範か師範代の仕事では?」
「俺なんて師範からもそんな訓練受けたことねぇや。海燕はどうだった?」
「ねぇよ。どんな先輩だよお前んとこ」
「えっ?嘘だろ?」
(無いの……?無かったの?あれっ?)
八雲が道場の先輩について疑問符を浮かべたところで、文次郎はほっと安心する。
「あの魔力が試験の一種だったのなら、もう大丈夫だろ!俺たち生き残ったぜ!」
「……そうね。あの大軍の暴走の中を生き残れたのは運が良かったです。本当にそこは誇っていいわ」
「運の問題じゃない。俺たちはここで休息することを選んで、用心して魔除けの聖水で結界も張った。自分たちにやれることをやり切ったからこそ生き残れたんだ。実力だよ。」
八雲は最後、意図的に皆を鼓舞するために一言を付け加えた。
「そういや、野営地に配置した聖水は大丈夫かな?あの砂埃でもう地面にぶっ倒れてるんじゃないか?」
文次郎は思い出したように言う。海燕たちは夜営する際に、瑠璃の指示で魔除けの聖水を入れた瓢箪を野営地の四方に配置したのだが、今の暴走の中で無事だとは思えなかった。
「聖水そのものが倒れていても、聖水を触媒とした”儀式魔法”をかけていますから結界としての効果は持続しています。最低でも一晩は持つはずです」
”儀式魔法”とは、特定の魔力性質を持つ物体を媒介にし、特定の手順を踏むことで成立させることが出来る魔法である。瑠璃は夜営の前に、魔除けの聖水の効力を最大限に発揮するための”儀式魔法”、”障魔陣”という彼女の一族に伝わる結界術を使用していた。
”障魔陣”は魔除けの聖水の成分を、風属性魔法によって結界内の空間に拡散させ、巫女の舞踏という手順を踏むことによって結界内の大地に時間をかけて浸透させ、もののけの嫌う空間を作る魔法だ。これによって、もののけたちは暴走状態にありながら本能的に夜営地を避けて通ったのである。
儀式魔法の歴史は古く、実は本人達が意識しないだけで、退魔師は日常的に儀式魔法を使用している。例えば八雲が木刀で放つ斬撃も、木刀を”剣”という儀式用の触媒と見立て、それを”振る”という手順を踏むことで”斬る”という結果に繋げられるように魔力を増幅しているのだ。
「あのへんな踊りの効果か?助かったぜ瑠璃。ありがとよ」
一方で海燕は、八雲と違って余計な一言を付け加えていた。
「海燕よぉ……瑠璃ちゃん馬鹿にすんなよおめー?」
「どういたしまして。って、何が変ですか!古臭いけど伝統ある舞踏なんですよ!」
文次郎はやいやいと海燕を野次り、瑠璃は少し恥ずかしげに、自らの青い髪を弄った。
「何はともあれ、あの魔力についての話はこれで終わりだな。今後は、試験管の気まぐれでああいう馬鹿げた出来事が起きる可能性も考慮して動く必要はあるが」
「どれだけ性格の悪い罠があるか分からねぇもんな」
「そうね。……そうだ、皆に、私から提案があるのですが聞いてくれますか?」
「提案?いいぞ」
「この試験を合格するために、改めて力を貸して欲しいんです。勿論、私からの協力は惜しみません」
(……来たな)
海燕は先ほど瑠璃が言っていた言葉を思い出す。瑠璃もとうとう、踏み出す勇気が出来たのだ。覚悟と言い換えてもいい。
「へへっ!そりゃあ今更だぜ瑠璃ちゃん。俺に出来ることなら何でも言ってくれ!」
「具体的には?」
「皆さんにとっては受け入れられないことかもしれませんが、明日以降にこの森の指揮役を私に任せてほしいんです」
「瑠璃にか?どうしてだ?」
(何だなんだ一体?)
その言葉を聞いて八雲ははじめて驚いた。
この四人は出会ってから半日も経っていない、友人でもない退魔師の集まりだ。当然上下関係もなく、その上下関係のない対等な関係を八雲は気に入っていた。
「……昼に遭遇したこの森のもののけは、先ほどの魔力に比べれば大したことはなかったかもしれません。ですが、それでもこの森が私たちにとって危険に満ちていることは事実です」
瑠璃の言葉に、三人はじっと耳を傾ける。
「私の故郷にも魔熊の一種は存在しましたが、冬眠明けの今の時期でもあそこまで俊敏で、頑強な種類の魔熊は居ませんでした。魔熊や大猪のようなもののけは単体ならば対処は可能でしょうが、複数体が出現する可能性だってあります。それに、森の中を進んだ時の脅威が現れた時に備えたいんです」
そこで瑠璃は、一瞬だけ海燕に視線を送る。
(分かってるって)
「俺ぁ瑠璃に賛成だ。単純な話、大猪が二匹現れただけでも今の俺らじゃ死ぬかもしれねぇ。そういう時に誰の指示に従うのかは決めといた方がいいだろ」
「ええ。……もっと贅沢を言わせてもらいますと、私は神社の出身ですから、鳥居の周辺にありそうな罠や、鳥居への手掛かりには心当たりがあります。その対応も、私の指示に従って欲しいんです」
「そっか……そりゃそうだな。俺たちの時は、一人倒れたら総崩れになっちまった。この森じゃあ一瞬の判断の遅れで死んじまう。俺も瑠璃ちゃんに従うよ。合格したいしな。あ、俺に出来ることと出来ないこととか言った方がいい?」
「ありがとう。できればいま教えてください、文次郎くん」
瑠璃にとって意外なことに、文次郎はあっさりと瑠璃が指揮を執ることを承諾した。
豊葦の国において、退魔師の間では男尊女卑という概念は少しずつではあるが解消されつつある。高い魔力と、もののけに対抗する実力。退魔師はその二つの両方か、どちらかを備えていればいいのだ。それでも瑠璃に限って言えば、男の嫉妬ややっかみを受け心無い言葉をかけられたことはある。
退魔師でさえそのような有様で、平民の間では男尊女卑という考え方はいまだに強い。特に瑠璃から見て東西南北の未開の地では、能力に関係なく女性の指示を受けることを嫌がる風潮も根強いのだと、瑠璃は親から教えられていた。海燕に根回ししたのも念のためだ。
しかし、文次郎は、瑠璃の言葉を真摯に受け止めた。彼の中にあるのは男性か女性かという価値観ではなく、信頼できる退魔師かどうか、という一点のみだった。
瑠璃が懸念する最後の関門は八雲だった。
能力主義の退魔師の世界にあって、八雲は四人の中で最強と言っていい存在だったからだ。それに加えて、八雲の容姿から、瑠璃は彼が自分たち皇区の退魔師に対して複雑な感情があるのではないかと考えていた。
「俺もそれでいい。前に出て剣を振るのが性に合ってるから、全体の把握とか指示出しは三人のうちの誰かに任せたほうがいいだろうしな。ただ、一つだけ頼みたいんだが」
「何ですか?」
瑠璃の心が緊張で震える。正直なところ、八雲が怖かった。
「俺に命令するのなら、別に丁寧じゃなくていい。文次相手くらい雑にやってくれ」
「俺!?」
しかし、八雲は瑠璃に対して思う所はないようだった。
「はい、喜んで。こき使うから覚悟してね?」
海燕が入浴し終わった後、四人は、明日のための陣形や戦術、瑠璃の持つ知識について話し合った。四人が持っている手札を合わせれば、取れる戦術はより幅広くなる。その有無が、明日の生き残りを分けるのかもしれなかった。
瑠璃たちが話し合いをはじめて、一刻は経った。空に月は見えないが、もののけの気配はなく、穏やかな夜の闇の中で薪の灯りが四人を照らす。
「……じゃあ八雲と海燕は上級魔法は使えないんだな。俺より魔力あるのに勿体ねぇなぁ」
「まだ魔力操作が覚束なくてな。まぁ、斬撃の威力は風属性の上級魔法にも劣らないと自負してるよ」
「全力でそれくらいいけるなら、八雲が攻撃する時に俺たちが攻撃するのは無い方がいいか?かえって邪魔にならねぇ?」
「いや、攻撃魔法の援護はあった方が嬉しい。俺の真後ろから狙うんじゃなくて、斜め四十五度後ろとか木の陰から狙うのはどうだ?俺も、そこから来るって分かってれば皆の魔法の邪魔にならないように動けるし」
「よっしそれでいこう!お礼に今度上級魔法のコツ教えてやるよ!八雲ならきっと出来るぜ」
(!???)
さらりととんでもないことを言う文次郎の言葉を聞かなかったことにして、瑠璃は海燕の方に向き直る。
「海燕くんは土属性魔法の”石固”や”凝石”が得意なんですよね?他に出来ることはありますか?どんな小さなことでもいいです」
「…俺は……」
そして、海燕も己の島に伝わる魔法について明かした。
退魔師にとって己の切り札を見せ合うことは、仕事仲間に対する信頼と敬意を意味する。
出会った瞬間から始まった退魔師四人の関係は、この夜を経て”仲間”と呼べるものへと変わろうとしていた。




