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豊葦原のうみつばめ  作者: 空殻
入学編 
56/59

第十二話 補習

遅くなりましたが続きです。



 七限、八限の数学は、勤続三十六年の関先生による円周率を求めるための授業となった”紅蓮紅臨”や”水泡”などの様々な魔法を使用する場合にも、円状、あるいは球状となるように魔力を操作することは必須である。 

 魔力を効率よく運用する上で数学的な知識は切っても切り離せないので、海燕の頭では理解が追い付かないような部分を関先生に詳しく質問しながら、板書の内容を頭の中に詰め込んでくたくたに煮込む作業に没頭した。


「おお見てよみっちゃん!海くんの頭から湯気が!」


 柄にもなく数学に没頭する海燕の頭からはどうやら魔力が漏れ出ていたらしく、鶫はそれをかなり面白がっていた。


「いや湯気じゃなくて魔力だよ。じろじろ見るなって失礼だから……ってか鶫、あんた書き写せてないじゃん!?」


「……後で写しを見せてよみっちゃん?」


「夕飯のおかずをわたしにくれたらな」


「そんな殺生な!?」



 そんなこんなで授業が終わってすぐに、海燕は演習場に行って黒羽真鴨の補習を受けていた。真鴨の探知魔法訓練についての補習を受けているのは破寮生ばかりで、威寮生や炉寮生の姿はなかった。


 授業前に告げた真鴨の言葉に嘘や偽りはなく、現時点の破寮生(じぶんたち)現時点の破寮生(じぶんたち)は他の寮生たちよりも弱いのだ。そのことを、海燕はそれを実感しながらも、ならば強くなればいいだけだと闘志を(たぎ)らせて補習に挑んでいた。


 その闘志ほどには、水属性の魔力は海燕からは(ほとばし)ってはくれない。周囲の破寮生たちが黒羽に質問する前に、海燕は真っ先に黒羽に教えを乞うた。


「黒羽先生。今更の質問で申し訳ないんですけど、水属性の魔力放出の修行でいい方法があるって聞いたんですけど、正しいかどうか教えてくれませんか?」


「……教師の担当分野に対する質問に申し訳なさを感じてどうする?君たちの仕事は正しく学ぶことだ。

で、どんな方法だ?」


 腕を組みながら生徒たちの修行を見守っていた黒羽は、軽く笑みを浮かべて海燕に向き直った。


 基礎魔法の質問は、あまりにも今更過ぎて質問したくない、と思う学生は多い。だからわざわざ黒羽が言って聞かせる必要があるのだが、修行方法を自分から聞いてくる学生は黒羽にとってもありがたい。


 間違いを見つけた上でどこがどう違うのかという間違いを学生に自覚させ、黒羽からわざわざ教えるという手間が省けるのはもちろん、生徒にとっても言われて嫌々やっている修行よりも高い意欲で継続することができるからだ。



「流れてる真水に流すように水の魔力を放出するといい感じにコツが掴めるって丸刃から聞いたんですけど、それで合ってますかね?」




「……ああ。魔力を含まない大量の水を浴びながら、水に己の魔力を流し込む修行方法はある。

これは理に適っている。流し込んだ魔力ごと水が流されていくので、魔力が飽和して暴発する危険もないからな。特に君は、土属性の魔力を本物の土に流し込んで使っているからな。その経験も活かしやすいだろう」


「合ってたんすか、それで?」


「ああ。しかし海燕君。

風呂場なり川なり海なりで試したことは無かったのか?」


 黒羽は海燕の怠惰さに若干失望したような視線を向けた。

 この方法自体は、行動的な退魔師であれば思いついても何ら不思議はないものだ。苦手な属性を改善しようという意志さえあれば、気付いたり思いついてもおかしくはない。


「サボりました!」


 弁明の余地もなく、海燕の怠惰が原因だったので、海燕は正直かつ簡潔にそう答えた。


(やっべぇなすげぇ怒ってる……

そりゃあ怒るよな下手すりゃ寺子屋で習うことなんだしよぉ……)


 海燕は己の怠惰をこれほど呪ったことはなかった。周囲の破寮生の視線も痛い。もっとも、ここにいる破寮生は海燕のことを言えず副担任から小言を受けている生徒ばかりなのだが。


「……そうか。君に対して、指導者は何も言わなかったのかね?」


「俺がここに受かりたいなら得意分野を伸ばせっつって槍術とか土属性の魔法を教えてくれました」


(糞学生が。ここに来るに値しない学生の群れが!これを放置する指導者も指導者だ……!未熟者がもののけの奇襲を受けて死んだらどうする…!?私の時代にはこんな学生は居なかった……!!)

 

 黒羽は海燕の顔面に正拳を叩き込みたい欲求を抑えた。今の学生たちは黒羽の幼少期とは時代が違うのだ。現在の豊葦の国が、”退魔師の絶対数を増やすために、子供一人一人の長所を伸ばす”という教育方針になっている以上、生徒に苦手な魔法があろうと指導しない指導者がいてもおかしくはない。


 結果として、基礎魔法の担当教師の仕事は年々増えているのであった。


(……冷静になれ真鴨(おれ)。この手の阿呆は今までにも見てきただろう。それに、波止場海燕には防御用の吸収魔法があるのだ。指導者も波止場海燕も防御面はそれで事足りると過信した可能性は高い。

怒りは生徒を指導する上で不要な感情だ。落ち着け……)


 黒羽は魔力によって高速化した思考回路で、一瞬にも満たない時間で怒りを押さえつけようとした。それで海燕に対する怒りが収まっても、海燕と似たような基礎不足の退魔師が量産されている現状に対しては危機感を抱かざるを得なかった。退魔師の数を増やしても、死ぬ退魔師の数が増えていては元も子もない。税金泥棒が増えただけである。


(同じ教師として、すべての指導者を貶めるつもりはない。彼らは教育方針通りに仕事をしているだけだ。

退魔師の質が落ちている、というのもあくまで俺の主観に過ぎない。現場は足りない人員と予算で全力で仕事を回しているのだ。

生徒も……生徒もあくまで教育方針通りの指導を受けているだけだ。

……が、これを放置しては死亡率が高まるだろう。俺がすべきことは、生徒に厳しく必要な技術を教えることだ)


 脳内で今後の指導方針を修正しつつ、真鴨は普段通りの声で海燕に話しかけた。


「まあいい。今後の君が、可能な限り勤勉な退魔師であり続けることに期待しよう。

指導してやろう」


 真鴨は怒りの感情よりも己の職責を優先した。退魔師であると同時に教師であるがゆえの矜持だった。


「お、押忍!よろしくお願いします!」

 

 海燕は深々と礼をして、黒羽がいいと言うまで顔を上げなかった。

 

 黒羽が海燕に顔を上げるように告げると、海燕は黒羽の目を見た。その目に怒りの色はなく、淡々と修行方法を説明し出した。



「水属性の魔力放出についてだが。己自身の魔力の適性が水属性で、魔力放出の才能がある人間は、魔力の基礎を学べば容易く水属性の魔力を実体のある水として放出することができる。その量や持続時間は別としてな。

君の友人である文次郎くんはその筆頭だ。

しかし、自分自身の適性が水属性とは程遠く、魔力放出が下手糞な人間というのも中にはいる。そういう人間は、鶯宗や泥鰌宗の管理する寺子屋で滝行を行うのだ」


「滝行すか?」


「そうだ。これは鶯宗(うぐいすしゅう)泥鰌宗(どじょうしゅう)に伝わる修行方法でもある。流水によって自らの体内に留まろうとする水を押し流し、魔力を放出する感覚を体得させるのだ」


(なんだぁ?また宗教か?)


 自分自身を棚にあげて鶫までも宗教関係者だったことに一瞬面喰らった海燕だったが、黒羽の反応は好意的で悪い宗派ではないらしい。海燕は真鴨の言葉を聞き流すことにした。

 その反応は正しかった。鶯宗や泥鰌宗は豊葦の国でも歴史が古い宗教で、信仰している人間は最も多い。それを知らないというのは、単に海燕が無知なだけなのだから。


「じゃ、風呂の湯とかでなら練習出来ますかね?桶の水を流すとか」


「それは”水泡”の訓練で使う修行方法だ。今は考える必要はない。そもそも君は魔力放出自体が未熟なのだからな」


「押忍」

 

 海燕は素直に頷いた。


「君が訓練を行うならば、これ位の量は必要だ」


 そう言うと真鴨は、海燕の目の前に人が三人は入れるほどの落とし穴を出現させた。


「!?」


「水を受け止めるための穴だ。ここに……」


 黒羽の言葉が終わるか終わらないかのうちに、上空から水が降り注いだ。勢いよく流れる水は、真っすぐに巨大な穴へと入っていく。


「水属性中級魔法”水柱”の水を流す。私の魔力はほとんど含まれていない特注品だ。さあ、まずは利き腕の袖を撒くってこの水に魔力を流してみろ」


「了解です!」

 そう言って、海燕は流れ落ちる流水に向けて右手の掌を差し出した。黒羽は、つい先程まで何の変化もなかったはずの海燕の魔力が、瞬時に水属性の波長へと変化したのを確認する。


 驚くべき魔力変換の速度だった。これだけならば、教師陣と比較しても遜色ないほどに。


(だからこそ惜しい……)


 黒羽は、海燕のような努力の方向音痴を何人も見てきた。海燕のような好奇心旺盛で自己主張の激しい性格の退魔師は、破寮には多い。彼ら彼女らは、自分自身の欲求に素直で、興味のある物事には全力で取り組む。

 しかしその反面、興味の範囲外の魔法には疎く、また長期的な視野にも欠けている。自分にとって何が必要で何が不要かの判断を誤り、大成しないものも多いのだ。


(今年もその類いの生徒は多い。さて、どう調理してやろうか)


 そう思いながら体内で水属性の魔力を操作し、掌へと集中させる海燕を見ながら、黒羽はあることに気がついた。


(……成程、な)


 真鴨は今、海燕が”水柱”に含めた僅かな魔力を吸収したことを確認した。

 その瞬間、右手に集中させていた海燕の波長で作った水属性の魔力が変質し、黒羽の水属性の魔力の波長になったことも分かった。


「少し待て、波止場くん」


 ここで、黒羽はひとつの仮説を検証することにした。


(もしや波止場海燕は、吸収魔法を無意識に発動させているのではないか?)


 そうであるならば、海燕は己自身の魔力ではない波長の魔力に変換してしまったことで、無駄に制御が難しくなった水属性の魔力を放出しようとしていることになる。

 それでは、水の流れと共に魔力放出をするという修行の効果が薄くなる。初心者が無駄に上級者の真似事をしているようなものだ。

 そもそも戦闘向きの退魔師であっても、わざわざ波長を他人の魔力に変換して使ったりはしない。己自身の波長に近い、制御できる範囲の魔力のほうが、当然威力も速度も射程も上がる。


(おそらくは、吸収魔法を覚えるために海燕についた癖なのだろう。そうでなければ、寺子屋生でも可能な魔法に失敗し続けるわけもない)


 と、真鴨は推測した。


 海燕自身が制御できる、海燕自身の水属性の魔力の波長を、海燕の体に教え込まなければならないと黒羽は判断した。

 それが正しいかどうかは、これからわかる。真鴨は己の思惑を口には出さず、海燕に指示だけを出した。


「はい?何すか先生?」




「どうやら魔力の放出が上手く行っていないようだ。君のために流す水の量を増やす。少し離れたまえ。

……ああ、どうせなら上着を脱いでおけ。水が服にかかるだろうからな」

「……?おっす!」


「念のため、君には先ほどよりも魔力操作に専念してもらおうか。目を閉じて利き腕を差し出せ」


「了解っす!」

(こうなりゃもう信じるしかねぇだろ!?)


 海燕は黒羽の指示に疑問を抱きつつも、鶫に言われた言葉を思い出した。教師の時間を奪って指導してもらっているのだから、素直に指示を聞いて全力でそれを遂行すべきなのだ。


 海燕の右手に、水属性の魔力が集まる。一瞬の間があいて、そこに、大量の水が降り注いだ。


(……さて、どうなる!?)


 水流の勢いはそのままに、先程よりも量を増やした水に含まれる黒羽の魔力は限りなく無に近い。


 黒羽の仮説が正しければ、これで海燕でも水属性の魔力を流すことごできるはずだ。海燕の掌に落ちる水は、海燕が無意識のうちに影響され、吸収しようとする魔力はないのだから。


 黒羽は自分自身の魔力を自分の瞳に集中させた。海燕自身の水属性の魔力が、ほんのわずかではあるが、海燕の掌の血管から指先へと少しずつ動いていくのがわかる。

 水属性の魔力は少しずつ、ほんのわずかではあるが海燕の掌からこぼれ、水流と混ざって四散していく。その量は、少しずつ大きくなってきていた。


「うお!?」


 自分の掌から水属性の魔力を大量に放出できたことに海燕は一瞬感動する。だが、すぐに焦りが顔に現れる。



(痛ぇ!?)

 海燕の右手の指先や掌は、水属性の魔力を放出したことに痛みを訴えていた。


「魔力放出が未熟だとそうなる!退魔師ならばその程度の痛みには耐えろ!後で治療をしてやる!」

 

 黒羽は、海燕の魔力放出が中途半端なところで終わらせるのを嫌った。

 あるいは威寮の担当教師であれば、海燕の体を気遣い中断する判断をしたかもしれない。しかし、黒羽は効率を重視した。

 今、海燕が水属性魔法の感覚を掴みかけているうちに、その感覚を確かなものにしなければならないのだと、黒羽は信じていた。



「指先の血管から流れる血を思い浮かべて、流れる水に合わせて流せ!目はまだ閉じていろ!いいと言うまで開くなよ!」


「り、了解っす!いや、でも待ってください!魔力が止めらんねぇんすけど!?」

 

 こんな経験は今までなかった。海燕は、生まれてはじめて、自分の掌から大量に水属性の魔力が放出されていくのを感じ取っていた。


「いいや、それでいい。そのままだ。魔力放出を緩めるな。目を閉じていろ!腹から深く呼吸して、掌と指先に全神経と魔力を集中させろ!!」


 黒羽は、海燕に気付かれないように少しずつ水の量を減らした。海燕の掌に流れる水の量は次第に少なくなっていくが、しかし、海燕はそれに気付いた様子はない。


 黒羽はこのとき、風属性魔法で空気を振動させ、海燕の耳に流水の流れる音を届けていた。魔力込みの音では海燕の吸収魔法で無意識に吸収されてしまう恐れがあったので、風属性の魔力は海燕の体に届く前に魔力を四散させ、耳に届くのが空気の振動だけになるように調整しなければならなかった。基礎魔法の教官である黒羽にとっては造作もないことだが。

 出力を上げて単に魔法の範囲や効果を上げるだけではなく、状況に応じて精密に魔力を操作して、その出力を自在に操る。それが、この学校で”魔法”を教える教師になれる最低条件だった。


 黒羽は、海燕の脳を錯覚させ、魔力放出がしやすい状態を作り上げようと試みたのである。

 黒羽がこれを試みたのは、己の体験が原因だった。

 

 十年前の北の民との内戦のとき、北の民以上に恐ろしいものがあった。それは何か。

 

 寒さである。

 

 魔法で火を熾し、内内に火属性の魔力を循環させてもなお止まらぬ常識外れの寒気。北の民の魔法によって生み出されたそれは、実際に北の民と戦うよりも大勢の退魔師の魔力と体力と気力と、そして命を奪い取っていった。

 寒さの中、先に眠ってしまった仲間が熾し、すでに魔力も霧散したただの火中に飛び込んだ黒羽は、今にして思えば気が狂っていた。確実に黒羽の身を焼き、命を奪うはずの炎の中で、しかし黒羽は死ななかった。黒羽はそのとき、己の周囲が暖かく、己の体内が内側から燃え上がるように火の魔力が巻き起こっていることに気が付いた。火の中に身を晒すことで、火属性の魔力を放出する精度が、より上昇していたのだ。

 黒羽自身、毎日毎日体内で火属性の魔力を熾し、体外に放出し続ける義務を怠ったことはなかった。そうやって鍛え上げた魔力放出能力は、火の中に身を晒すことで開花し、さらに一段と上昇する。それは直感だったが、真鴨は似たようなことがあったことを火番の退魔師から聞いて確信を得た。鶯宗や泥鰌宗が行う滝行も、何日も行われた厳しい修行の後、魔力も体力も底をつき、空腹の状態で行うのだ。そうして、魔力を放出し、自在に操作するコツを体感していく事例はいくつもあった。

 黒羽はこれを論文としてまとめ、学会で発表し、さらに疑似的に部下の退魔師の能力を短期間で向上させることに成功した。若くして学校の教官になれたのは、この実績があったからでもある。



 真鴨はまず、水属性の魔力を込めた魔力で海燕の脳が本能的に魔力を吸収することを確認した。

 これは、海燕本人を守るために、海燕本人の意識とは無関係に体が魔力を吸収していると思われた。なので、このままでは水を流すことで海燕の魔力放出を促すことはできない。黒羽には、この脳の認識を狂わせる必要があった。

 そこで、海燕に目を閉じさせ、脳に視覚情報を遮断させた。すると、海燕の嗅覚と、触覚、そして、聴覚はより鋭敏になる。鋭くなった掌に大量の魔力を()()()()水を流し、それが、海燕の脳にとって無害で、吸収魔法を使う必要がないと認識させる。脳がそう認識し、海燕が自分自身の魔力を水に混ぜて放出するのを確認したたところで、海燕の耳に、音と振動だけで水の情報を送りつける。

 

 人間の脳は不思議なもので、その知識がなかったとしても、近くした音や匂いなどで物体を認識する能力を持っている。大量の流水が流れる音を聞いただけで、実際には水量は減っていたにも関わらず、海燕の脳は一時的に、水が流れていると誤認し続けた。

 結果、海燕の脳は水属性の魔力を水に溶け込ませていると誤認しながら、大量の水を放出するのに至った。


 そこで、黒羽は海燕にかけた脳の誤認(まほう)を解く。

 目覚めた海燕の目に飛び込んできたのは、黒羽が流した水ではなく、紛れもなく己自身の掌から溢れる水属性の魔力と、実体化する水。


「……!!」

 海燕の目から魔力とは関係がない水が零れそうになる。


「そのままだ!私がいいと言うまで、右手から魔力を放出し続けろ!親指から小指まで、魔力を集中して放出できるようにしろ。それが済めば次は掌から、出せる限り水属性の魔力を出せ!力尽きるまで止めることは許さん!!」

 

 しかし、黒羽はそれで終わらせるつもりはなかった。


 海燕自身の魔力量にはまだ余裕がある。多少余裕がなくなろうと、黒羽が雑に魔法を撃てば海燕の体調に支障をきたさない程度に魔力を回復させられることは、たった今確認した。

 ならば、基礎を教え込む手を緩める理由は何もない。水属性の魔力を放出することができるという認識を、海燕の脳に植え付ける。そのために、黒羽はは海燕の魔力が限りなく零に近付くまで海燕を放置し、他の生徒を指導して回った。




 たっぷり一刻以上の時間を空けて、黒羽が海燕のもとに戻ったとき、海燕の足下の穴は大量の水で埋まっていた。海燕の顔には幾ばくかの汗がにじんでいるが、まだまだ魔力に余裕がありそうだ。


 海燕が水属性の魔力を制御し、全て落とし穴に入れることに成功していることを確認してから黒羽は海燕を賞賛し、海燕を労った。


「本当に水を出し続けたか。……見事だ、よくやった。もう止めていいぞ。掌に集中させている魔力を、少しずつ腕、そして体の中心へと戻していけ」


 すると、海燕の掌から放出されていた魔力が霧散していき、水属性の魔力は海燕の体内へと還っていく。

 海燕が自分の指示を守ったことにも、魔力放出に比べて流麗に魔法を解除したことにも内心で驚きながら、黒羽は海燕をもう一度褒めた。


「放出に比べれば、制御はなかなかのものだ。初級魔法であれば、よほどのことがない限り暴発の心配はないだろう」


「おっす!全部先生のおかげっス!」


 海燕の翡翠色の瞳は、年頃の少年らしい純粋な喜びが満ちていた。尊敬すら含んだ目で海燕は黒羽を見る。海燕の中にすでに黒羽への悪感情はなく、道場の先生の次に尊敬すべき先生へと様変わりしていた。

 

 水属性の魔力を使えずじまいでいてから、海燕本人も半ば諦めていた。しかし、周囲が皆使えるのに自分だけ使えないという状況は、幾ら海燕の神経が単純であっても気持ちがいいものではない。海燕の黒羽に対する掌返しは、海燕の中では当然のことだった。

 


「修行し、成功したのは君の力だ。私ではない。そんなことよりも、今の感覚を忘れるなよ。魔力に余裕があるならば、もう一度目を閉じて、先ほどの感覚を思い出してやってみろ。私の補助がなくとも、君自身の力で出来るはずだ」


 そんな海燕を見て黒羽は苦笑を浮かべつつ、海燕の指先を治療魔法で治癒する。急な魔力放出に負担をかけた海燕の指は、これで元の状態へと戻った。


 しかし、海燕の脳は、先ほどの体験を覚えている。


 海燕は、目を閉じて水属性の魔力を練り、先ほどの記憶を反芻する。


(痛みを感じた指先を思い出せ。

水の流れる音を思い出せ。

水属性の魔力の体内で動く感覚を、流れる水滴が落ちる音を思い出せ!!)


 海燕は暗示をかけて成功した感覚を呼び起こし、掌から流れた水が、足下の水たまりに勢いよく落下した音を聞いた。喜びに口の端を歪めて、しかし、まだこれで終わりではないことを思い出す。


 海燕の右手の親指人差し指、中指、薬指、小指から水流が放たれ、水たまりへと降り注ぐ。さらに次の瞬間には、右手全体に水属性の魔力が集中し、柱のように足下へと水が落下し続ける。


「……見事だ。波止場くん、今日はもう帰っても構わんがどうするかね?」


 黒羽の言葉に、海燕は首を横に振った。

 長年苦手だった魔法を、克服できる可能性があるのだ。ならば、出来るところまでやってしまいたい。


「いえ!!左手からも魔力放出してぇし、後、魔力探知の方法を教えてください!!」 

「いいだろう。もう少し見てやろう。だが、左手は利き腕ほど容易くはないぞ?」


「望むところっす!!」


 海燕のような退魔師は、その意欲と能力が噛み合っている時は目覚ましい成長を見せることがあることを黒羽はその目で見て知っている。海燕に学習意欲を引き出せたことを幸運に思いながら、黒羽は指導を続けるのだった。



「……!!」

(まずいですわ。

まずいですわ。

まっずいですわ!!

あの北の民と赤髪の男子(ばか)は!


()()()()()()()()()だと思いましたのに!!)


 遠くから、そんな海燕の姿を見ている破寮生の姿があった。

 その女子は、平民出身者とは変わった気品と華やかな金色の髪、そして(あお)い瞳を持った筋肉質な少女、平等院(びょうどういん)華燐(かりん)

 退魔師の家に生まれながら破寮に入れられてしまった少女だった。

 

 彼女もまた、問題を抱えた入学生だったのである。


 彼女もまた補習を命じられ、副担任の先生から指導を受けてはいたが、その成果は芳しくなかった。


「平等院さん。焦る必要はないわ。波止場くんの修行内容をよく見ておきなさい」


「え!?彼の……ですの?」


「彼の魔力変換能力は一級品よ。今のあなたに必要な能力を彼はすべて持っている。あの魔力変換に近付けるように、彼を観察して。魔力を変換すること()()に専念しなさい。他のことは考える必要はないわ、いいわね?」


「は、はいですわ……」


 明らかに動揺している女生徒に、副担任の生徒は慣れたように言葉を紡ぐ。


「あなたの魔力変換能力は稚拙そのもの。恐らくは学年で一番下手かもしれないわ」


「承知しております……」

(現実を直視するのは辛いですわね……)

 容赦なく告げられた事実が、十五歳の少女の心臓を抉る。


「けれど、彼のように魔力放出能力が稚拙な人間でも、ああやって改善することはできる。希望を捨てないで。魔力の変換は、決して不可能なことではないの。落ち着いて魔力変換を行えば、貴方なら出来るわ」


(……そうよね、黒羽?)


 副担任は、自分にそう指示を出した黒羽の意図を図りかねていた。

 一人の少女を直接指導せず、黒羽に比べれば指導能力に劣る副担任に丸投げしてあえて学生の魔力変換を見習わせたのは、無駄を嫌う黒羽らしくはない。


 それでも彼が副担任(じぶん)に任せたのは、何か理由があるはずだ、と副担任は思っている。彼女は、黒羽に対して人としての人格はともかく、教師としての職務意識は高い男だという信頼はしていた。


「あの波止場くんは、破寮の中では魔力量は多い方。彼は、魔力を変換してもまだ体内に魔力が残るように、必要な量よりも少し多めに魔力を練り込んでいる。あなたの戦闘態勢とも似ているわ」 


「その通りですわ…!」


「貴方も、多少魔力を無駄にしてもいいから大目に余裕をもって魔力を変換しなさい。変に最小限の魔力を変換することに拘っていても仕方がないわ」


 先天的に魔力量が多い退魔師生まれであれば、必要最小限の魔力を練り上げるのではなく、魔力にある程度余力を持たせた魔力変換の方が、何度も魔力を変換する手間が減って済むのだ。


「私も必ず、苦手な魔法を克服してみせますわ……!」


 華燐の目に光が戻ったのを確認して、副担任は他の生徒たちの指導に戻った。破寮一年の担任と副担任んは、この日、食事までの時間を生徒たちの指導へと費やした。



 ……破寮の生徒は、他所の寮の生徒に比べれば基礎的な能力に乏しい生徒が多い。


 しかし、それは埋められない差ではない。

 

 あるいは、生徒たちよりも生徒たちの可能性を信じているのが、破寮の教師たちだった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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