第十話 上級魔法へと至る道
二部の10話です、
休憩を終えた海燕たちが教室に入ると、そこにはすでに金髪の偉丈夫が待ち構えていた。
金色の口髭を生やした体格のいい教師、白銀先生は、にこにこと人の好さそうな笑顔で生徒たちを見守っている。破寮生たちも先生を気にせず、授業が始まるまでの間雑談に興じていた。
(流石に魔法使って待ち構えるとかはしねぇんだな)
海燕の担任である黒羽真鴨と比較して、だいぶ常識的な白銀先生の姿を確認した海燕はほっと一息つき、八雲の隣の席へと移動する。八雲の前の席には喜吉がおり、八雲と駄弁っていた。
「じゃあ、あの結界魔法の開発者は君じゃないんだね!?」
「ああ。友達の瑠璃と文次郎だ」
「本当にいい友人を持ってるね君は。
こういう便利な魔法は、幾らあってもいい。よかったらまた教えてくれよ」
「その代わりに俺と戦ってくれるならな」
「それくらいでいいなら何度でも。……八雲君は本当に戦闘訓練が好きなんだね?対人戦なんてそこまで面白いものじゃないと思うけれど」
「いやいや、これが意外ともののけとの戦闘でも役に立つんだぞ。もののけは魔力をよく感じ取る連中が多いから、魔力での”引っ掛け”が通じたりするんだ」
「もののけとの戦闘で博打を打つことはできないなぁ……」
どうやら、喜吉は防音魔法を習得できたか、あるいは使用方法を完璧に理解したらしい。目に見えて陽気になっていて、海燕に笑いかける余裕すらあった。
「その様子だと上手くいったみてぇだな。よかったじゃねえか喜吉ぃ」
「やあ海燕くん。八雲くんの教え方が上手くてね。彼の防音魔法はそれなりに面倒な手順があったけど、ちょっと練習すれば再現できそうだよ」
「そいつはすげぇな。お前結界とか得意なのか?」
「仮にも四級の退魔師を目指しているからね。中級までの魔法なら習得できるように鍛えてきたつもりさ。
もっとも、今の僕で無理だったとしても、今よりも鍛え上げればいいだけさ」
海燕は内心で喜吉を侮っていたことを認め、素直に賞賛を送った。それなりの時間結界魔法を維持しようと思えば、高い魔力放出能力に加えて魔力を精密に制御する能力も必要だ。喜吉にはその二つが揃っていたのだろう。
言動の端々に己の実力に関する自信がうかがえることから、海燕は喜吉にも一目置くことにした。
海燕はさらに八雲にも話しかけようとするが、それは叶わなかった。授業の開始を告げる鐘の音が鳴り響くと、生徒たちは口をつぐみ、正面にいる白銀先生を凝視した。
「うむ、優秀ですな。流石は破寮生。私も教え甲斐があるというもの!」
にこやかな笑顔を崩さぬまま、白銀先生は堂々と授業を開始した……わけではなかった。
白銀先生は授業の前に、まずは自己紹介から入った。
「授業を始める前に、改めて自己紹介と参りましょうか。
私は”応用魔法戦闘術”担当の白銀前頭割綱。諸君と同学年の炉寮生の担任でもありますぞ」
白銀先生は丁寧に破寮生のことを一人一人見回し、視線を合わせながら話す。海燕と目があったときは鷹揚に笑っていた白銀先生の目が、八雲を見た時には笑っていなかった。
海燕の目は、白銀先生が一瞬、八雲に対して軽く会釈したのを見逃さなかった。
(……ああ……文次郎が朝の一件を報告したな……)
その態度で八雲は大体の事情を察する。
炉寮生である千里たちと、破寮生である八雲の私闘は本来は大問題だ。退魔師として規律ある行動を心掛けるのであれば、すぐに何らかの罰則が科されてもおかしくない。
(まぁ、大体俺が悪いで済む話だが……?)
八雲は、北の民である自分が罰を受けることはある意味当然だと思っている。それにしては、白銀先生の視線に敵意や害意がないことに違和感があった。いい年をした大人、ましてや教師であれば当然のようにそういった感情は覆い隠すものだが、社会的な悪である北の民に対してそれをする退魔師はまずいない。悪は裁かなければ周囲の退魔師や、下から見ている平民に対して示しがつかないからだ。だというのに、北の民に対して向けられる悪感情がないことに八雲は困惑していた。
(……?何だぁ?何か八雲だけ視線長くねぇか?)
一方の海燕は八雲に向けられる視線の理由がわからずに困惑したものの、とりあえず白銀先生の話に集中することにした。
「……私が担当する炉寮と、破寮とは代々競い合う関係にありますぞ。
わが炉寮は、伝統と格式を重んじ、優れた力を継承していく寮であり、破寮は新たな力を創造する寮でもある。
炉寮が叩き上げてきた土台をもとに、破寮が新しい戦術を考案し、破寮の戦術を学ぶことで炉寮もまた発展する。
二つの寮は、そうして友情を育みながら退魔師たちを鍛え上げてきたのです。諸君にも、健全な友情と退魔師としての仲間意識を持つことを望みますぞ」
(友情……?汐里先輩の話と違うじゃねぇか?
……幸之進先輩ですらよくあることって言ってたよな?)
海燕の脳内に、女子先輩の炉寮に対する罵倒が木霊する。
少なくとも破寮の女子寮長は、炉寮との友好関係を望んではいなかった。比較的温厚な態度だった幸之進先輩も、寮同士の諍いはよくあると言っていたのだ。
実際のところ、白銀先生の真意はと言えば。
(学生は学生らしく、平和を満喫する時間があっても良いのですからな)
純粋に、生徒のためを思っての発言だった。
白銀割綱という男がまだ海燕たちと同じ年だったころ、彼はこの学校に入学した。したはいいが、そのときは北の民との内戦の終盤だった。炉寮も破寮も威寮も、意見を違えている余裕などない。皆口を開けば北の民への恨みつらみや憎しみしかなく、それだけでまとまっていた。はっきり言って、”違う意見”など言える雰囲気ではなかった。
実力のある先輩たちが動員されては戦死し、同寮の知人や友人の親族が戦死し、白銀自身の母も参戦して行方不明になった。そんな地獄のような学生時代だった白銀にしてみれば、寮と寮で意見をぶつけ合って健全に争い、互いを高め合えるならば、これほど幸せなことはない。
(生まれた場所も育ちも、価値観も異なる人間同士が本心でぶつかり合える機会など、他にはありませんぞ。
……思う存分に青春を楽しむのですぞ、破寮生の諸君)
「ですよね!!やっぱりみんな仲良くした方がいいですよね!」
「鶫、ちょっと黙ってなって」
平民の身分から退魔師を志し、退魔師と対等な友人関係を育みたい女生徒、鶫は白銀先生の言葉を大いに喜んだ。挙手もせずに話すので白銀先生も驚いた顔をする。
(今年の破寮生は……癖のある生徒が多いですなぁ……癖のある退魔師ほど大成するか、早死にするかの二択。
心して教えねばなりませんな)
教師として白銀先生が指導できるのはわずか三年。その三年の間に、彼らに、彼らの身になる魔法を一つでも多く学ばせる。
若手教師の白銀先生はその決意を胸に、授業に臨んでいた。
「寮が違えど同じ退魔師。友情が成立する余地は幾らでもありますぞ」
鶫の発言を肯定し、白銀先生は更に言葉を続ける。
「この学校に合格した以上、ここでは諸君と我が炉寮の生徒は対等な同級生。諸君はこれから学校で退魔師としての技術、魔法、知識を交流し、互いに高め合って欲しいものですぞ。
育ってきた家の事情に縛られている炉寮と比べれば、破寮の諸君には、炉寮にはない自由がありますからな」
白銀先生の言葉はある意味で正しい。
威寮の女子生徒、唐草瑠璃のように、家を飛び出して自力で道場を見つけた行動力の化身はそうはいない。大抵の退魔師の子供は自分の一族が経営する道場や、その町一番と謳われる道場に入ることを義務づけられる。それに比べれば、破寮生の経歴は多種多様で面白みがあった。
だが、白銀先生の言葉に反感を持つ生徒もいた。
(選択の自由なんて、極貧の平民にはありませんけど)
(……平民出の退魔師にだって、自由なんてないわ)
(平民のことなにも知らない癖に、よく自由なんて言えるよな)
辰之助をはじめとした何人かの破寮生は、白銀先生や鶫の言葉を悪意を持って聞いていた。真っ当な学習環境が与えられていた退魔師と、そうではない平民出身の退魔師との差は根深い。薄暗く淀んだ気持ちを持っていた彼ら彼女らは、教師が生徒の学習意欲を煽るための言葉だと歯牙にもかけない。結局は、都合のいい理想論だと考えていた。
己の中で退魔師としての理想を追う気持ちは、入学試験の過酷さや、退魔師出身者と己との魔力量の差の前に折られてしまっていた。
そういった生徒たちは、何故わざわざ白銀先生が破寮生に発破をかけるような言葉を言ったのかを考えようとはしていない。
自分たちの中に可能性があることを知ろうとせず、導こうと手を差し伸べる大人のことを見ず、己自身の力で何かを開拓しようという気力もない生徒は、白銀先生の言葉を聞くふりをし、内容を頭には入れなかった。
そんなことは露知らず、白銀先生は満足そうに笑う。
「では、最初の授業を始めましょう!この応用魔法戦闘術では、上級魔法、結界魔法、捕縛魔法、連携戦闘術などの退魔師として必須の技能を諸君は学ぶことになりますぞ。これらは、かつて天才たちが到達した魔法の極意や、それを再現するために秀才たちが積み重ねた英知の結晶。これを早い段階で学ぶことができる諸君は、退魔師として私たちの時代より進歩していると言えましょう。なにせ私の時代には、入学したときに上級魔法を習得している退魔師は一人も居ませんでしたからな!
上級魔法を学べるのも、二年生になってからでした」
上級魔法、という言葉に平民出身の生徒たちがうめく。白銀先生はそのうめき声を聞いて生徒たちを安心させようと穏やかに笑う。
(文次郎の言ってた通りだったな!)
海燕や鶫、そして見依は、炉寮の文次郎からすでにその話を聞いていた。そのため、難易度を思い混乱しつつも腹をくくってその言葉を聞いていたが、いきなり上級魔法を習得しろと無茶振りを出された破寮生たちはそうではない。どよめきともうめき声ともつかない声をあげる。
豊葦の国における上級魔法は、道場で最も優れた生徒にだけ学ぶことが許されている。この学校に合格出来る生徒ならば、その指導自体は受けている生徒も多い。
問題はその難易度だ。
高度な魔力変換能力、魔力操作能力、魔力放出能力を要求される上級魔法の習得難易度は、他と一線を画している。上級魔法を習ってから、その習得まで一年以上かかる退魔師も珍しくはない。
使えるけれど実戦で打つと倒れたり、習いはしたものの会得はまだだったり、という生徒も少なくはなかった。
動揺している生徒の一人、日笠喜吉が挙手したが、その手は震えていた。
「せ、先生……一つ質問してもよろしいですか?」
「おや、どうかしましたかな日笠くん」
「半年…というのは私の効き間違いですか!?一年ではなく?」
「当然ですぞ。結界魔法や戦闘訓練技術、実技訓練から魔法具の扱いまで、諸君が覚えるべき魔法は他にも山ほどあるのですぞ?」
「得意属性以外も、ですね?」
喜吉が念を押して聞く。
合格者の中で上級魔法をすでに習得していた退魔師も、道場で習った得意属性の上級魔法であることがほとんどだ。
上級魔法には、その使用に膨大な量の魔力を消費する。適正以外の波長に魔力を変換すると、変換の分だけ魔力は消費されてしまうし、得意な属性よりその操作も放出も困難になる。
それは平民出身の退魔師にとって致命的だ。前提として使える魔力量が少ない以上、上級魔法の訓練に費やせる回数も退魔師出身の退魔師より少なくなる。
(相当頭を使って訓練しねぇと時間をどぶに捨てるだけだろぉな、こいつは。
得意な属性のやつ一つ習得するだけでも一年かかんだろ?
基礎を鍛え上げねぇと二つなんて使えっこねぇな)
海燕も内心で思案していた。
上級魔法を習得する上で、自分が今何をすべきか。自分に足りない能力と、そして、習得すべき上級魔法は何かを。
上級魔法を習得する上で、一つは得属性であることは確定している。問題はもう一つをどの属性にするかである。
例えば海燕は土属性魔法が得意で、水属性魔法が苦手である。となると効率面で、風か火どちらかの上級魔法を習得するべきとなる。
そして、使える状況や自分の能力と覚える上級魔法の相性も考慮する必要はある。自分では使わない上級魔法を習得しても、あまり意味はないのだ。宝の持ち腐れというやつである。
時間が有限である以上、よく考えて習得する上級魔法を選ばなければならないのである。
「当たり前ですぞ。単一の属性しか使えない退魔師など応用が利きませんからな。
諸君は、平民出身の退魔師を指揮し、その模範となる立場となるのですぞ?平民が窮地に陥ったとき、窮地を打開する能力を身につけなくてどうします?
己の得意属性で打倒出来ないもののけが現れたとき、猿のように尻尾を撒いて逃げるのですかな?前に出て足止めしている部下を置いて?
諸君の覚悟はその程度のものなのですかな?」
白銀先生の笑顔も、穏やかな口調も変わることはない。ただ、その言葉には退魔師として生まれ、退魔師として育った人間が持つ責任と矜持が感じられた。
弱きを守るために退魔師を目指している生徒たちは、白銀先生の言葉に己の初心を思い出していた。
(そんな、無茶苦茶な……!)
一方で現実を知り折れた生徒たちは、白銀先生の言葉に絶望し心を閉ざしていた。
「白銀先生の仰る通りです。ありがとうございました」
(そうまで言われて、やらなきゃ男じゃないな、これは!
窮地を打開出来てこその退魔師!そうだよ、僕はそうなりたかったんだよ!!)
喜吉は礼を言って着席する。椅子に腰かけた喜吉もまた、自分が習得すべき上級魔法について考えているようだった。
「他に質問はありませんかな?
ではお待ちかねの、上級魔法についての講義を始めますぞ。
さて諸君。
上級魔法とは一体何か、説明できますかな?分かっているものは挙手を。…ふむ、耳寄くんどうぞ」
鶫の隣に座っていた耳寄が立ち上がると、団子のようにまとめた黒髪も一緒に上に昇る。海燕はそれを見て、何となく黒胡麻をまぶした団子が食べたくなった。
「中級魔法に対して拡張性を持たせ、発展させた魔法のことです」
「さよう。例えば、火属性の上級魔法を例に挙げましょうぞ」
白銀先生は黒板に、灯→紅蓮→紅蓮紅臨、と魔法の名を記載していく。
「火属性の初級呪文”灯”は今更言うまでもありませんな。指先に火を灯すだけの魔法を、魔力量を増やし掌から放射してもののけへの攻撃用に発展させたものが、火属性中級魔法”紅蓮”となりますぞ。そして上級魔法”紅蓮紅臨”はその発展形ともいえる上級魔法なのですが……」
話し込む白銀先生は、ここでひとつ深いため息をこぼす。
「ここで一つ問題がありますぞ。”灯”や”紅蓮”にただ火属性の魔力を込めるだけでは、魔力の消費が膨大になってしまう。敵を倒したはいいが、己がそれに耐えきれず力尽きてしまう。負荷で身体を壊してしまうといった事例が多発したのですぞ」
「魔力酔いですか?」
「そうですぞ。戦場で倒れることは命にかかわりますからな。何としても改善しなくてはなりません」
海燕はその症状に心当たりがあった。
自分が操作できないような大量の魔力を一度に無理矢理消費しようとすると、操作しきれない魔力は、波長を使いたい魔法の波長のままとどまらず、暴走して持ち主の体を傷つける。そうなる前に、人間の体は悲鳴を上げて持ち主を止めようとする。
それが痛みや疲労、眩暈などの症状となって使い手を襲うのだ。
「ただ単に”灯”や”紅蓮”に使う魔力量を増やすだけでは、その負荷に耐えられる人間しか威力を底上げすることができない。聖属性の治療魔法で無理矢理体を治しながら戦うのも限界がありますからな。
魔力量がそこまで無い退魔師でも、強力なもののけに対抗する手段が必要でした。
そこで、豊葦の国中の退魔師たちは知恵を出し合って新しい魔法を開発しようと躍起になったのです」
白銀先生は黒板に東西南北の区域に分かれた豊葦の国の全体像を描くと、その中心である皇区のある一点を指し示す。
「あるとき、皇区で火属性魔法の専門家だった炎上家は、自分たちで開発した”炎輪”という中級魔法を開示して新しい上級魔法を開発したのですぞ」
「”炎輪”は自分自身を中心に、炎の輪を形成する魔法ですぞ。この炎の輪は、己の火属性の魔力と重なるように魔法によらない炎や、魔法による炎も飲み込んで己の火属性の魔力に変え、火属性の魔法の威力を底上げしてくれる性質を持っているのです。
炎上家にしてみれば言わば攻撃用の切り札ともいうべき魔法ですな。これを、”紅蓮”に転用しようとしたのですぞ」
そこで白銀先生は、人間の体の図を黒板に書き、腹部に輪を書き始めた。
「”紅蓮紅臨”は、まず火属性中級身体強化魔法”炎輪”を己の体内に作るのです。
炎輪の輪が、己自身の魔力だからできることですな。
生成したこの輪が消えないうちに、自分自身の火属性の魔力をこの輪の中に通しながら、己自身の魔力波長にとって最適な形で火属性の魔力を練り続けるのです」
(思ったより物騒だな!?)
海燕は内心でこの魔法を使っていた瑠璃に対して驚愕する。
体内で魔力を精製するだけでなく、まさか、効率よく魔力を消費するために魔法を一つ使っていたとは思わなかった。この理論ならば魔力消費の量も、魔力を変換する手間も減らすことができるが、それでもだし
それを戦闘中にこなしていたのだから、驚嘆に値する集中力である。
「白銀先生。それって、無駄じゃないんですか?わざわざそんな危険なことをしなくても、普通に魔力を練ればいいような……」
(いや……危険ってわけじゃあねぇな。俺だって吸収魔法を使ってんだ……
自分自身の魔力なら危険はねぇ。
問題は体内で使うってのが面倒くせぇってところだな)
耳寄見依は改めて挙手して白銀先生に問う。単純な話で、体内で魔法を発動するというだけで普通に魔力を練るよりも手間はかかるのだ。
「そう思うでしょうなぁ。それが無駄ではなかったのですぞ。諸君は、危険な火属性の魔力を精製するにあたって、己自身の魔力波長を火属性の魔力へと変換しますな?」
「はい」
「その場合、変換した魔力の波長は、途中で元の波長に戻ろうとするのですぞ。それがかえって余計に魔力消費を増やすことになる。これを防ぐために、膨大な魔力が必要だったのです。
しかし…………」
白銀先生は体内の輪に魔力が集中する様子を詳しく書き込んでいく。みるみるうちに、足元から指先までかき集めた魔力が、腹部の輪に集中していく図が完成した。
「この方式では、”炎輪”によって、生成した火属性の魔力はそのままの状態で体内で留まってくれるのですな。己の魔力をある一点でとどめて維持するにあたり、この方式は非常に有用ですぞ。
何せ、最初に炎輪の精製をしておけば途中で無駄に魔力を消費することがない。それだけ体への負担も減るのです」
そして、と白銀先生は付け加えた。
「炎輪の枷は、体内にある以上よほど杜撰な魔力制御でもなければ暴発はしませんぞ。精製した体内の炎の魔力に、火と反応するよう連鎖する性質を持たせたことで、威力や射程、速度の減退効果を極端に減らし、魔力の消費効率を底上げしているのです。
……術者が気を付けるべきは体内に魔力があるときではなく、体外に放出したときですな」
そう言うと、白銀先生は黒板に大きく魔力の過剰作用、という理論を書きだした。
「”炎輪”によって格段に魔力制御しやすくなった”紅蓮紅臨”は、”紅蓮”と同じように中級魔法の要領で放出することが出来ますな。
ですがこの魔法、”炎輪”の性質を持ってしまっている」
やれやれ、と白銀先生はためいきをついた。
「己自身の魔力のみであれば、体外に放出した後も容易に制御可能ですぞ。しかし、”紅蓮紅臨”に近い強力な火属性の魔力と”紅蓮紅臨”が接近し、”炎輪”で制御できないほど魔力量が増大してしまうと、その炎が己の波長から変質してしまうことがあるのですな。これも、”魔力の過剰作用”となってしまう。
だからこそ、諸君には上級魔法の使い時を考えて欲しいものですな」
(……使いやすくはなったけど、危険度も増したってことか……
流石、上級魔法ってところか)
海燕は一言一句漏らさぬように気を付けながら、上級魔法の説明を記憶していく。
理屈通りに”紅蓮紅臨”を作り上げることが出来れば、”灯”に同じ量の魔力を込めるよりも遥かに強力な魔法となることは間違いない。それどころか、魔法自体の性質として威力が増大する仕組みとなっているのだから、”紅蓮紅臨”は更に強力な魔法へと発展する可能性もある。
魔法自体の伸びしろが増えているのだから、上級という言葉にも嘘偽りはない。よく出来ているな、と海燕は感嘆していた。
黒板に記される魔法の理論式を海燕たちは必死で追いかけ、記述していく。海燕はその公式の複雑さにうなり、その魔法の威力を思い出して震えていた。
自分自身の体で、上級魔法を吸収してきた海燕には体幹的にその恐ろしさは分かっていた。しかし今は、それを生み出した退魔師や習得した退魔師にも尊敬の念を抱かざるをえない。
理論が分かっていてもそれを実践できるかどうかでは、天と地の差があるのだから。
”紅蓮紅臨”は、魔力消費量を押さえつつ、灯火に魔力を込めた時よりも高い破壊力を出すことができる。それに加えて、持続時間も長い。
あらゆる意味で、灯火に魔力を込めるよりも魔法として優れていた。
「……この紅蓮紅臨をはじめとした上級魔法の優れた点は、ここからさらに発展性があることですな。上級魔法の更に派生となる魔法も、二年生になったときに習得して貰いますぞ」
(瑠璃の奴結構凄かったんだな……)
上級魔法一つで、更に強くなるための道筋が出来ていく。正しい理論を学び、それを実現するために正しく努力する。上級魔法を習得している生徒たちは、それを今の海燕よりも早い段階からやっていたのだ。
(負けねぇぞ。追いついてやっからな)
そこから更に、白銀先生は水属性上級魔法”泡沫飛沫”、風属性上級魔法”風衝風波”、土属性上級魔法”天岩井戸”についての理論を書き連ねていく。どれも難易度が高く、そしてそれに見合うだけの圧倒的な破壊力を持つ魔法だった。
「この力は人間が扱うには強大過ぎる。はっきり言って、同じ人間同士であっても絶対的な差をもたらしてしまうほどの、とても強力で恐ろしい力ですな。習得した後も慣れない内は、言霊を励起させ、制御には細心の注意を払って使用して欲しいですぞ」
呪文として定められた魔法名を詠唱することによって、使用者に一種の安志をかけ、魔力の制御を安定化させるという理論は一般的であり、当然でもあった。詠唱することなく魔法を使うのは、詠唱せずとも使えるほど習熟してからでよいのだから。
上級魔法の理論を全て話し終えた白銀先生は、筆がかさかさと動く音が響く教室を見渡していた。。
「……これで諸君にも、上級魔法の理論は伝わったでしょうな。
大量の魔力量を消費こそしますが、真っ当に努力し鍛え上げれば決して手の届かない魔法ではありませんぞ」
聞いている破寮生たちは、上級魔法の使用方法を頭に入れることで精一杯という風である。自分の先天的な得意属性である上級魔法については道場で習っていた生徒も多かったが、それ以外の上級魔法の理論ははじめて聞いた学生ばかりなのだ。
破寮生たちが筆を置いたのを見て満足げに微笑んだ白銀先生は、己の金色のひげを撫でると、威厳のある声で生徒たちに語りかける。
「二つの上級魔法を習得したとき、諸君らは今より強くなったと断言できるでしょう。
ですが、慢心してはなりません。この力を私利私欲のために行使し、罪なき人々を傷つけてはいけませんぞ。
我ら退魔師はこの力を、世のため他人のために扱うべきなのです」
海燕や八雲はその言葉を神妙な顔で傾聴する。生徒たちが自分の言葉を聞いていることを確認すると、白銀先生はなおも言葉を続けた。
「今更言うまでもないことですが、人は忘れる生き物ですからな。
改めて何度でも言葉を重ねて言いますぞ。私がこの力を諸君に伝えたのは、諸君のためであり、より大勢の人々のためでもあります。
諸君は栄えある皇区の退魔師であり、豊葦の国の守護者なのです。であるからには、それに見合うだけの覚悟が必要なのです。
もののけに屈さず、必ずそれを打倒するという強い意志。
皇区の退魔師であるからには、まずは何よりもわが豊葦の国の象徴である皇帝陛下を守るという忠義の心。
次に国を支える土台である平民たちを守るという義務。
これが何よりも大事なのですぞ」
(…皇帝陛下の次に平民、か。本当に高潔だな……)
八雲は驚いて白銀先生を凝視する。
皇区の退魔師にとって、皇帝陛下はいわば仕えている主君の更に上の存在だ。その次に来るのが退魔師ではなく、平民というのは珍しい。
たとえ建前であろうと、自尊心の高さからそれを言うことができない退魔師も多いのだ。
生徒たちに反応がないことを確認し、白銀先生は内心で
(やはり私の時代とは違いますな)
と、喜びをあらわにする。
白銀先生の時代に破寮生に対して士気を上げるために使われた常套句が通用しないということは、それだけ時代が豊かになった、ということである。
皇帝陛下の次に優先すべきものが平民である、というのは、自分の出自が平民である破寮生にとっては何よりも嬉しい言葉だ。
税を取られ、働いてはまた税を取られの繰り返しで豊かな生活から遠のく故郷が、自分たちの手によって守られる。そう確信することができるのだから。
この言葉が通用しないということは、国のため、皇帝陛下のために死ね、というだけだったかつてとは異なる価値観が形成され、時代が変化したという証拠だ。
内心で喜びを抱きつつ、白銀先生は現代の子供の気持ちを想像して言葉を続ける。
「諸君には、平民のご両親やご兄弟が故郷におりますな?
故郷にいる友人の顔を、今はっきりと思い出すことが出来ますな?
彼らのような護るべき大切なものを守るためにこそ、我々退魔師はいるのです」
(っ……)
海燕の胸の中の何かが、悲鳴をあげた。聞きたくないという思いをこらえて、海燕は最後まで白銀先生の言葉に耳を傾ける。
「諸君の働きが、ひいては己の故郷や家族や友人を守ることに繋がるのですぞ。
無論、頑張った分の報酬で、己の生き方を楽しむことも出来ますな」
「ただし、この力によって堕落し、周囲を省みずに横暴に振舞えば、必ず歪みが生まれる」
(……そうっすね)
痛みを抱えた胸中のまま、海燕は一人の退魔師の姿を思い浮かべた。
見北陽花という退魔師は、上級魔法まで習得していた。その難易度を説明された今ならば、彼女が高い実力を持っていたことも分かる。その力に溺れて慢心し、一年を棒に振ったことも。
力を得て、増長し、そして暴走すれば、その先に待っているのは破滅なのだ。
この時、生徒たちは気付かなかったものの、白銀先生は意識してあえて八雲のことを見ないように努めていた。
教師には、かけなければいけない言葉と同時に、かけてはいけない言葉というものも存在する。己の中で吟味した言葉を、慎重に選んで重ねていく。
「魔法によって社会の均衡を保ち、人々が健やかに日々を生きることができるように秩序を保つ。それが我々退魔師の成すべき役割なのです。
諸君はこれを深く心に刻み、実技訓練に挑んでいただきたい」
海燕も含めて、生徒たちは一言も発さずに白銀先生の話に聞き入っていた。
破寮生たちが力に飲み込まれ自分もろとも破滅するか、それとも……力を飼い慣らし、世のため他人のため、己のために何かを破壊できるようになるか。
なるべく多くの生徒を後者の方向に導き地と思いながら、白銀先生は六限の実技訓練のためにと生徒たちを誘った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




