第七話 基礎
「……いいかね諸君。諸君が支払った学費など、この学校を維持するために使われている税に比べればなんの足しにもならん。諸君がここにいられるのは、諸君のご両親を含めた大勢の平民たちの税によるものなのだ。
諸君には自らが退魔師であるという自覚を持って貰わねば困るのだ」
激怒した真鴨であったが、辰之助に対して怒りをぶつけるといったことはしない。ただ真鴨は、海燕たちが何のためにここにいるのか、ということを言い聞かせていく。
「私は教師として、諸君に退魔師の基本を叩き込むのが仕事だ。だがそれが諸君の血となり肉となるかは、諸君の努力と、自分自身に対する献身にかかっているのだよ。
明確な目標を立ててから提出したまえ」
そう言うと、真鴨は辰之助に一瞥もくれず授業に入る。真鴨の開設が進む中で、副担任の女性教師が辰之助に着席を促した。
「……さて、講義をはじめようか。
諸君には私自ら、退魔師としての基礎を叩き込むことになる。諸君たち破寮生は、三つの寮生の中では最も多く私の講義を受けることになるわけだが、それが何故か分かるかね?理解できているものは挙手」
誰も手を挙げない中で、すっと八雲の手が上がる。
「青葉八雲くん」
「三つの寮生の中で、俺たちが一番基礎が出来ていないからです」
「なにぃ!?」
八雲の言葉に、海燕をはじめとして何人かの生徒が怒って反応する。ほとんどの生徒が八雲の言葉の意味を頭でかみ砕いている中で、黒羽はひとしきり微笑んで生徒の反応を見たあと、一言だけ告げる。
「静粛に」
ぴたりと生徒たちが静まりかえる。黒羽は筆を魔法で操作しながら、自動で黒板に”基礎魔法理論”とだけ記入する。
「そもそも諸君は、退魔師としての”基礎”を本当に理解できているのかね?理解出来ているものは挙手したまえ。……丸刃鶫くん」
海燕をはじめとしたほとんどの生徒が手を挙げ、最前列に居た黒髪の少女があたる。羽根で指名された黒髪の少女は、元気よく発言した。
「魔力変換、魔力制御、魔力放出です!!」
「そう。それは、”魔力の三要素”だ。この三つはすべての魔法を扱う上で重要だ。
魔力変換が未熟な人間は多彩な属性の魔法を扱うことができず、応用の効かない退魔師となってしまう。
魔力の制御が未熟な人間は魔法を暴発させてしまう。
そして魔力放出が未熟な人間は、強力な魔法を扱うことができない」
黒板に魔力の三要素についての知識が書き連ねられる中、真鴨の説明は止まらなかった。説明を聞きながら、海燕は真鴨の言葉が正しいことを思い知る。
(確かに……俺がもっとまともな攻撃魔法を覚えていれば、試験のとき熊を倒せたか、そうでなくても撃退できたかもしれねぇ……神木との戦闘のときも……)
海燕は試験で死にかけた場面を思い浮かべる。どの場面も、八雲や文次郎という仲間が居てはじめてなんとかなったが、海燕だけでは攻撃力に欠けていた。基礎能力が足りていないと通知表にも書かれていたおで、ぐうの音も出ない。
「しかし、私が危惧しているのはそれだけではない。諸君に足りないものはそれだけではないのだ。これを見たまえ」
黒羽は、黒板の半分に魔法で上から順に88,81,68と数を書いた。
「これは上から順に威寮、炉寮、そして破寮生たちの学科試験の平均点だ。言うまでもないことだが、退魔師に学問が必要ないわけではない。任務終了後には報告書を作成し上司に提出する必要があるし、四級、三級の退魔師には広範囲のもののけに関する知識や、魔法に対する対応能力、薬物への知識、地学、数学の知識も必要となってくる。高度で複雑な結界魔法を扱うためには数学は必須知識だ」
炉寮とすら十点以上の差があるという事実に、海燕たち破寮生はうちのめされる。
(……つーか俺の平均点って……)
海燕は自分自身の点数を思い出して青ざめる。破寮の平均点より一点も低い六十七。これは間違いなく、学校で最低水準の学力ということになる。
さらに黒羽は言葉を続ける。
「なぜ学力が重要なのかは今更言うまでもないだろう。四級以上の退魔師は、五級、六級では太刀打ちできないもののけを排除するために存在するのだ。請け負うもののけは能力が高く、特定の魔法がなければ排除が困難なもののけも多い。そんなとき、半端な知識と劣悪な基礎能力しかなかった場合はどうなる?
死ぬのだよ。
未熟者が死ぬだけであればまだよいが、大抵の場合、五級、六級の部下を巻き込んで死ぬ。彼らの多くは諸君より幼い娘や息子を持っているだろうにな」
そこまで言ってから、真鴨は深く息を吸い込んで一呼吸置く。
「四級という地位には相応の重さがあるのだ。諸君はこれから、その重さを跳ね除けるだけの力をつけねばならん。力だけの退魔師は軽んじられるものだが、力すらなき退魔師など四級には不要だ。それを心に刻み込んでおきたまえ」
(そうだな)
八雲は心の中で真鴨の言葉に同意しながら筆を手に取った。
真鴨は筆先に込めた魔力で、黒板に書いた魔力の三要素、という字を分解し、元通りの黒板に戻す。
「では、どのように基礎を高めるか?それは常日頃の訓練によって高めるのだ。諸君は道場で基礎訓練など山ほどやった、と思っているだろう?
だが足りん。
そんな程度では、これから生きていく上での足しにもならん。
炉寮と比較してもまだ、諸君の基礎能力は未熟そのものなのだ。
諸君らが習得すべき魔法を教えてやる」
そう言って、真鴨は黒板に魔法を書き連ねていく。その速度は速く、海燕は全力で筆を動かし、魔法を記入していった。
(土属性中級魔法”石壁”、水属性中級魔法”氷盾”、風属性初級魔法”物体探知”、火属性初級魔法”熱探知”、夜間用視力強化”闇視”……)
覚えるべき魔法の数は多く、二十以上の魔法が次々と書き込まれ、その使用方法が筆によって黒板に書かれる。その度に黒羽はそれを実演しながら解説してみせた。
「水属性中級魔法”氷盾”は、水の魔力を制御し、変換した後で更に冷気の魔力によって水を凍結させ、凍結させた氷を”放出能力”によって操作することで動く盾になる。防御用呪文として土属性の”石壁”があるが、違いが挙げられるものはいるかね?……波止場海燕くん」
「押忍。石壁より防御範囲は狭いけど、動かせて小回りがきくって利点があります」
土属性魔法を多用する海燕からすると悔しいことだが、出した場所から動かすことができない”石壁”よりも、軽く、動かすことができる”氷盾”の方が便利な状況はある。
海燕自身、水属性の魔法を使いたくても使えないので、何とか”石壁”でやりくりしていた面もあるのだ。
「その通りだ。付け加えるならば、当然”氷壁”は”石壁”よりも防火性能に優れている。諸君らは最低でもこの二つを習得し、状況に応じて使い分けるくらいのことはしてほしいものだ」
真鴨の言葉に耳を傾けながら、海燕は焦っていた。海燕は水属性の魔法は苦手である。針の先程度の量ならば出すことはできるが、とても実戦で使えるものではない。
真鴨が示した魔法はどれもこれも難易度は中級以下だが、索敵や防御面において非常に有効なものばかりだ。
そして、黒羽が挙げた魔法の中に攻撃魔法はひとつも含まれていなかった。
海燕たち生徒が筆を動かす音が教室に響き、黒羽や女性の副担任は生徒たちが書き終えるのを見守って、黒板に描かれた墨の字を分解してしまう。
黒板は、また何も書かれていない状態に戻ってしまった。
「ここまでで理解できなかった部分はあるかね?あれば挙手したまえ」
誰も挙手はしない。それを見てから真鴨は黒板に新しい字を書き始めた。
「優秀だな。それでは、応用問題といこう。台風の日の深夜、突如発生したもののけを討伐した帰りに、周囲の状況が把握できないときに山岳地帯に一人取り残された場合、取るべき対策についてだ。結界魔法が使えない場合、今挙げた基礎的な中級魔法を用いてやりくりすることになる」
「この場合、退魔師はまず風属性魔法によって周囲の状況を確認すべきだ。しかし、その場は台風。風は流されて使い物にならず、地面はぬかるんで土属性魔法の効きも悪いものとする、そのとき役に立つ魔法が、己の気配を……」
(いきなり難易度があがってねぇか!?)
その後も黒羽は実際にあった事例をもとにして、有効な魔法を事細かに記していく。それはどれも中級魔法だったが、海燕はその中の魔法をあまり知らないことに気付く。
「……すげぇ便利なのに今まで知らなかったぜ。闇視魔法くらいは知っときたかった……」
海燕が思わずそう呟くと、前の席の男子もそれに同調した。
「うんうん、熱探知とかスゲー便利だよなぁ。すっげぇ地味だけど。道場じゃ教えてくれなかったぜ」
ざわざわと周囲の生徒が同調し始めるなか、真鴨は苦笑してため息を吐く。
「……嘆かわしいな。私の時代には、これらの魔法は必須だった。破寮生は入学した時点で、誰もがこの魔法を使いこなしていたのだが」
(知らねぇよ……いや、こんだけ便利ならなんで今教えとかねぇんだよ……)
典型的な昔を懐かしむようなおっさんの言葉に、海燕はどうしたものかわからなくなる。しかし、何故今は教えなくなったのだろうか。
海燕は土属性の魔法が得意だったので、師匠から探知魔法を教わった。しかし、周囲の破寮生の中には索敵用の魔法自体はじめてという生徒も少なくないようだった。
「私の時代?黒羽先生っておいくつなんですか?」
「いや突っ込むとこそこか?」
挙手もせずに鶫がそう問いかける。
「教える気はない」
「そんなぁ……」
しょんぼりと項垂れる 鶫をよそに、海燕は挙手して真鴨に疑問をぶつけた。
「じゃあなんで道場で教えてくれないんですか?これを覚えとけば、色んな状況でもののけに先手を取られる確率が減る。必須技能だと思うんですけど」
「教育方針が変わったのだ。諸君も、道場の成績上位者がほとんどだろう?何人かは”上級魔法”を習得しているはずだ。習得しているものは挙手したまえ」
真鴨はそう言うと、何人かの手が挙がる。その中に八雲の手もあった。
(!?おめーは持ってねぇって言ってなかったか!??)
「10年ほど前に、教育院は方針を転換した。学ぶ子供たちの意欲をかきたてるために、道場では生徒一人一人の”個性”。先天的な適性属性に合った中級攻撃魔法を中心に指導し、上級魔法の指導も解禁する、とな」
「何でそんなことするんすか?死んだら意味ないじゃないですか」
「答えは地味だからだ」
「……はあ?」
海燕の困惑をよそに、真鴨は大真面目に言葉を続けた。彼は全くにこりともせず、淡々と言葉を紡ぐ。
「自分の胸に手を当てて考えてみたまえ、特に男子諸君。
道場で上級魔法を学べると知ったとき、心躍りはしなかったか?
派手で攻撃力のある魔法こそ最高だと、思いはしなかったか?
反対に、地味な魔法など覚える価値などはないと考えた時がなかったと言い切れるかね?」
その言葉に、男子の多くは肯定の意味を込めて沈黙する。
魔法の練習は地味な作業だ。魔力を絞り出すように練り上げ、波長を適切な属性へと変換し、制御して、望みの形に変えて放出する。同じ苦労をするなら、派手で、見栄えのいい魔法を覚えたいという欲求がなかったとは言い切れない。
「いやそれで死んだら意味ないんですけど……」
という女子たちのもっともな言葉に、真鴨も大きく頷いた。
「しかし、現場の道場からはそれが求められていた。
力を求める人間にとって、地味で堅実な防御魔法や索敵、探知系の魔法よりも派手な攻撃魔法のほうが、”強くなった”という錯覚を起こし、達成感を得やすいからだ。実際それで、多くの道場は門下生を増やすことができた」
(……”錯覚”ねぇ)
真鴨の言葉を聞く海燕の心中は複雑だった。生存を優先して索敵魔法や、防御魔法を習得すべきという真鴨の方針には同意するが、あまりにも上級魔法を貶しすぎではないだろうか。
上級魔法にしろ、防御魔法にしろ、身につけた人間にとっては努力して得た力なのだ。そこに優劣はないはずなのに、それを過剰に貶されるのは不公平ではないだろうか。瑠璃にしろ文次郎にしろ、道場で一番になってはじめて上級魔法を学ぶ資格を得ることができたのだ、と海燕は思う。
真鴨は、だが、と言葉を続ける。
「あの山の試験で、諸君は上級魔法だけで生き残れたわけではあるまい。
どれだけ地味で無意味に見えることでも、まず生き残るために必要なのはその地味で堅実で、無意味とも思える工夫の積み重ねなのだ。それがあってはじめて、派手な上級魔法が生きる。
言い換えれば、上級魔法も、索敵魔法も、防御魔法も、生き残るための手段なのだ。そこを肝に銘じた上で、諸君はこれらの魔法を身につけて欲しい」
そして真鴨は、基礎魔法集と書かれた冊子を取り出した。
真鴨が羽根を振ると、その冊子は細かく分裂し、海燕たち生徒の手元へと舞い降りる。
「その冊子には君たちが覚えるべき魔法の理論と、解説が書き込まれている。読みたい部分を障れば解説文が出る仕組みだ。読みたくなければ、左上の罰印を押して消した前。寮で読み返したまえ」
真鴨がそう言い終わると、一限の終わりを告げる鐘が鳴った。
「休息の後、演習場に移動しろ。諸君には、今教えた魔法を習得してもらう」
真鴨はそう言い終えると、一人教室を後にしてしまった。真鴨が肩につけた黒い羽根を見ながら、海燕は八雲とともに演習場へと足を運んだ。
真鴨の時代と比べると試験で死んだ退魔師の割合は十倍くらいに増えてます。
もののけの不意打ちを喰らって死んでる受験生があまりにも多かったが故の嘆きでしょう。




