第五話 四ノ島の試験 束の間の休息
「ち、ちょっと待ってくれ!置いていかないでくれぇ!!!俺も同行させてくれ!あんたらに恩を返してぇんだ!!」
その場を去ろうとした三人を必死に呼び止める声がする。海燕が振り返ると、傷だらけの黒髪の男が走って駆け寄ってくる。黒髪の男の背丈は海燕と同じくらいだが、渦巻く髪が風に揺れて海燕よりも若干背が高く見えた。
「ならさっきの魔法でもう十分恩は返してもらったよ。俺たちは先を急ぐんだ!」
「そうだ!それにあんた怪我人だろ!?無理すんなって!」
八雲と海燕がツッコミを入れるように、そもそも黒髪の少年はもののけにやられた怪我が治り切っていない。
瑠璃が傷口に生薬を塗り、清潔な布でひふを保護するという応急処置をしたものの、無理に動けばすぐに傷が開くのは明白だ。試験を続けるのではなく、試験を諦めて試験官に救助されるのを待つべきだと八雲は思っている。
八雲は自分を善人だとは思っていなかった。だから、無理だと思った人間は置いていく。これが巻き込まれただけの平民なら下山してでも助けるべきだが、試験のために集まった退魔師が相手ということもあり、八雲の反応は芳しくなかった。
「だ、だけどよぉ!このまま黙って見送っちゃぁ、俺は何のためにここまで来たのか分かんねぇんだよ!俺は……俺は助けられる平民になりに来たんじゃねぇ!人を助ける退魔師になりに来たんだ!」
その言葉を聞いて、八雲の表情がわずかに歪む。
「この試験で俺たちは鳥居を見つけろって言われた。これは単なる試験の合格条件じゃねぇ!お上からの”命令”なんだ!退魔師は、お上の命令を受けたらそれを遂行する!そういう仕事だろ!?」
「……言うじゃねぇか」
海燕は、黒髪の少年の言葉に恩を返そうとする意志と、退魔師としての職業意識を感じ取った。その二つを備えているということは、海燕にとって男としても人としても、好感が持てるいい奴だと思える。
「うーむ」
(確かにこの人は私たちの命を助けてくれた人でもあるし。ここで死なれたら寝覚めが悪いのは確か……)
瑠璃は頭の中でそろばんを弾く。目の前の哀れな受験生を置いていくべきか、それとも進むべきか。彼女の頭脳は数秒とかからずに結論を出した。
「八雲くん、この人も一緒に行こうよ。このさきも大猪やもののけと遭遇することを考えたら、三人より四人の方がいいし、また私が間違った時、炎を止めてくれる人が居た方がいいし……」
八雲は迷ったが結局、瑠璃の説得に耳を傾けた。現実問題として、瑠璃の炎を消火出来る人間が必要ではあったのだ。
「そうか、分かった。確かに俺たちじゃ瑠璃の炎は止められないしな。文次郎、もしもの時はまたあの炎を止めてくれるか?」
「あたぼうよ!」
文次郎は真っすぐに八雲の碧い瞳を見つめ返した。
「分かった。よろしく頼む。ただし、体が痛みで動かなくなったらすぐに言うこと!試験が終わったらちゃんとした治療を受けてくれ!それが条件だ!」
「あぁ、分かってるぜ!」
「よっしゃ決まりだな!俺は海燕。よろしくな!あんたの名前は?」
そうと決まれば割り切りは早い。先ほど置いていこうとしていたのを忘れたかのように、海燕は男に右手を差し出した。
黒髪の男も右手を差し出して強く握手を交わす。
「俺は文次郎だ。必ずあんたらの役に立ってみせるぜ!」
「俺は……八雲だ。文次郎、何はともあれ、一緒に合格しよう」
こうして、文次郎を加えた四人は森の奥へと進むことになった。
それからしばらくの間、海燕たちは背の高い木々の間を慎重に通り、魔蜂や魔熊などのいくつかのもののけとの戦闘や、岩塩の採集などを行うと、空に見えた光も茜色に染まり始めた。
海燕たちに同行を申し出た文次郎は、夜に近づいて作業する間に、興奮した心が落ち着いてきた。と同時に、強引に加入を申し出た自分の言動を思い返して少し恥ずかしくなった。
平民出身者が退魔師を目指す。それ自体は、そうおかしい話ではない。寺子屋や道場で優れた成績を修めた人間に、道場や寺子屋の退魔師から声がかかって召し抱えられる、という話はこの時代、多い。数の減らないもののけの脅威に対抗する人材は、少ないよりは多い方がいいからだ。
しかし、平民から取り立てられる退魔師は六級や五級まで。これから自分が目指そうとしているのは、平民出身者の退魔師では太刀打ちできないとされる怪異やもののけに対抗する、四級以上のいわば生まれながらの退魔師たちの領域。それに追いつくために、退魔師の中でも選りすぐりの人間だけが通う学校に身を投じようとしているのだ。
この世界が平民にとっては雲の上の領域であるということを、文次郎は先刻身を以て味わった。
自分と同じ夢を抱いていた、黒髪の平民出身者たちの死体の山を見て。
(勢いに任せてついていきたいって言ったけど、生意気だとか思われてねぇかな……?)
もしも自分が不快感を与えていたのならば、早めに謝っておいたほうがいい。文次郎は一転して弱気になり、こんな言葉を口に出した。
「ところで……皆さんのうち、退魔師さんはどなたなんです?俺みたいな平民出が名前呼びしちまって良いんすかね?」
恐る恐る、文次郎は三人に声をかける。森の探索に勤しんでいた三人は、作業を止めて文次郎に向き直る。いきなり敬語を使ったのは、三人が三人とも、高い魔力を持つ人間特有の鮮やかな髪の色をしているので、もしかしたら全員が退魔師の出自かもしれないと考えたからだ。
平民にとって退魔師というのは、恐れ敬い崇める対象である。
「八雲も俺も親が退魔師ってわけじゃねぇぞ。瑠璃は違ったか?」
海燕は瑠璃にそう聞く。瑠璃は弱弱しく笑い、自分の髪を弄りながら答える。
「ええ、まぁ。名字で呼ぶのは退魔師の習わしですけど。文次郎くん、あと海燕くんと八雲くんも、私のことは瑠璃と名前で呼んでください。私、苗字で呼ばれるのはあまり好きじゃないんです」
「何だぁ?退魔師はそんなこと気にすんのかよ。あ、文次郎、俺も海燕でいいぜ!みんな名前で呼び合えばいいじゃねぇか。堅苦しいのは、この際なしだ!」
海燕は雑に文次郎の肩をたたく。
「異議なし。これから短い間ではありますが、一緒に試験を突破する仲間なんですから。誰が上とか下とかで一々揉めたくはないですし」
瑠璃は、海燕の提案に笑顔で賛同する。その笑顔に文次郎は見惚れた。
(なんて優しい奴らなんだ……!)
文次郎は感激のあまり目に涙を浮かべる。退魔師といえば血も涙もなくもののけを狩り、平民からは税を絞れるだけ搾り取る冷血漢の集まりだと思っていたのに。
「おいおい、大袈裟だぞ文次郎」
(まぁ、出会ってばかりで打ち解けるっていうのも難しい話だよな)
八雲は、二人の意見に賛成しつつ、自分なりに考えて意見を述べた。
「文次郎は下手に出ることなんてないぞ。上級魔法なんて俺もまだ使えないし、俺が育った町の退魔師も使えない奴ばかりだった。それが使えるってことは、文次郎は優秀な退魔師になれるってことだ。自信を持てよ」
「お、おう!……へへ、確かに俺、地元じゃ天才って呼ばれてたんだ」
(持ち直したか)
八雲が文次郎の様子を確認したとき、海燕が話題を切り替えた。
「ところでよ皆、文次の話じゃ、俺たちより先に行った奴も居たらしいな」
「ああ。俺たちもあいつらに続けって魔力探知を怠って、うっかり大猪に遭遇しちまったんだ。周囲に縄張りだっていう目印もあったってのに……」
「……私だってそういう目印を見落とすことはあります。はじめて入る山なんて、間違えることは誰にでもありますよ」
「今のところ、あれから人の遺体はなかった。彼らはいい所まで進んだのかもしれないな」
「……それなら、早く行こうぜ! あいつらに先を越されちゃいけない!」
(俺を手当てしたせいで遅れたのかも……!)
遅れるのが自分だけならばまだしも、自分の恩人たちまで試験で不利になってしまうのは文次郎にとって面白くない。文次郎は俄然張り切って前進を主張した。
「まぁ、落ち着けって。焦っても仕方ないだろ? それに、この森は広い。闇雲に探してても時間が掛かるだけだぞ?」
「陽も暮れてきたしなぁ……」
海燕がそう呟くように、先刻まで登っていた日も没し始め、周囲は暗くなっている。
「何か鳥居への目印とか、手掛かりでもあればいいんですけどね。例えば、枝に巻き付けた布とか……先行した人たちが目印替わりにしていないでしょうか」
瑠璃は初級火属性魔法”灯”を使い、指先に小さな炎を出して周囲を照らしてみるが、特にこれといって変わったものは見当たらない。
瑠璃の出した炎によって照らされる木々と、地面や削り取られた岩が見えるだけだった。
すると、海燕は突然立ち止まり、その場に座り込んでしまう。
「どうしたんだ? 急に立ち止まって……」
「何か毒でももらったのか海燕!?」
「……」
八雲も文次郎も急に止まった海燕を心配して駆け寄る。
「お前らも座れよ。今日はもうここで休憩しようぜ。試験は三日あるんだ。日も暮れてきたのに無駄に体力を使って、魔物の奇襲を喰らうのは避けてぇ」
「そうだな……。俺も少し疲れたし、休もうか」
海燕の提案に真っ先に賛同したのは、八雲だった。彼も抱えていた荷を外すと、土属性魔法で簡単な椅子を作り、そこに腰掛けた。
「おい、なんで二人ともそんな落ち着いてられるんだよ! 今すぐ追いかけないと他の連中に先を越されちまうぞ!」
「……そうですね。文次郎くんの言うことも一理あります。ですが、勝負はまだこれからです」
瑠璃は優しく文次郎を諭す。
「試験の評価が恐らく先着順であると仮定するならば、確かに急ぐ必要はあるでしょう」
「まぁ、十中八九先着順だろぉけどなぁ」
どの業界でも、仕事を手早く行える人間は評価されるものだ。海燕はうんうんと瑠璃の言葉を肯定する。
「ですが、退魔師の諺に”生き急ぐ者は眼前の鬼に気付かない”というものがあります。たとえ時間がかかっても、確実さが求められる仕事というものはあります」
「瑠璃ちゃんがそういうのなら、そうなのか……?」
まだ迷っている文次郎に対し、瑠璃は更に説得を続ける。
「この実技試験は確かに重要でしょうが、仮にそれだけならば筆記試験をした意味がなくなります」
「あー……」
「この実技試験の合格順だけでなく、筆記試験の成績。試験官がその二つを加味して判断してくれることを期待して、私たちは今、休むべきです」
瑠璃も八雲も落ち着いた様子で地面に腰を落として、水属性魔法で作った水を火属性魔法で沸かし、水分補給をしている。
文次郎は自分も座るべきかどうしようか迷った結果、見張りをすることに決めた。文次郎は自分の未熟さを実感すると同時に、瑠璃たちの落ち着き様に尊敬を覚えた。
(これが退魔師かぁ……)
まだまだ覚えることは沢山あるな、と文次郎は学び続けることを心に誓った。




