第四話 四ノ島の試験 上級魔法
八雲たちは瑠璃の指示を頼りに、目指すべき場所へと向かって走り続けた。八雲が邪魔な草木や木の枝を薙ぎ払い、寄ってくる小型の妖は海燕の魔法で追い払い、全速力で森を駆ける。
「どっちだ瑠璃!」
「左です!!もう金属音が止んでしまっています!」
(……間に合わねぇかもしれねぇな……!)
瑠璃が音を感知して三人が走り出してから、既に半刻の時が過ぎている。自分たちが到着したころには、もう、全てが終わっているのではないか。そんな疑問を振り払うように、海燕は一心に足を動かした。
「あそこだ……!!」
「誰か生きてるか!?生きてたら返事をしてくれ!!お願いだ、誰か無事か!」
三人が辿り着いた先は、先ほどまでいた樹海よりも開けていた。陽の光も射さぬような樹海ではなく、木々の間隔が広く開放感のある場所だといってもいい。
周囲に切り刻まれた人間の死体や、戦闘の余波で物理的に切り倒された木々、魔法によってぬかるんだ地面などがなければ、だが。
海燕たちがその場所に到着したころには、周囲はわずかなもののけの遺体に混じって、何人もの遺体で血塗れとなっていた。瑠璃は辺りに散らばる受験生たちの強力な魔法であらぬ方向に曲げられた体を見て顔を青くする。
(とうとうこの試験で、死人が出てしまった……)
瑠璃とて末席ではあれど、退魔師の家に産まれた女である。
―――――――――退魔師である以上、もののけとの戦いで死ぬ覚悟は出来ている。
少なくとも自分はそうだと思い込まなければ退魔師などやっていけない。だがそれでも、同じ決意を持って挑んだであろう受験生たちが、苦悶と無念の表情を浮かべながら息絶えている姿を目にした時、瑠璃は腹の底から湧き上がってくる不快感を堪えるのに精神力を必要とした。
「……人の魔力がある!」
「どこだ?」
「あの木の裏だ!」
海燕はその場所に到着した時から、死体の山には目もくれず、生き残っている人間が居ないか周囲を魔力で探索していた。生きた人間の持つ魔力は、命の持つ輝きとなる。魔力を集中させた翡翠色の瞳には眩しく見えるのだ。
海燕が指さした大樹の陰には、黒髪の受験生が背中を預けていた。顔面は蒼白で、全身が濡れている。よく見れば、顔には火傷の跡があった。火を消そうと自分に水属性の魔法をかけたのかもしれない。
「おい、大丈夫か……?」
八雲は慎重に男を助け起こし、声を掛けるが反応はない。
「海燕、瑠璃。治癒魔法は使えるか?」
二人は首を横に振る。治癒魔法は、高位の僧侶や熟練の退魔師が使える超上級魔法だ。海燕はその方法すら知らないし、瑠璃も魔力操作技術の問題で修得できていない。
「実は俺も無理なんだ。……仕方ない。瑠璃、さっき薬草を採ってたよな?火傷に効くやつってあったか?」
八雲の問いかけに、瑠璃は安堵の表情で答える。
「それならあります!とっておきの薬を煎じておきました!」
「ちょっと待てぇ二人とも!やべぇのが来てるぞ!八雲!そいつ動かせるか!?」
と、その時、海燕は自身の魔力探知範囲内に尋常ではない魔力を感知した。大きさから言って人間ではない。恐らくはもののけの放つ強力な魔力が、海燕に命の危機を伝えていた。
「いや、今はまだ動かせない!瑠璃!こいつの手当をしておいてくれ!俺と海燕が戦う!いざとなったらお前だけでも」
その時、八雲は瑠璃の瞳に強い拒否反応を見た。
(それは、駄目です。それだけは、命の恩人でも許しません)
退魔師は人を守るために魔物、もののけと戦う仕事である。
……その退魔師が、けが人や仲間を見捨てて自分だけ生き残れというのか?
「いや、俺と海燕で前衛を務める。瑠璃は後方から援護だ。できるな?」
「任せて……!」
「よし、いくぜッ!!」
海燕は木製の槍を構えて、迫りくるもののけを迎え撃つべく前へと飛び出す。八雲も木刀を抜き放ち、後を追った。
「グオオオォォン!!!」
大地を震わせるような雄叫びを上げながら現れたのは、全長二間はありそうな大猪だった。その牙にはべっとりと赤いものが付着していた。
「……こいつぁヤべェ!”柔石”!!」
海燕は突進せんと全身に回していた魔力を切り替え、咄嵯に土属性の魔法を唱えた。海燕の魔法は慎重に歩みを進めていた大猪の足元に到達すると、今まさに突進せんとしていた大地を柔らかくほぐす。
あの巨体の猪に海燕の直接攻撃が通じるとは思えない。ならばせめて、あの巨体が暴れられないように立ち回らなければならない。それが海燕の判断だった。
「ガァ!?」
大猪は足元が突然崩れたことに驚いたのか、大きくよろめいた。その圧倒的な体躯による体重が、仇となったのだ。
「よっし!!」
八雲は大猪の左側面に回り込み、魔力を纏わせた木刀を振りかざす。恐らくはどこかの流派の流れを組むだろう美しい斬撃が、迷いなく大猪の左肩を捉え、硬い皮膚を裂き、その骨を断った。
だが、大猪も黙ってはいない。怒りの雄たけびと共に魔力を全身に纏わせると、その体毛を針のように硬化させる。さらに、その針を攻撃してきた八雲へとまき散らす。
「八雲逃げろ!」
が、八雲はその針を木刀の一振りで弾き落とした。直撃すればただでは済まなかっただろうが、八雲にとっては大した速度ではないらしい。
そして、大猪の注意が八雲に向いているということは。
「海燕、頼むぞ!!」
海燕にとっての好機でもあった。
「任せろ!!!」
八雲が斬りつけた大猪の左肩へ向けて、海燕が中級火属性魔法、”木洩火”を灯した木の枝を放つ。
「喰らえやァッ!!」
木の枝に灯した赤い炎が、大猪の傷口に勢いよく着弾し、辺り一面に肉と木の焼ける匂いが漂う。
木漏火は、高い魔力を持つ木を燃料として、炎の威力を高めている。
(負傷した部位に直撃したんだ。無事じゃ済まねぇだろ!?)
だが、海燕の予想に反して、大猪はそれで終わらなかった。”柔石”で思うように動けず怒り狂った猪は、巨大な顎門を全開にして、海燕に向けて水属性初級魔法”水泡”を放つ。
大猪によって放たれた”水泡”は、体内の魔力を少量の水へ変化させ水を放出するだけの魔法だ。人間ならば日常生活で使う程度のもので、間違っても戦闘用ではない。
にもかかわらず、その初級魔法だけで、海燕の背後にあった大木は呆気なく押し倒されてしまう。
「な……」
(なんて威力……!)
離れた場所で受験生を介抱していた瑠璃は、その魔法に込められた魔力量に戦慄する。根本的に、人間ともののけでは魔力量が違うのだ。だから、簡素な魔法でも人間の放つ中級魔法並の威力が出せてしまう。
瑠璃がそんなことを考えている間にも、大猪は何度も魔法を放ち続けている。
(このままじゃ…八雲くんはまだしも…海燕くんが危ない……!)
八雲は大猪の背後から斬撃を叩き込み、大猪に深手を与え続けている。八雲の魔力によって太刀のように鋭利な輝きを放つ木刀が、大猪の肉を削ぎ、骨を断つ。あの様子ならば、大猪を仕留めることは出来るだろう。
問題は海燕だ。手負いの魔物は、死ぬまでにせめて人間に報いをと手近な敵を殺そうと足掻いてくる。
手負いのもののけが、一番怖いのだ。
瑠璃は負傷者の治療を中断して、急いで大猪の元へと駆け出す。
瑠璃の切り札である、”上級魔法”のための魔力を貯めながら。
「海燕くん!!」
瑠璃は大猪の注意を引くために、わざと大きな声を出して叫ぶ。
「瑠璃か!?怪我人がいるんだぞ、早くそっちに行け……!」
「八雲くん、聞いて……!あの猪はもう長く持たない……あと少しで死ぬわ…!
だけどこのままじゃ海燕くんが……!?」
そこで瑠璃は、信じられないものを見た。
中級魔法並の威力を持つ魔法が直撃したはずなのに、無傷で立つ赤毛の少年を。そして瑠璃は、彼がまだ戦意を失っていないことも確認した。彼は今も、土属性の中級魔法”柔石”を使い、自分に接近しようとする大猪の動きを妨害していたのだ。
その姿を見て、動揺しながらも瑠璃は確信する。
今ならできる、と。
「八雲くん、ごめんなさい……!そこを離れて!とどめを刺すわ!」
瑠璃はいざという時のために練り上げていた魔力を解放する。自分の身体に流れる血流を意識して、その流れに乗せて練り上げた魔力を炎へと変換し燃やし続ける。血を滾らせるように魔力を燃やし、己の出せる限界を超えた炎を作り上げる。
「おい、瑠璃!?何だその魔力……!?」
海燕はその魔力の量に驚いた。これまで海燕が使ってきた中級魔法とは、比べ物にならないほどの魔力が練り込まれている。
「海燕くん、私を信じて……!」
「……わかった、任せるぜ。八雲ぉ!そこどけぇ!」
「おう!」
海燕の言葉に、八雲は力強く返事をして大猪から離脱する。
「グオォン!!」
その瞬間、怒り狂った様子の大猪が八雲へと突進する。その牙は八雲の木刀で折られ、全身は傷だらけで、足場は不安定。それでもなお、その巨体からは想像もつかない速度だった。
「させない……!!”紅蓮紅臨”!!」
しかし、その攻撃は瑠璃によって阻まれる。螺旋を描く灼熱の炎が、大猪に着弾する。
その炎は、限られた人間にしか使うことを許されない”上級魔法”のひとつ。燃え盛る炎は大猪に着弾した後も衰えることなく、周囲の落ち葉を巻き込んで大猪の体を燃やし続ける。
「グルゥアァァァッッッッ!!!?」
炎に包まれた大猪は、苦しみ悶えるようにのたうち回る。
「やった……!」
「お、おお……?あれが上級魔法ってやつか……?」
海燕は初めて見る”上級魔法”の威力に驚愕し、大猪に追撃することも忘れて見入ってしまう。一方、瑠璃の方はというと、
(あぁ……やっぱり気持ちいい……。魔力を限界まで燃やす感覚は最高ね……!!)
自身の身体を流れる膨大な魔力を感じ取り、陶酔感に浸っていた。
”紅蓮紅臨”は、体内で混ぜ合わせた炎の魔力を極限まで高め放出する上級魔法だ。その原理は中級魔法と同じだが、通常は制御のために使う魔力を全て炎の勢いに変換した、己の身すら危うくなるほどの必殺の炎。そのため制御は困難で、今回のように体外に放出した時、既に別の炎が存在していた場合は、その魔力を火種として飲み込んで更に強力な灼熱の炎と化してしまう。
そう、海燕が与えた”木漏火”の火と合わさった、”紅蓮紅臨”の炎の魔力は、瑠璃にすら制御出来ない火炎へと変化しつつあった。
大猪を飲み込んで螺旋を描く火炎はどんどん勢いを増し、やがて大猪の姿が見えなくなるほどまでに燃え上がった。
「あはははははっ!!!」
瑠璃の高笑いとともに、火炎の勢いが増す。
「おい瑠璃ぃ!やりすぎだぞ!もぉ死んでるだろぉが!」
そう、海燕が叫んだ。
このままでは周囲の木々にまで炎が燃え移ってしまう。本来、水分を多く含む木々は中級の魔法でもそうそう焼けはしない。だが、上級魔法の火力となると話は違う。最悪の場合は山火事にまで発展してしまう恐れがあった。
海燕はそう思い、瑠璃の方に視線を向けると、八雲が瑠璃をひっぱたいて正気に戻していた。
「……え?あれ?ちょっと待って……まさか……!」
しかしその時にはもう遅かった。
瑠璃の表情からは先ほどまでの陶酔感は消え、声には焦りと絶望の色が見える。
「早く止めろ!」
海燕はそう叫ぶが、
「出来ない……!出来ないんです!魔力が混ざって制御できない!」
「!?」
返って来た言葉は、絶望だった。
上級魔法が何故、”上級”とされているか。
それは、その魔法の強力さと、使うことそのものに対する難易度。そして何よりも、その強力さゆえに発生する制御の難しさが原因である。
中級までとは隔絶した威力を持つ魔法は、万が一その制御が出来なければ使用した当人だけでなく、周囲の人間の命まで危険に晒す。
今回瑠璃が使用した”紅蓮紅臨”は、体内で極限まで魔力を練り上げ、練り上げた魔力を炎属性の魔力に変換した上で、更にその炎に魔力を注ぎ、体外に放出する際に爆発的に燃焼させる魔法だ。
中級までの炎属性の魔法において、炎属性の魔力を練り上げた後に炎を制御するために使う魔力を、火力強化のためだけに使用している。
そのため、上級魔法の中では使用する難易度も、魔力消費も低い。しかし、制御するには体内と体外の魔力をかけあわせて操作するという精密な調整技術が必要であり、少しの外的要因で不可能となってしまう。今回の場合は海燕が使用した”木洩火”の魔力を吸収し魔力が変化してしまい、瑠璃の魔力で制御できなくなくなってしまったのだ。
(どうすりゃ炎を止められる!?)
海燕は混乱した頭で縋るように瑠璃に声をかける。
「瑠璃ぃ!そのまま火炎を抑え続けろ!!」
「う、うん!」
(出来たらやってるんだけど!?)
そう言い返す余力もなければ、魔力もない。瑠璃は少しでも火炎を制御しようと、その炎の範囲を狭めるように魔力を制御する。
「八雲ぉ!?水だ!水魔法をぶっかけてくれ!!」
「もうやってる!」
八雲は既に中級水系魔法”水柱”を発動させていた。木の上から大急ぎで魔力によって水を生成し、上空から紅蓮の炎へと放出する。
「くそっ……!止まれよ!」
「八雲くん!?」
「大丈夫だ!俺は無事だから気にせず魔法を制御してくれ!」
しかし、八雲が放った水の魔法では、炎の勢いを少し弱めたに過ぎなかった。上級と中級の威力の差か、炎を吸収して燃え広がったせいか。
「海燕!俺は魔法が苦手なんだ!!水魔法で援護してくれないか!?」
ついに表情から笑顔をなくした八雲がそう叫ぶが。
「出来ねぇんだ!俺は水魔法なんて使えねぇ!!」
「はぁ!?」
八雲は驚愕した。平民だろうが退魔師の一族だろうが、道場なり寺なりで誰もが基本的な属性の魔法を学ぶ。まして、日常生活で使うような初級の水属性魔法であれば、使えてしかるべきなのだ。海燕は羞恥心で震えながら言葉を続ける。
「昔っからそれだけは出来なかった!今もできねぇ!…けどよ、土魔法で燃焼範囲を狭めるくらいはやってやるよ!」
海燕はそう言うと、土属性の魔力を使い地面に向かって両手をかざす。
「高石垣!!」
海燕が詠唱と共に魔法を発動すると、みるみる内に大地が盛り上がり、大猪の周囲を囲むように壁を形成した。海燕の切り札である中級の土属性魔法である。
「これで周囲の木には燃え広がらねぇ!!」
「あぁ!助かる!」
(……だが、それでも……)
炎の範囲が狭まったことで延焼の心配はひとまずなくなったが、炎そのものを消せるわけではなかった。
八雲が全力で水を与え続けて炎の勢いを弱めるころには、海燕と瑠璃は魔力切れで力尽きているかもしれない。もしそうなったら、その間は動けない二人を八雲一人で守ることになる。
「お、俺も…加勢するぜっ……!!」
その時、負傷して倒れていた黒髪の男がそう言って立ち上がると、先ほどの瑠璃に匹敵するほどの強大な魔力を掌に集中させ、一気に水を放出した。
「”泡沫飛沫”!」
水属性の上級魔法であるその水弾は、大猪の水泡や八雲の水柱とも一線を画す。濁流のような魔力を水分へと変化させ、それを極限まで圧縮した、”水の大砲”として両手から放つのだ。
炎に着弾した水弾は、標的を捉えると同時に轟音を上げて四散する。それと同時に圧縮していた水分が解放され、炎を掻き消すほどの大量の水が周囲へと放出される。その水圧により炎は完全に消え去り、大猪の骨だけが残された。
「へへ……。危なかったな」
「お前……傷は大丈夫なのか?」
八雲は黒髪の男を心配して声をかける。彼は自分たちが到着した時には、恐らくはあの猪によって深手を負っていたのだ。
「ああ。介抱してもらったから、大分楽になったぜ」
「……何はともあれ、ありがとうございます。助かりました」
精魂尽き果てた瑠璃がやっとの思いで黒髪の男にお礼を言う。
「いや、礼を言うのはこっちだぜ。命を救ってくれただけじゃなく、俺たちの仇まで討ってくれたんだからよ」
「い、いや?褒められるとなんか照れちゃいますね……」
「まさしくあんたこそ、俺たちが目指してきた退魔師様だよ!」
黒髪の男は感激した様子で瑠璃の手を取り、目には涙を浮かべていた。
「そ、それほどでもありませんよ!私はただ必死だっただけですし!」
「謙遜する必要はない。君はもっと誇っていいと思うぞ、瑠璃」
八雲が後押しし、
「おう!よくやった!スゲー炎だったぜ!」
海燕はそう言いながら、瑠璃の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
そして、既に遺体となっていた受験生たちを簡単な土魔法で埋葬した後、八雲たちは再び社を目指して歩き出した。
その場に黒髪の男を残して。
初級魔法……日常生活に便利な魔法。寺子屋で誰でも学ぶことが出来る。魔力量の多い退魔師の中には戦闘でこの魔法を使う人間も存在する。
中級魔法……もののけとの戦闘で使用する一般的な魔法。寺子屋や道場で平民も学ぶことが出来る。才能のある人間や努力家は魔力に乏しくても色々と使えるが、東西南北の地域と皇帝直轄の皇区に分かれる豊芦の国では地域によって出現するもののけの違いから必須とされる中級魔法の種類にもばらつきがある。
上級魔法……難易度や必要な魔力量の多さ、その強力さなどの様々な理由から、寺子屋や道場の指導者が見込んだ特定の人間にしか教えることを許されない魔法。道場の流派や地域によって違いがある。




