第三十八話 振り返り
「うお、たっけぇー。ヤッホー――――――!合格したぞっ―――――――――――!!」
「文次ぃ声がでけぇよ。耳に響く。にしても俺たち、滅茶苦茶高いとこに来てたみてぇだな……家がこじんまりして見える」
「まるで玩具ですね」
鳥居をくぐり抜けた海燕たちは、遮るもののない山の中腹から四ノ島の街並みを見下ろしていた。
海燕たちが降りた港を中心に広がる沿岸部の港町には、木と石で彩られた頑丈な建物が立ち並ぶ。魔力で強化した目で街並みを見下ろすと、大勢の平民たちが忙しなく商いに精を出しているのが見えた。
港から少し離れた農村集落には畑があり、そちらでも平民たちが魔法で鍬を動かしたり、水属性魔法で増水した水を抜いたりと日々の務めに勤しんでいるのが見えた。
「町にもののけの被害はなかったみたいね。良かったです……」
瑠璃は平和な街並みを見てほっと胸をなでおろす。
「……教師たちか、町の退魔師が対処したのか?それにしては戦闘の跡すら見えないな」
八雲ははてなと首をかしげた。
人々の生活圏内にもののけが入り込まないように、町や農村の周囲には擬上木が生やされている。この木は少量の水で育ち、獣型のもののけが嫌う成分を放つ上に、神木と違って攻撃意志を持たないため、人々の生活圏を守る壁としてよく用いられていた。
神木ほど気まぐれではなく、しかし上から人を見下ろして人を守る。疑上木も、豊葦の国の人々を守っている。
とはいえ、疑上木には神木ほどの抑止力はない。ニ、三匹程度のもののけならばまだしも、一日目の晩に森から逃げ出した千はあるもののけを退けることはできないはずだった。
「滅茶苦茶高性能の結界魔法を展開していたのかもな。陽花ちゃんがやったやつの超拡大版みたいなの。町を出た時はそんな結界があるって気付かなかったぜ」
「……そうだな。そうかもしれない」
(そんな結界、山にあったか……?)
八雲は文次郎の言葉に同意しつつ、頭の片隅で違和感を感じていた。学科試験の会場である寺の周囲にも、結界はなかった。文次郎がたとえに出したような物理的な結界ではなく、瑠璃が森で使ったような、もののけを遮断するための結界が展開されていたならば、八雲がその存在に気付かなくても不思議ではないのだが。
「短いようで長かったけど、これで試験も終わりかぁ。色々あったよな……」
文次郎には違和感などはなかったようで、しみじみと試験を振り返り、思いを馳せていた」
「熊に襲われて死にかけたり」
そう言う瑠璃の表情は暗い。瑠璃の体には未だに魔熊の脅威が沁みついていた。
「夜営して死にそうになったり」
海燕も瑠璃の言葉に便乗した。海燕にとっての脅威は、最初に出会った魔熊だけでなく、轟音とともに暴走した大勢のもののけたちだった。他の試練は終わってみれば何だかんだと潜り抜けることができたが、夜営して結界を展開していなければ、問答無用で死んでいただろう。
「神木に殺されかけたり、ヒダル神に殺されかけたりな」
「死にかけてばっかじゃねぇか!?もっとないの!?穏やかで楽しかった思い出!?皆で協力して困難を乗り越えてきたじゃん!」
「道半ばでは苦しくとも、振り返ればいい思い出、というやつですよ。本当に、皆のおかげでここまで来れました。合格出来ていればいいのですけど」
仲間と共に困難を乗り越えたこの結末は、なんだかんだで瑠璃にとってもいい思い出になった。
最初と最後で少しだけ嫌なこともあったが、それでもこの試験を突破できたのだ。この経験は、必ず自分の糧にしてみせる、と思っている。
それでも、瑠璃は不安だった。
もし、これで不合格だったならどうしよう。
もしも、自分だけが不合格だったらどうしよう、と、頭の片隅でちらりと不幸な結末を考えてしまう。
(金剛くんは許してくれたけれど、私の指揮下で陽子ご暴走していらん手間が増えたんですよね…
どう考えても私の監督責任だよなあ。落ちたかなぁ)
試験中に試験を故意に妨害するやつを想定しろというのはあまりにもあり得ない仮定だと思う。それでも、問題を起こしてしまった以上は自分の責任だろうな、と瑠璃は思う。最悪の場合でも、せめて自分が落ちるだけにしてほしい、と瑠璃は思う。これでもしも、他のみんなまで落ちていたら。
もしもそうなった時に、どんな顔をすればいいのだろうか、と瑠璃は不安にかられていた。
「それを言わないでよ瑠璃ちゃん。俺もさ、実は受かってるかどうか自信持てないんだけど」
「あ、やはり文次郎くんも不安だったんですね」
「そりゃね。鳥居をくぐったはいいけどさ、特に何か起こるわけでもないし。てっきり試験官が待ってると思ったんだけどなぁ」
「他の受験生がいないのも気になるな。俺たちの前に合格者が居なかったとは思えないんだが…」
「合格か不合格は試験官の判断だかんな、俺らが気にしても仕方ねえだろう。最初の指示じゃ鳥居を見つけろってだけだったろ?ここで日没まで試験官を待って、来なかったら夜営、そんで朝に下山でいいんじゃねぇか?」
海燕はそう言って、土属性初級魔法”石固”で大きめの岩を四つつくり、ひとつを自分の椅子の代わりにする。
「んー、そうだな」
「賛成。試験官が来るまで暇をつぶそうか」
と、八雲たちも椅子に座る。
「ところで、私たち何の話してましたっけ?」
と、瑠璃がとぼける。
「この試験で楽しかった思い出だろぉが」
すかさず海燕が合の手を入れた。
「楽しかった思い出か。……うん、ヒダル神との激戦は楽しかったな。あんなにすばしっこいもののけは久しぶりだった。あとは、そうだな。千里さんとの戦いも楽しかったよ。みんなも何だかんだ言って、最後の戦闘は盛り上がったろ?」
「お、おう……」
(いや割それは冗談で言ってるんだよな?…何で瞳を輝かせてんの?)
文次郎にとっては最後の私闘は、思い出したくはないものだった。
「八雲よぉ……」
海燕は八雲を見てため息をつく。
「オメーが戦闘好きなのは見りゃ分かるけどよ。あの千里って奴とかには、もっとキレてもよかったと思うぜ」
海燕は腕を組んで八雲にそう言う。八雲の戦闘好きにたいして理解は示しつつも、八雲が受けた理不尽に対しては納得できていないようだった。
(いいですよ海燕くん。その調子でもっと言ってあげて)
瑠璃は海燕に同意しながら、会話の成り行きを見守った。
最終的に八雲を闘わせざるを得なかったとはいえ、本音を言えば瑠璃は八雲にはもっと自分を大切にしてほしいのだ。己の生き死にに頓着が無さそうな八雲のあり方は見ていて不安になるのだ。どういった形であれ八雲に死んでほしくない瑠璃としては、海燕を応援すれど、止める理由がない。
「そうか?随分とその話を引っ張るな、海燕」
「北の民だかなんだか知らねえが、お前は北の民である前に八雲だろうが。あいつらと対等な退魔師だろぉが。八雲だけ我慢するなんてのは理不尽だぜ」
「……理不尽、か」
八雲は顔を伏せて考える。
(……千里への怒りはないんだけどな)
不思議なことに、彼女が親への思いから起こした行動については八雲は何も咎める気にはなれなかった。そいて、北の民について千里や陽花が吐いたの数々の暴言に関しての感情を説明するには、八雲自身の感情と、北の民についての前提を説明する必要があった。
「……正直、俺は北の民が滅んだのは仕方のないことだと思ってるんだ。なあ海燕。文次郎、瑠璃。北の民について、皆はどう思う?」
海燕の言葉を聞いた八雲は、逆にそう問いかけることで自分の思いを説明することにした。
時を少しさかのぼる。
海燕たちが赤い鳥居をくぐって少し経ってから、千里たちも赤い鳥居をくぐり抜けた。背中に陽花たちを背負い、最後の試験を終えて晴れ晴れとした顔で鳥居をくぐる鶫や猿之助とは違い、千里は物思いに沈んでいた。
最悪で、最低の気分だった。
今すぐに宿に戻り、湯船につかって何も考えずに眠りたい。北の民のことも、試験のことも、自分の将来のことも、自分がこれまで背負ってきたものも何も考えず、ただ眠りたい。
そんな逃避的な感情のままに鳥居をくぐった千里だったが、その背中が急に軽くなるのを感じた。
「…あれ?……あれぇ?やっぱり居ないよ!?どうなってんの、ねえどうなってんの!?」
「ぼ、僕に聞かれても……千里さんは何かご存じですか」
千里たちが背負っていた受験生たちが、消えた。
千里が背負っていたはずの陽花も、いつの間にかーいや、赤い鳥居をくぐり抜けた瞬間に背中から消失した。
まるで、神隠しにでも遭ったかのように。
「猿之助。退魔師だからって何でも知ってるわけじゃねーんだ。健清はわかるか?」
「すまないが、このような事態は想定できなかった。こんな魔法があるとは思いもしなかったよ。無事だといいのだが……戻って探すべきだろうか?」
健清は背中に背負っていた成願が消えたことを心配し、後ろを振り向いていた。
「ほらな。こいつに分からねぇことがあたしに分かるわけねぇだろ」
「す、すみません」
「謝んな」
千里は猿之助を掌で軽くこづく。
「……どうやら、僕たちは引き返せないようだ。鳥居には、侵入禁止の結界が貼ってある」
「……何?」
「赤い鳥居をくぐった受験生が戻らないように別の結界を張ったようだな」
健清が難しい顔をして千里に言う。健清が赤い鳥居をくぐり引き返そうと足を踏み出しても、鳥居の先へ進むことはできないようだ。
「ど、どうしよう」
「どうもこうもねぇよ!あたしらじゃどうしようもねぇ。確かなことは、ここで時間を潰してても無駄だってことだ」
千里は頭に血を登らせながらそう言う。陽花たちには悪いが、明らかにあの鳥居が原因である以上、千里たちにできることがあるとは思えなかった。
「……うーん。そういえば、あの赤い人、海燕くんって魔法を吸収できるんだよね?あの人なら結界を通れるんじゃないかな?」
いつになく冴えていた鶫はそう提案する。
「鶫あんた、そんだけ頭を使えるんなら道中でもっと提案しろよ……」
千里はじっとりとした視線を鶫に向けた。試験中の鶫は千里に頼り切りで、こうして頭を使ったことはなかった。
「えへへへ~。照れるなぁ~」
「多分千里さんは褒めてはいないと思うぞ、鶫さん」
そして四人がとにかく先に進むしかないと、鳥居の先へと歩みを進めたとき。
千里は、八雲たちが岩に座っているのを見た。
「北の民だかなんだか知らねえが、お前は北の民である前に八雲だろうが。あいつらと対等な退魔師だろぉが。八雲だけ我慢するなんてのは理不尽だぜ」
「……理不尽、か」
赤毛の男、海燕と、千里にとって仇敵である北の民。八雲が会話をしていた。
「……正直、俺は北の民が滅んだのは仕方のないことだと思ってるんだ」
「!?」
その八雲の言葉を聞いたとき、千里は海燕たちに駆け寄ろうとしている鶫の口を抑え、木の陰に身を隠した。何故そうしようと思ったのか、千里にもわからない。




