第三十九話 過去、現在、そして未来
「北の民について、だぁ?」
「いや、いきなり聞かれてもな……」
(どう言えばいいんだよ!)
まさか北の民本人を前にして、『皇帝陛下に楯突いた反逆者です怖いと思ってました』、なんてことが言えるはずもない。文次郎はどう言うべきか悩み、口を閉ざしてしまう。
文次郎は退魔師の出身ではないから、北の民が原因で身内に不幸があったというわけではない。それでも、反乱を起こして処断されたと聞いていい印象を持つことはできなかっただろう。
「まあ、どう思うって聞かれたらこう言うしかねえな。どうも思わねえ。そもそも、俺は北の民については何も知らねえからな」
一方で、海燕にはまったく遠慮というものがなかった。
「道場のジーさんが歴史の講義で、10年前にやっと内乱が終わったってことを言ってたくらいだ。そんとき北の民云々なんてじいさんは言わなかったぜ。一昨日の歴史の試験にも北部内乱があったってことは出たけど、それが北の民云々なんて書かれちゃいなかった。知らなかったぜ、俺は」
「え、そんなもんなん?」
海燕の言葉に一番驚いたのは文次郎だった。平民でも、北の民の恐ろしさは知っている。悪いことをしたら北の民がくるよ、というの悪童をしつける親の口癖だった。
もっとも、文次郎の親は北の民の容姿なんて知らないので、悪童への効果はなかったのだが。
「そうか、南部は北へ退魔師を送らずにすんだんだな」
八雲は海燕の言葉に、満足げに頷いた。北部と南部とでは、皇区を挟んで距離が開きすぎている。海路で移動しても、必ず東部か西部どちらかの港に寄港せねばならない。
だから北部の内乱も、他人事のように淡々と教えているのだろう。内乱の首謀者が北の民だったということも伏せて、ただの歴史の一部として。
八雲にとってはありがたいことだった。
「……北部の内乱は、一般的には北の民が突如として起こした反乱だ、と皇区で教わりました。私は…それに疑問を持ってはいなかったと思います」
「叛乱を起こしたのは紛れもない事実だからな。疑問を持つやつがいたらそれはただの陰謀論者だよ」
「そうですね。結局私たちは、大人の言葉を信じるしかありませんでしたし。ただ……」
瑠璃が育った皇区では、北の民の内乱鎮圧のために、大勢の退魔師が北へ送り込まれた。
北部で鎮圧できなかった反乱者を鎮めよう、と喜び勇んで出陣した退魔師たち。平民出身と、生粋の退魔師の区別なく送り込まれた精鋭たちは、みるみるうちに蹴散らされ、なんと半数が犠牲になったらしい。
北の民に対して、倍の人数を送った上での思わぬ大損害である。
退魔師たちを指揮した北征将軍は討ち死にし、西部、東部から援軍を要請した上で軍を再編して代理の将軍を擁立した。
やっとの思いで内乱を鎮圧したころには、最初に。北部へと旅立った退魔師のうちで戻ってこれたのは二割。再編時に送り込まれた新米退魔師はほとんどが死に、戻って来たころには歴戦の退魔師になっていたらしい。
瑠璃の両親は、そういった争いと関わることを避けるために中央とは距離を置いていた。だから出陣せずに生き残った。
だが、あえて戦火に身を投じて名を上げようとした瑠璃の叔父や叔母たちは、帰ってこなかったらしい。
「……数多くの犠牲があった、というのは本当でしょう。ですが、その犠牲をもとに教育制度が見直され、豊葦の国すべての道場で、上級魔法の指導を解禁するなどの変化もありました。大勢の、平民出身の退魔師が生まれることになりましたし、それによって救われた命もあったはずです。北の民との戦いは……無駄ではなかったと思います」
瑠璃としては、事実を否定せずに何とか北の民を擁護したかった。
優しい嘘をついて北の民を擁護することはできるかもしれない。それで八雲の気が晴れるならば嘘をつく価値もある。
だが、この話題を振ったのは八雲だ。八雲が望んだ以上、下手な嘘は八雲の心を傷つける恐れがある。瑠璃は八雲を傷つけることなく、事実だけで北の民を擁護したかった。
「本当にそう思うか?死んでいった人たちがそれで納得すると?」
「死者の鎮魂は、私たち生者の領分を超えています。死の先の幸福は神に祈りを捧げるよりほかにありません。……八雲くん、あなたが死者の恨みや、痛みまで背負う必要はないと思います。それをするのは、私のような退魔師の仕事ですよ」
瑠璃の返答には淀みがない。その言葉には、神社で育ってきた瑠璃の哲学から来る反射的な言葉だった。皮肉なことに、事実だけで八雲を諭そうとした彼女は今、信仰という想像でもって八雲の言葉を優しく否定しようとしていた。
ただ八雲を救うためだけに。
「ちょっと待った八雲。それは意地が悪い言い方じゃねぇ?」
文次郎はすかさず八雲につっこみを入れた。
「……そうか?俺はいつも、みんなからそう言われたが」
八雲はきょとんとした目で文次郎を見た。
(何だそりゃあ)
海燕はどんな環境だよと言いたくなったが、やめた。得意な環境で育ったのは海燕も同じだし、その全容も分かっていないのだ。
「そうだよ。亡くなった人の命を盾にしてあれこれ言うのってさ、この世で一番性格が悪い奴の言い草だぜ。こっちが反論できないように人質を取って要求を押し付けてるようなもんだ」
「……だが……」
(……俺がおかしいのか……?)
八雲は腕を組んで物思いにふけっていた。
「つーか八雲ぉ、おめーは何で北の民が滅んでよかったなんて言えるんだよ。お前だって北の民だろぉが。蛮族だなんだって言われてなんでむかつかねぇんだよ」
海燕は純粋な疑問でそう口にする。
「海燕くん、八雲くんは怒りを抑えているだけよ」
瑠璃は、八雲が見せた動揺を覚えている。後ろから撃たれて試験を妨害されて、動揺していないわけがないのだ。
ただ、理性でそれを抑えているだけなのだ。
「そうだ。だが……北の民のやり方を俺はどうしても肯定できないんだ」
「……そりゃ」
(反乱を肯定するのはまずいんじゃねぇの)
文次郎は、でかかった言葉を飲み込んだ。
「北の民が起こした内乱をされた側の立場で考えてみてくれ。
退魔師はもののけから人を守る仕事なのに、人を倒すか最悪殺すしかなくなったんだ。自分が遠征に出ている間、当然ながら自分のしていた仕事は誰かに引き継ぐことになるだろうが、次々と退魔師が死んでいくせいで後進の育成もままならない。結果として、自分の本拠地までもののけに荒らされたり、盗賊の被害を受ける羽目になる。
……そうだな。北の民は、陽花がやったことを更に規模を大きくしてやらかした、と思ってみてくれ」
「待てよそこでたとえに陽花出すのは反則だろうが!?」
「だから擁護できなくなるようなこと言うのはやめてくれよ!?」
(ま、また否定しにくいことを……)
彼女のせいで残業に突入した海燕と、心の底から震えながら成願という不良と対峙した文次郎はそれぞれ叫び声をあげた。
瑠璃は、北の民の内乱で起きた問題を想像して内心で頭を抱える。死んでも救われないが、仮に生き残ったとしても待っているのは荒れはてた本拠地と、山積みの仕事という絶望的な光景を思い浮かべてしまい胃が痛くなる。
実際に今半分以上もの退魔師が死んでしまっては、豊葦の国は立ち行かなくなるだろう。退魔師の仕事というのは予算を抑えるために常に最低限の人数でこなさなければならない。人員が半分減るということは、残った人員に仕事が何倍にもなって降りかかるという事態を意味するのだ。
「……だから、俺は正当な復讐心は肯定的に受け止めようと思っているんだ。退魔師として仕事をしていたら、戦いたいためだけに退魔師に喧嘩を売った北の民がどれだけ不味いか嫌って程分かるからな」
(まぁ、北の民の罪は消えないけど。そうしてれば)
自分の罪滅ぼしにはなるかな、と内心で八雲は呟く。
それを理解していながら、目の前に現れた千里に対して自制できなかった。
はじめて見た外の世界の強者に浮かれて、その心情を考慮しなかった。そして、今後も自制できる自信はない。時と場所を選ぶことはあっても、戦いをやめる気は八雲にはない。
だから自分が狙われるのも、北の民として扱われるのも仕方のないことなのだ。
「……」
(何を言えばいいんだよ……)
空気が、重かった。
文次郎は北の民を擁護することも、八雲を否定することもできなかった。
文次郎のように真面目に仕事をしてもののけから人を守ろうとしていた退魔師ほど、北の民に対する怒りは大きいのだろう、ということを、文次郎は肌で理解してしまったからだ。
北の民の反乱を自分たちに置き換えるなら、陽花のやらかしで八雲と海燕が死んでしまった上に玄武を倒すことができず、試験に合格できなかったようなものだ。当事者からは、未来永劫恨まれてもおかしくないのである。
「……関係ねぇな」
口火を切ったのは海燕だった。
「!」
「おめーが北の民を否定したくて仕方ねぇのは分かった。北の民が昔色々やったのは分かった。
でも俺には関係ねぇ!」
「ちょっと、海燕くん。言い方ってものがあるでしょう」
「……確かにな。海燕にか関係ないことだ」
「八雲、海燕には多分深い考えが」
「いいか!俺にとっての北の民はおめーなんだよ!昔いた誰かじゃねぇんだ!」
「……!」
海燕は岩から立ち上がって八雲を見下ろして言う。
「おめーはちゃんと人を助けてるだろうが!助けられるくらい強いんだろうが!!俺より強い癖になぁ、あんなアホ共相手に妥協してんじゃねぇよ!」
(何言ってんのお前っ――――――――――――!??)
海燕の口をついて出た言葉は嫉妬だった。文次郎は自分のとりなしが無駄になったことに愕然とする。
「ちょっと、落ち着いて海燕くん。熱くなり過ぎよ」
瑠璃の制止もあり、海燕はまた岩に腰掛けた。海燕の言葉を聞いたの八雲はというと、困ったように顔をしかめていた。
「別に妥協したつもりはないよ。ただ俺は」
――両親を思う千里の心を立派だと思ったから。
だとは、言えなかった。
「彼女とまた、戦いたくなっただけだ」
「やっぱり戦いが好きなんですね……」
瑠璃が八雲を見る瞳には、あきらめの色があった。
北の民について理解した上で、それでも戦闘が好きだと言い張れる人間をどうして止められるだろうか。
言葉で説得して無茶をやめてもらう、という発想が無意味だったのだと、瑠璃はこのとき理解した。
では、何をすべきなのだろうか。
「……そうかよ。分かったよ」
「だったらよ。俺が八雲より強くなって八雲と戦ってやる。それなら、もう無理して妥協する必要はねぇだろ」
「おい、八雲より強くって……」
それは無理だろと文次郎は言いたくなった。
海燕だって決して弱くはない。弱くはないが、今の海燕では八雲の速度には対応できない。
今の海燕は、ヒダル神に寄生され、弱体化していたた陽花相手にも苦戦していたのだ。八雲より強くなるというのは、いささか無謀な発言に思えた。
「……そうか!俺より強くか……!」
だが、八雲は海燕の言葉を疑わなかった。
海燕の言葉を聞いた八雲の瞳は、雲一つない青空のように澄み切っていた。
「だが、俺は今よりもっと強くなるぞ。それを想定してくれよ?」
「あたりめーだ。舐めんなよ?すぐ上級魔法を覚えて強くなってやる」
「じゃあ俺も上級魔法を習得しよう。文次、どっちが先に習得するか賭けるか?」
「え!?俺!?」
「俺に賭けとけ文次!!」
二人の間に流れかけた緊張感は、一瞬で霧散していた。
普段通りの雰囲気に戻った三人を見て、瑠璃は思う。
(……確かに過去は変えられないけれど)
それを関係ないと言える人間が一人いるだけで、世界は少し優しくなるのかもしれない。
そして瑠璃が立ち上がり、夜営の準備をしようと提案しかけたとき、瑠璃の周囲が黒く染まった。
上空から降り注ぐ黒い羽根が、瑠璃たちの視界を黒く染める。
「!?ぜ、全員、戦闘態勢!念のために羽根には触らないで!」
「何だ、敵か!?」
満身創痍の中で魔力を放出し、戦闘に備える四人。
彼らの前に、羽根とともに一人の男が舞い降りた。
その男は、深い皴の刻まれた顔にふてぶてしい笑みを浮かべ、羽根に乗って海燕たちを見下ろしていた。
四人はその男の顔に見覚えがあった。
試験官だ。
受験会場に居た、試験官がやって来たのだ。
試験官の男はす、と手をかざし、黒い羽根を海燕たちのもとへと降下させた。
男の一挙手一投足に、周囲の視線が釘付けになる。
海燕は、この試験を考えた試験官に色々と言いたい事があった。
受験生の命を軽んじる理不尽ともいえる数々の試験。事前に言われていない最終試験。他にもまだまだ沢山言いたい事はあったのに、男が手をかざしただけで、その手に込められた流麗な魔力操作を見逃すまいと意識が集中させられた。
そんな受験生たちの視線を知ってか知らずか、試験官の男は淡々と言葉を発した。
「……青葉八雲。唐草瑠璃。金剛健清。波止場海燕。丸刃鶫。水戸文次郎。山門猿之助。竜胆千里。この場にいる以上八名の退魔師に、試験官黒羽真鴨の名において告げる。
合格だ。
……よく頑張ったものだ。おめでとう」
最後に小さく付け加えられた言葉は、歓声と悲鳴にかき消され、受験生たちの耳には届いていなかった。




