第三十三話 四ノ島の試験 残業
「千里さん……!」
水色の髪の退魔師、竜胆千里が、灰色の髪を持った北の民、八雲に敗北した瞬間。
これから始まる最終試験のために魔力を練り上げ、万全の体制で玄武を迎え撃とうとしていた三人の退魔師のうちの一人、黒髪で中肉中背の、どこか卑屈さを漂わせる男子、猿之助が、水色の髪の退魔師を案じて声をあげた。
(彼女の自業自得だろう……!)
そう言って舌打ちのひとつでもしたい気分をぐっとこらえ、白髪長身の退魔師、金剛健清は二人の仲間を叱咤する。健清は、水色の髪の少女とも、少女が引き連れていた二人の平民出身と思われる退魔師とも知り合ったばかりだった。
彼はたった一人でこの森のもののけたちを打倒し、あるいは回避しながら聖域までたどりつき、自分の持っていた医学知識によって自分に憑りついていたヒダル神を初期段階で根治したうえで、地蔵によって森を彷徨いながらもなんとかここまでたどり着いた。たった一人で試験の大半をくぐり抜け、鳥居の直前で出会った成願たちや千里たちと競って鳥居をくぐったら、思わぬ騒動に直面する羽目になってしまったのだが。
健清以外の二人は、千里に率いられることで森を生き延びてきた退魔師だった。試験を放棄する気まではなさそうだが、千里を見限ったというわけでもなさそうだ。
「二人とも!他人に気を取られるな!僕たちは試験に専念するのだ!鶫さん、玄武が動き出したぞ、顔へ向けて突っ込め!僕が必ず守りぬく!!猿之助くん、君は中級魔法で道を切り開け!」
「ど、どの属性の魔法がいいですか……!?」
猿之助の動揺した声が響く。
「君に任せる!大丈夫だ、猿之助くんのやり方でいい!」
(くそ、やはり即席の集団では試験突破など不可能なのか……!?いや、ここまで来たのだ!全力を尽くす前に諦めてどうする!)
健清は猿之助を落ち着かせようと、なるべく冷静に、かつ頼もしく見えるように余裕ぶって笑ってみせた。
もっともその内心は玄武から漂ってくる魔力量の多さに冷や汗をかいていたのだが。
「ほいさぁ!つぐみちゃん、ちーちゃんの分まで暴れ回っちゃうよー!」
「あ、待って、ぼくはまだー」
猿之助の気持ちを汲んで待つような余裕は彼らにはなかった。その身を完全に復活させ、亀のような巨体に蛇のような尾を生やした式神―――――玄武が、大岩を漂わせ、行動を開始したからである。
膨大な魔力を解放しはじめた玄武のもう一つの顔ともいうべき大蛇は、健清たち三人のほうを向いていない。大蛇は無抵抗の獲物を狙う鉄烏子のように、健清たちの後ろに向けて上級魔法を放出していた。
(一体どういうことだ?)
と、健清たちは疑問に思ったが、自分たちに被害が及ばない以上、その原因を考えるのは後でよかった。
「そりゃあああああああああ!」
黒髪を少年のように短く刈り込んだ女子、鶫が木刀を構え、裂帛の気合いとともにその身を魔力で強化して健清の指示を遂行せんと突撃する。その速度は海燕に匹敵していた。
だが玄武は、風属性の魔力を周囲へと放出することで自分へと接近する受験生を感知していた。そして、鶫に対して応戦の構えを見せる。
周囲に護衛用の大岩を浮遊させながらも、玄武の本体そのものにその膨大な魔力が宿り、海燕たちのときは海燕の土属性魔法によって妨害された結果使えなかった、大質量と大魔力を兼ね備えた突進体勢に入る。
(あれ……?これつぐみちゃんじゃ無理じゃない?勢いで突っ込んじゃったけどこれ…これ…)
(……死ぬ)
その圧倒的な暴力がついに解き放たれるかと思われたとき、玄武を支えていた足元の大地全体が大きく崩れ去った。
「止まるな、進め!!」
健清が使用した土属性中級魔法、”崩石”の効果である。土属性の魔力を貯めた土の弾丸を任意の地中まで送り込み、発動者が弾丸を解放したある一点を基点として周囲の土を吹き飛ばし、足元を崩してしまうという魔法だった。ちなみにこの魔法、海燕がよく使う”柔石”より発動速度でも魔力の燃費でも勝るものの、燃費が良すぎて広範囲に影響を与えてしまう。使用した土地の復旧にもやたらと時間がかかるといった理由から、一部の道場の特に優れた退魔師にしか伝授を許されていない。非常に珍しい中級魔法だった。
”崩石”による足場崩しを受けた玄武は、瑠璃たちとの戦闘時以上にその体勢を崩すことになった。
その身を支えていた右前足と右後ろ脚が支えを失い、巨体が大きく片方へと傾く。それによって、鶫は玄武の突進による避けられない死を免れていた。
「……やた!ありがとー健ちゃん!」
「この程度は当然だとも。移動する盾も用意した!大岩による質量攻撃もある程度までならばこれで防げるはずだ。足場にもなる!恐れず進め!」
何とか生き延びることができたと理解した瞬間、鶫は玄武への突撃を再開した。彼女は、良くも悪くも失敗を引きずらない性格をしているようだ。
退魔師にとっての今後を占う重要な戦いを、三人の受験生は真っ当に繰り広げていた。
三人の受験生が死を覚悟しながらも奮闘する裏で、死闘を繰り広げる退魔師たちの姿もあった。
「……うおおおっ!?」
大蛇から放たれた水属性上級魔法、”泡沫飛沫”を滑り込み、その体すべてを使うことで受け止めて海燕が防ぐ。その傍には文次郎がいた。文次郎は魔力を練って迎撃態勢を整えていた。彼らの後ろには、土属性中級魔法”石壁”によって作られた硬い壁があった。
石壁の中には、六人の気絶した退魔師と、その治療をする瑠璃や八雲の姿があった。玄武のもう一つの脅威である蛇は、魔力出力の少ない退魔師を狙う。つまり、気絶した六人の退魔師いずれかを狙って上級魔法を繰り出すおそれがある。そう考えた瑠璃の指示で、六人は海燕とともに赤い鳥居から少し離れた場所に、”石壁”によって魔法の余波からも守る保険をかけた上で横たえられた。
「海燕、おめーあとどれ位動ける!?」
「俺にもわかんねぇよ!死ぬまでは動いてやるけどなぁ!!」
海燕の体はすでに満身創痍であり、とっくに限界を超えていた。陽花に折られた箇所を抑え、痛みで動きが鈍る瞬間があった。
「もう少しだ……もう少しで瑠璃ちゃんの治療が終わる!それが終わったら瑠璃ちゃんも”紅蓮紅臨”で加勢してくれる!それまで頼む!!」
実は文次郎は、玄武との戦闘と成願との私闘で魔力を使い果たしていた。そのため、文次郎への負担(痛み)を一時的に無視する形で、瑠璃から”注連縄唐草”によって魔力を受け取り、大蛇の放つ土属性の上級魔法を迎撃するべく水属性の魔力を練り上げていた。
そう話をしている間にも、海燕に対処できない土属性魔法による上級魔法が海燕たちに迫る。文次郎はそれを、水属性上級魔法”泡沫飛沫”によって打ち砕いた。
その直後、文次郎はあらん限りの声を張り上げた。魔力で声帯を強化し、戦闘中の人の耳に届くように、はっきりと。
「おーいまともな人ら!聞こえてます!?聞こえていますか!!聞こえていたら返事をしてくれ!!」
文次郎が魔力を練り上げている間、そして蛇に魔力が充填されている間に、情報の共有をするしかないと思った。
文次郎が撃てる”泡沫飛沫”はあと一発。これで、蛇が次に上級魔法を放出し終えた瞬間を狙って、蛇を粉々に吹き飛ばすという作戦を瑠璃が立ててくれた。
しかしこの作戦は、大蛇が次に使う上級魔法が土属性の上級魔法だった場合は使えない。土属性の魔法だけは文次郎が迎撃するしかない。
今まで大蛇が二連続で同じ魔法を使ったことはない。それでも最悪の事態も想定して、せめて三人の受験生に玄武の倒し方を教えておくべきだと思った。文次郎たちが蛇を引き付けている間が、三人いる受験生にとっての好機。逆に言えば、今を逃せば蛇の暴力が文次郎たちを吹き飛ばした後で三人に襲い掛かるのだ。
「何事だ!?」
(良かった、聞こえていたぜっ!)
はたして返答はあった。陽花の誘いに乗らなかった白髪長身の退魔師の声が、文次郎の耳にまで届いていた。
「亀の倒し方を言うから聞きたくなくても聞いてくれ!
亀の背中の甲羅!それを壊すと中に札がある!中身の札をぶっ壊してくれ!!
今のうちに亀を倒さないと上級魔法が来るぞ!」
返答はない。
(仕方ないか)
と、文次郎は思う。魔力を貯めながら、掌を握りしめて唇を噛む。
三人の受験生から見て、文次郎たちは試験をそっちのけで暴れ出した連中でしかないかもしれない。彼らが文次郎の言葉を信じて動いてくれるだろうか、と思う。
文次郎は、自分たちの言葉に信用はないだろうな、という自覚があったし、もうダメかもしれないと思った。北の民がいるとかいないとか云々を抜きにして、試験中に私闘をしていた受験生など文次郎が三人の受験生の立場だったら耳も貸さないだろうからだ。
だが。
「……承知した!確かに、甲羅の奥に微かだが札の存在を感じる!情報提供感謝する!」
勝負はまだ分からない。最後の一瞬になるまでは。
「これで傷の手当は済みました。八雲くんは、ここで壁の補強をお願いします」
瑠璃は傷が開いた八雲の止血を終えると、八雲に壁の補強と言う名の待機命令を出した。重症だった八雲の体に配慮しての判断だ。
「……いや、駄目だ。その指示には従えない。俺も行く」
しかし、瑠璃の手当てを受けた八雲は、布で手当てがされただけの体を抑え、瑠璃からの魔力譲渡を拒否して自分も戦いに復帰すると言って聞かなかった。
「だめです!八雲くんはここで寝ていて!!もう死ぬ寸前だったのよ!?」
瑠璃が必死に呼び止める声が石壁で反響する。瑠璃が冷静さを失っているというわけではなく、八雲は今すぐに治療魔術が使える退魔師に診せなければならない程に深手を負っていた。そんな状態で、全力で動き回ったものだから、八雲の体から感じ取れる魔力も目に見えて減少していた。
「だが、大岩や、玄武の甲羅はどうする?彼らには、あれは割れないかもしれない。本体を倒せなければ、俺たちは死ぬ」
(確かに、水色の女の子の言うとおりだった。戦いを楽しんでいる場合じゃあなかったな)
瑠璃の言葉を聞いた八雲の声は、瑠璃とは対照的に落ち着いているように見えたが、その表情に笑顔はなかった。水色の髪の少女との戦いで満足したためか、それとも別の理由によるものか、自分をきっかけにして仲間が危機へと陥ったことに対する罪悪感によるものかは本人にも分からないが、瑠璃には八雲は戦闘に対する喜びよりも、退魔師としての使命感から話をしているように見えた。
「たしかに、八雲くんがいれば攻撃力には厚みが出るけれど」
瑠璃は渋々ながら八雲の言葉を肯定した。八雲の言葉通り、玄武の甲羅には上級魔法並の魔力が込められている。それを破壊し、内部の札を破壊するには攻撃力が必要だ。
高速で浮遊する幾多もの大岩の盾を破壊する機動力。ぶ厚い岩石の鎧を砕く物理的な破壊力。奥の札を確実に破壊するための殲滅力。どれも微妙に性質が異なるものだが、それらすべてを満たしていなければ、玄武に勝つことはできない。
「……それはきっと、三人の受験生がやってくれるわ!彼らを信じましょう!」
それでも、ほとんど死ぬ寸前だった怪我人を前線に出すわけにはいかなかった。
「信じる、か。見知らぬ他人を信じて裏切られた直後にそれは、難しいな」
「……あれは私のせいよ。人を簡単に信じてしまったせい。でもこれは信頼うんぬんの問題じゃないわ。思い出して、陽花だって玄武を倒すまでは戦っていたのですよ?」
「違うよ。瑠璃のせいじゃない。俺がいたせいだ。俺が”北の民”だったから今こんなことになっているんだ。だから行く。行かせてくれ」
「そんなことない!誰が何といおうと、絶対にそんなことはないわ!!」
瑠璃が八雲の言葉を否定したとき、瑠璃の芽には涙があふれていた。それを見てしまった八雲は、自分の右目から何かが溢れるのを感じた。
「八雲く―――――」
「ありがとう」
八雲は自分の目を見られまいと、咄嗟にそう言って瑠璃に頭を下げた。
「……!あ、八雲くんっ!」
突然のことで頭が一杯になった瑠璃は、呆然とその場に立ち尽くす。気付いた時には、八雲は木刀をその手に持っていた。今まさに石壁の外へと駆け出そうとしていたとき、がたりと何かがぶつかるような音がした。
二人は、音のあった方。自分たちが撃退した退魔師たちを振り返った。
「何であたしを助けた……?何で”北の民”が!あたしを助けた!!」
そこには、水色の髪の少女、竜胆千里が立ち上がり、八雲に向けて木刀を構えていた。




