第三十一話 墓穴
海燕の宣言直後、陽花の足元から粉塵が巻きあがる。その粉塵は、陽花と海燕の姿を覆い隠していた。
土属性初級魔法”土埃”だ。陽花と話をしていた裏で、海燕は勝利への道を舗装していたのである。
地面に土属性の魔力を流し込み、細かい砂を一斉に巻き上げるこの魔法。自分一人ならばまだしも、仲間と居る時は仲間の魔法を邪魔する恐れがあるため退魔師業界での評価はすこぶる低かった。
(!?)
陽花はとっさに”紅旋風”を発動し、顔面を砂塵から守った。
「……クソが!」
(砂煙に混じって攻撃するつもりかい!?馬鹿にしては考えたね!だがあたしは、風の魔力であんたが何をしているかはっきりと分かるっ!アンタの土属性の魔力は分かり易いんだよ!!)
戦闘中に風属性の魔力を放出し続け、相手の動きを感知するのは、口で言えば簡単に聞こえる。しかし実際には、集中力と魔力を消費する行為である。
自分自身の手を無理矢理伸ばして、遠くにある何かに触れようとしているようなものだからだ。魔力の消費量も膨大になってしまう。だから風属性魔法を使える退魔師でも、戦闘時には放出をやめることも多い。
今、陽花が魔力を放出し続けているのは、海燕という存在を警戒したため。
そして、確実に海燕を倒し陽花だけが試験を突破するためだった。
陽花は海燕の魔力を、その波長まで正しく認識しているわけではない。それでも幼少期から魔法に触れていれば、戦い方でこいつの先天的な魔力の属性はこうだな、ということは気付くことができる。だから、土煙の中で土属性の魔力の塊を感知したとき、それが海燕だと疑わなかった。
風属性の魔力で海燕の居場所を察知した陽花は、土煙の中を突っ込み、地中に仕込まれた海燕の罠を巧みに回避しながら、海燕に正拳突きを叩き込んだ。
陽花が放出した風は、地面のどこに土属性の魔力が撒かれているのかを教えてくれていたのだ。
(おおかた、足場に”柔石”でも仕込んでたんだろうねぇ!でも、あたしはその手には引っかからないよ!)
陽花の正拳突きは、それはそれは見事な一撃だった。もしも海燕に叩き込まれていたならば、一撃でその意識を刈り取っていたであろう攻撃。純然たる彼女自身の努力の結晶だ。
だが陽花にとって残念なことに、彼女の拳が打ち砕いたのは海燕ではなかった。
海燕と同じくらいの大きさをした、ただの岩の塊だ。
陽花の拳は、確かにその大岩を打ち砕いた。強固なはずの岩は崩れ落ちようというとき、突然、岩が固まる。
土属性初級魔法”石固”だった。これによって、陽花は岩から拳が抜けなくなってしまう。
「何!?」
(馬鹿な、どうして、奴はどこに……!?)
大岩の質量が拳にかかったことで、陽花は体制を崩してしまう。咄嗟に足に魔力を集中させたことで踏ん張った彼女は、風属性中級魔法”紅旋風”によって大岩を吹き飛ばして破壊し、その場を離脱しようとするが。
「土属性中級魔法、”岩飛礫”。これは俺のあばらの分だぜ」
陽花の全身に、大小さまざまな大きさの岩が降り注いだ。その一粒一粒は大した威力ではない。魔力の制御も中途半端で、込められた魔力もそう多くはない。”紅旋風”で弾き飛ばすことはできる。
だが、その量は尋常なものではなかった。陽花の踵が、膝が、腰が、首までもが浸かりかねないほどの大量の岩石が、陽花たった一人を目掛けて前後左右から降り注ぐ。それに対して、陽花は”紅旋風”で対応しようとするが。
「う…わぁぁぁぁ!!!!」
風属性中級魔法”紅旋風”は、自分を中心に風の魔力を放出する攻防一体の使い勝手のいい魔法だ。近接戦闘中の繋ぎに使ってもいいし、今のように、相手の中級攻撃魔法に対する防御手段としても使うことができる。
しかし、魔力の放出量には限りがある。中級魔法である以上、威力も量にも限度というものがある。紅旋風の切れ目に降り注いだ瓦礫が、確実に陽花の体力を削り、心身に痛みを与えていく。
退魔師の肉体は総じて頑強だ。常日頃から鍛錬に明け暮れて魔力を練り上げ、その練り上げた魔力で肉体を強化し、魔力で強化した肉体でより負荷の高い訓練をしているがゆえである。
しかし、強靭な肉体が鋼のような硬さを持てるのも、万全の状態であってこそだ。
紅旋風によって、陽花の体内からは魔力が放出された。それは言い換えれば、肉体を強化する分の魔力が放出されたということでもある。
陽花が魔力を練り上げ、肉体に頑強さを取り戻す間も与えずに、石礫は陽花へと降り注いだ。
絶え間なく降り注ぐ石礫は、陽花が素通りした足場に仕掛けていたものだ。海燕は魔法の発動まで、万全の準備をした上で、確実に陽花を倒すという道を選択したのである。
「……あ、あたしを倒せば、あの結界は絶対に解けないよ!!いくら北の民でも、あんな無茶な魔力を出し続けられるはずがないっ!あたしの結界は破れないんだ!!」
陽花は咄嗟にそう叫んだ。これで、海燕に迷いを生むことはできるはずだ。
地力では陽花の方が上なのだ。海燕の土俵からはみ出すことができれば、陽花の勝ちは揺るがないはずだった。
つい先ほどまでは。
「いいんだよ!文次郎にあの結界を解除してもらうからな!!ちなみに今からやるのは瑠璃と文次の分だ」
海燕の返答は、陽花にとって惨酷なものだった。
「ふざっ……」
ふざけるんじゃあないよ、と陽花は言いかけた。
しかし、そこで陽花の顎が何かによって大きく揺れる。
岩だった。海燕が操作した岩が、陽花の顎に着弾したのだ。先ほどまでの瓦礫と違い、しっかりと”石固”で強化した特注品である。
(冷静に考えりゃ、どんだけ陽花の結界が凄くても風属性の魔法なんだ。文次の”霜時雨”と瑠璃の”紅蓮紅臨”で結界を乱すことはできるかもしれねぇ)
結界そのものが風の性質を持っている以上、良くも悪くもその特性からは逃れられない。外部からの干渉によって結界を破壊する手段は、冷静になればいくらでも思いつくことができる。だから、海燕は陽花に勝つことを選んだ。
(……徹底的に。
完全に。
言い訳もできねぇくらいに叩きのめす)
それが、後ろから友達を撃った人間に与えられるべき報いというものだと、海燕は思ったからだ。
疲労困憊のところに散々彼女の自分勝手な言動に付き合わされた怒りと、仕事を終えた後に意味不明な残業を強要された怒りも多分に含まれていたが。
”岩飛礫”はもう切れていた。陽花の周囲には大量の瓦礫が散乱し、陽花はそこで一人立ち尽くしている。
岩飛礫は、見た目に反して中級魔法の中では魔力効率が悪く、退魔師の中での評価は低かった。大量の岩石に土属性の魔力を流し込み、敵の上空から落とすというだけの魔法だが、魔力をろくに込めていない岩石ではもののけには大した痛手にはならない。生物型のもののけならば効きはするが、たとえばこの森に棲む魔熊や大猪ならば足止めにもならないだろう。
それこそ演劇で使うような見せ技が、今この場においては陽花を追い詰める一手となったことは、遊び半分で試験に参加した彼女への罰になるのかもしれなかった。
「ふざ……けるんじゃあないよ……!
あたしは……あの魔法を三年かけて身に着けたんだ……!
簡単に突破できるものか!解除なんてできるものかっ!!
あたしの努力を馬鹿にするんじゃあないよっ!この田舎者がぁ!!」
海燕の挑発による執念か、それとも怒りで痛みを忘れたのか。
陽花は最後の力を振り絞って風属性の魔力を放出し、海燕へと飛びかかった。
これは、海燕が意図して行った挑発による結果だった。
実際のところ、海燕自身も陽花の攻撃を受けていて、動きが鈍っている。遠距離攻撃がさほど得意ではない海燕が、今の状態で確実に陽花を倒すには、陽花が魔力を放出し、身体の強度が下がったところで攻撃するのがもっとも確実で、効率が良かったのである。
「……三年前のあんたよりは、今の文次郎とか瑠璃の方が魔力操作は上手いはずだろぉが。
努力とか口に出すなら、他人様を見下すんじゃあねぇよ」
そして。飛びかかった陽花の背後から、陽花目掛けて石礫が降り注いだ。
その石礫は無警戒の背中へと直撃し、陽花の意識を刈り取った。
「今の一発は、八雲の分だぜ……って、聞こえてねぇか」
戦いを終えた海燕には、休憩は許されていなかった。
まだ、玄武との楽しい試験が待っているのだから。
陽花ちゃんとの戦いはこれで終了。海燕くんは大金星となりました。
なお彼女のせいで玄武くんとの延長戦が残っています!!
…これで誰か死んだら他の受験生から殺されるんじゃないか陽花ちゃん。自業自得だけど。




