第三十話 自滅
「ふふ……お仲間を助けなくていいのかい?」
「ここであんたを倒さねぇと、結界が解けないかもしれねぇだろぉが。
それに、俺の友達ダチは強ぇよ。試験も突破してねぇ連中にゃ負けねぇ」
海燕は陽花の言葉を聞き流しながら、いかにして陽花が作り上げた風の結界を打ち破るかを考えていた。
陽花の挑発に乗ったフリをしながら、陽花が会話の中で海燕の周囲に風の魔力を流していることを確認する。
(あんたが俺のまわりに風を撒いてるの、気付いてねぇとでも思ったのかよ?)
吸収魔法を習得する過程で海燕の故郷がもっとも重要視していたことは、魔力に対して敏感になることだ。
吸収魔法は、本人が意識していない魔法を吸収してくれるものではない。
あくまでも、本人が認識できている範囲の波長の魔力しか吸収することはできないのだ。
だからこそ、吸収魔法の使い手は誰よりも臆病でなければならなかった。
自らの周りに魔力があったならば、それは攻撃を受ける前兆なのだ。
(……ここは、風の魔力に気付いてねぇフリをしてやるか。風の魔法でこっちの動きを読もうって腹だろぉが、攻撃の時に吸収すりゃあ何の問題もねぇ)
陽花は風の魔力によって、海燕の動きを全て読み切れたと思って動くだろう。しかし、陽花が動いた瞬間に、海燕の吸収魔法を発動すれば、どうなるだろうか。
海燕の動きを読めなくなった陽花の動揺を誘い、隙をつくることができる。だから海燕は、陽花に対して迷わず啖呵を切った。
「関係ねぇな。俺は強くなりたくてここに来たんだからよ」
海燕の瞳には、そう言われたときの陽花の顔は醜く歪んでいたように見えた。整った顔も、その奥底にある性根の醜さまでは覆い隠してくれないようだ。
「……強くだって?他人とお友達ごっこをして強くなれるってのかい?」
(逆に聞きてぇけどお前、ダチと競い合わずに修行すんのつまんなくねえか?)
そう突っ込みを入れたい気持ちを抑え、陽花との会話に興じたフリをしながら、海燕は自らの足元から少しずつ土属性の魔力を流し、赤い鳥居の方へと流していく。
(結界魔法ともなると、陽花本来の魔力の波長からもちょっと外れてんだな……)
少しずつ陽花にばれないよう、細心の注意を払いながら魔力が鳥居へと到達する。が、進むことができたのは鳥居の前までだった。強力な風の魔力が、海燕の土の魔力を阻む。
地中に穴を掘って、鳥居をくぐるという手段はどうやら取れそうもなかった。風の魔力はなんと地中深くまで到達し、侵入者を阻んでいた。
(クソったれ。もののけ相手に使うような魔法をこんなところで使いやがって)
心の中で陽花に悪態をつきながら、海燕は陽花に啖呵を切った。
「なれる。友達を裏切ったって強くなんかなれやしねぇ。
ただ自分が情けなくなって、後悔が残るだけだ。
だから!
俺はもう二度と、友達を裏切らねぇ!
たとえ自分がどんだけ恥さらしでもだ」
海燕はここまで口にした言葉は、全て本心だ。
自分がどれだけ情けなく、そして恥知らずな人間なのかを海燕は知っている。そしてだからこそ、捨ててはならないものがあることを知っているのだ。
(こいつ絶対結界魔法の解除とかしねぇだろうな。そもそも時限式の結界かもしれねぇし)
結界魔法にも、術者が常に魔力を流し続けるものと、一定の手順を踏むことで、一定の時間だけ結界をつくる時限式の結界がある。一日目の晩に、もののけから逃れるために張った結界は後者だ。後者の結界は、術者が倒れたり眠っていても張り続けることができるという利点があるため、現代の結界魔法の大半は時限式となっている。
(瑠璃の”紅蓮紅臨”か、文次の”泡沫飛沫”なら結界をぶっ壊せるか?……いや、魔法の規模がでかすぎて鳥居ごとぶっとんじまうかもしれねぇ)
厄介なことに、風属性の結界が貼ってある鳥居自体はなんの変哲もなく、魔法への抵抗力を持たない鳥居にすぎない。これを強引に突破しようとすれば、鳥居が壊れ試験を突破できなくなる恐れもあった。
(……いや、手はあるはずだ)
陽花がこの結界を張ってから、鳥居をくぐろうとしていることを見れば、陽花には鳥居をくぐる手段があるということはわかる。
一番可能性が高いのは、自分の体内と周囲の魔力を風の結界と合わせて鳥居をくぐるという方法だ。魔法の使用者は、自分自身の魔力の波長では傷を負うことはないからだ。
(何か手はあるはずだ、何か一つ……)
今、海燕に取れる手は一つだ。陽花の意識を残したまま陽花に勝ち、陽花自身に結界魔法を解除させる。
しかし、それは陽花の性格を考えると、とてつもなく難しいことだった。
あまり陽花に時間をかけていれば、玄武が動き出し、見境なく周囲を攻撃しはじめるかもしれない。陽花もそれが分かっているからこそ、時間をかけて海燕をなぶり、人質にでもして鳥居をくぐろうとしているのだろう。
そこで、海燕は血だらけで立ち上がった八雲の魔力を感じ取った。
(!?)
「何っで!あの男が……!!」
「マジかよ…?」
八雲が起き上がったことで驚いたのは陽花だけではない。
海燕も、陽花に負けず劣らず驚いた。
八雲は全身から血を流し、立つことすら止めさせなければならないほどの重症だったはず。
それなのに、海燕が感じ取っている八雲の魔力は全快のときのそれと変わらない。
いや、もしかすると今までで一番大きな魔力が、八雲の全身から放出されているのかもしれなかった。
(火事場の馬鹿力ってやつか?これなら……)
今の八雲の魔力は、上級魔法を撃つ際の瑠璃や文次郎とも変わらない。八雲なら、結界を切り裂き、道を開くことができるかもしれなかった。
ならば、やるべきことは一つだ。海燕は周囲の風の魔力を吸収し、陽花に木槍を構えた。
「あんたは強ぇよ、陽花。でも怖くはねぇっ!!」
「はっ!舐められたもんだねぇ!!」
一歩で木槍の間合いに入った海燕は、陽花のみぞおちをめがけて突きをくりだした。
海燕は、この森で出会った強敵たちを思い出す。
魔熊は、今の海燕ではどう足掻いても勝てない相手だった。海燕より早く、海燕の魔法では耐えられないほどに頑丈で、魔法を撃ってこない。
神木の根のように、土属性魔法が封じられているわけでもない。
ヒダル神のように、異様な速度を持っているわけでもない。
そして、玄武のような物量があるわけでもない。
陽花は強い。風属性魔法を使いこなし、基礎的な魔力操作技術と合わせて自らの身体能力を強化して、高速移動を繰り返し海燕を翻弄していた。
が、海燕には、折られた骨の分を差し引いてもまだ余裕があった。
軽いのだ。
陽花の攻撃が、もののけのそれとは比較にならないほどに軽い。
それは魔力量や身体能力の差からくるもののけと人間との差。もののけとの死闘をくぐってきた海燕にとって、他人を嗤いたいだけの陽花の攻撃は、軽い。
もしも魔熊が相手だったならば、海燕の体は今頃引き裂かれているからだ。それを思えば、戦闘経験で勝る相手でも、海燕は臆することなどない。陽花自身が撒いた風属性の魔力を吸収したことで、海燕の体は普段より頑強になっていたせいもある。
(こいつ……何で倒れないんだい!?)
海燕の顎に蹴りを叩き込みながら、陽花は海燕の異様な頑丈さに戦慄していた。
「あたしはあんたに効かない攻撃は一切しない。あんたはさっきの戦闘で魔力と体力を消費してる。あんたさえ倒せば、あの結界を抜けられる奴はいない。あたしの一人勝ちさ!」
(そうさ。ここまではあたしが勝っている。風の魔力の効きは悪くなってきたが、じっくりと料理してやれば何の問題もないんだからねぇ)
自分にそう言い聞かせて、陽花は距離を取った。
対人戦の経験に限って言えば、陽花に分があった。
狭い島の中で顔見知りたちと戦ってきた海燕とは違い、陽花は皇区の道場に通っていた退魔師だ。皇区には退魔師を教える道場も多く、他流試合の密度も経験も海燕とは比較にならない。
海燕からふるわれた木槍をかわし、海燕が飛ばした石の塊を”紅旋風”で跳ね返し、海燕の懐に潜り込もうとした陽花は、背中に鋭い痛みを感じた。
「熱っ……!?」
攻撃を躱された海燕が木槍を、”木洩火”で燃やしたのだ。
中級魔法の中でも群を抜く火力の炎が、陽花を焼こうと燃え広がる。
「っ……!”紅旋風”!!」
咄嗟に陽花は自身の周囲に風属性の魔力を放出し、難を逃れた。”水泡”を頭からかぶった陽花の科紫色の髪は少し焦げ、その赤い瞳は、怒りと屈辱にまみれていた。
「やってくれるじゃあないか!あんた、正義面していながら人を殺す覚悟はあるようだね!」
「ねぇよそんなもん。ここまで来た受験生なら、あれ位対応するって読んでたからな。しかしあんた、とんでもねぇ結界造ったな?」
「……!?あんた、一体何をしているんだい!?」
陽花が視線を向けた先では、海燕がいた。彼は鳥居の前に立ち、右手を風属性の結界へと差し出していた。
「何って、吸収だ。見て分かるだろ。……流石に結界は解けねぇなあ。でもよ陽花。あんたが造ったこの結界は、どうやら俺に魔力をご馳走してくれてるようだぜ?」
海燕の言葉通り、激しい戦闘で消耗していたはずの海燕の魔力が、見る見るうちに回復していく。それでも結界そのものは維持されているが、それはつまり、海燕が結界に触れ続ける限り、海燕の魔力が回復し続けてしまうということだ。
「馬鹿な……!その結界は、少しでも触れれば腕が斬れるはずだよ!」
陽花は目の前の光景が信じられない。あの結界は、陽花が一二歳のころから三年もの時間をかけて習得した上級魔法だ。
その効果は絶大で、今の今まで陽花は結界を突破されたこともなかった。
それが、まるで銭湯の暖簾をはらうような気やすさで手をつっこまれている。
ここで、陽花は判断を誤った。
基本的な身体能力と、接近戦の技量においては、海燕よりも陽花に分がある。だからこそ、陽花は距離を詰め、自分の体力と魔力が残っているうちに、海燕を叩きのめすべきだったのだ。
それが出来なかったのは、ひとえに陽花が”防風暴壁”に絶対の信頼を置いていたせいだった。自分以外の全てを見下し、嘲笑っている彼女が自分以外で唯一信じるもの。
それは、自分が習得した魔法にほかならないのだから。
そして、陽花自身の努力の成果が今、彼女自身を追い詰めようとしていた。
「来いよ陽花。あんたにもう勝ち目はねぇぞ
まぁ、こうなっちまったのは、あんたの自業自得なんだけどな」
海燕の翡翠色の瞳は、先ほどまで自信に満ちていた陽花の赤い瞳からはじめて動揺を感じ取っていた。
この話で一番可哀想なのは陽花を信じて上級魔法を教えた道場師範。




