第二十九話 交渉決裂
八雲が起き上がるよりも少し前。
乱入してきた退魔師の一部を味方に付けた陽花は、悦に入っていた。
(天はあたしに味方しているねぇ!)
乱入してきた五人に瑠璃たち二人を潰させ、自分は目の前で鳥居への道を邪魔している赤毛の退魔師、海燕を倒せばいい。
海燕は陽花と鳥居との間に立ち塞がっている。赤い鳥居の斜め裏にある緑色の樹木や、鳥居のそばにある狛犬の像と一体になったかのように周囲に溶け込み、一歩も動くことはなく陽花を見ていた。
瑠璃たちが五人に勝てるはずはない。消耗した状態で、同格の退魔師が敵になったのだから。陽花を阻む壁は海燕だけだ。海燕を倒すだけで、あの壁を抜けられる人間は誰もいなくなり、陽花にとっての勝ちが確定する。
頑張ってきたのだろう。努力を重ねて、将来は二級一級の退魔師になる日を目指して今まで必死で善人ぶってきた連中がそのうわべだけの善人さをかなぐり捨て、自分の足元にひれ伏す。その姿が見たいがために、陽花は平民たちの通う道場に出向き、そこで一番になってきた。
努力に努力を重ねた同輩たちをあざけり、自分こそが最良の退魔師なのだと思うために。
全ては陽花自身の自己満足のためだ。
(あんたにも、土の味ってやつを教えてあげるよ!
そのときの顔はきっと無様で滑稽で嗤えるんだろえねえ!悔しがるだろうねえ!!)
今の陽花の頭の中にあるのは、目先の得物をどう調理するか。それだけだった。
木槍を構えて陽花の隙を探している海燕に対して、陽花は手ぶらだった。
海燕が武器を持っているのに対して、陽花は素手。しかし、陽花が不利なわけではなかった。
陽花は風属性の魔法が使える。風属性の魔力を自分から微かに放出し続けると、周囲の風が相手の挙動を教えてくれるようになるのだ。
それは、極めれば相手の全身の動きすら把握できるようになるほどの技術。まだ陽花にそこまでの技術はないが、海燕の動作を察知して先手を取ることくらいは容易い。
陽花が戦おうとしている海燕という相手は、実はほとんどの生まれながらの退魔師にとっては厄介な相手だった。
退魔師生まれの退魔師は、その大半が豊富な魔力を活かした中級魔法による中距離からの戦闘を好む。わざわざ接近戦をして傷つく危険を冒す必要はないからだ。
だからこそ平民出身の退魔師に前衛役を任せ、陽花に言わせれば”都合のいい肉壁”にするのである。
しかし、どういう理屈かは陽花には分からないものの、海燕には攻撃魔法が通用しない。玄武との戦いで、陽花ははじめて見たはずの玄武の攻撃魔法を吸収する海燕を見ていた。
だからといって近距離戦を挑もうとすれば、生まれながらの退魔師の大半は土属性の魔法で阻まれるか絡めとられ、悪くすれば捕まってしまうだろう。木槍と合わせた海燕の攻撃は多彩で、退魔師殺しとでも言うべき侮れない実力を持っていた。
しかしだ。それは万全ならの話。
今の海燕は、陽花の攻撃によってわき腹を骨折していた。痛みでまともな接近戦が出来るとは思えない。そして、陽花は海燕からの中距離攻撃を計算に入れていなかった。玄武との戦いではほとんど中距離魔法を見せていなかったからだ。
それに対して、陽花は気に入らない相手をなぶり殺しにする陰湿な魔法を、海燕たちには見せていない。
(見ず知らずの人間相手に手の内を晒したあんたの負けさ田舎者…無様に地面に這いつくばるんだねぇ…!)
陽花は幼少期のころから、非常に性格が悪かった。そして、非常に負けず嫌いでもあった。
平民たちの通う道場に自ら進んで通ったのは、子供のころからだ。
彼女は走馬灯のような形で、少し先に始めた平民に近接戦闘で敗北する日々。それを乗り越えて、大人たちの技をまねて平民たちを蹴散らしていった日々を思い出していた。
陽花は接近戦、中距離戦を問わず、戦闘においては高い自信を持っていた。彼女は、瑠璃たちには何一つ自らの情報を明かしていなかったのだ。
(こいつの後ろにある木は使えるねぇ)
彼女は心中で海燕対策を立てると、それを実行するための時間稼ぎに入った。
「ふふ……お仲間を助けなくていいのかい?」
「ここであんたを倒さねぇと、結界が解けないかもしれねぇだろぉが。
それに、俺の友達は強ぇよ。試験も突破してねぇ連中にゃ負けねぇ」
陽花の挑発に、海燕は乗ったようだった。
「友達?昨日一昨日会っただけの連中だろ?そんな奴らに義理立てする気持ちがあたしにはわからないねぇ。ましてや反逆者の北の民や、平民だ。退魔師はね、そういう負け犬どもを蹴落として、地位を上げていくんだよ」
そう言って陽花は陶酔した表情で、こう付け加えた。
「勢いで北の民なんかに与して、あんたも頭が可哀想な男だねえ。もうこれで出世の芽はなくなったよ」
(さぁ出しな!あんたの本性をね!)
陽花は、海燕の動揺した顔を見たいと思っていた。
どんな綺麗ごとを言っている退魔師でも、自分の出世というものには敏感になる。地位が自らの生活の安定につながり、自分の両親や一族の地位にまで関わってくるからだ。
全てを失う覚悟を持ってまで他人を、ましてや”北の民”を助けたいと思うような人間などいるはずがない。地位の低い退魔師ほど、立身出世のために学校を受験したはずだからだ。
現に、五人もの退魔師が陽花についたのだから。陽花はこの揺さぶりに絶対の自信を持っていた。
「関係ねぇな。俺は強くなりたくてここに来たんだからよ」
そう言い切った海燕の翡翠色の瞳に迷いはない。あるのは決意を携えた光だけだった。
「……強くだって?他人とお友達ごっこをして強くなれるってのかい?」
会話をしはじめてから、陽花は海燕に悟られないように自分の体内で練り上げて溜めていた風属性の魔力を少しずつ解放し、紫色の髪をたなびかせていた。その姿は海燕の瞳には、毒蛾のように怪しく見えた。
これは陽花の切り札である魔法のひとつだ。陽花の家に代々伝わる風属性魔法、”挑風”。風の魔力を操り、自分の声を狙った相手の鼓膜にまで届けるというだけの魔法。
だが、その効果は絶大だ。
人間というものは聞きたくないことから耳を塞ぎ、考えたくないことを考えないという性質を持っている。本人にとっても考えたくないような言葉の羅列は時に集中力を乱し、戦闘を有利に進める効果があるのだ。
海燕をまずは自分の土俵に上げる。そのために、陽花はあえて会話という手段をとった。
陽花の問いに対して、海燕は真正面から答えた。
「なれる。友達を裏切ったって強くなんかなれやしねぇ。
ただ自分が情けなくなって、後悔が残るだけだ。
だから!
俺はもう二度と、友達を裏切らねぇ!
たとえ自分がどんだけ恥さらしでもだ」
その物言いが、陽花にとっては不愉快だった。
新しく見つけた玩具が、他人の手で既に汚されてしまっていたような不愉快さ。
既に汚れているくせに、何故か輝きを失っていない。いや、増しているかのような海燕の翡翠色の瞳。
「じゃあ、二度目を味合わせてあげるよ!」
そう陽花が挑発したとき、大きな風が神社の中を吹き抜けた。
(!?馬鹿な、この魔力は!?)
陽花は慌てて乱れかけた自分の魔力を整え、海燕から視線をそらして右を向く。
彼女の視線の先には、彼女が裏切り、傷つけた”北の民”が立ち上がった姿があった。




