第二十七話 本音と建前
胸糞注意。
八雲の体が、これまで海燕たちを守ってきた少年の体が、全身から血を流しながら地に墜ちていく。
「八雲くん!!八雲くん起きて!!誰か、八雲くんを助けて!」
瑠璃の絶叫は届かない。助けに行くこともできなかった。紅蓮紅臨の炎を消火するために、瑠璃はその場を離れるわけにはいかなかった。
文次郎は八雲を救うために、燃え広がる火に体が焦げるのも構わずに玄武の瓦礫を超えて飛び出した。魔力によって全身を強化し、地面に激突しようとした八雲を両腕でしっかりと受け止めた。
「八雲、八雲しっかりしろ!!……どうしてだよ!」
文次郎は後ろからずっと、八雲の姿を見てきた。文次郎が無理やり三人に同行してから、八雲と海燕はずっと文次郎と瑠璃を前衛で守り続けてきた。
それが、どうして。
「どうして後ろから撃たれなきゃいけないんだよ!」
海燕は、試験官に提示された合格条件である奥の鳥居の前にいた。奥の鳥居は赤く塗装されていた。まるで、この試験で流した受験生の血の色のように。
海燕の全身には、玄武の岩や魔法の余波によって少なくない打撲の跡があった。額からはも少なくない血を流していた。
よく見ると、海燕の右手の拳からも血が流れていた。
神聖なはずの神社にはおよそ相応しくない格好で、怒りにその右手を震わせながら、八雲を撃った犯人、陽花を睨みつけた。
「あんた……何で、八雲を撃った?」
海燕にそう問われた犯人、紫色の髪をした女性は、およそ退魔師とは思えない笑みを浮かべていた。
彼女の全身には、多少の擦り傷こそあれ海燕ほどに目立った傷はなかった。つい先ほどまでは。海燕が怒りに任せて彼女の顔面を殴った結果、彼女の右頬は赤く腫れ、その美貌を汚していた。
「あたしは……撃つつもりはなかったんだよ!ただ偶然、魔法を使った撃った先にあの男が居たんだ!」
激しい戦闘の中で、魔法が誤射されることは充分にありえる話だ。
しかし、今の戦闘の中で彼女が”誤射”したはずはないと海燕は詰め寄った。
「この期に及んでしらばっくれてんじゃねぇよ!あんたの魔法の精度は落ちてねぇ!!上級魔法が使えるんだからな!!」
海燕が指さす方向は、赤い鳥居の前だ。鳥居をくぐるためには、必ず誰もがあそこに足を踏み入れなければならない。
しかし今、その鳥居の前には、海燕でなくても分かるほどに膨大な風属性の魔力で壁ができていた。
海燕にはその魔法の原理までは分からない。しかし、悪質な結界魔法であることは見れば分かった。うかつに足を踏み入れれば、全身が引き裂かれ、骨は打ち砕かれて肉の塊となってしまう悪質な上級魔法。”防風暴壁”という、風属性の上級魔法だった。
海燕には理解できた。魔力の波長を個人単位で正しく識別できる海燕だから、理解できてしまったのだ。これが、目の前の少女、陽花によって咲いた悪意の花であることが。
これが出来る人間が、中級魔法程度で誤射などするはずもないのだ。上級魔法とは、魔力を高い精度で変換し、制御し、そして放出しなければ発動できない。そもそもその段階にない生徒には、道場主も教えないのだから。
「……」
「この壁といい……八雲に撃ったことといい、何でこんなバカなことをしやがった!人に魔法を向けるってことの意味が分かってんのか!?」
海燕のように吸収魔法を持たない人間が魔法を防ぐ方法は大まかに分けて三つある。回避するか、魔法で相殺するか、全身を魔力で頑丈に強化して耐えるかだ。
だが、そのどれもが出来ないときに魔法を受ければ、中級魔法であっても命に関わる。海燕は、自分のことを常識人だと思っている。そんな非常識なことは海燕には出来ない。
言うまでもなく、人間を傷つけるために魔法を使うことは重罪だ。人間を守り魔物を退ける存在と書いての退魔師なのだから。
これを訴え出れば、奉行所での審議の末に退魔師としての資格をはく奪された上で、重い処分が下されるだろう。
朝起きてからずっと、海燕の心の中は澄み切っていた。穏やかで暖かい春風が吹いたような安心感に包まれていた。それが今では、吹き荒れる台風に何もかもが壊された後のような、ぶつけようのない怒りとやりきれなさに満ちていた。
「そうだよ……!何でこんなことをするんだよ、陽花ちゃん!陽花ちゃんは立派な退魔師だろう!?」
「……」
気を失った八雲を背負った文次郎と、沈黙し何も言わない瑠璃が海燕のもとにたどりついた。文次郎は現実を受け入れられず、瑠璃の心中は怒りに満ちていた。
瑠璃の心中を満たすのは怒りだ。
(甘かった……私が甘かった)
瑠璃はこの試験の途中で、退魔師の御曹司である白川光三郎から警告されていたのだ。
退魔師としてこの四人で突き進むうえで、必ず困難が待ち受けていることを。
その原因に心当たりがありながら、陽花を招き入れるという失策を犯してしまった自分への怒りで、瑠璃はただ震えていた。
(そう考えたくなかった私の失態だ……!)
「あたしはねぇ……あんたらに現実ってやつを教えてやりたくてね」
「……何だと?」
「皆で身分の壁を超えて協力する、なんていう都合のいい妄想を繰り広げてるバカ共が、今までやってきた努力すべてが無駄になって悔しがる姿が見たかったのさ!」
陽花はそう言って高速で大地を蹴り、海燕が反応しきれないうちにその腹に拳を叩き込んだ。骨が砕ける嫌な音が周囲に響きわたる。
「……っらぁ!!」
海燕は左手の木槍をふるい、陽花から距離をとった。
「今どんな気持ちだい!?はるばる田舎から出てきて、見ず知らずの奴と組んであと一歩で合格出来なくなった気持ちは?最低の気分だろう!?ざまあないねぇ!!」
「ふざけるな!そんな理由で人を撃ったのか、あんたは!?」
退魔師相手ということもあり、陽花に少なからず好意や敬意を持っていた文次郎もこれにはさすがに激怒した。
(いいねぇ……いい子ちゃんが怒りに顔を歪めて腐ってくのは最高さ!)
陽花は嬌声をあげて四人を嗤う。
「事前に言われたろ?この試験はねぇ……『何が起ころうと、試験官は一切関与しない』んだよ!
なんでわざわざ、皇区が管理する島に、皇区以外の田舎者まで呼び寄せて試験すると思う!?」
「強い退魔師を集めるためだろぉが!」
「あなただって地方の退魔師でしょう!」
海燕と瑠璃の声に陽花は嗤う。
「おめでたいねぇ!頭でお花でも育てているのかい?皇区以外の厄介な田舎者や平民を、まとめて始末して力を削ぐためさ!あたしら皇区の退魔師と違って、地方の退魔師はすぐつけあがるからねぇ!!」
「ここは、退魔師たちの競争の場なのさ。あんたらは蹴落とされる側なんだよ!」
そう言った陽花の言葉は現実感がなく、海燕は頭に昇らせていた血を一旦冷めさせるきっかけになった。
確かに、この試験からは試験官の受験生に対する殺意を感じた。だからこそ試験官に対して怒りもした。
だが、では皇区や退魔師の出身で区別されているか、というとそんなことはない。同じ地区の退魔師が同じ出発点になることはあったとしても、道場が同じ退魔師は必ず別の地点から出発していたし、退魔師が日頃使っている武器もすべて没収されていた。
この試験は殺意に満ちてはいたが、純粋に退魔師の技量を試すという意図は感じられたのだ。
「そんなもの、あなたの妄想に過ぎないっ!私がここでどれだけ苦労したと思ってるの!?」
何よりも、皇区出身の瑠璃が何度も死にかけていたのだから。
「その通りだぜ。何処の誰に吹き込まれたんだ、そんなくっだらねぇ妄想をよ。大体あんたも、この試験で死にかけてるじゃねぇか」
「!」
海燕の指摘に陽花は頬を染め、羞恥と怒りに身を震わせた。
一方で海燕は、目の前の陽花に対する怒りよりも、どうやって赤い鳥居をくぐるかに考えを向けはじめた。
(……こんな妄想を展開するやつに付き合ってる暇はねぇ。
……どうにかしてさっさと鳥居をくぐって、八雲を医者に診せねぇと)
瑠璃がそれを優先していないことからも、八雲は恐らくはまだ大丈夫なのだろう。しかし、後ろから撃たれるという痛みは誰であっても耐えられないもののはずだ。
ゆっくりと八雲を療養をさせてやりたいと海燕が思い始めたころ、神社に異変があった。
「あれっ?どうなってんだこりゃあ?」
一人、海燕より大柄の黒髪の男が海燕たちとは別の鳥居から入り込む。
「くそ!先を越されたわ!あんたのせいよこのノロマ!」
「他人のせいにしないでくれ!あと殴らないで!痛い!!」
それをきっかけにして、水色の髪をした小柄な女性の受験生や、白髪の長身な男など、続々と退魔師たちが入り込んだ。その数は八名。男女はばらばらで、水色の髪と白髪の髪以外は全員が黒髪だ。彼らもここに来るまでに少なくない傷を負ってはいたが、海燕たちよりは余裕があった。
彼らが困惑したのも無理はない。
鳥居をくぐって試験を突破したと思ったら目の前に大岩の残骸が転がっていて、明らかに柄の悪い赤毛の退魔師に似た何かが、集団で一人の女性を取り囲んで襲おうとしているのだ。
「だ、誰か知らないが助けておくれ!こいつらは『北の民』に扇動された悪党なんだ!あたしは襲われているんだよ!」
(……こいつ……!)
海燕は信じられないものを見る目で陽花を見た。あまりの衝撃に言葉も出ない。
「何ですって!?北の民!?」
北の民と聞いて、小柄な水色の髪の女子がいきりたった。怒りで水色の髪が逆立っていて、今でも魔力が全身から溢れそうだ。
「い、いきなり何だってんだよ。”北の民”だって?やばいじゃんか」
「やだ、試験中に喧嘩……?」
困惑する受験生たちに対して、瑠璃も負けじと言い返した。
「違います!皆さん、あの赤い鳥居をよく見てください!!試験はまだ終わっていません!彼女はこの試験を独断で支配しようとしているんです!彼女によって結界魔法がかけられた鳥居をくぐらなければ、試験は合格できません!!」
「た、確かに上級魔法がかかっている……!」
白髪の男子受験生が魔力を感知したのか、うめき声をあげた。
「!?魔法で妨害?な、何だってんだよあんたら!頭おかしいのか!?」
「ちょっと待ってよ!何であたしたちがそんなことに巻き込まれなくちゃいけないの!?」
受験生たちが困惑して声をあげた。
「頭がおかしいのは陽花だけだ!」
文次郎が憤慨する中で、ばらばらに破壊された玄武のもとに、空から護符が落ちてきた。
『よく来た、受験生諸君。二次試験の合格おめでとう』
困惑する受験生たちを放置して、護符からは風属性の魔力が放出されていった。おそらくは、新しい受験生に対して海燕たちが聞いた説明が繰り返されるのだ。
ただし、実際は説明にとどまらない。
空から降って来た護符は、魔力で玄武の体を繋ぎ合わせていく。今のままでは、数分で魔力が再構築され、玄武が動き出してしまうだろう。
「あんたら、俺たちに力を貸してくれ!あの風の壁を吹っ飛ばせば式神と戦わなくても入れるんだ!」
海燕は咄嗟にそう声を張り上げた。ここにきて八雲もなしに玄武との再戦をするなど、冗談ではなかった。
「おめでたいことを言ってんじゃないよ!あたしは皇区の二級退魔師の一族、見北陽花さ!!北の民に親族を殺された連中はいるだろう!北の民のせいで税金が上がったって平民も居るだろう!?今が復讐の機会なんだよ!」
「……皆さん!彼女に踊らされないで!私たちに協力してください!!試験を突破しなくてはいけません!」
「舐めたこと言ってんじゃないよ!あたしに協力すれば、あんたらに見返りを約束するよ!あたしの家で、四級として雇ってもいい!!」
「何を言っているんだ!北の民だからといって私闘をしていいわけがないだろう!?他人の成果に相乗りするなんてことも言語道断だ。そもそも魔法は人に向けるものじゃない」
「みんな!僕たちは玄武を倒して、試験突破を目指そう!!きみたちは勝手にやっていろ!」
白髪の、長身の男は根が真面目だったのか、そう主張し玄武との戦闘態勢に入ろうとした。
しかし。だれもが極限状態において真面目で善良であり続けられるわけではなかった。
「……!!よく考えてください!彼女の言葉はただの口約束です!本当に見北家だという保証もない!後で幾らでも反故にできるんですよ!?」
瑠璃の言葉と陽花の言葉と白髪の男の言葉。どれが見ず知らずの他人の心を動かすだろうか。
厳しい試験の中で退魔師の現実を知り、心が折れた人間にとって、陽花の言葉は甘い毒だった。学び舎に合格できたとしても、伝手のない平民出身の退魔師が地位をえるのは難しい。だが陽花に従いさえすれば、安定した地位が約束される、かもしれない。
それに対して、瑠璃たちが連れているのは北の民。10年ほど前に内乱を起こして処罰された裏切り者の一族だ。下手に関わればどんな害が自分にあるか分からない。
白髪の男に乗って玄武と戦っても、試験に合格できなければ何の意味もない。
ならば。
「うぜえんだよぶりっ子が!”北の民”なんて庇いやがって!”土石争”!!」
水色の髪の女子が、瑠璃に向けて土属性の魔法を放った。瑠璃はそれを避けたものの、それをきっかけにして、黒髪の大男も陽花についてしまった。
「俺は……正直南部出身だし、北の民とかそういうのはどうでもいいが。
散々山道を歩かされて、化け物相手に死ぬ思いをして。
それでここまで来て負け犬になるなんて御免だぜ!どうせなら勝ち馬に乗ってやる。紫の姐さん!この成願、この筋肉のように分厚い忠誠心で一生ついていきますぜ!」
黒髪の大男は上級魔法など持っていない。上級魔法を壊す手段がない以上、陽花に従うのが一番自分にとって得だと判断した。
「いい鳴き声だねぇ。あたしの部下として大事に飼ってやるよ、犬」
陽花は陶酔した表情で石段の上から瑠璃たちを見下した。
「正直恨みはないけど、まいっか。どうせ北の民だしね!あたしも島ちゃんに乗ろ!」
「俺も成願に続くぜぇ!ひゃっはぁ~」
「……うん。俺は島ちゃんについていこう」
黒髪の男子と水色の髪の女子が陽花に乗ったことで、黒髪の受験生3人も陽花についた。これで、海燕たち四人に対して陽花たち六人が、敵に回った。
「……ぼ、僕たちは真面目に玄武と戦うぞ!きみたち、どんな魔法が使うことがを出来るかを教えてくれ!僕は土属性の上級までならできる!」
白髪の男、退魔師出身の彼の思いも虚しく、退魔師たちは試験をそっちのけで私闘に走ろうとしていた。真面目に玄武と戦おうとしているのは、白髪の男と、あと二人の退魔師だけだった。




