第二十三話 四ノ島の試験 懺悔
やっっと海燕の掘り下げが出来ました
一仕事を終えた四人は、昨晩と同じように交代で火の番をしながら、夜の見張りをしていた。
魔力を使い果たした海燕と文次郎は早々に眠りにつき、名前も知らない紫髪の女子の傍に八雲がつき、その様子を見守っている。魔力を譲渡したからか、それとも熊肉や神木が体にほどよく作用したのか。少女はすやすやと穏やかな寝息をたてており、紫髪の髪にも、心なしか艶が戻ってきているように見えた。
そして八雲が眠りにつき、瑠璃が交代で火の番に入ってからしばらくして、眠っていた海燕は体を起こした。赤い髪には寝ぐせがついていて、あらぬ方向へと散らばっている。
(しょんべん、しょんべん……)
寝惚けた頭で木陰に用を足そうとしていた海燕は、しかしその寸前で思いとどまった。
(……穴を掘ってそっちで済ますか……)
用を足そうとしている木が何であったのかを思い出したのだ。今更神木の怒りを買って、命を落したくはない。
海燕はそのまま寝床に戻ろうとしたが、ふと、瑠璃が火の傍を離れていることに気がついた。
「何だぁ…?瑠璃…?」
彼女は火から少し離れた場所にあった、へし折れた神木のところにいた。ヒダル神の上級魔法によって根本から折れてしまった神木は、海燕にヒダル神の凶悪さを思い出させるには充分だった。
神木には大繩が巻きつけられており、瑠璃は一心に祈りを捧げているようだ。
海燕が声をかけるかどうか迷っている間に、瑠璃の体から特殊な魔力が漏れ出て、大繩を通して神木に注がれていく。
”注連縄唐草”によって、へし折れた神木に魔力を注いでいた。当然その程度で神木が回復するわけはない。
(止めねぇと)
海燕の頭の中の理性的な部分は、そう告げている。まだ試験が残っている。明日で、瑠璃たちは勝負を決めなければならない。今目の前に鳥居があるとはいえ、この試験にどんな罠や落とし穴があるか分からない以上、海燕はそれを止めるべきだ。
だが、海燕はなぜだかそれを止められなかった。一心に魔力を捧げる瑠璃の姿が、紫髪の女の子を治療していた時の姿と重なって見えたからだ。
何より、祈っていた瑠璃が呟いた一言だ。
「八雲くんを助けてくれてありがとう……」
神木には、海燕たち四人は確かに殺されかけたし、何か一つ間違えば死んでいただろう。不幸にも、この試験の中で命を落した退魔師だっていただろう。しかし、神木がなければ、八雲は死んでいた。八雲だけではなく、海燕や、受験生の女子も実の力で回復することは出来なかった。
神の恩恵を受けたならば、それに対して何かを返す、というのは海燕の中では筋が通った理屈だった。しかし、海燕にはその手段がない。瑠璃が練っている特殊な魔力は、今の海燕では精製できないからだ。自分にできないことを瑠璃がやっていてくれるのに、それを邪魔するなどあってはならない。
結局、海燕が瑠璃に声をかけたのは、瑠璃が魔力を注ぎ終わってからだった。
「……よぉ、瑠璃。おめー、随分と無茶してんなぁ」
「きゃっ!?海燕くん!?起きてたの!?いつから?」
背後から声をかけたので、瑠璃は飛びあがって海燕の方を振り返る。海燕とさほど変わらない身長の瑠璃は、背筋を正して海燕に向き直った。
「ついさっきだ。おめー、神木を治してたのかよ」
「……ええ。色々と言ったけれど、やっぱり人間の都合に巻き込んでしましましたから。魔力を捧げたけれど、この木が元に戻るのは五十年は先になりそうです」
「たった五十年で元に戻るのかよ!?神木てのはとんでもねぇ生命力だな!」
瑠璃に対して小言の一つでも言うべきところで、海燕の口から出たのは神木を称賛する言葉だった。根との戦いで散々苦しめられてその恐ろしさは身を以て知っていたが、その回復能力の高さには驚かざるをえない。
「交代まで時間があるし、海燕くんはまだ眠っていてもいいんですよ?あなたは誰よりも頑張って魔力を使い果たしたんですから」
瑠璃は海燕に眠りにつくように促す。海燕はぽりぽりと照れながら頭をかいた。
「ん…まぁそうなんだけどよ、目が冴えちまってな。俺の番までももう時間もねぇし、このまま起きてることにするぜ」
「そう。でも、眠くなったら寝てもいいよ?自分の体は大切にしてね?」
「その言葉そっくり返すぜ。おめー一人で突っ走ろうとした時は何事かと思ったんだからよ」
「あ、あれは緊急事態だったから仕方なかったんです!」
しどろもどろになる瑠璃を見てけたけたと笑い声をあげる海燕は、ふと、気になっていたことを聞きたくなった。
ひとしきり笑い終えたあと、軽い雑談のような形で、海燕は瑠璃に相談を持ち掛けた。
「……なぁ瑠璃、おめーが神木に使ってる儀式魔法、俺も使えたりしねぇか?」
「”注連縄唐草”ですか?」
「ああ。あの魔法、神様にも使えるんだろ?」
「!」
瑠璃の使っていた魔法は、儀式魔法という特定の手順を踏んで発動する魔法だ。ならば、特定の手順さえ踏めば誰でも使えるのか、というと、それは違う。
魔法を発動するのに必要なものとして、魔力を発動したい魔法の波長に変換しなければならない。海燕は魔力の変換が得意だが、瑠璃が神木に送り込んだ魔力には、変換できそうにない。
その魔力へと変換する方法が分からないからだ。
「……海燕くん、一つ聞かせて貰ってもいいですか?」
瑠璃は、居住まいを正し、地面に正座して海燕に向き直った。このとき、海燕は己の浅はかさを悟った。
(馬鹿だろ俺は!)
人にものの教えを乞うならば、きちんと頼む態度というものがあるではないか、と海燕は思った。
「ああ」
海燕は瑠璃を見習って、正座で瑠璃の目を見つめ返した。
「神に使う、とおっしゃいましたが。その神様はどういったものを考えています?私の魔法は神様になら何でも聞く、というほどに万能ではありません。神木のように意思疎通できる神様もいれば、ヒダル神のように、人間を使って増えることが存在意義だからこそ相容れない神様もいます。それはわかってくれますよね」
瑠璃は頼み込むような目で海燕を見た。”注連縄唐草”は、神と人との調和のために生み出された魔法だ。だが、当然ながらその魔法を使えない神は存在するし、安易に融和すべきではない神も存在する。
たとえば、座敷童という、住まった家に富と幸福を呼び込む神様がいた。かつて、その富を求めたある退魔師の一派は、平民や商家に住まう座敷童を捕えようと暴走したことがあった。
注連縄唐草と似て非なる捕縛用の魔法を使われ、不当に棲家から連れ出された童の姿をした神は、それに怒り、西部のとある地域に百年続く飢えと貧困をもたらし、大地の一部を砂漠に変えたという実話が残っている。百五十年前のことだ。
かつて、神を従えようと豊葦の国を荒らし、そして討伐された退魔師がいた。最終的に一級退魔師や、その上の将軍にまで死者を出したその退魔師は一族全てが滅ぼされ、名前すら残ってはいない。
安易に誰にでも教えるべきではない技術というものはある。地爆基や、海燕が使う木漏火が教科書から消されたように、瑠璃の使う注連縄唐草も、その技術を秘匿すべき危険性を持っている魔法なのだ。
「そりゃあ、そうだ。人間にとって都合が良い神様ばかりじゃねぇってのはよく知ってる」
海燕は瑠璃の言葉に深く頷いた。
「何のために、どんな神様に向けてこの魔法を使いたいのか。それを、私に聞かせてくれますか?」
瑠璃は自ら一歩斬り込んだ。
注連縄唐草は瑠璃の一族で継いできた魔法の一つだ。これがあったからこそ、瑠璃の一族は神木や他の数多くの神々と融和し、人を襲うもののけを退ける退魔師として犠牲を出しながらも、その地位を得てきた。この魔法は、安易に教えられるものではない。
上級以上の魔法はすべてがそうだが、この魔法に失敗すれば、神の怒りを買ってその場で死ぬことすらあり得るのだから。中級程度の難易度であっても、危険な技術であることに変わりはないのだ。
(あなたにその覚悟はあるの?海燕くん)
瑠璃は、あるはずだと信じて海燕の瞳を見た。そして、瑠璃は驚いた。驚きを表に出すことを必死でこらえながら、瑠璃は海燕の目を見続ける。翡翠石のような瞳には、恐怖が浮かんでいた。
「……」
海燕は真っすぐに瑠璃の目を見た。黒曜石より黒く、その中心に強い意志を宿した瞳。瑠璃の目を見て、長い沈黙のあと、海燕は意を決して話し始めた。
「……たとえばの、話だけどよ」
海燕は、どこまで話すのかを迷っていた。自分の目的でもあり、島のすべてでもあり、自分の信仰に関することだ。
瑠璃に話すことを決めたのは、彼女が誰よりも人と、人に対する神に対して真摯な人間だったからだ。
「ええ」
「小さな……ちっぽけな島があって、そこで祀られてる神様がいて。その神様を信仰すれば、島の皆が豊かになってうるおうんだとすれば、瑠璃はどうする?」
「配下の退魔師をつけて経過を観察しながら、都度対応を決めます。その説明ならばそれが一番無難でしょう」
「だよな。そりゃあそうだよな。でも、その神様が人間だったら?」
「!?」
「人間に神様を降ろす。降神魔法ってやつがその島にはあった。島で一番の……
優しくて、誰にでも分け隔てなく接することができて、誰より魔法が上手い。そういう奴が、神様になっちまう。そんで、神様になったらもう、そいつはそいつじゃなくなる」
「待って海燕くん、何を言ってるの。そんな非常識なことが今時あり得るわけが……」
そう言って瑠璃は気付いた。海燕が瑠璃のような退魔師と違っていて、何も違わないということに。
瑠璃が退魔師である自分自身に疑問を抱いて、もっと新しい魔法を知りたいと山を飛び出して町の道場に住み込んだのは十二歳のころだ。瑠璃の両親は瑠璃に呆れつつも好意的にそれを容認したが、保守的な退魔師だったならばどうだろうか。
退魔師の一族は、自分たちの地位と魔法、悪く言えば利権を守るために幼少期から一族の魔法を覚え込まされる。外で教えられている魔法に対して、自分が覚えている魔法がどの程度の危険度があるのか、効率がいいのか悪いのかが分からない状態で魔法を覚えるのだ。
比較する対象がいなければ、技術の良しあしなど子供には分からないのだから。
(海燕くんの育った島もそうだった?閉鎖的で外の情報が入りにくかったから、そんな魔法が蔓延してしまった?)
瑠璃の頭の中で、海燕の島の大人たちに対する嫌悪感と、自分の倫理観を押し付けるべきではないという自制心がせめぎあう。
「俺は……俺は知らなかったんだ。あいつが神様になりたくなかったなんて。ただ演じさせられてただけだったって。だからそうなる前に殺してくれって言われた」
あまりの内容に絶句する瑠璃に対して、海燕は止まらない。堰を切ったように、海燕の言葉は紡がれていった。
「剣を渡されたけど、俺は駄目だった。俺はもののけから人を守るために剣を振ってたんだ。そう言ったかもしれねぇ。だから、あいつが神様になっちまったのに、なりたくなかったのに止められなかった」
瑠璃はこのまま海燕に話をさせるべきか、それとも続けさせるべきか迷った。迷ったが、そのまま話を続けさせることに決めた。
曲がりなりにも神に関わる退魔師ならば、神によって心に傷を負った退魔師と向き合うのは瑠璃にとって当たり前のことだったからだ。
その判断を、瑠璃は後悔することになった。
「俺は強くならなきゃいけねぇ。強くなって、神様になっちまったあいつから、神様を追い出してぇんだ。そうしたらもしかしたら……もしかしたら、消えちまったあいつの人格も戻って来るかもしれねぇ。それが……友達として俺がしてやれる精一杯なんだと思う。だけど」
「あいつは言ってたんだ。自分には『神様になる以外の仕事がない』んだって」
「……」
瑠璃の心が激しい痛みを訴える。嫌だ、聞きたくないと悲鳴をあげる。
わかっている。この世が理不尽で、常に何かを犠牲にしなければ生きていけないことくらいは。
それでも、こんな重荷があるということが、傷ついている子供の存在が、瑠璃には悲しく、あまりにも痛ましかった。
その重荷を背負うことが、退魔師の仕事なのだから。
「神様じゃなくなったら居場所はねぇ。だからもう、殺してくれってな。だけど、俺は、神様とあいつとを選べなかった」
「……死がその人の救いになるとは限りません」
俯く海燕に向けて、瑠璃はそれだけを言った。生きて生きて生き抜いた末の死以外の不本意な死など、退魔師にはいくらでもある。しかし、いずれ死ぬために生かされる苦しみは、瑠璃の中で想像すらできない。だから、瑠璃は海燕のためにそう言った。
退魔師は人を助ける仕事である。瑠璃が今助けるべきは、海燕の友達ではなく海燕だ。
海燕はまた、少しずつ話し始めた。
「俺は、約束を守れなかったんだ。神様に消されたあいつだって、今さらだって言うかもしれねぇ」
「……約束を守れなかった?居場所がない?」
海燕と、その友達に対して悲しみを抱いていた瑠璃はそこでまた別の感情を抱いた。
怒りだ。
友達だからこそ、海燕はここまで苦しんでいるのではないか。
「それで。海燕くんはどうしたいんです?諦めるんですか?そんなあからさまな心が弱っただけの弱音で?友達をもう一度見捨てるんですか?」
居場所がないからなんだというのだ。
瑠璃だって十二歳で自分の居場所を放り投げてここにやってきた。海燕だって、島を出てここにやってきた。居場所がないならば自分で作ればいいではないか。そう、瑠璃の心に強い感情が湧き上がる。
「それでも俺は、あいつに何と言われてもいい。あいつを取り戻してぇ。友達だからだ」
その言葉を聞いて、瑠璃は何も言わずに海燕の手を取った。
(なるほど、確かに海燕くんの友達は生きることを望んでいなかったのかもしれませんけど)
「海燕くん。あなたは頑張ってるじゃないですか。だったら、それがどれだけお節介だろうが何だろうが、助けてから罵倒されればいいんです。こっちも言い返せばいい。それが友達ってもんでしょう」
言いたいことだけ言って、友達の心に傷だけ残していくなど、身勝手にも程があるではないか。瑠璃はそう強く思い、海燕の手を深く握りしめた。
こうして、当人たちにその自覚はないが、波止場海燕は唐草瑠璃にとってはじめての弟子となった。後にこれが、豊葦の国を大きく変えていくきっかけになることを当人たちはまだ知らない。
おっかしいなぁ
最初は瑠璃を元気づける海燕を書こうとしていたのにいつの間にか海燕が瑠璃に元気づけられている




