第二十二話 四ノ島の試験 吸収魔法
やっと少しだけ海燕を掘り下げられた気がします。
ヒダル神を討伐し、その魔力が完全に消え去ったのを確認した海燕は、すぐに瑠璃のもとに向かう。
瑠璃は”紅蓮紅臨”の魔力が全て消失したのを確認してすぐに、ヒダル神に憑りつかれていた受験生の手当てを再開していた。
瑠璃のもとに駆けつけた海燕は、受験生を一目見て青ざめた。
受験生の頬は痩せこけ、木乃伊と思ってしまうほどに衰弱しきっていた。
(……こりゃあ…すぐに何か食べねぇと…)
「なぁ瑠璃、俺の『神木の実』はまだ残ってただろ?それをこいつにやるぞ。なああんた、これ喰えるかい?」
いてもたっても居られず、ほとんど反射的に海燕はそう提案する。だが、それに待ったをかける声があった。八雲の声だ。八雲の声は重く沈んでおり、彼も事態の深刻さに胸を痛めているように感じられた。
八雲はちらりと受験生を見ると、深い無力感に襲われた。八雲では手の施しようがないほどに症状が進行しているように見えた。今晩も持たないだろうと思うほどに、受験生の少女は弱り切っていた。
「少し待て海燕。今、瑠璃は彼女の診察中だ」
そう言われても、海燕の目には瑠璃が受験生の体を触り、胸や掌に自分の手を当てているようにしか見えない。
瑠璃の邪魔をしないようにと、文次郎が海燕に説明をする。
「退魔師さんには”風診”と”水診”っていう風属性と水属性の診断魔法があるみたいなんだ。それで体の中の様子が分かる」
退魔師の一族が皇帝陛下に認められて権力の一部を持つことができたのは、もののけの脅威に対抗する武力を持っていたからだ。
だが、それだけでは長い歴史の中で君臨し続けることはできない。もののけ以上の武力があるだけでは、日々の営みの中で普通の人たちと生きることはできないのだ。
退魔師が持っていた魔法の技術の中には、火や水を操る日常生活に役立つ数多くの初級魔法がある。長い歴史の中で必要に迫られた退魔師は、戦いで傷付いた仲間の状態を調べるためだけではなく、病に倒れた人々を助けるためにもその魔法を発展させていった。
それが、瑠璃の使っている初級魔法”風診”と”水診”である。右手から放つ風属性の魔力と、左手から放つ水属性の魔力によって患者の内部を隅々まで診察するのだ。
瑠璃は4歳の頃から魔法を学び、前線には出なくても多くの仲間の傷を診察し、信者の健康診断をしてきた。
その経験が活かされたのか、彼女は受験生の少女の状態をほぼ正確に把握していた。
瑠璃はため息を吐きながら汗をぬぐい、三人に向き直る。
「彼女の診断が終わりました。事態は一刻を争います。三人の中で、魔力譲渡魔法の使用経験がある方はいますか?」
「魔力譲渡?」
「俺はない。文次はどうだ?」
「俺はあるぜ!」
「待てよ、俺もやったことあるけど何で魔力なんだ。そんなもん後回しでいいだろ。見るからに腹減ってんじゃねぇか。早く飯を食わせてやったほうがいい」
木乃伊のように萎んだ受験生を見て、焦りをあらわにする海燕の言葉に瑠璃は深く沈んだ気持ちになる。
瑠璃は一刻も惜しいとばかりに早口で説明する。
「不幸中の幸いと言いますか、私達との戦闘で負った傷はほとんどが内部には到達していません。外傷は神木の傷薬で治るものばかりです。ですが、体の内側は弱り切っています。今食べ物を大量に与えれば、喉も胃腸も胃袋も、奪われたものを一度に吸収しようとし過ぎてしまいます」
「……そうか、瑠璃ちゃん。この子は、今のままじゃ食べられないってこと?」
文次郎はちらりと受験生を見る。彼女はヒダル神から解放された後も、起き上がることも話すこともできないでいた。それどころか、横になったまま何も見ていないかのようにすら見えた。
食べることすらできないほど弱り切っているのは明らかだ。
「ええ。みんな、これを見て」
瑠璃は木の枝で地面に簡単な人の図を作り説明を続けた。
「彼女を襲っている飢餓状態は、ヒダル神の魔法によるものです。現実の飢餓とは異なります。栄養のあるものを食べる前に、彼女の弱り切った胃や腸や脳を活性化させなければいけません。その上で、食べ物を少しずつ必要な分だけ吸収できるように、魔力で体力を調整します」
瑠璃は図に胃や腸を書き込みながら話す。退魔師として努めて冷静さを装っているが、内心は焦りで一杯一杯だった。この状態になった患者は、体を作る肉や体調を整える山菜、奪われた水分と魔力を効率よく取れる神木の実だけでは回復しないのだ。
体の機能が弱り切っているために、体に少しずつ食べ物を与えても、肉体はそれを吸収しようと必要以上に暴れ回ってしまう。それに耐えきれるだけの体力が、今の受験生には存在しないのだ。
「魔力で一時的に体力を取り戻してもらった後、海燕くんや私の実や、山菜や肉類を食べてもらいます。八雲くんは柔らかく調理しておいて」
そこで、魔力を体力の代わりにする。人間の身体機能は、魔力を消費することによって強化され、また必要に応じてその機能を調整できる。これによって、受験生の体力を一時的に健康な状態へと近づけた上で、神木の実などを極限まで柔らかく流動的にし、少しずつ食べてもらい、体を平常な状態へと戻す。これが、進化したヒダル神に憑りつかれた患者の治療法なのだ。
魔力を消費しながら戦闘行為などの運動をすれば、神木と戦った海燕のように一瞬で魔力と体力を使い切ってしまうが、安静状態で受験生に魔力を注入し続け、かつ受験生の体内の魔力を外部から調整し続けることができれば、受験生の体力を回復させ、安定させることができる。
もちろん、それをし続けられれば、の話だ。
「それは承知した。だが瑠璃、まだ彼女の中にヒダル神が残っている可能性は?もし居たとしたら、かえって逆効果になるぞ。ヒダル神が体内で増殖している可能性だって否定できない」
「それはありません。”浄水”と診察で確認しました。ですが、彼女の症状はヒダル神の後遺症であることには違いありません。せめて、もう少し早くここに着いていれば良かったんだけど」
「理屈は分かったぜ。でもよ、どうやって魔力を渡すんだ?俺ぁ戦闘中に手渡ししたことがあるが、効率が悪すぎてどうにもならなかったぜ。あと、魔力の波長は人によって違うんだ。自分とかけ離れた波長の魔力を受けたら、拒否反応を起こして体に衝撃がいっちまうぞ」
海燕が言うように、魔力を人から人へと渡す際にはいくつかの課題があった。
そもそも、魔力を持っている退魔師であっても、その波長は一人一人が異なるのだ。皆が自分だけの鼓動で体に魔力を刻み込んでおり、たまたまその波長に近い魔法を最初に習得し、それを得意な魔法とし、魔力の刻み方を覚えた上で別の波長の魔力を習得しているだけで、人から人へと魔力を移すという行為には危険がつきもので、効率も非常に悪い。
そういった事情から、魔力譲渡の魔法自体は中級に属するが、誰に対してでも使えるというわけではない。可能な限り、受ける側の得意な魔力を譲渡する、といった不文律があるのだ。
「海燕、そりゃあれだよ。瑠璃ちゃんには儀式魔法があるじゃん」
「んぁ……?あの注連縄なんちゃらってやつか!」
文次郎の言葉に海燕は瑠璃が神木に対して使っていた魔法を思い出した。
「そうね。あの魔法なら、魔力損失を極限まで少なくして魔力を譲渡できる。ただ、魔力の波長をこの子に近付けた上でじゃないと意味がないわ。だから」
そう言って、瑠璃は真っすぐに海燕の、翡翠石のような瞳を見た。
「海燕くん、この子に、この子の魔力そのものを作って、送り出せる?」
それは、海燕にしかできない仕事だった。
「任せろ」
海燕は、決意を込めた目で瑠璃の目を見つめ返した。
海燕の育った島では、六歳から誰でも寺子屋にかよう決まりになっている。それは東西南北どこであっても、豊葦の国で育てられた子供ならばそうする。ただ海燕の島では、六歳からずっとある魔法の訓練をしている。
吸収魔法。己の魔力の波長を相手の魔力の波長ぴったり重ね合わせて、相手の魔法を自分の魔力として吸収する魔法。それが海燕の切り札だ。この魔法は、豊葦の国では一般的ではない。
その訓練を、海燕は六歳から十四歳まで、毎日やった。
瑠璃たちにはあえて話してはいないが、訓練の内容は訓練というよりはもはや実験に近い。幼い子供に、毎日毎日初級魔法を撃ち込み、魔力の波長を覚えさせる。島に住むあらゆる種類のもののけを拘束し、魔力を目の前で放出させ、それを子供の頭に染みこませる。
極めつけは、子供同士での暴力を推奨させ、魔法での喧嘩を推奨する。それによって、反射神経と魔法に対する警戒心を植え付けて、反射的に吸収魔法が使えるように教え込む。
当時は何とも思っていなかったが、今にして思えば頭がおかしいとしか言いようがなかった。漁師のような、もののけと戦闘する可能性がある家の子供だけではなく、その可能性がない家の子までそんな訓練を続けていたし、それが当たり前だったのだから。
お上の目が届かず、外の世界の情報もない辺境の離島であることをいいことに、村長も教師たちも、伝統と神の思し召しという名の下で百年以上もの間、子供に対して魔法を叩きこんできたのである。
故郷に対して愛がある海燕だが、その全てに盲従するつもりはない。いいものは良いし、悪いものは悪い。今後自分に子供が出来たとしても、同じことをする気は断じてなかった。
だが、その頭のおかしい技術が役に立つ日が来たのだ。
海燕は吸収魔法によって八雲から大量の魔力を吸収し、ほぼ全快に近い魔力を得た後で、木乃伊のように干からびた受験生の手をとり、その魔力を感じ取って、自分の魔力を受験生の魔力へと変換しようとする。
(……頼む……応えてくれ……!)
受験生の先天的な波長は、風属性の波長だ。憑りつかれたときの戦闘とヒダル神が使った魔法から、それは誰にでも分かる。
海燕が求めているのはさらにその奥。何千、何万という波長の組み合わせの中に存在する、この子だけの鼓動だ。僅かな乱れすら許されないそれを、海燕は探り当てようとしていた。
戦闘のとき、海燕が吸収魔法として用いる自分自身の波長は、相手が出す魔力に限りなく近い波長。
だが、それでは駄目なのだ。それでは、人を救うことなどできない。かつてない精度で、海燕の魔力は研ぎ澄まされていった。
海燕を待っている瑠璃たちにとっては、一秒が一分にも一時間にも感じられた。次第に雲行きが怪しくなり、八雲が風属性魔法で雨除けを作り終えたとき、海燕の声がした。
「準備完了だ。瑠璃、やってくれ!」
「はい!」
受験生の掌に、瑠璃の手から伸びた大繩がかるく巻かれた。儀式魔法の準備を整えた瑠璃は、深く深呼吸をして魔法”注連縄唐草縛り”を発動する。
瑠璃の”注連縄唐草縛り”は、縛り付けた相手に魔力を譲渡する魔法だ。神木との対話で使用した時は、その魔力を代価に神木を抑えることができた。
だが、今回の受験生に送るのは瑠璃の魔力ではない。
瑠璃の掌にある注連縄を、海燕の掌が握りしめる。海燕は、そこから限界まで調整した、受験生本人と見まがう紫色の淡い魔力を受験生の少女へと流しこみはじめた。
(……助ける!絶対に死なせねぇぞ!!)
目を閉じて必死に魔力を送る海燕の姿は、必死に何かへと祈りを捧げているようにも見えた。
(凄い……海燕くん!これなら、必ず彼女を助けられる!!)
大繩を通して受験生に魔力を送りこんでいた瑠璃は、歓喜に打ち震えていた。普通ならあるはずの患者の拒否反応がなく、受験生は送られる魔力を受け入れて、少しずつ少しずつではあるが、体力を取り戻していることが瑠璃には分かった。
(……まずいな)
それに対して、雨風から全員を守りつつ、料理の準備をしていた八雲は、海燕の姿に危機感を覚えた。
魔法の基本として、魔力の変換、魔力の制御、そして魔力の放出がある。海燕は、このうち魔力の変換が抜群に上手い。それこそ、八雲が今まで見たどの退魔師よりも上かもしれないほどだ。
その海燕が変換した魔力を、瑠璃はうまく制御して受験生に流し込んでいる。縄を通して海燕から受験生へと魔力が送り込まれる間、瑠璃自身の魔力は一切送り込まれていない。それに加えて、魔力の”制御”の部分を瑠璃が担当することで、患者の体のどの部分にどれだけ魔力を送るかを調整しているのだ。
上級魔法を習得しただけあって、その手並みは見事なものだった。
だが、外から様子を見ていた八雲にはわかる、このままでは、受験生を救うことはできないと。
「魔力が足りねぇな」
文次郎がぽつりとつぶやく。それは事実だった。海燕の掌から放出される魔力が、少しずつではあるが弱まっている。それに対して、受験生は少しずつ顔色を取り戻してきたが、まだまだ干からびた状態であることに変わりはない。今のままでは、海燕の魔力が枯渇した後も、状態をより良くできるかどうかは分からない。
同年代の子供たちが色々な種類の魔法を覚え、訓練していた時間で、吸収魔法の訓練を続けた弊害だろうか。それとも、何か別の理由があるのか。それは分からないが、海燕は、魔力の放出が上手ではない。上級魔法が使えない退魔師と同じくらいだ。
だから、魔力を送るときに損失が出てしまっているのだ。
その損失を補う手段は、海燕にはない。
(……ちくしょう……!)
それが誰よりも悔しかったのは、海燕だ。
他人を助けられるような退魔師になりたいと故郷を出ながら。
必ず試験を突破してみせると息巻きながら。
自分は強いと言い張りながら。
目の前の、たった一人の命すら助けられないのかと。
「海燕」
「!」
そんな海燕の肩に手を置いた人間がいた。
文次郎だ。
「俺が”水泡”を撃つから魔力を吸収しろ。ちょっとはお前の足しになるだろ。俺の魔力、無駄にすんなよ?」
「……おお。助かるぜ、文次。
……ありがとよ」
悔しさも、自分への怒りも、今は全て吞み込んで。魔力に変えて。
その肩に置かれた仲間の力を借りて、海燕は何とか仕事を全うすることができた。
仕事を終え、文次郎の巻き毛をくしゃくしゃにする海燕の姿を見て、八雲は思う。
(羨ましいな……)
あそこまで純粋に誰かを助けようとすることができる。そんな善性が、八雲にはたまらなく眩しかった。
最初に熊を倒したとき、「立派だったから」助けたと言った。だが、内心では、まだ見ぬ強敵に出会えるかもしれないからだと思ったからだった。そんな建前だ。
だが結果的に、あの言葉は嘘ではなかったのかもしれない。
文次郎に瑠璃にこの受験生にと、海燕は人を助けることに全力を尽くしていた。あの白川という受験生だって、助けようとしていた。瑠璃も文次郎もそうだ。
他人を助けようとする善性は、八雲にとってとても眩しく、時に直視できなくなるほどだった。
こうして、四人の連携によって、一時は意識が混濁していた受験生は、ヒダル神の後遺症によって弱ったから少しずつ本来の体へと戻し、小分けにしながら食べ物を食べていった。彼女が意識を取り戻したころには、周囲はすっかり暗くなっていた。
四ノ森の試験は、二日目を終わろうとしていた。時間切れまで、あと一日。
自分で書いていてなんだけどこの山は殺意が高すぎる。
受験生の命を何だと思っているんだろう。




