パリス地方 帰省4
翌朝はお互いにどこかぎこちない朝だった。一緒に朝食を取っていても無言の時間が多い。だって、キースの顔を見ていると嫌でも昨夜の事を思い出してしまうから。普段、何を話していたか思い出せなくなってしまった。
しかし、センスルに乗って走り始めると自然と気持ちは切り替わった。今日はいよいよカンネに着く。アスモとの対面だ。
天気もよく順調に進み、見慣れた景色の場所へと着いた。私の故郷、パリス地方の田舎町であるカンネだ。
この街の住人の8割は農業を営んで暮らしていて、家と家との距離がかなり離れている。そのため、隣の家に行くのでも馬がないと不便で仕方がない。
私はなるべく街の住人に会いたくないので、人のいる場所を迂回するように東へ回る。顔もフードで隠した。
アスモの診療所は街の一番東側の高台に位置している。大回りしてようやくそこへ辿り着いた。
診療所の横にある小さい馬小屋に入ると、馬が1頭繋がれている。それは、アスモがここにいて、今は患者も来ていないことを意味していた。
自分達の馬を繋ぐと、私はフードを被ったまま診療所の前に立った。2階建ての小さな診療所だ。私は息を整えてから、静かに入り口の扉を開けた。まず薬品の匂いがつんと鼻をつく。それを嗅いだだけで、帰ってきたということが身に沁みていく気がした。
「はい、いらっしゃ……」
机に向かっていた男がのんびりとした調子でそう言いながらゆっくりと振り返る。男は私に目を止めると僅かに目を見開いた。しかし、男、アスモはすぐに表情を柔らかく戻すと、
「これは驚いた」
と、言った。
「誰かいる?」
念のため尋ねると、
「今日はいないな」
と、どこか楽しそうに答えた。私はキースに中に入るように促し、すぐに扉を閉めるとフードを外した。
「久しぶりだね、リコル」
アスモは目を細めて私を見ている。私はそれを無視してアスモの横を通り抜け、狭い階段を登って2階へと進んだ。
2階には2つの治療用のベットと机、椅子、いくつもの棚が置いてある。棚には所狭しと薬品や本が無秩序に並べられていた。変わらない、本当に。
私は一通り部屋を見回してから、椅子に座った。私の後からキースも来て、部屋を見渡している。そんなキースに私はベッドに座るよう促した。
アスモはここへ滅多に人を通さないので、私は昔、ここで寝泊まりをしていた。置いてあった本を勝手に漁り、守護兵団になるための一般教養を独学で学んだりもした。
守護兵団に入ることは自分で決めた。兵士なんて興味はなかったが、この街が大嫌いで、ここから離れられるなら何でもいいと思った。守護兵団は入るだけなら実力主義で、能力や魔力が秀でていれば出生は問われないし、給料も良く、寮もある珍しい職種なので、これしかないと思って決めた。
ここで私は勉学と、アスモの仕事を通して自分の能力のコントロールを学んだ。そして、無理かと思っていた守護兵団への入団試験を、自分の能力を使って突破してみせたのだ。
私は何も喋らない。キースもそれに合わせてか一言も言葉を発しなかった。
ぎ、ぎと階段が軋む音がしてアスモが2階に登ってきた。手には2つのカップを持っている。
「遠いところ、疲れたでしょう。どうぞ」
アスモは私とキースにカップを渡す。カップの中身は茶色く濁った飲み物で、匂いも味も決して良くない。これも昔からよく飲んでいたものだ。アスモは不摂生している癖に、この薬を独自の配合で煎じた飲み物だけは欠かさず飲んでいる。これで自分の健康を管理している、と言い張るのだ。
キースはカップに口をつけると、苦い顔をしてすぐに飲むのをやめた。私はそれには手を付けず、アスモに視線を合わせた。
「元気だったか?」
私のことなんて心配してないくせに、と鼻で笑いながら「まぁ」と答えた。
「そちらの方は?」
キースが口を開きそうになるのを私は目線で制して、
「上官よ」
と、答えた。
「それはそれは。いつもリコルが世話になっています」
アスモは言葉だけで驚いて、キースに挨拶をした。
「リコルから聞いていると思いますが、僕はアスモディウス・ベーク。診療所を開いています」
キースはペコリと頭を下げた。
「お若い上官だ。こんな田舎の街まで来ていただけるとは」
アスモはそう言ってから私に視線を戻した。
「どうだい? 守護兵団は。昇進したんだろ?」
私はキッとアスモを睨む。毎月金は払っているけれど、こいつに守護兵団の話は一切したことがない。第三守護兵団に入ったことも、第五守護兵団にいたことすら。
郵便でお金を送っているのだからそれくらいのことは把握しているだろうと思っていたが、この男はどこまで知っているのだろうか。
優しげに細められた目が私には気味悪く感じられる。こいつは私達がここに来た理由も何もかもすべてわかっているようにすら思うのだ。
「まぁまぁそんなに睨むなよ」
答えない私を見てアスモは楽しそうに笑う。キースはそんな私とアスモの様子を少し困惑したような表情で見ていた。アスモはそんなキースに目を向けて、
「見たところ2人共、身体の調子は悪くなさそうだ。と、いうことは患者として来たわけじゃないんだね?」
と、尋ねる。キースが頷くと、
「かと言ってリコルが僕に結婚の報告に来てくれた……と、いうわけでもなさそうだ」
と、歌うように続ける。笑顔のまま、
「それならば僕に何かを教えてほしい、ということだ。オルナーガ家の方のご要望に応えられるかはわかりませんが」
と、言った。その一言にキースの表情がこわばる。キースはここに来て一度も名乗っていないのだから当たり前だ。
キースのことを知っている、ということは、恐らく特務部隊のことも知っているのだろう。
「いやいや、そんな警戒しないでください。僕はパリス地方のしがない医者です。それ以上のことはよく知りませんよ」
笑顔のアスモにキースは表情を崩さないまま頷いた。こんな田舎の人間が王都の守護兵団の事情を少しでも知っている時点でおかしいのだ。
「お金はいいですよ、僕はリコルの保護者だから。リコルからこれ以上お金はもらえない」
アスモはそう言いながら座っていた椅子から立ち上がって、その椅子を持って私の側に寄ってきた。
「さて、久しぶりの再会だ。まずはリコルの健康状態をチェックさせてもらおうかな」
アスモは持ってきた椅子を私の側に置いて、そこに座った。笑顔で手を出すよう促される。私は気持ちを落ち着けながら、手袋を外して左手を差し出した。
「脈を診よう。脈はその人の健康状態をわかりやすく教えてくれるからね」
アスモはそう言いながら私の左手首に触れる。
『なかなかいい男じゃないか、キースくんは』
触れた手からそんな思考が私の中に流れてくる。
『そんな話をしにきたんじゃない。さっさと終わらせてよ』
『わかっているよ』
私達は触れた肌から脳内で会話をする。アスモはそうしながらも表情は変えずに、
「何か変わったことはないかい? 体調を崩しやすくなったとか」
と、口では言葉を紡ぎ続ける。しかし、アスモの脳内からはそんな言葉は一切流れ込んでこない。思ってもいないことを口にしているのだ。
私がアスモを嫌いな理由の一つがこれ。私の能力を知りつつ、私がどんな時に触れようとも自分の思考を一切漏らさないように、自分の脳を完全にコントロールしている。
昔、何度も本心を探ってやろうと不意打ちで触れてみた。それなのに、何度、どんなシチュエーションでやってもアスモの本心は見事に隠されてしまう。私の天敵とも言える男なのだ。
私もアスモに合わせて口では適当に会話をしながら、脳内で会話を続ける。私からは自分が今どう思っているかは触れていても相手には伝わらない。意識的にアスモに言葉を送ることで会話をしている。
『あえての確認だが、リコルの能力のことを彼には?』
『言っているわけないじゃない』
『そうだろうね』
アスモは少し安堵した感情を伝えてきた。表に見える表情は変わらずの嘘くさい笑顔のまま。
『でも、リコルは彼をここへ連れてきた。と、いうことはリコルの生い立ちのことは?』
『……まぁ、だいたいは』
『へぇ』
完全に面白がっている。私は隠さずに表情で不愉快さを伝える。
『そんな顔するなよ。僕は喜んでいるんだよ。あのリコルが誰かとそこまで親密になるとは』
アスモは私の左手首から手を離し、今度は顔に手を当てて瞳孔を確認し始める。
『雰囲気も変わった。王都へ行けてよかったね』
『うるさい。私はあんたとそんな話をしにきたんじゃない』
『わかってるよ』
『ちゃんと持ってる情報、全部聞いていくから』
『はいはい』
「うん、ちゃんと元気そうだ。安心した」
私からようやく手を離し、健康チェックと称した脳内会話は終わりを告げる。私は肩の力を抜いて溜息をついた。
「それにしても、もう少し身なりに気を使ったらどうだ? 女の子なんだし」
「さっきからうるさいわよ」
私の言葉にアスモはケラケラと笑った。キースはそんな私を少し不思議そうに見ていた。キースに脳内の会話は聞かれていないのだから、さっきから、という言葉は不自然だったかもしれない。
「でも、表情は随分変わったね」
アスモは背もたれのない椅子に腰掛けながら目を細めて私を見た。
「リコルは誰とも関わらない、1人で生きているような子だったのに、随分柔らかくなったように感じるよ。キースくんのおかげかな」
「……やめてよ」
どこかからかうような表情と言葉に居心地が悪くなる。私はそんなに変わったのだろうか。
●王族紹介
アイレーン王子(22)
性別:男
ユーロラン帝国の第二王子。
兄キューレよりも社交的で明るい性格。
母親に似たのか、パーティが大好き。
国政の表舞台に立つようになってからは、各地の要人と積極的に交流を図るなど、持ち前の明るさから人脈を広めている。




