パリス地方 帰省3
翌朝、私は瞳を充血させて気だるそうなキースと共に宿を後にした。どうやらあまり眠れなかったらしい。やっぱりソファでは寝苦しかったのだろうか。それなら私がソファで寝た方が良かったかな?
昨日より落ち着いたペースで目的地に向けて進んでいく。フィデロ地方からパリス地方に入って道の起伏が激しくなってきた。それに、道もきちんと整備されていないところが多く、走りにくいことこの上ない。ユーロラン帝国一の田舎な地方というのは伊達じゃない。
夕方前に目星を付けていた小さな街に入ることができた。この街唯一の宿屋に入る。部屋を取ろうとすると、ここでも並びの部屋は空いていなかった。仕方なくまた2人一緒の部屋を取ることになる。
ここにもソファがあるのでキースがそこで寝ると言った。今日は私が! と、申し出るも「馬鹿か」の一言であしらわれてしまった。
キースと夕食を食べながらぼんやりと明日のことを考える。ここから目的地であるアスモの診療所まではそう遠くない。明日の昼過ぎには着けるだろう。
あいつに会って情報を得ようとするなら気を引き締めなければならない。すんなりと教えてくれるだろうか。
食事を終えて外に出て、ふと空を見上げる。たくさんの星が私達の頭上で輝いている。あぁ、私はパリス地方に戻ってきてしまったんだな。
「少し歩くか?」
私が星を見たいと思ったのだろうか、キースがそう提案してきた。まだ眠るには早いし、部屋にいてもやもやとした気持ちを抱えたまま過ごすよりも外で風に当たっていた方がいいかもしれない。そう考えて私は、
「うん」
と、返事をした。
「キース、酔っ払った?」
あまり人気のない街をキースと並んで歩く。何か喋らなくてはと思い、食事中にキースはお酒を飲んでいたので、それを話題にしてみた。
「だから昨日も言ったがそう簡単に酔わねえって」
「本当に?」
私はキースの身体に身を寄せて匂いを嗅ごうと試みる。しかし、匂いを感じる前にキースに、
「うわっ!」
と、声をあげながら思いっきり飛び退かれてしまった。
「な、何だよ急に!」
「お酒臭いかどうか、匂いチェックしようと思って」
「やめろ!」
「あ、やっぱりちょっと酔ってるんでしょ?」
私は目を細めてキースに疑念の目を向けたが、キースははぁ、と盛大に溜息をついた。
「お前は……」
「何よ?」
「いや、別に」
キースはもう一度溜息をついてから、私との距離を元通りに戻した。
あてもなく歩いていると川にぶつかったので、私達はその河川敷に腰を下ろした。改めて空を見上げると、街の灯りがなくなったせいか、先程よりたくさんの星が輝いて見える。
「今頃レイ達は何してるだろ」
リークル神国では能力が使えないのでイオルの通信能力も使えない。
「さあな。リークル神国は安全だから、案外任務を忘れて楽しんでるんじゃないか?」
それはあり得そうな話だ、と思う。楽しそうにはしゃぐイオルを嗜めるレイリーズなんて、想像に容易い。思わずくすりと笑ってしまう。
みんなと離れるのは久しぶりなように感じる。初めは1人部屋がいい、鬱陶しいとすら感じていたのに、あのイオルのキーキー声が聞こえないと物足りない気持ちになる。
こんなに騒がしい人達と過ごすのは初めてのことだ。毎日がお祭りのよう。
ぼんやりと空を見上げていると、昔はアスモの診療所で夜、することがないと部屋の灯りを消して窓から星を見ていたことを思い出した。あの時見ていた空と何ら変わりなく感じる。
それなのに今は隣にキースがいる。あの時はこんな風に誰かと一緒に星を見る時間が私に訪れるとは思ってもみなかったな。
「寂しかったのかな」
星を見ながらぽつり、と言葉を落とす。キースが隣で私の方を向いた気配がした。
私はずっと独りきりだった。あの街の住人に嫌われていただけで、世界が私を否定しているような気さえした。あの時はどうとも思っていなかったけれど、今あの時の感情に名前をつけるとしたら寂しいになるのかもしれない。
それが特務部隊に入って変わった。
「私のことを、人として対等に話しかけてくれたのは特務部隊のみんなが初めてだ」
それが温かくて、時折不安に思う程心地よくて、任務なのに、仕事なのに、こんな時間がずっと続けばいいとすら思うんだ。
「……俺だって似たようなもんだ」
「キースも?」
キースの言葉に私は首を傾げて聞き返す。
「俺を見る時、人は必ずオルナーガという名前を見ている。それを見ずに近付いてきたのはブルームと……リコルくらいだ」
「私はそもそもオルナーガの家がそんなにすごい家だって知らなかったからね」
自分の無知さにくすりと笑う。
「そんなやつなかなかいない。この常識知らずめ」
キースも私を言いなじりながらも珍しく穏やかな表情をしていた。それを見ていると、無知で困ることもあるがキースに関しては良かったのかな、とも思える。初対面から先入観を持たれてまともに話すらできない気持ち、私にはわかるから。
そう考えると私とキースは少し似ているのかもしれない。誰からも受け入れられずに、ずっと独りで。
「俺はこの特務部隊で功績を上げる。実績を出さない限り、俺はいつまでもオルナーガ家に縛られ続けることになるから」
キースの静かな瞳はセンスルの瞳に少し似ている、と思った。
「センスルの姓に戻りたいってこと?」
「いや、そうじゃねえ。守護兵団内で力をつければ、オルナーガ家の支配から抜け出せる。俺は自由になりたいんだ」
「自由……」
キースの言っていることすべてが理解できるわけではない。だけど、キースの肩には重いものがのしかかっていて、それを苦痛に感じているのだろうということが何となく伝わってきた。
「リコルだって同じだろ。金返して、必要な分すべて払えば育ての親から自由になれる」
私は驚いてキースを見つめる。そんなこと考えたこともなかった。出世の見込みがない私は少しずつ返していくことで精一杯。未来の分まで払って返済から抜け出すなんて考えてもみなかったのだ。
「そんなこと、できるのかな、私に」
「何でだ?」
キースは心底不思議そうに私を見返す。
「だって、私の能力、あれだよ? 何の役にも立たないじゃん」
「お前って自己評価が低いところがあるよな……」
「え? どういうこと?」
意味がわからなくて聞き返すと、
「ここで実績を残して目に止まれば、出世だってできるかもしれねえぞ。それに……今後どうなるか、わからないだろ?」
と、言われた。
キースの意味ありげな目を見て、今の状況を思い出す。そうだ、このまま薬物の流通の元凶が世に知れれば、キックス皇帝が失脚する可能性がある。その場合、次の皇帝はキューレ王子だ。キューレ王子は私達のことを知っている。そして、キックス皇帝の悪事を暴いた立役者ともなれば────
寒さではなく身体が震えた。
「そんなこと、考えたこともなかった」
「そういうところだよ」
不意にキースは笑って私を小突いた。意味がわからず私は目を白黒とさせる。
「俺達の今の任務の結果次第だ。やってやるぞ」
「うん」
キースから決意が伝わってくる。私だって自分のためにもこの任務を全うしたい。そのために戻りたくもない故郷に行くのだから。
「そろそろ行くか」
「そうだね」
長い間ここに座っていた気がする。身体も微妙に冷えている。でも、もう帰るのか、と思うと何故か少し寂しい気持ちにもなった。
「ほら」
なかなか立ち上がらない私にキースが手を差し伸べてきた。
「あ、うん、ありがとう」
ぎゅっと手を握って立ち上がる。手袋越しなのに、キースの手のぬくもりを僅かに感じてどきりとした。
「……?」
キースは私の手を握って離さないまま宿への道を歩き始めた。そんなこと予期していなかった私はバランスを崩しかけるが、キースがしっかりと手を握ってくれているのでなんとか持ちこたえることができた。
「キー……」
どうしたの? という疑問の言葉が浮かんで口に出さないまま消えた。心臓が大きく鼓動を打ちはじめて、息も苦しくなってしまう。
歩きだしてからもキースが私の手を離す気配はない。前にも転びそうになったことがあったし、私が転ばないようにそうしてくれているのだろうか。それとも、誰に狙われているかわからないから?
混乱する頭で理由を考えるも、そうだと思う正解には辿り着けない。私の手には手袋が嵌っているので心を読むこともできない。確かなことは、キースの大きな手が私の手をしっかりと、そして優しく握っているということだけだ。
距離が開くと歩きにくいので、なるべくキースの側に寄って歩く。誰かとこうして手を繋ぐことなんて初めてだ。人と接触するという行為は私にとって心を読むという能力を使う行為以外の何物でもなかったから。
ドキドキするのに不思議と嫌じゃない。繋がれた手から熱が伝わって胸の内から温まって行くように感じた。
ただ握られていただけの手に力を入れてそっとキースの手を握り返すと、キースの手がぴくりと反応した。
長くも短くも感じる宿までの道を歩き、角を曲がれば宿、というところまで来るとキースはゆっくりと手を離した。無言で歩いていたというのに口の中がぱさぱさと乾ききっている。
宿に着くと明るい照明に目が慣れず思わず顔をしかめる。目が慣れてきて隣のキースを見ると、うっすらと耳が赤みがかっていた。
部屋に戻ってからも私達は口数少なくそれぞれベッドとソファに横になったが、私はいつまでも手にキースの感触が残っているような気がしてなかなか寝付くことができなかったのだった。
●王族紹介
キューレ王子(24)
性別:男
ユーロラン帝国の第一王子であり、皇太子。
現状維持の政策を続ける父キックスに対し、キューレ王子は変化を求める改革派。
理想が過ぎるところもあるが、その政治に真っ直ぐで既成概念にとらわれない様は一部の文官や兵士に人気が出つつある。




