■第9話 鳴らないケータイ
それからというもの、リコは何処にいる時も何をする時もケータイを肌身
離さず持ち歩いていた。
常にぎゅっと握り締めるケータイはリコの手の平の中でしっとりと汗ばむ。
授業中のマナーモードにしている時も、もしかしたら振動音に気付かなか
ったかもと、10分置きにカバンの中のケータイが点滅していないかを
チェックした。
しかし、一向にコースケからの連絡は無かった。
忙しくて都合がつかないのか。
リコから連絡すべきなのか。
すっかり忘れてしまっているのか。
ただ、ちょっとからかわれただけだったのか。
日に日に、ネガティブになっていく。
悪い方悪い方にばかり考えは陥り、それでも一縷の望みを託すように新着
受信メールを日に何度も問い合わせる。そんな願い虚しくそれは ”0件 ”
という現実を呆気なく突き付けた。
毎朝ナチから入る ”連絡あった?チェック ”も、段々憂鬱に思えていた。
次第にナチもそんなリコの様子を察し、あまり訊いてこなくなっていた。
すごい勢いで舞い上がったかと思ったら、奈落の底まで叩き付けられる。
かなり大袈裟ではあるけれど、経験値の低いリコにはそんな気分だった。
鳴らないケータイを、ただボ~っと眺める毎日だった。
(私から、いつ頃がいいですかってメールしてみようかな・・・。)
電話で直接会話するわけではない。
リコにとって電話はハードルが高すぎる。電話番号も一応交換したけれど、
コースケからも来るとしたらメールだろうし、もし万が一にでも着信なんか
あろうものならリコの心臓は爆裂に早打ちして破裂しかねない。
(メールだったら都合いい時に読めるし、返事も出来るし、
・・・無視だって・・・
・・・しようと思えば、簡単に出来るし・・・。)
ただ1通メールすればいいだけの事。簡単な事だって分かっている。
最初はお決まりの挨拶をして、たった一行の用件だけ打込めばそれで済む。
分かっている。
分かってはいるけれど・・・あと1歩の勇気が出ない。
自室のベッドに仰向けに寝転がり、相変わらずぎゅっと強く握り締めていた
ケータイを勉強机の上に置くとリコは小さく気合いのガッツポーズをした。
お風呂に入ってしっかり覚悟を決めて、それからメールしてみようと決心し
ていた。
ミルク色の入浴剤が入ったお湯に、アゴまで浸かる。
浴室の小さな窓から覗く月をながめていたら、気付かぬうちに溜息が落ちた。
お湯が小さく小さく波打つ。まるでリコの心臓の鼓動に揺らいでいるように。
(このお風呂を上がったらメール・・・
上がったらメール・・・上がったらメール・・・
上がったらメール・・・上がったらメール・・・上がっ・・・。)
『リコー? お風呂ながすぎじゃない? 大丈夫なの~??』
(あれ・・・
・・・やけに遠くに・・・ お母さんの、声・・・?)
『リコ?リコー?!
・・・ちょっと大丈夫? 真っ赤じゃないの、リコ??』
お湯に入り過ぎて、のぼせてゆでダコ状態になってしまったリコ。
メールのことを悶々と考え過ぎてゆうに2時間は経過していたらしく、
母ハルコがそれに気付いて浴室のリコに声を掛けたのだった。
バスタオルでグルグル巻きに覆われたリコは、母と弟に両脇支えられて
2階の部屋まで運ばれた。
ベットに横になるとのぼせた額をタオルで冷やされ、リコの真っ赤な顔を
うちわで扇いでくれている母のぼんやりとしたシルエット。
思考回路が完全に停止していた。
ただただ、気分が悪かった。
そんなリコを余所に、机の上のケータイが小さく振動して光っていた。