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■第78話 髪の毛

 

 

 

リュータが目を覚ました時、一番最初に目に入ったのはナチの顔だった。

 

 

なんだか長い眠りについていた気がして目をしばしばと瞬かせながら、

ここが何処なのか分からずキョトンとして見渡す。あちこち痛む体に苦い

顔を作りつつも、今置かれている状況を把握しようと脳内フル回転させる。

 

 

目の前のナチは目に涙をいっぱい溜めて、怒ったような今にも泣き崩れそ

うな顔をしてリュータの手を握り締めていた。あまりに強く握られて少し

すり傷が痛んだけれど、じんわり伝わる温度とナチの息遣いに、リュータ

は自分がバイクで転倒したことをぼんやり思い出した。

 

 

  

  『髪・・・ 伸びたなぁ・・・。』

  

 

 

リュータがたどたどしく口を開き発した第一声は、それだった。

 

 

1年ぶりのナチは髪の毛が伸びたという、全く以ってこの状況に相応しく

ない緊張感の欠片もないお気楽なその言葉。言い方も苦しそうにツラそう

なものではなく、なんだかあまりに呑気で聞いてる方が拍子抜けするそれ。

 

 

それを聞いてナチが激怒した。


泣きはらした後の真っ赤な顔がますます赤くなり、握り締めていた手を乱

暴に振りほどき、体の横でその手をグーにして振り回す。

 

  

 

 『な・・・ 何言ってんのよ、バカっ!!


  ほんと・・・ もう本当に、


  死んじゃったらどうしようって・・・

 

 

  リュータさんが・・・ リュータさんが死んじゃったら・・・


  どうしようって・・・・・・・・ 私・・・。』

 

  

 

そうリュータに怒鳴り散らすと、ナチは病室のドアを大きな音を立てて開

け放ち飛び出して行った。その様子を驚いて見ていたリコが、慌てて追い

かけ廊下へと出る。


先程までリュータが眠っていた時の静まり返った病室内が一瞬騒然とし、

そして今、再び水を打ったように気まずくて重い沈黙に包まれた。

 

 

その現場を見ていたコースケが苦笑いしながら、言う。

 

  

 

 『第一声がアレかよ・・・


  お前・・・ ほんっと、バカだな・・・・。』

 

 

 

呆れるも、無事にリュータが目覚めてくれてコースケはホっとした様子で

頬を緩める。ベッド脇に置いた丸イスから少し身を乗り出して、リュータ

をからかうように覗き込み笑った。

 

 

すると、リュータが小さく呟いた。

 

 

 

 『いや。


  ・・・そうじゃなくて。

 

 

  そうゆう意味じゃなくて・・・。』

 

  

  

 

 

 

病室を飛び出し、病院1階の待合室のイスに腰掛けていたリコとナチ。


外来患者で騒々しいそこは、受診の順番を待つ人や会計を待つ人でいっ

ぱいだ。看護師が患者の名を呼ぶ声がひっきりなしに響いている。


何はともあれ、リュータが目覚めたことに安堵しかなく、変わらない

調子のいい姿に一時の怒りが治まると次第に呆れ笑いが出始めていた。

 

 

しかし、1年ぶりにやっと念願かなって彼らに逢えたというのに感動も

感激もないこの再会に、正直肩透かしを喰らった気分だ。

 

 

二人はぼうっと呆けたように背を丸めて待合イスに座り、互いに一言も

発しない。なんだかふわふわしたすわりの悪い状況に、夢を見ているの

ではないかと同時に自分の頬をきゅっと指先でつねって確かめる。


しかし突然の予想だにしない再会だったからこそ、あの頃のまま自然に

顔を合わせられたのも事実だった。自分たちの間にこんなに時間が経っ

ているなんて思えないほど、肩に力を入れずに。

 

 

 

ナチが今日はこれで帰りたいと言うので、リコが病室に二人分のカバンを

取りに戻った。


小さく2回ノックして静かに病室引き戸をスライドして開けると、それに

振り返ったコースケと目が合った。リュータは再び眠ったようだった。

 

 

再会した実感が沸くのと同時に、本当にコースケがここがいるという事に

リコは途端に心臓がバクバクと打ち付け、熱いものが喉元まで込み上げる。

 

 

思わず、反射的に目を伏せてしまったリコ。

 

 

 

 (ダメだ・・・ 泣いちゃう・・・。)

 

 

 

すると、 『・・・・元気だった・・・?』


静かな病室に、あの、やわらかい声。

 

  

逢いたくて逢いたくて仕方なかったコースケの、聞きたくて聞きたくて仕

方なかった優しい愛しい声。

リコはちょっとでも気を抜くと涙が溢れそうだった。

 

 

コースケに話したい事がいっぱいあった。


美大受験を決意してたくさん一人で絵を描いてきた事も、受験に手ごたえ

があった事も、たくさんたくさん。

コースケに聞いてほしい事が、いっぱいあった。

 

 

でも、リコの中では ”合格 ”という二文字を手に入れてからと決めてい

た。自分で作った約束を最後まで守ろうと、きゅっと口を堅くつぐむ。


泣きそうな顔を見られないよう慌ててカバンに目を向け、『元気です。』

と小さく返した。震える声に気付かれないか逸らしたその目はせわしなく

瞬きを繰り返す。

 

 

すると、コースケが丸イスから立ち上がって手招きをし、リコをリュータ

から見えない死角になった位置へ呼んで小さく小さく耳打ちした。


想像だにしなかった突然の至近距離にリコは息が止まりそうだったけれど、

コースケが耳元で囁いたそれに目を見張り驚いた表情になる。声を上げそ

うになった口を自分でいなすように、手を当てて覆った。

 

  

 

 『この話、ナッチャンには言わないでおいて・・・


  気にしたら可哀想だしさ・・・。』

 

  

 

リコはナチに ”この話 ”を今すぐ伝えてあげたい反面、試験を間近に控

えた今は言うべきではないのかもと、ぐっと言葉をのむ。


ベットに横たわるリュータへ、リコはそっと泣きそうに潤んだ優しい目を

向けた。

 

 

そして、待合室で一人待つナチの元へ急いだ。


『ナチ、追い込みの時期だもん。 ほら、帰ろう・・・。』

 

  

 

思い切り後ろ髪を引かれながら、リコはナチの背中を押し病院を後にした。

 

 

 


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