■第7話 彼の名前
彼は、もの凄く優しい顔をして向かいの道路の子供へ大きく手を振った。
それはまるで友達のような、兄のような。
否、なんだか父親のような・・・?
リコは、男の子が呼んだ名前を反芻する。 ”コーチャン先生 ”
(この人、先生なの・・・?
どう見たって大学生ぐらいにしか見えないのに・・・。)
『たっく~ん! ママはどうしたぁ~~?』
彼は負けず劣らず大きな声で、車道を挟んで子供に話し掛けている。
『ママ、いま、やおやさんで買い物してるぅ~~!』
負けじとその子も大声を張り上げて返事をした。
その二人の遣り取りを、ただその場で棒立ちして見ていたリコ。
何がなんだか分からないまま、リコだけ一人ポツリ取り残されたままで。
彼は男児に向けた微笑み顔のままリコにチラリと目を遣り、話途中で放置
したままだった事に気付くと少し慌てたように説明をした。
『この先に、ひまわり保育園てあるの知ってる? 公園の向かいの。』
突然なんの脈絡もなく問い掛けられたその話に、リコは訝しげな表情に
ならぬよう繕う。
(知ってるけど・・・ 保育園が、なんなの・・・?)
すると、彼は続けた。 『実家なんだわ、ウチの。』
『実家っ??』
(ぁ・・・
だから ”絵本 ”
・・・という事は、この人・・・ 保育士・・・?)
パチパチとせわしなく瞬きだけ繰り返すリコへ、彼は照れくさそうに。
『ぁ。 でも別に、先生でも保育士な訳でもないんだけどね~
当たり前にいつも周りに子供がウジャウジャいる環境で、
なんか、勝手に ”コーチャン先生 ”とか呼ばれてんの・・・
・・・ちょっと、ハズいんだけどねぇ・・・。』
そう言って、また困ったような顔で優しく笑った。
その顔をまじまじと見ていたら、思わず一言リコの口をついた。
『・・・ほんとの、名前は・・・?』
『コースケ。 ナナミ コースケ。』
(・・・・・・・・・。)
『コースケ・・・さん・・・。
・・・だから、”コーチャン先生 ”・・・。』
”コースケさん ”より ”コーチャン先生 ”という呼び名がこの人には
あまりにピッタリで、思わず肩をすくめてクスっと笑ってしまった。
(・・・コーチャン・・・先生・・・。)
心の中でもう一度呟き、目を細め手の甲を口元に当ててクククと微笑む。
すると、彼はリコの黒髪セミロングの頭を軽くほんの少しだけ手の平で
垂直チョップした。
ズビシッ!!
『ちょ。 ・・・今、バカにしたろぉ~?
笑ってんじゃないよ~ぉ!!
・・・で?
そっちの名前は? ・・・ ”1歩早かったチャン ”』
リコの頭頂部に、その大きくゴツいチョップの手を当てたまま。
『・・・タカナシ リコ、 です・・・。』
ただ自分の名前を言うだけの事なのに。
口から出た17年間言い慣れているはずのたった数文字が、やけにあつく
熱を帯びてリコの喉を通った。
触れたままの彼の手の温度が、微かに頭や髪に伝わっていたからだろうか。
真っ赤になっていたらと思えば思う程、どんどんそれが急加速しそうで
真っ直ぐ前を見れなくなっていた。
『ほんとに、あの絵本貸してもらっていい?』
そう言って、コースケがケータイを差し出し画面にアドレスを表示した。




