■第66話 ナチの所在
『ナチは来てないですけど・・・。』
リコの自宅電話にナチの母親から電話があった。
電話向こうのナチの母の慌てふためいた泣きそうな声が、リコの耳をジリジリと
熱くする。ナチがまだ帰宅していないという。ケータイも繋がらず、遅くなると
いう連絡も入っていない。時刻は夜の12時を過ぎていた。
リコが慌ててナチのケータイに電話してみるが、電源が入っておらずやはり繋が
らない。無味乾燥な機械音声があまりに呑気に抑揚なくそれを伝えるだけだった。
リコはすぐさまリュータに電話してみた。
すると、
『えっ・・・
アイツ、今日、約束の時間に来なかったんだよ・・・。』
リュータは、ナチに急用か何かがあって来れなくなったのだと思っていた。
連絡してもケータイは繋がらないから、どうしてもはずせない用事なんだと。
リュータの顔色が見る見るうちに青ざめてゆく。
(俺が、もっと早く気付いてれば・・・。)
自分でも気付かぬうちに手がブルブルと震えはじめ、片手で他方の手首を強く
掴みそれを抑えようとする。
そして部屋のローボードの上のヘルメットを慌てて引っ掴むと、弾かれた様に
玄関へと駆け込みスニーカーに乱雑に爪先を突っ込んだ。気持ちばかり焦って
中々スムーズに収まらない足先が無性に腹だたしくて泣きたくなる。
『くそっ・・・。』 八つ当たりのように低く吐き捨てた。
そんなリュータの切羽詰まった様子を目に、アカリは何があったのか訊く。
『ナチが・・・
・・・ナチが、まだ帰ってないらしいんだ・・・。』
そう言うと、アカリが何か言いかけるのも聞かずにリュータのバイクは荒々しく
エンジン音を轟かせ坂道を猛スピードで下って行った。
アカリは玄関向こうのもう見えはしないバイクの後ろ姿を見つめ続け、大変な事
をしてしまったと腰が抜けたようにしゃがみ込み、一人オロオロと狼狽えていた。
リコは、思いつく限り色んな人に電話をした。
クラスメイトもリカコの所も、勿論コースケの所にもナチはいない。
他にナチが一人で行くところなんて全く思い付かなかった。
(ナチになんかあったら・・・
どうしよう・・・
・・・どうしよう、ナチ・・・ 何処にいるの・・・?)
その頃、リュータはバイクをぶっ飛ばして思い当たる所は全て駆け回った。
声を張り上げてナチの名を叫ぶ。喉が枯れる程に叫び続け、ヘルメットの中で
その二文字がかすれてくぐもるも、何度も何度もナチの名を呼んだ。
ひと気のない暗い商店街に目を凝らし、血眼になって探し回る。
こんな夜更けに制服姿の女の子が一人でいるなんて、考えただけで心臓が縮み
上がる。リュータは怖くて不安で仕方がなかった。1秒でも早く見付けてあげ
なければ、迎えに行ってあげなければ。
ただただ、ひたすらナチの安否だけを気遣いながら、バイクは狂ったように
スピードを上げて漆黒の街を駆け抜けた。
30分後、リュータのケータイにリコから電話があった。
やっとナチと連絡がつき、終電を乗り過ごして今は隣街の駅にいるという。
電話を切ったリュータはハンドルのグリップを一気に全開にし、隣街へ向けて
エンジンをフルスロットルにした。
ナチは誰もいなくなった終電後の駅のベンチに一人ポツンと座っていた。
わずかな電灯と弱々しい自販機の灯りだけになってしまった、薄暗い駅。
家路に向かう酔っ払いがこちらを見て呂律がまわらない口調で何か言っている。
ナチは怖くて、ベンチに掛かる大振りの枝に身を隠すように小さく縮まる。
寒いのと心細いのとでも少し投げやりな気持ちで、ただただ身を潜めていた。
すると、遠くからもの凄いスピードで走って来たバイクが目の前で急停止した。
急ブレーキを掛けた際の耳障りな音が闇をつんざき、ひと気ない駅に響き渡る。
そして、バイクから下りたヘルメット姿がナチへ向かって真っ直ぐ駆け寄った。
突然のそれに、ナチは心臓が縮み上がるほどに驚き、目を見開いて怖くて一歩
も動けない。
そのヘルメットの男は、グローブの大きな手でナチの両肩を思いっきり強く掴
むと荒々しく揺さぶり、そしてベンチから立ち上がらせた。
ナチは悲鳴を上げる事すら出来ないくらい激しく怯えてガクガク震える。
すると、凄い勢いでナチに向かって怒鳴り始めたその男。
『こんな時間に一人で、何やってんだよっ!!!
・・・お前、バカかっ?!』
(ぇ・・・ この、声・・・・・・・・・。)
ヘルメットでくぐもった声だが、聞き間違えるはずはない。
いつも調子よくてお気楽で、でも頼り甲斐があって心配性で、優しくてあたた
かくて。好きで好きで大好きで、ナチの小さな耳を真っ赤に染めるただ一人の声。
言いたい事は山ほどあったのに、何も言い返せず一言も声を発することが出来ず
腰が抜けた様にその場にしゃがみ込んで泣き崩れたナチ。
痙攣したように全身を震わせるナチの喉から、悲鳴のような泣き声が溢れだし
暗くうら寂しい駅のホームに木霊した。




