■第53話 母
翌朝。リコは、母ハルコに付き添われて病院に来ていた。
負傷した左手首は時間が経つにつれだんだん痛みが増し、腫れて熱をもっていた。
次第に鮮明になる転倒した際の足の擦り傷と、体中あちこちに出来た内出血。
強く掴まれた腕には相手の指の痕がクッキリと残り、昨夜の事件の凄惨さを物語
っていた。
リコは憔悴しきっていた。
本来なら昨夜のうちに救急病院に連れて行こうと思っていた母に、夜闇を怖がり
泣き叫んで抵抗し、1秒でも早く安らげるあたたかい自宅に帰りたがった。
微かな物音にも怯え、少しの不安にもパニック状態になって泣きじゃくる。
そんなリコを母ハルコは優しく根気強く励まし、温かく包みこんだ。
心配したナチが自宅を訪ねたが、リコの動揺がおさまるまではそっと見守って
くれるようにハルコから頼まれた。
玄関先で佇むナチが涙ぐみながら、訊く。
『夜遅くにひとりで出掛けようとするなんて、
リコらしくない・・・
・・・どうしたんですか? リコ・・・。』
すると、
『あの子ね・・・
お弁当を作りたかったみたいなのよ・・・。』
ハルコがやわらかい声色でそっと呟く。
どこか遠くを見つめるような目で微笑み、まるでリコの心中をこっそり覗いて
いるみたいに嬉しそうに小首を傾げて。
『きっと、
最近なんだか一生懸命に絵を描いてる事に、関係あるのかしら・・・。』
それを聞いて、ナチはぎゅっと胸が締め付けられた。
コースケの為にお弁当を作りたくて、暗闇の中、息せき切って玄関ドアを飛び
出し頬を高揚させて坂道を駆け下りるリコの姿を思った。
(リコ・・・
コースケさんを、喜ばせたかったんだ・・・。)
ナチはリコの自宅を後にすると、すぐコースケに電話をした。
ケガをした経緯を聞きコースケもすぐリコを見舞おうとしたが、それはナチに
止められた。
少し落ち着くまで今はまだそっとしておいてあげた方がいいという事を伝える
とコースケもそれに素直に頷き同意した。
ナチはお弁当の件はコースケには黙っていようと決めた。
もしそれを知らせてしまったら、真面目なコースケのことだから責任を感じ
自己嫌悪に陥るだろう。
そんなコースケの姿を見たら、リコはますますつらい思いをし更に自分を責め
るはずだ。
大好きなふたりがこれ以上胸を痛めることの無いよう、ナチは自分の胸にだけ
しまっておく事にした。
その頃コースケは、今、リコに何をしてあげられるかを考えていた。
直接様子は見に行けないけれど、だからといってただ黙っている事も憚られる。
一人ウロウロと狭い自室内を歩き回り、無意味に天井を仰いだり足元をじっと
見つめたり何かいいヒントが無いか懸命に考えていた。
(なるべく、なるべく、
穏やかでいられるナニか・・・
やさしい気持ちでいられる、ナニか・・・。)
すると、コースケの机の棚に大切に立て掛けられたそれが目に入った。
何かを閃いたように自室を飛び出し騒々しい音を立てて階段を駆け下りると、
保育園の遊戯室への扉を開けたコースケ。
コースケは遊戯室の絵本コーナー前へやって来て、落ち着きなくドシンと腰を
下ろすと、1冊ずつ絵本を取り出してはめくって内容を確認しはじめる。
楽しい絵本、元気になる絵本、笑顔になれる絵本。
リコが少しでも絵本をめくって心癒される事を願って、真剣に選んでいた。
長いこと園の子供たちに愛されてボロボロになっているものもあったが、それ
すらも趣があって、ほんのり心があたたかくなる。
選んだ数冊をカバンに詰め込んで、コースケはリコの玄関前に立っていた。
ノンストップで坂道を走り続けた為、完全に息は上がっている。
腰に手を当て苦しそうに体を屈め、荒い呼吸をなんとか整えようと必死に。
玄関チャイムに触れようと伸ばした指先が微かに震え、それを押した途端
なんだか急に緊張して心臓が早鐘を打ち始めた。
一拍遅れてインターフォン越しに聴こえた、やわらかい感じの声。
(リコちゃんの、お母さんかな・・・。)
すると、玄関ドアが開いて母ハルコがコースケを見つめ、そして微笑んだ。
『あなたが・・・ そうなのね?』




