■第30話 リコの涙
リコは、飛び乗った休日夕暮れ時のひと気少ないバスの一番後ろの席に倒れ込む
ようにしがみ付くと、前の座席の背に身を隠すようにして力が抜けた体を潜めた。
口許に、少し震える手を押し当てる。
それは、まるで悲痛な叫びが溢れないようにするかの様に。
窓からは橙色のやわらかい陽がリコの俯く横顔をほんのり照らしたが、それすら
気付くことなど出来ない程に憔悴しきってギュっと目を瞑った。
いつもの場所でバスを下車すると、坂の上の自宅へ走る。
しかしそれは水の中で必死に前進しようとするかのように、思うようにいかず
もどかしい。危うく転んでしまいそうに、足元はもつれて覚束ない。
それでも、ただとにかく1分でも1秒でも早く家へ帰りたかった。
”ただいま ”も言わず玄関へ駆け込むと、そのまま2階の自室へ駆け上がる。
キレイに手入れしていたはずの白いスニーカーが、乱雑に三和土に引っくり返
ってアッパー部分が擦れて砂の色を付ける。
バタンと大きな音を立て自室のドアを閉め、リコはテレビのスイッチを入れた。
そして、リモコンでボリュームを上げると掴んだそれをローテーブルの上に放り
そのままベットへうつ伏せでバタンと倒れ込んだ。
枕に顔を埋ずめる。
両手で強く抱きかかえるようにして、溢れだす声が漏れぬよう必死に。
テレビから流れるお笑い番組の大袈裟なほどの笑い声に紛れて、リコの泣き声
がわずかにくぐもって響いた。
コースケにはずっと想っている相手がいる事は知っていた。
他の誰にも心が動かないということも、聞かされていた。
頭では分かっていたつもりだけれど、それでもやはりコースケに会うとリコの
心はどうしようもなく大きく揺らいだ。
ただ、他愛もない話をするだけで
ただ、顔を見合わせて笑い合うだけで
ただ、数行のメールを読み返すだけで
ただ、その痩せた背中を見つめるだけで
その想う相手が今は自分じゃなくても、コースケがその想いを手放す時が来たら
もしかしたらその時には、なんて都合の良い淡い期待もしなかったと言えば嘘に
なる。
そうはならなかったとしても、せめて近くにいられれば、見つめていられれば、
声が聞ければ・・・その優しくて大きな手には、たとえ触れる事が出来なかった
としても。
リコがそっと目を細めて見つめる先には、コースケの姿があってほしかった。
それだけでいいと思っていた。
それだけでいいと思っていた、のに・・・
今日。呆気なく、打ちのめされてしまった。
コースケがその人を身動きひとつせず見つめていた姿。
ただ真っ直ぐその人の元へ駆けてゆく姿。
その人の名を愛おしむように呼びかける姿。
そして、その人と向き合った時の距離感、空気、やわらかさ。
『入り込む隙間なんて・・・。』
浅はかな自分の考えを嘲笑うかのように震えて声はこぼれ、拭う事も忘れた涙が
後から後からリコの頬を伝った。




