■第28話 マリ
コースケは、よろけながらも真っ直ぐグラウンドへと駆け出した。
片付け途中の散らばったイスをその場に放り出したまま。
まるで、瞬きという行為を知らぬかのようにその目はしっとり潤んで。
世界中のすべての音を閉めだしたようにその耳を微かに染めて。
そこに佇む女性のであろう名前を、囁くように何度も呟きながら。
『マリ・・・・。』
リコはそんなコースケの背中を、瞬きもせず見ていた。
(あの人が・・・・。)
夕暮れのグラウンドには、コースケとその人とタクヤの影が伸びていた。
逆光で眩しかったけれど、コースケが背の低いその人をそっと覗き込むように
見つめているシルエットはハッキリ浮かび上がっている。
なんだかその三人の中には何があっても踏み込めない何かがあるように思えた。
遠く、リュータ・リカコもそれを悲しそうな目でじっと見つめていた。
しかしリカコは見ていられなくなって、顔を背けかぶりを振る。リュータは
諦めたように情けなく眉根をひそめ、小さく溜息を落とす。
ナチはただただリコのことが心配で、呆然と立ち尽くす背中へと視線を向けた。
(あの人が・・・ ”想いつづけてる人 ”)
視界がじんわり霞んでゆく。
鼻の奥がツンとして目頭のあたりが痛い。
心臓が壊れ狂ったように早鐘を打ち、呼吸が追い付かない。
あんな光景からは目を逸らしたいのに、リコの目はそう出来ずに見つめ続ける。
ただ立っているのでさえ苦しいのに、逃げ出したいのに足が動かない。
その光景がリコの胸の奥の一番やわらかい部分を容赦なく握り潰した。
リコは我に返ったように一気に息を吸いこむと、カバンを引っ掴みグラウンド
の脇をよろけながら駆け出す。足はもつれて巧く走れず、途中転びかけながら
それでも無我夢中でその場から離れようとした。
あの ”三人 ”から離れようとしていた。
『リ、リコっ!!!!!』
ナチが慌ててリコを追いかける。
リコの名を呼びながら一心不乱に後を追うも、その弱々しい背中へと手が届き
かけたと思った瞬間、リコは車道をすり抜けバス停にしがみ付くように駆け寄
り丁度滑り込んで来たバスに飛び乗って、一人行ってしまった。
ナチが肩を落としトボトボとリュータ達の元へ戻る。
その顔はいまにも泣き出しそうなのを堪えクシャクシャに歪めて。ナチの拳が
哀しみや怒りでぎゅっと握り締められ、体の横で小さく震えている。
『アイツは、ずっとああなんだよ・・・。』
リュータが寂しそうに低く呟き、ナチの肩にそっと手をおいた。
するとナチは少し睨んでその肩の手を乱暴に払いのけ、強い口調で言い返す。
『だって・・・
だって! たっくんのママって事は結婚してるって事でしょ?!
そんなの・・・ そんなの最低じゃないっ!!
・・・コースケさんも、あの人も。 最っ低じゃないのよっ!!!』
ナチが思いっきり毛嫌いするよな顔で吐き捨てた。
その目には怒りや軽蔑が滲み、ゆらゆらと揺れて光る。
口は真一文字に噤み、唇端は強張って引き攣った。
『・・・・・・・違うんだよ・・・。』
リュータが苦しそうにかぶりを振る。
まるで打ちのめされた様にガックリとうな垂れた大きな肩。
『そうじゃないんだよ・・・
コースケは・・・ そんな奴じゃないんだよ・・・。』
リュータのかすれた声が夕暮れの風に消えた。




