■第188話 自分の事しか
ゆっくりと開いた玄関ドアの隙間から見えたリュータの顔を、ナチが怒っている
ような哀しんでいるような顔でじっと見つめた。
室内へと促すように無言のリュータにより開かれたドアに、ナチは何も言わずに
靴を脱ぎ中へ入る。もう入り慣れた部屋の、当たり前にすら感じるこの空気。
居間の付けっ放しのテレビから流れる騒がしい音声を、不機嫌そうにリモコンの
ボタンを押してOFFにすると、テーブルの上に少し乱暴にリモコンを放った。
ナチはいつもの指定席のソファーではなく、床に正座して無表情で黙っている。
『なんか飲む?』 2ドアの冷蔵庫前でしゃがみ込み、お茶のペットボトルを
取り出し、グラスを2つ掴んだリュータ。
テーブルの上で注がれるお茶の音だけが、居心地悪いくらい静まり返った部屋
にコポコポと響く。
暫し、互いに俯いたまま目を合わせずに無言の時間が流れた。
すると、『ナチ・・・ ぁ、あのさ・・・。』 リュータが口ごもりながら、
言葉を紡いだ。
『内定・・・ 出たんだ・・・。』
その言葉にナチはガバっと顔を上げ、リュータを見つめる。
しかし、その先の言葉を待っているナチ。それはもうアカリから聞いて知って
いるのだ。それだけで話が終わるとは思ってなどいない。
無言の圧力で先を促すナチに目を遣り、リュータが大きくため息をついた。
そして、覚悟を決めゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
『この間、内定もらったんだ・・・
何社か受けた中で、
一番入りたいと思えた会社だったから、すげー嬉しかった。
でも・・・。』
ナチが『でも?』と、せっかちにその先をせがみリュータをじっと見眇める。
『・・・でも、
・・・3年は・・・ こっちに、戻って 来れ、ない・・・。』
その瞬間、キーーンと空気の張り詰める音が聞こえた。
リュータは呼吸すら忘れたように黙りこくって動きを止め、ナチを見つめた。
ナチは何も反応しなかった。
瞬きもせずに能面のような顔でただ黙っている。
もっと泣いたり叫んだり怒り狂う事を覚悟していたリュータは、逆に不安にな
り声を掛けることも出来ずに、ただただ泣き出しそうな顔で視線を泳がせた。
『ナ、ナチ・・・?』 小さく小さく呼び掛ける。
『ぉい・・・ ナチ??』 リュータがナチの肩にそっと手を置こうとした瞬
間ナチが急に立ち上がった。
『そこの会社じゃなきゃダメなのっ? 平気なのっ??』
ナチが一気に爆発した。
みるみる顔は真っ赤に染まって歪み、目は充血して潤んでゆく。
『3年だよっ?
3年も離れるっていうのに平気なのっ?
そこまでして、なんでその会社じゃなきゃダメなのっ?
リュータさん、全っ然 私のことなんか考えてな・・・・・・』
バンッ!!!
その時、リュータが思いっきり強く手の平をテーブルに叩き付けナチのそれを
遮る。リュータも一気に顔が赤く険しくなり、口元はふるふると震えている。
はじめてリュータのそんな顔を見て、ナチは目を見張って息を呑み固まった。
『自分の事しか考えてないのは、お前だろ・・・
いつまでも学生じゃいらんないんだよっ!
そうそう簡単に就職先なんて決まんねぇんだよっ!
なんで ”おめでとう ”の一言もないんだよ・・・
なんで・・・
・・・なんで、 ”頑張って ”って言ってくんねぇんだよ・・・。』
最後はフェイドアウトしそうに弱々しくこぼれたリュータのそれを、ナチは納
得いかない面持ちで唇を噛み締めていた。
そして、ぎゅっと目をつぶりやはり我慢出来ないといった顔で弾かれたように
玄関を飛び出して行った。
その時一瞬見えた横顔は、口元を手で覆っていたからきっとナチは泣いている。
しかし、リュータは追いかけずにその場に立ちすくんでいた。




