■第186話 永遠に失った光
『ねぇ? 写真撮ってくれない?』
ミホが公園で元気に遊びまわる子供たちに声を掛けた。
鬼ごっこをしている最中だったその男児は、一瞬困った顔を向けたが
ミホが顔の前で手を合わせて必死に懇願するので、渋々足を止め応じ
てくれた。
散々迷いに迷って決めた撮影ポイントは、結局今俺が座っている木陰
のベンチで落ち着いたらしかった。
『ただココのボタン押すだけでいいからね~!』
男児に使い捨てカメラを渡しボタンの位置を指示すると、ミホが慌た
だしく小走りで駆けて来て隣に座った。
俺はぎこちなく背筋を正し、あまりに久しぶりすぎる写真撮影に一応
心の準備を整えつつ、隣のミホに視線を投げる。
例えば肩をよせて寄り添ったり、手を繋いだり、撮影用に何かするの
かと思いきや、ミホはただ真っ直ぐレンズに向かって幸せそうに笑っ
ていた。
すると、『ココ押せばいいんだよねぇ?』
男児が指定されたボタンを押してもシャッターがおりないと困った顔
でカメラとミホを交互に見つめる。
ミホがベンチから立ち上がり男児へと駆け寄って、顔を並べてカメラ
と格闘するも、何回か試してみても何故か写真が撮れない。
そして、やたらと時間がかかってやっと撮れた時には疲れ果てた顔の
俺と、それとは対照的にやわらかい表情のミホがいた。
24枚撮りの使い捨てカメラで、本当にたった一枚だけの写真撮影。
さすがに他にも何か撮るのかと思っていたのだが、ミホは男児に礼を
言ってカメラを受け取ると、ベンチの座面に置いていたカバンを引っ
掴み走り出した。
『すぐ現像したいから、ちょっと行って来るねっ!!』
いくらなんでも気が早いとミホを止めようとしたのだが、何故かそれ
を頑として聞き入れないミホ。普段は頑固なタイプではないのに。
『じゃぁ一緒に行こう』という俺の声も聞かず、公園の狭い出入口を
抜けて道路へ駆けて行った。
ミホは途中振り返って、俺に嬉しそうに手を振って笑っていた。
幸せそうに笑っていたように思う。
逆光で眩しくて、本当はミホの表情は分からなかったように思う。
それが、ミホの最後の姿だった・・・
カメラ屋の手前で、歩道の信号が青に変わるのを待てず道路に飛び出
したらしい。スピードを緩めることなく突っ込んできた車に、ミホの
細い体はいとも簡単に突き飛ばされ、跳ね上がり、そして硬く冷たい
アスファルトに叩き付けられた。
即死だった。
辺り一面に響き渡った車の急ブレーキを踏む耳障りな音と、耳をつん
ざくような人々の悲鳴と、その後に遠くから雷鳴のように近付く救急
車のサイレンと。
それらが混ざり合って、いつまでもいつまでも耳の奥にうるさくて。
ミホの血だらけの左手には哀しい程に輝く真新しい、まだ馴染んでい
ない結婚指輪と、しっかり握られた使い捨てカメラ。本来は緑色のカ
メラにも嫌味なほど鮮やかな赤色がこびり付いていて。
たった一枚の写真を現像する為に、はしゃぎ、急ぎ、駆けて、彼女は
短い人生を終えたのだ。
絶望すると、人は何も出来ないということを知った。
泣き叫ぶ声も出ない。
悲しみ暮れる涙も流れない。
ただそこには真っ暗な闇だけが広がっていた。
もうどこにも光は無かった。
自分を照らし導いてくれるあのやわらかい光を永遠に失った。
そして、ただひとつだけ残ったものは後悔の念だけ。
日頃から100枚でも1000枚でも写真ぐらい撮っていれば・・・
ちゃんとしたカメラを買ってさえいれば・・・
ミホを一人で行かせたりしなければ・・・
後悔してもしてもし足りなくて、毎日毎日ただ彼女の元へ逝くことだけ
を願った。もう一度ミホに逢うために、ミホと共に生きていくために、
ミホの笑う顔を見るために、俺は毎日毎日逝く方法だけ考えていた。
俺は、ミホを失った・・・




