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■第177話 はしゃぐ顔


 

 

 『明日・・・ どっか行かないか・・・?』

 

 

夜更けの静かな教室でひとりキャンバスに向き合ったまま、キタジマは耳に当

てたケータイで言葉少なに語りかけた。途中途中で、何かを考え込んで言葉を

探し何か言いかけてまた言葉を呑む。

 

 

決して居心地は悪くない、どこかくすぐったい ”間 ”が二人に流れていた。

 

 

明日は午後から講義が入っていない話を、事前にリコから聞いていたのだった。


リコはキタジマから電話が貰えるだけでも充分嬉しいのに、”どこか行こう ”

なんて言われて、驚き舞い上がってイスから慌てて立ち上がる。電話越しにで

も喜び微笑んでいる様子が息遣いで伝わった。

  

 

 

 『えっ?! ほんとに??


  行きたい!! 行きます!!


  どこ行きますっ?! 行きたいトコあるんですか??』 

 

 

 

嬉しくて嬉しくて興奮し、はしゃぐ様子を隠そうともしないリコ。

普段のんびりした口調で話すくせに、今はやたらと早口で矢継ぎ早なそれ。


つられてキタジマも自然に顔はほころんだ。手の甲で口元を隠し背中を丸めて

照れくさそうに頬を緩める。

耳の奥に響くリコの嬉しそうなソプラノの声音が、寄せては返す波のように。

 

 

少し話をして、『おやすみ』と電話を切った。


本当はまだまだ電話を切りたくなくて、ずっと話をしていたくて、声を聴いて

いたくて、そんな4文字の挨拶はしたくない。


否。本当は電話じゃなくて直接顔を見たくて、細い指先に触れたくて、華奢な

背中を抱き寄せたくて。


決してリコ本人には伝えられないそんな想いを胸に、キタジマは通話が終了し

たケータイを掴んだまま、尚も照れくさそうに俯いて微笑んでいた。

 

 

そして、ゆっくり顔を上げると目の前のキャンバスを見つめる。

 

 

 

   そこには、優しく微笑む黒髪の女性の肖像画があった。

 

  

 

 

 

   

翌日、午前の講義を終えるとリコは駆け足でキタジマの元へ向かった。


その日の講義など全く頭には入らなかった。朝からソワソワと浮足立ち左手首

に付けた腕時計ばかりに目を落とす。そんな時に限って中々時間は過ぎてはく

れず、リコの口からは小さな溜息ばかりがこぼれて落ちた。

 

 

勢いよくいつもの空き教室ドアを開けると、キタジマはいつも通り咥えタバコ

で絵筆を握っている。しかしその顔は笑いを堪えるような、ぎこちないそれ。


遠く廊下の向こうからリコが大慌てで駆けて来る足音が、キタジマの耳にもし

っかり響いていて、可笑しくて可笑しくて勝手に頬は緩んだ。

 

 

『順調ですか?』 リコが少し息を切らせてキャンバスを覗き込む。


そこには、キタジマが最近ずっと時間を費やしているやわらかい風景画が着々

と完成に向かっていた。

 

 

 

 『・・・キタジマさんて、風景しか描かないんですね~?』

  

 

 

リコの無垢な一言に、キタジマの頬が一瞬引き攣りそっと目を逸らした。

 

  

 

 

 

二人で並んで昼下がりの大学の並木道を歩く。


太陽はてっぺんに鎮座しギラギラと光を差し込むも、通りの両サイドにある大

きなケヤキの枝ぶりの良い葉が丁度よく木漏れ日を作ってくれた。

リコ同様、午後の講義がない学生が気が抜けたようにのんびりと帰宅する姿が

チラホラと見える。

 

 

『どこ行くか決めました?』 リコはキタジマを覗き込むように見つめる。


その真っ直ぐな視線から照れくさそうに目を逸らし暫く考え込むと、キタジマ

は一人で納得するように一つコクリと頷いた。 『駅に行こう。』

 

 

駅の切符購入窓口でキタジマが二人分の切符を買った。そして、無言で1枚を

リコに渡す。


駅員に告げていた行先を聴き、リコの顔は目を見張りパっと明るくなっていた。

その喜ぶ顔を横目でチラっと盗み見たキタジマ。一緒に浮かれそうになる自分

を必死で堪え、こっそり顔を伏せて微笑んだ。

 

 

駅構内の小さな売店で、弁当と飲み物を買って電車に乗り込む二人。


指定席なのだから慌てる必要もないのに、リコはキタジマの腕を引っ張りせっ

かちに『早く早く!』と笑みをこぼし急かした。

 

 

平日の昼間なだけあって、乗客はそう多くはない。

リコはいち早く窓側を陣取り、隣の通路側にはキタジマが座った。

 

 

すると、乗車早々リコが膝の上にお弁当を乗せ、ゴソゴソと広げ始めた。


キタジマが少し呆れて肩をすくめ笑いながら、そんなリコを見て言う。

『そんなに腹減ってたの?』

 

 

『キタジマさん空いてないんですかー?』 笑われて照れくさそうに口を尖ら

せ眉根をひそめて割り箸をキタジマに渡しながらも、リコの表情はめまぐるし

くクルクルと変わる。

 

 

 

 『だって、なにより・・・ すっごい嬉しいんだもんっ!!』

 

 

 

静かに動き出した電車の、窓から入ってくる心地よい風に黒髪をそよがせて

リコが眩しそうに目を細め笑って言った。

 

 

 

 (だって、嬉しいのよっ!!) 

 

 

 

よくそう言ってはしゃいでいた懐かしい顔が、キタジマの頭をかすめた・・・

 

 

 



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