■第176話 手放したくない温もり
キタジマは薄暗い教室でひとり、あの日コースケに言われた言葉を思い返
していた。
『卑怯、か・・・。』 口に出して呟いてみる。
猫背の痩せた背中が弓矢のように更に丸くなり、どこか自分に向け嘲るよ
うに小さな嗤いがこぼれ落ちた。
そのたった2文字には憎しみや軽蔑や怒りが詰まっていて、キタジマの心
に重く圧し掛かった。
最初は、亡き妻になんとなく似ている気がした。
次第に距離が近くなるにつれ、その感覚はどんどんスピードを上げて増し
ていった。もしかしたら妻本人なんじゃないかと思うほど、笑い方や言葉
の選び方、仕草、口をつぐみ黙る時の間が・・・
リコの中には妻ミホが存在しているんじゃないかと思うほどだった。
しかし、そう思えば思うほど比例して積もるのは罪悪感だった。
リコの好意には気付いていた。自分もリコを愛おしく思っていた。
でもそれは、リコを通して妻ミホを見ているだけなのかもしれない。
愛おしいのは、求めるのは、リコではないのかも・・・
日々、自問自答した。
リコを傷つけたくはない。泣かせたくなどない。このまま、うやむやなま
ま傍にいていいのか。時が経てばミホの残像は消えるのか。
悩みながら苦しみながらも、一人でいたくなかった。
不器用でぶっきら棒な自分の傍には、明るくあたたかく照らしてくれるリ
コが必要だった。
否、”必要 ”なんじゃない。
ただ、傍にいてほしかったのだ・・・
昔は一人でいる事になんの不自由も寂しさも感じなかった。
むしろ、気楽でその方がいいとさえ思っていた。
しかし、それはある日突然、目の前に現れた。
眩しくて目がくらむような感覚。毛布でくるまれるような懐かしい温かさ。
交わす言葉に胸が躍り、何も語らない時間に安らぎを感じた。
触れ合った指先のぬくもりに頬は熱くなり、抱きしめた身体の心許なさに
強くあらねばと誓った。
・・・永遠に、続くと思っていた。
一度温かさを知った人間は、それが無くなった時には以前とは比べ物にな
らないほど凍え震える。
一人が辛く寂しくなる。こんな事なら最初からずっと一人でいれば良かっ
たと思うほど。
ミホを失って一度凍りついたキタジマの心は、もう凍えたくないと叫んで
いた。やわらかく包んでくれるあの温もりをもう二度と手放したくないと。
自分の弱さ、ずるさを嫌というほど感じていた。
そんな自分に自己嫌悪になりつつも、どうしても手を離したくなかった。
どうしてもリコに隣で笑っていてほしかった。
そっとジーンズの尻ポケットからケータイを取り出した。
そして、ゆっくりと親指でその登録先を指定しボタンを押す。
静かに耳の奥に響くコール音。それは4回目に繋がった。
『キタジマさん・・・?』
やわらかな声色に、自分でも驚くくらい胸が高鳴っていた・・・




