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■第171話 大丈夫


 

 

ガードレールに寄り掛かって、リコはひとり佇んでいた。


夜のこの時間の大通りは車の走行量も多く、ぽつんと心細げな背中を車

のヘッドライトが次々と照らしては素っ気なく通り過ぎてゆく。

 

 

泣きじゃくった目元や頬が熱い。そんな顔をキタジマに見られたくなか

った。キタジマのことだから、きっと言葉は無いけれど内心心配するは

ずだ。思わず電話してしまったけれど、迷惑だったかもしれないとリコ

は反省し更に落ち込んでゆく。


せめて少しでも元気なフリをしようと何度も何度も目をこすり、赤く火

照った頬の熱を気にしていた。

 

 

すると、遠くから鈍い音を軋ませながら一台の自転車が猛スピードでや

って来るシルエットが見えた。


それは痩せて長身で、古く錆びついた重いペダルを立ち漕ぎして身体を

右に左に揺らしながら段々近付いて来る。古いボロ自転車に加えて少し

傾斜がある為、尚の事ペダルは重くだいぶ脚には負荷が掛かっているの

だろう。しかし大慌てで踏み込むその姿を目に、リコの胸がぎゅっと熱

くなり再び一気に涙が込み上げた。

 

 

 

嬉しくて有難くて、そして愛おしくて。

 

 


リコは潤んだ瞳を細め頬を緩めると、思わずぷっと吹き出した。

 

俯いて背中を丸め肩を震わせ、口元に手をあてて声を押し殺して笑う。

黒髪が肩の震えにあわせて小刻みに揺れ、照らされるヘッドライトの光

に清流のようにたゆたう。

 

 

すると、普段立ち漕ぎなど決してしないであろうその姿は、俯くリコの

前で耳障りなブレーキ音を立て急停車した。

 

 

 

 『・・・ってお前。 笑ってんじゃねぇかよっ!!』

 

 

 

リコを心配して猛烈に自転車を漕いでやって来たキタジマ。

ひとりメソメソ泣いてるんじゃないかと、大慌てであのボロ自転車でか

っ飛ばして来たというのに。


運動不足な不健康な身体は急激な負荷に悲鳴を上げ、息が切れてゼェゼ

ェ肩を上下させながらしかめっ面で一瞬リコを睨み、しかしちょっとだ

け安心した顔を向ける。

 

 

リコは尚もクスクス笑いながらチラっと目線をずらすと、ボロボロの自

転車の荷台にはちゃんと座布団が紐で括り付けられている。古いタイプ

のそれは、直接座ると錆びで衣服が汚れるだけでなく、きっとお尻が痛

くなり長い時間は腰掛けていられないと思えるもので。

 

 

我慢しきれずリコが声を出して笑った。

身体を屈めてよろけながら、愉しそうに嬉しそうに幸せそうに笑う。

 

 

 

  キタジマの優しさに、思いやりに、あたたかさに、


  全てに、心がまぁるく溶かされてゆく・・・

 

 

 

『さっさと乗れ。』 照れくさそうに目を眇めるキタジマに、リコは後

頭部をパコンと軽く叩かれた。


尚もケラケラと笑いながら、リコはキタジマの言葉にコクリと頷き従う。


その時、やっと真っ直ぐ目が合った。

まだ泣きはらした真っ赤な瞳のリコを、キタジマはやはり心配そうに眉

根をひそめて優しく見つめ返した。

 

  

  

キタジマの背中にもたれ掛かりながら、ギシギシと軋む古い自転車で夜

の街並をのんびり走り抜ける。


先程までひとりだった時は車道に響き渡る車の走行音がなんだか怖くて

心細かったのに、今キタジマの腰に腕をまわし痩せた背中に耳を付けて

寄り添うリコは心の底から安心することが出来ていた。

 

 

キタジマの心臓の音がトクン・トクンと小さく小さく耳の奥に響く。


なんだかそれはまるで ”大丈夫・大丈夫 ”と言われているみたいで、

やわらかくて心地良くて、ずっとこうして月夜の径をのんびり駆けてい

たくなる。

 

 

やはり、キタジマは何があったのか一切訊こうとはしない。

相変わらず口数が少なくて不器用なキタジマを、リコは心から愛おしく

思っていた。


この背中から伝わる微かな体温も、シャツから漂うタバコのにおいも、

たまにさり気なく後ろを振り返りリコを心配する姿も、全てが・・・

 

 

 

 『腹減ったなぁ・・・。』

 

 

 

キタジマがボソっと呟いた。

そして『ラーメン屋行くか?』とリコを振り返り、眩しそうに笑った。

 

  

 

 

 

久しぶりに駅前のラーメン屋へやって来た二人。


暖簾をくぐり店内へ入ると、店主が『おお!キタちゃん』と笑顔を見せ

た。そしてリコを見て嬉しそうにニッコリ微笑む店主。ちゃんとリコの

ことも覚えていたようだ。

 

 

二人はカウンター席へ座る。今回も他には客の姿はなく、相変わらず付

けっ放しのテレビを見ながら片手間に麺をゆで始めた店主に、リコは思

わず笑ってしまう。


キタジマは前回同様、黙って新聞を広げてリコのことなど気にしていな

い風だった。

 

 

しかし、リコはもう分かっていた。

二人で並んで座るのが照れ臭くて、新聞を広げ隠れているだけの事だっ

ていう事を。

 

 

リコが笑いを堪えながら言う。 『また財布なくさないで下さいよ?』

 

 

するとキタジマは新聞からチラっと目だけ出し、リコを睨んでまたすぐ

新聞へ戻っていった。

 

 

 

相変わらずの汚い店内。


テレビから流れる熱狂的な野球観戦の音声。ナイター中継に興奮する店

主のボヤキが小さく聴こえる。贔屓にしているチームはどうやら劣勢の

ようだ。

 

 

 

 『ありがとう・・・。』

 

 

 

リコはテレビの音声に紛れ小さく消え入るようなトーンで呟いた。

キタジマには、きっと、届いていないと思った。

 

 

すると・・・

 

 

 

 『もう大丈夫なのか・・・?』

 

 

 

新聞に隠れたままのキタジマが優しく返す。


それは泣きたくなるほど、あたたかくて切ない響きだった。

 

 

 



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