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■第170話 涙


 

 

 『そんな風に・・・


  思わせぶりな態度とるの、もう、やめてよ・・・

 

 

  優しいフリなんかしないで・・・


  気まぐれに優しくされる身にもなってよ・・・

 

 

  ・・・私は、


  私は、たくさん傷付いたっ!!』

 

 

 

静まり返った園の遊戯室に、リコの張り上げる声が木霊した。

 

 

そう怒鳴りながらもリコ自身、自分勝手なことを言っているのは分かっ

ていた。例えコースケに想いが届かなくてもそれでもいいと思ってきた

この数年間。”好きでいさせて ”と勝手に宣言したのも自分なのだ。


しかし、そんなに人は強くいられない。積もり積もった行き場のない想

いを結局は半ば八つ当たりのようにコースケのせいにしてしまう。

 

 

リコの悲痛な叫びは静まり返った遊戯室の天井に、壁に、反響する。

その壁には二人で懸命に描いた数々のイラストが、今となっては哀しく

佇んでいる。

 

 

そして、痛く苦しい耳を劈くほどの沈黙が二人の間に流れた。

 

 

リコはいまだ両腕で頭を抱えぎゅっと目を瞑ったまま、微動だにしない。

呼吸をするのでさえ辛そうに、華奢な身体を更に小さく縮めて。

 

 

すると、泣き出しそうに俯いてじっと足元を見つめていたコースケが静

かに口を開いた。

 

 

 

 『あの夜は・・・


  リコちゃん、すげぇ酔ってて・・・

 

 

  急に起き上って、フラフラしながら下におりてったから、


  俺、心配でついてったんだ・・・。』

 

 

 

リコは頭を両手で抱え込んだ体勢のまま、ピクリとも動かない。


正直なところ、 ”あの夜のこと ”など聞きたくない。思い出したくも

なかった。 

 

 

 

 『そしたら・・・


  そしたら、泣き声が・・・

 

 

  リコちゃんの、泣き声が、響いて・・・

 

 

  壁に・・・ しがみ付いて、ひとりで、泣いてて・・・

  

  

  ・・・それ見たら


  俺・・・ 心臓が潰れそうに、痛く、なって・・・


  苦しくなって・・・   

 

 

  それで・・・ 俺・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』

  

 

 

『やめて。』 リコが俯いたままコースケを制止した。その声は冷静で

感情のない嫌忌のそれ。

 

 

 

 『同情なんてやめて。


  可哀想な子を見るように扱わないで。

 

 

  なんとも思ってないくせに、


  自分の気が向いた時だけ優しくして、その気にさせないで。

 

 

  卑怯なマネしないで・・・。』

 

 

 

そして、ゆっくりと顔を上げるとリコはコースケを射るように真っ直ぐ

睨んだ。

 

 

 

 

    『・・・あなたの方が、よっぽど卑怯だわ・・・。』

 

  

 

 

低く絞り出すようにそう呟くと、リコは足元のカバンを掴んでガバっと

立ち上がり弾かれるように走って園を出て行った。


一瞬見えたリコのその横顔は、もうこの場に1秒もいたくないとでも思

っているように引き攣って歪み青ざめたそれで。

 

 

リコの走り去るスリッパの足音が遠く小さく、そして裏口のドアが開閉

する音と共に消えた。

 

 

コースケはゆっくりとゆっくりと、崩れ落ちるようにイスから下り床へ

とへたり込んだ。

 

 

もう、何も考えることが出来なくなっていた。

リコの最後の言葉だけが、延々、頭の中をリフレインする。

 

 

遊戯室にひとり座り込み、顎を上げ天井を見上げて自分自身に失笑する。

あの夜の事を、もう思考が停止した頭でぼんやりと思い返す。

 

 

 

あの夜。


月夜が差し込む遊戯室で、泣き続けるリコをそっと抱き締めたコースケ

の頬にもまた、涙が伝っていた。


そして、リコのすすり泣く声に紛れて小さく呟いた、今まで言えずにい

たその言葉。胸に秘め続けた想いは、透明な雫とともに哀しく零れる。

 

 

 

   『好きだよ・・・

 

 

    君が・・・ 好きだ・・・。』

 

 

 

 

      もう、リコには届かない・・・

 

  

  

 

 

 『キタジマさん・・・。』

 

 

保育園を飛び出したリコは、何処に向かうでもなく闇雲に通りを歩き

ながら思わずキタジマに電話をしていた。


その頬には堪え切れずに幾筋もの涙が伝って、顎から滴っている。

キタジマに泣いている事を気付かれないよう、涙につまる声をなんと

か隠そうといつも通りを装おうと必死になっていた。

 

 

『・・・どうした?』 静かな静かなキタジマの声。


まるでゆったりと引いては寄せる波のように、穏やかでやわらかい。

言葉の隙間のいつものタバコの煙を吐く ”間 ”に心から安心し頬を

伝う涙はとどまる事を知らぬように流れ続ける。

 

 

きっとキタジマは泣いている事に気付いている。


しかし、リコが自分から言い出すまで、気付かぬフリをして静かにい

つまでも待ってくれていた。

 

 

 

 『ドラえもん・・・。』

 

 

 

涙を堪える沈黙の後、リコが突然ポツリと一言呟いた。



 

 (ドラえもん・・・・・・?)

 

 

 

ケータイを耳に当てるキタジマが、固唾を呑んで目を見張る。

 

 

その瞬間、

 

 

 

 (あたしが描ける唯一の。) 

 

 

 

もう二度と逢えない懐かしい顔が目を細め微笑む想い出がフラッシュバ

ックのように甦り、キタジマは胸が締め付けられ息苦しくて眩暈がする。

 

 

 

 (ねぇ、キタジマ君。)

 

 

 

もう二度と聴くことが出来ないあの声があの呼び方が、耳鳴りのように。

 

 

すると、

 

 

 

 『ドラえもんの・・・ ”どこでもドア ”があれば・・・


  今すぐ、そっちに行けるのにね・・・。』 

 

 

 

リコは自分で言った言葉が馬鹿馬鹿しくて可笑して小さく笑った。


ケータイを耳に当てたまま、クスクスと尚もひとり笑い続けるリコ。

しかし次第にその笑い声は切ない泣き声に変わり、その場にしゃがみ

込むように体を小さく縮め声を震わす。

 

 

  

 『今、どこにいる・・・?

 

 

  ・・・迎えに行くから・・・。』

 

  

 

耳に響いたその低く優しい声音に、リコが声をあげて泣き崩れた。

 

 

 



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