■第163話 二人乗り
夕暮れの時間まで、二人は教室でのんびりしていた。
何を話すでもなく、ただゆったりとした時間が1秒ずつ流れてゆく。
互いの呼吸をする音が聞こえるほど、教室内は静まり返っていた。
しかしその沈黙の時間も窮屈には感じない二人。ウトウトとまどろんで
しまいそうに心は凪ぎ、そして居心地がよくてそっと目を伏せた。
小さくなったタバコを消して空缶に落とし入れたキタジマが、静かに立
ち上がった。その横顔に窓から差し込んだ橙色の陽が当たって、痩せた
喉仏が逆光に浮かぶ。
『・・・そろそろ帰るか。』
その一言を聞きたくなくて、まだまだキタジマとここに二人で居たくて
リコはうな垂れそうになるも、キタジマも家に帰って休みたいだろうと
ぎこちなく頬に笑みを作って首を縦に振り応じた。
校舎裏の、あの錆びれた自転車がある場所にやって来た。
キタジマは荷台に野菜が詰まった段ボールを紐でグルグル巻きに括り付
け傾がったり落ちたりしないか入念に確認する。そしてそれが問題ない
と分かると、自転車のストッパーをはずしハンドルを握って押して歩き
出した。
リコがパタパタと追い掛け、その横に並んで歩く。
すると、校舎敷地の広目の通りまで来たところでキタジマが脚を止め、
慎重に自転車に跨った。
その様子をリコはただ見ていた。心の中で ”グラグラしないのかな? ”
と呑気に他人事のように思いながら。
サドルに跨ったキタジマと目が合い、互いになにか言いたげに顔を見合
い暫し目線は絡み続けると、
『後ろに立つんだよっ!』
そう言って、笑いながらキタジマはリコを促す。
まだ状況が把握できていないキョトンとした顔のリコに、後方を乱雑に
顎でクイっと指して。
『だって! 荷台に座れな・・・』
『後輪のどっかテキトーなトコに足乗せて、立てって!!』
可笑しそうに、キタジマがケラケラ笑う。
『送る』というただ一言だけでは、荷台に大きな段ボールを括りつけた
自転車でどう二人乗りをするかなんて分かるはずないか、と自分の言葉
の足りなさに少しだけ反省しながら。
笑い過ぎてその振動が腕に伝わり、段ボールを括りつけた自転車まで少
し揺れてしまって、『揺れる揺れる』と呟きながら尚も笑った。
リコは思い切り不安顔をしながら、いまだ戸惑ったままそっとキタジマ
の肩に手を置いた。
はじめてしっかり触れるキタジマの肩の大きさと堅さが少し照れくさい。
そしてそれを支えにして体を持ち上げ、片足ずつ後輪の爪の部分に爪先
を乗せる。しかしそれはどう考えても不安定でぎこちなくて、肩を掴む
指が食い込むほどに力が入っていた。
『しっかり掴まってろよ。』
キタジマは肩に食い込むリコの指の強さに微笑みそう言うと、自転車は
はじめはノロノロと、次第にスピードを上げて走り出した。
リコは初めての立ち乗りが怖くて、自転車のペダルをこぐキタジマの肩
にしがみ付くように更に手に力を入れる。
『あ。 掴まれっ!!!』
キタジマが叫んだ瞬間、自転車が石ころを踏んで少しよろけた。
その直後、右に左にと大きく揺れリコは思わず小さく悲鳴を上げる。
そしてバランスを崩したリコが思い切りぎゅっとキタジマの背中に抱き
ついた。
リコの右頬に、キタジマの左耳が触れた・・・
急接近したキタジマの伸びてきた髪の毛からは、いつものタバコの微か
な匂いがする。そして、やわらかな風になびくリコのシャンプーの香り
もまた、キタジマに伝わっていた。
互いの心臓が大きくドキンドキンと跳ねる・・・
急に恥ずかしくなってしまって、リコは『ごめんなさい』と小さく謝り
抱き付いた体をパっと離した。
そしてキタジマの肩に再び手をおき、なんとかバランスを保とうとする。
しかし中々うまくいかず、危なっかしくヨロヨロとよろけ肩を掴む指先
だけやたらと力が入って白くなるほどで。
すると、『・・・さっきみたいに掴まっとけ。』
キタジマが小さく呟いた。それは心の奥底にまで響くような低く優しい
それで。リコの心にあたたかく切ない波紋がゆっくりと広がる。
『・・・はい。』
頬を赤く染めたリコが再びキタジマの背中へそっと抱きついた。
その大きな肩に体を寄せ、両腕は後ろから回して抱き締めるようにして。
俯いて一度目を閉じ、深呼吸をする。
痩せている割りにキタジマの肩や背中はガッチリしていて、”男の人 ”
だという事を改めて感じる。
こんなに間近でキタジマをじっと見たのは初めてだった。
意外に睫毛が長い。また少し無精髭が伸びてきている。
耳の形がキレイ。首は筋張っていて、喉仏が浮き出ている。
少し乾燥した唇をぼうっと見つめる。当初とは比べ物にならないくらい
よくしゃべり、よく笑うようになったそれを。
じっと見つめるリコの息がキタジマの首筋に優しくあたっていた。
決して顔には出さないものの、リコの体温を背中に直接感じるこの距離
にキタジマもまた、ドキドキしていた・・・




