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■第162話 段ボール


 

 

久しぶりの大学の校舎はまだ夏休み中という事もあり、ひと気もなく静まり

返っていた。

 

 

二人は2階の教室への階段をあがる。

踏面をゆっくり一歩ずつ踏みしめると、古い階段はギシギシと歩みに合わせ

て仲良く二人分の音を立てた。


当たり前だが美大らしく、そこかしこに鼻に付く絵具の匂いが漂っている。


それにうんざり顔をしながらも、どこか心が安らぐのは何故だろう・・・

絵を描く人間は皆同じようにそう感じるのだろうか。

 

 

いつもの空き教室へ入ると、窓を閉めっ放しのどんよりと空気がこもった感

じがした。リコが空気の入替をしようと窓の桟に指をかけ、鈍く重いそれを

上方へ押し開ける。


しかし開けたところで今日は蒸し暑くて、風は全く通らなかった。

リコがしかめ面で振り返りキタジマへ無言で訴えると、やわらかい表情で同

じようにしかめ面を返す無精髭。二人の間に優しい風が通り過ぎた気がした。

 

 

抱えていた段ボールをゆっくり床へ下ろしたキタジマ。


丁寧に置いたつもりが、結構な重量がある為ドサっという音が静かな部屋に

鈍く響く。ずっと重い段ボールを持っていた両腕がダルくて、苦い顔で右手

で左腕を上から下に揉んでいる。

 

 

そして、首を傾げたまま床の上のそれを見眇めポツリと呟く。

 

 

 

 『・・・これ、相当重いぞ?』

 

 

 

『どうやって持って帰ろ・・・。』 リコも、少々困り顔で情けなく笑った。

  

  

 

キタジマがいつものくたびれたイスに深く腰掛け、タバコを1本取り出し咥

えた。いつものその景色がなんだかやけに懐かしくあたたかく感じる。


リコは嬉しそうに目を伏せ、相変わらず画材が散らばるテーブルの上を片付

け買ってきた昼食を広げ準備をした。

 

 

二人は絵具がこびり付いたテーブルに向かい合って何も喋らずに昼食を摂っ

ていた。何故か沈黙でも全く気にならなかった。むしろ、それが心地よくて

安らいで、まるでゆったりと寄せては返す春のうららかな海のようで。

 

 

 

 (この部屋にこんな風に二人でいるのって、いつぶりだろう・・・。)

 

 

 

リコが両手で掴んだサンドイッチを一口齧りながらふと思った瞬間、

 

 

 

 

 『ココでこうしてるのって、いつぶりだろうな・・・。』

  

 

 

キタジマがぼんやりと何処を見るでもなく見つめ、ポツリ呟いた。

 

 

 

 ゲホッゲホッ・・・ 

 

 

 

驚いたリコがパンを喉に詰まらせ、思い切りむせて咳込む。


乾いたそれは喉の壁に引っ付くように停滞し続け、いくら咳払いをしても息苦

しさは治まらず、どんどん込み上げる涙に目は真っ赤に充血した。

 

 

キタジマが慌てて立ち上がり缶ジュースをリコの手に押し付けると、大きな手

でその情けなく丸まる背中をトントンと優しく叩きながら、呆れたように目を

細め小さく笑う。 『ナニやってんだよ・・・。』

 

 

 

 『だって・・・


  ・・・私も今、おんなじこと考・・・ ゲホゲホゲホッ・・・。』 

 

 

 

リコは必死に言葉にして、再び苦しそうに涙目でむせる。

 

 

『無理してしゃべんなって。』 キタジマが笑いながら尚も背中を叩く。


トントンと叩いていたそれは、リコの咳が収まってゆくのと同時に次第に優し

くさする。まるで親鳥が雛を守るような慈しむような大きな手の平からのぬく

もりがリコの心の中へダイレクトに伝わった。


むせて涙目だったリコの瞳に、じんわりと優しい雫が更に込み上げていた。

 

  

  

 

 

 

 『ぁ・・・ いい方法があるぞ。』

 

 

そう言うと、キタジマはリコを連れて校舎の裏へ行った。


まるで暗黙の了解で粗大ごみ置き場のようにされているそこにあったのは、荷台

が付いた古くて錆びた大きな自転車だった。昭和のテレビドラマで蕎麦屋の岡持

ちが乗るようなレトロなそれ。だいぶ前に学生が放置していったらしく、ずっと

誰にも使われずそこにあったという。

 

 

『荷台に段ボール括り付けたらイケるだろ?』 自転車の荷台をポンポンと叩き

自信満々に言うキタジマ。少し触れただけで指にしっかり付いた錆を、両手をパ

ンパンと払いそれでも得意気なその横顔に、リコが困り顔で口を尖らせ呟く。

 

 

 

 『でも・・・ 私、


  重い荷物乗せて、こんな大っきい自転車なんか乗れるかなぁ・・・。』

 

 

 

その不安気なボヤキを聞いて、キタジマがケラケラと声を上げて笑った。


『タカナシ一人で乗れなんて言ってないだろが?』 キタジマが眩しそうに目

を細め微笑む。 

 

 

 

 『・・・送ってやるよ。』


 

 

 


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