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■第157話 妻の顔


 

 

キタジマは、祖母キヨの家の縁側に腰掛けて虫の音をぼんやり聞いていた。

 

 

リコが帰ってしまった後のキヨ宅は、あちこち照明が切れたように薄暗く感じ

あの時間は夢だったのではないかと思うほどに侘しさだけが漂う。


キヨとの食事は特に、まるでお通夜のように静かだった。

互いの咀嚼する音と、付けっ放しの然程面白くもないテレビの音声と、外で延

々響いている虫の音だけ虚しくこぼれる。

 

 

 

 『シュンと二人は、つまらんもんだねぇ・・・。』 

 

 

 

キヨが箸でつまんだ里芋を目に溜息を落とし、遂に言葉に出した。

 

 

『悪かったな、俺で。』 キタジマが不満そうにボソっと言い返す。

そして互いに見計らったように同時に大きな大きな溜息をついた。

 

 

  

 

 

柱に背中をもたれ、足を前に投げ出した格好でキタジマはタバコを吸っていた。


ここでリコと過ごした数日を繰り返し思い返していた。最初から最後まで何度

も何度も。リコの笑った顔、驚いた顔、引っ張り上げた二の腕の感触、握った

手のあたたかさ、そして抱きしめた時の華奢な身体の熱。


まるで初恋のそれのように、何をどうやってもリコを頭から締め出すことが出

来ずそんな自分が照れくさくて、無意味に首の後ろをボリボリと掻きむしる。

 

 

ふと、居間に置いてあるスケッチブックを引っ張り寄せた。


そっとページをめくると、そこには花に埋もれて絵を描くリコの姿がある。

あの日の嬉しそうに夢中で描くリコが脳裏に浮かび、思わず目を細め頬を緩ま

せ微笑んだ。


指先で優しく優しくページの中のリコに触れる。それはひんやりと冷たくて、

本物のリコの身体は体温が高った事を再び思い出し、いい大人なはずのキタジ

マの頬が急にジリジリと熱くなる。


思わずうっとりと眺めている自分に気付き、キヨに一人でニヤけている姿を見

られぬよう慌てて咳払いをして顔を伏せた。

 

  

 

ぼんやりとスケッチブックの中のリコを眺め、灰皿を持ってくるのを忘れた事

に気付き取りに立ち上がった時、膝の上に置いていたもう1冊の古いスケッチ

ブックが床に落ちた。それは四隅が擦り切れ表紙も少しくすんでしまっている。


縁側の廊下にコトリと落ちた音が小さく響くと、その拍子にスケッチブックが

開かれ中のそれが現れた。

 

 

キタジマがそれを見て、一切の動きを止め瞬きもせず固まる。

 

 

そこに描かれていたのは、亡き妻ミホの顔。


それは、何枚も何枚も描かれていた。

正面、横顔、斜め後方から。

笑った顔、怒った顔、すねた顔、ぼんやり遠くを眺める顔、驚いた顔。


一緒に過ごした日々の、いつも傍にいたミホを、全部写し取ろうとするかの様に

キタジマは何枚も何枚も描いていたのだった。

 

 

しかしそこにはミホの哀しそうなそれだけ無かった。哀しいと思う事が無かった

訳ではないだろうに、何故かミホはそんな顔を見せたことがなかった。


陰でひとりでこっそり泣いたりしていたのだろうかと、今更ながらキタジマの胸

は切なく痛む。我慢させていたのだろうか、無理させてしまっていたのだろうか。

 

 

 

あれから3年経った。

 

 

ミホが目の前から永遠に居なくなり、何もする気が起きなくて空っぽになってい

たキタジマも、気が付けば少しずつ少しずつ前進していた。


一時描けなくなっていた絵も、また描けるようになった。

閉ざしていた心も、また少しずつ前を向けるようになった。

笑うことを忘れていたのに、また笑えるようになった。

 

 

そして。また、誰かを愛しいと思えるようになっていた・・・

  

  

  

 『ミホ・・・ これでいいのかな、俺・・・。』

 

  

  

キタジマが星空を見上げて小さく呟いた。


縁側で一人、まるで迷子の子供のように心許なく背中を丸め、少し震える声を

落とすとそれは呆気なく夏の夜の虫に掻き消される。


ミホが返事をしてくれたらいいのに、と叶わない願いなのに本気で思っていた。

 

 

そして、大きく大きく溜息をつく。答えなんか出る気配はなくて、そっと目を

伏せ縁側にゴロンと寝転がる。ひんやりとした床の心地良さをTシャツの背中

に感じ、もう一度溜息をついた。

 

 

ぼんやり見上げるキタジマの揺らぐ瞳に、今夜も満天の星空が映っていた。

 

 

ふと、リコを想う。


今この瞬間何してるのか、何を考えているのか、誰を想っているのか、少しは

想ってくれているのか、リコ本人を目の前にすると上手に気持ちを表せない自

分に嫌気がさしてなどいないか。まさに思春期の初恋のそれ。

 

 

思わずケータイを取り出そうとジーンズのポケットに手をかけた瞬間、着信メ

ロディが夜空に響き吸い込まれた。

  

 

 

  ◆From:タカナシ


  ◆Title:こんばんは。


  ◆今、夜空を見てます。


   でもそっちみたいにたくさん星が見えないの。


   今夜も満天の星空ですか・・・?

 

  

  

キタジマがケータイの画面を見て、小さく声を出して笑った。


胸の奥がきゅぅっと掴まれたように歯がゆく痛みを発し、嬉しくて仕方がない頬

がだらしなく緩んでゆく。

 

 

『シュン~? 何が可笑しい~?』 キヨがそれを不思議そうに見て呟いた。

 

 

 


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