■第152話 その手のぬくもりを
木陰で休憩をとる二人。
互いに大きなハルニレの樹皮に背中を付け寄り掛かり、脚を伸ばして座った。
真夏の日差しは増々威力をまして照り付けるも、大振りの枝が張り出すハルニ
レのお陰で二人には葉の影が体のあちこちに広がり、涼やかな風が通り過ぎる。
キタジマはリコのスケッチブックをめくり、夢中になって懸命に描いていたそ
れをやわらかく見つめ、小さく口元を緩ませながら言った。
『タカナシらしさがよく出てんな・・・。』
『私らしいって?』 リコがキタジマを見つめ、首を傾げる。
パチパチと瞬きを繰り返すその瞳は、長いまつ毛にハルニレの隙間から差した
光が積もり眩しそうで。
無邪気に真っ直ぐ見られて、キタジマが照れくさそうに慌てて目を逸らしわざ
と言い捨てる。
『THE・単純。』
『なんですか、それっ!!』 からかわれて隣で不貞腐れるリコをチラリ横目
で見ながら、”純粋で素直 ”と本音を言えない自分に苦笑いする。
膝の上に置いたリコのスケッチブックを、キタジマはこっそり愛おしそうに手
の平で撫でて俯いて微笑んでいた。
『キタジマさんは??』
リコはいつも大学の空き教室で見ているキタジマの絵と、野外でスケッチする
それに違いがあるのかとても興味があった。それに今日はヘッドフォン無しと
いうレアなシチュエーションでもあるのだ。
リコが身を乗り出してキタジマが描いた絵を見たいとしつこくせがむも、キタ
ジマはムキになって断固拒否する。
『こ、これは・・・ ヒトに見せる絵じゃねえからっ!!』 スケッチブック
を掴んだ手を遠く伸ばして、決してリコには触れられないよう、それを開かれ
ないように死守した。
何故なら、その中には ”リコ ”しか描かれていないのだ。
自分で見返してみても、それはどう見たってまるで思春期の中学生のように、
恥ずかしいほどにリコを ”想って ”描いたと分かる、それ。
それを本人に見せられるキタジマではなかった。
『なんで見せてくれないんですかー・・・。』 理由を知る由もないリコが
頬を膨らませて不満気に目を眇めていた。
のんびりと木陰でまどろんでいた二人だったが、なんだか少し怪しげな空模様
になってきたので、引き上げるため片付けを始めることにした。
画材道具を片付けカバンに詰めその場を後にする頃には、ねずみ色に変わった
空から小雨がパラつきだしていた。細かい雨粒が落ちていたはずが、遠く山の
向こうから地響きのような雷鳴が突然響き渡り、急に肌寒さに肩をすくめる。
二人は小走りで来た道を戻った。しかし、どんどん強まる雨脚により気持ちと
は裏腹に、ぬかるんでゆく砂利道にサンダルの足をとられ思うように進めない。
リコがかぶる麦藁帽子の頭が、ノースリーブの肩が、透明の雫により濡らされ
てゆく。二の腕を雨の粒が伝い流れ、それは空の色を映してこぼれ落ちる。
先を駆けるキタジマが真っ直ぐ前を向いたまま、後方のリコへと左手を伸ばし
た。リコは肩に掛けていたトートバッグの持ち手を握ると、それを差し出す。
するとキタジマは、リコのバッグを左手で受け取りそれを即座に右手に持ち替
えた。
そして、一瞬だけ振り返ると再度手を伸ばし、リコの華奢な手を無言で掴んで
走り出した。
はじめてキタジマに握られた、リコの右手・・・
思わずこの手のぬくもりを離したくなくて、リコはぎゅっと指先に力を入れた。
すると、それに応えるかのようにキタジマも更にしっかり手を握り返す。
ゴツゴツした、不器用な大きな手。なんだかやけに体温が高くて、そのぬくもり
にまるで全身が包み込まれているように思える。
それは、眠るキタジマの手を包みそっと触れた時とは全く違うものだった。
自らの意思で、リコの手を掴みしっかり握ってくれる骨ばった男らしい手で。
(雨なんか・・・ やまなきゃいいのに・・・。)
リコは心からそう願っていた。
ずっとこうして手をつないでいたかった。ずっと二人でいたかった。
他にはなにも要らないとさえ思えた。キタジマさえいれば、不器用で極度の照
れ屋なキタジマがたまに小さく微笑んでさえくれれば。
何も話さなくてもただ隣にこうしているだけで、まるで溺れているかのように
呼吸が苦しい。どうやって今まで呼吸していたのか分からなくなるほど胸が苦
しくて、こみ上げる溢れるほどの感情に涙を堪えた。
リコは今にも零れ落ちそうな涙を堪えながら、キタジマに手を引かれ雨道をよ
ろけながら駆けていた。
すると次第に雨は小降りになって、やみ、再び雲間からひとすじ光が差した。
あっという間にその景色は雨上がりの霧に霞み、ぼやけた空の雲の隙間から梯
子が下りてきたかのような幻想的なそれに様変わりする。
慌てて駆けていた脚を休めると、すっかり濡れてしまった身体はもう諦めて再
びのんびり歩きはじめたキタジマとリコ。
『・・・通り雨が多いな?』
キタジマは以前もリコと2人の時に通り雨に降られたのを思い出していた。
あれは確か、ラーメン屋の帰りだったはず。店の汚さに顔を歪め、しかし食べ
てみるとラーメンのあまりの美味しさに目を見張ったあの日のクルクル表情が
変わったリコを思い出しキタジマの頬は勝手に緩んでゆく。
しかしその呟きに対する反応がないリコを不思議に思い、キタジマが振り返っ
て覗き込むと、麦藁帽子の大きなツバに隠れて下を向いている。
『ん??』
リコの様子が可笑しい気がして、顔を見るため帽子のツバを上げようと繋いで
いる手を一旦離そうとした瞬間、リコは離されぬよう繋いだその手に更に他方
の手も添えギュっと握り締めた。まるで祈るようにキタジマの手を包み大切に
離さないリコは少し震えているようにも見える。ツバの陰に見えたリコの口元
はきゅっと噤まれ駄々を捏ねる子供が泣いているような、あまりに心許ないそ
れで。
次の瞬間・・・
リコはキタジマに抱き締められていた




