■第151話 スケッチ
翌朝、リコが目覚めるともうキタジマも祖母キヨもとっくに起きていた。
『おはようございますっ!
・・・ごめんなさい・・・ 寝すぎちゃった・・・。』
恥ずかしそうに眉根をひそめ寝間着代わりのTシャツの裾を引っ張ると、ガバっ
と上半身を倒して大仰に頭を下げる。
こんなに深い眠りについたのはいつ以来だろうかと、リコは下げた頭の中で考え
る。自分の家でもないのに、とても落ち着きそして心から安らいでいた。
『ぐっすり寝られたなら、そりゃ良かったぁ~。』 祖母キヨが優しく笑う。
そのまぁるい声色にリコが微笑み返すと、無言で近付いて来たキタジマから後頭
部を軽くパコンと叩かれた。 『寝癖付いてんぞ。』
その一言に目を見張って両手で後頭部を押さえると、慌てて走って洗面所へ向か
った赤い顔のリコを、キタジマが愛おしそうに見つめ声を上げて笑った。
朝食の後、リコとキタジマはスケッチブックを抱えて家を出た。
ツバが大きめのレトロな麦藁帽子を今日もキヨから借りてかぶっているリコ。
キタジマも日除けの手ぬぐいを頭に巻き、首にも手ぬぐいを掛けている。
互いの不格好な姿を見て、指を差しバカにし合って大笑いした。
散歩がてら少しのんびりと歩くと、小川沿いの木陰にポイントを定めた。
キヨから借りてきた敷き物を広げて荷物を置くと、二人は同時に腕を伸ばし
てぐんと伸びをし、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込む。そして互いに同
じ動作をしている事に気付いて、可笑しそうにケラケラ笑った。
遠くの山々の稜線が晴天のお陰でハッキリ映し出されている。
美しい山があり、清らかな小川があり、可憐な野の花が溢れるその景色。
まるで描いて下さいとでも言っているような、最高の風景だった。
リコがキラキラした瞳で、スケッチポイントを探し駆け出した。
まるでスキップでもし始めそうな軽やかな足取り、その弾けるような嬉しそ
うな顔。相変わらず鼻歌を口ずさんでいることに、リコ本人は気付いていな
いのだろう。なんだかそこだけ陽が差しているみたいに眩しく見える。
キタジマは木陰で腰を下ろし休憩しながら、そんなリコを黙って見ていた。
膝くらいまである背の高い草花の中に、リコはそっと腰を下ろした。
膝を抱えて座ると、丁度目の高さに色とりどりの花の海原。川面がプリズム
となりキラキラ日差しに反射して、まるで夢の中の様な幻想的な景色だった。
麦藁帽子のツバを少し上げて、リコが描きはじめた。
キタジマと離れ一人自宅にいた時は、あんなに描こう描こうと頑張っても全
く描けなかったのが嘘のように、不思議なほどにパステルを掴む指先は動く。
リコは夢中になって時間も忘れて描いていた。
♪ン~♪♪ンン~ン~・・・
無意識にまた鼻歌を歌っている自分に気が付いて、ふと辺りを見回しキタジ
マの姿を探したリコ。まるで無我夢中で遊びまわる子供が、我に返って親を
探すような必死なそれ。
キタジマは、リコの後方の少し離れた所で描いてた。とても穏やかな表情で。
その姿に、何故かいつもとは違う違和感を感じ・・・
『ヘッドフォン無しでも描くんですね~?』
リコが立ち上がり、キタジマへ向けて少し大きめに呼び掛けた。
すると、キタジマ自身もそれに気が付いていなかったらしく、描いていた手
を止めせわしなく瞬きをして驚いた顔を向ける。
キタジマは内心驚いていた。
頭が割れるほどのボリュームで音楽をかけなければ、一切描けなくなってい
たはずなのに。なにも考えられないようにしていなければ、指は動かなくな
っていたはずなのに。
こんなに穏やかで、優しくまっさらな気持ちで絵と向き合えたのなんて何年
ぶりだろう。キタジマもまた、時間を忘れて無我夢中で色を乗せていた。
ふと手元のスケッチブックに目を落とす。
するとそこには、優しさ・やわらかさ・眩しさ、そして溢れるほどの愛情が
その中に満ちて潤っていた。
花の海の中で眩しそうに目をほそめ微笑むリコの姿があった。




