■第150話 ゆうげ
日が暮れかけて家に戻ると、祖母キヨが夕飯の支度をしていた。
『おばあちゃん、私も手伝うっ!』 そう言って慌てて手を洗い、リコもキヨ
と並んで台所に立った。
なんだかやけに愉しそうな笑い声が台所から流れてくるのを、キタジマは一人
居間のブラウン管テレビから流れるナイター中継に目を遣りつつ聴いている。
リコがお盆に乗せた料理を次々と運びちゃぶ台に置いては、パタパタと台所へ
戻ってゆく。キタジマはその顔をチラリと盗み見ると一瞬目が合って、思わず
やわらかく微笑んでしまい慌ててテレビへと視線を戻した。
魚の煮付けや煮しめ、ひじき・玉子焼き、新鮮な生野菜。
狭いちゃぶ台の上には、素朴な祖母の味が所狭しと並んだ。
『ぁ、ついでにお皿出してくれないかい? ミーちゃ・・・』
キヨがリコにそう言いかけ、『リっちゃん』と慌てて訂正した。
リコはそれに気付かなかったのか、『は~い!』と明るく返事をして茶箪笥か
ら指定された小皿を取り出している。
キタジマがその様子をそっと一人で見ていた。
3人で囲む和やかな食卓。
キヨとリコはよく食べよくしゃべりよく笑い、一瞬も静かになる暇がない程。
リコも勿論だが祖母キヨがこんなに嬉しそうにイキイキとしている表情を見る
のはなんだか久しぶりで、キタジマまで嬉しくなってしまって思わず頬は緩ん
だ。リコとキヨを温かく見つめるキタジマの胸の奥の奥が、懐かしいぬくもり
でひたひたに満たされた。
『リっちゃん、先にお風呂入っておいで。』 夕飯後、暫し三人でお茶を飲み
ながらのんびりしていた所、キヨにそう勧められリコが着替えを持って浴室に
向かった。
子供のように上機嫌に鼻歌を口ずさみながら裸足の足でパタパタ駆けてゆくリ
コの背中を、二人は目で追って思わずクスリと笑ってしまう。その鼻歌はいつ
もキタジマがヘッドフォンで聴いているそれだった為、照れくささも混じって
キタジマは首の後ろを無意味にガシガシと掻いて俯いた。
居間には、キタジマとキヨの二人。
キヨが空になったグラスに麦茶のおかわりを注ぎちゃぶ台に置く。蚊取り線香
に火をつけると白い煙は真っ直ぐ上に伸びてくゆり、独特なにおいが部屋中に
立ち込めた。ナイター中継が終わったテレビからはバラエティ番組の過剰な笑
い声が小さく流れている。なにも喋らずに二人は真剣に見るでもなくなんとな
くテレビへと目を向けていた。
静まり返った中、キヨが小さく小さく呟いた。
『・・・ミーちゃんに、似てるねぇ。』
それは決して責め咎めるような口調ではない。優しさと懐かしさと、そして切な
さを含んだそれだった。
キヨに一瞬目をやり、キタジマは無言で俯いた。胡坐をかいた脚の上で、思い悩
むかのように、こびり付いた指先の絵具に目を遣り必死にこそげ取ろうとする。
『いい子だねぇ・・・
・・・リっちゃんも、いい子だ・・・。』
どこか涙声に聴こえた一言に、キタジマが下を向いたまま、『・・・ん。』
あの時、葬儀で周りの目もなにも気にせず大声を上げて泣き叫んだキヨの小さな
壊れてしまいそうな背中を思い出していた。
そして、きっとそれはキヨも同じで・・・
もう二度と、哀しい出来事によりキヨの愛する人間を奪い去られたくない。自分
のこの手からも、もう二度と、決して、奪い去られたくなどない。
亡き妻の屈託ない笑顔が胸に去来し、息苦しくて胸をそっと押さえて深呼吸した。
開けっ放しの縁側に出て涼むリコとキタジマ。
裸足の足を縁側に出しブラブラ揺らすと、夏の夜の風を爪先に感じる。それはま
るで薄いレースがそっと通り過ぎるようで、涼しくてくすぐったくて心地よい。
ネイビーの大布に針で穴を開けたみたいに、漆黒の夜空に小さな星が無数に広が
っている。リコは縁側に脚を投げ出したまま後ろに手をつき首を反らせて、その
圧巻の星空を瞬きもせず見ていた。
吸い込まれそうなそれに、言葉を失った。
『首、痛めんぞ。』
キタジマがリコを見て笑う。
そして居間から座布団を持ってくるとそれを二つに折り、リコに寝転がるよう
促す。 『仰向けで寝て見ろよ。』
二人で縁側に並んで寝転がり、なにもしゃべらず黙って星空を眺めていた。
言葉などなくとも心は穏やかにゆっくりと優しさを刻む。コトンコトンコトン。
『・・・明日もいい天気だな。』 仰向けのまま、キタジマがポツリと呟いた。
『明日は描きに行くか?』
キタジマの言葉に、リコがガバっと起き上がって『はいっ!』と笑顔を向けた。
スケッチブックに色付けたい景色が溢れるほど湧き上がり、今からもう落ち着か
なくてソワソワしてしまう。
するとキタジマが体を起こし、タバコを咥えて縁側から離れて行った。
それを目で追いながら、リコはもう一度座布団を枕に寝転がって星空を眺めた。
いつも見ている空と同じものだなんて思えなかった。
見方が変わるとこんなにもクリアになる事があるのだと痛感する。
そっと目をつぶってみる。
視界から満天の星空は無くなったはずなのに、瞳の奥の奥に無数の星はしっかり
焼き付いていてキラキラ瞬く光の粒が見えた。
その時、リコの身体にふわっと温かい感触が広がった。
『段々冷えてくるから、羽織っとけ。』
それは、キタジマの上着だった。
リコに上着を羽織らせるために、取りに立ち上がったのだ。まるでそれはタバ
コを吸う為のように見せて。
ほんのりタバコ臭い、それ。
リコは上着をずり上げ顔を隠すとそっと目を閉じ、深く呼吸をした。
大きくて温かくて優しくて、胸が痛くなるほどに切ない。
このタバコ臭さは何故だか嫌いじゃなかった。
(本当は優しいくせに・・・。)
上着から目を出し、どこまでも不器用で照れ屋なキタジマを小さく微笑んで見
つめた。
そして、『タバコ くっさぁぁああああいっ!!』
わざと大袈裟に騒いだリコ。臭いと声を上げる割りには、嬉しそうに上着に包
まって離そうとはしない。
キタジマがムキになって言い返した。『うるせぇ!! 黙って着てろっ!!』
二人の笑い声が満天の星空に響いていた・・・




