■第149話 祖母
そこには古くて小さな民家と、よく手入れされた小さな畑があった。
どこかぼんやりとそれを見つめ歩きながら、キタジマは困ったような、
しかしその実、然程真剣にもとれない呑気な声色でポツリ呟いた。
『バアサンに、お前の事言ってないんだよな・・・。』
その信じられない一言に、リコが驚いて目を見張り絶句する。
するとどう説明するのか何も名案が浮かばないまま、キタジマの祖母キヨ
が二人の姿に気付き笑って手を振った。
『シュン~・・・ お客さんかぁ~~?』
絵に描いたようにアタフタと慌てふためき、麦藁帽子をとって深々とリコ
がお辞儀をする。その隣でまるで他人事のようにキタジマは涼しい顔をし
てタバコの煙をくゆらせていた。
キタジマの祖母キヨは、とても優しくてあったかくて可愛らしかった。
古いけれど丁寧に隅々まで掃除をしているのがよく分かる古民家。玄関の
引き戸も縁側の窓も開放し、夏の青い風が小気味よく通り抜ける。
キヨは居間にリコを促し座らせると『あっつかったでしょぉ~?』と皺だ
らけの顔をさらに皺くちゃにして笑い掛け、年季が入った丸いちゃぶ台に
氷が入った麦茶とよく冷えたトマトを出して歓迎してくれた。
涼しげなガラス器に入った八つ切りのトマトを横目で一瞬見て、苦い顔を
したキタジマをリコはクスっと笑った。
リコはキタジマにチラチラと視線を投げ、”この状況 ”をどう説明する
つもりなのか目で必死に合図を送るも、畳に胡坐をかいて背中を丸めるキ
タジマは美味しそうに喉を鳴らし呑気に麦茶を飲んでいて、リコを紹介す
る気配が微塵もないので、痺れを切らしてリコが自分から切り出す。
『タカナシ リコです。
・・・キタジマさんの、大学の。 後輩、です・・・。』
キヨは満面の笑みでうんうんと頷き、必要以上にはなにも訊かずただただ
『ゆっくりしてきなさいよぉ~。』とリコの背中に手を当て優しく撫でる。
そして思い出したようにパチンと手と手を打つと、リコの手を引いて畑へ
連れて行き『嫌いなモンはあるのかい?』と丸々としてツヤツヤに光った
野菜を見せた。
リコがニコニコ微笑んで『野菜大好きっ!』と嬉しそうに返事をすると、
キヨも歳で曲がった背中を更に丸め、顔をクシャクシャに綻ばせて笑う。
窓が開け放された縁側向こうの畑に立つそんな二人の様子を、壁に寄り掛
かって座り麦茶を飲みながら、キタジマが目を細めて見ていた。
『散歩でも行くか。』
扇風機が生ぬるい風を送り続けるために、汗でしっとりとした首元を手ぬ
ぐいで拭いながら、キタジマがそう言って立ち上がった。
リコが嬉しそうに大きく頷いて、パタパタと後を追う。
キヨの家の裏手へ回ると、そこにはキレイな小川が流れていた。
いつもそうしているのだろう。カゴに野菜が入れられ、川の清水で冷やさ
れている。
パステルカラーで彩ったような涼やかな景色と、太陽光が反射しキラキラ
光る水面の眩しさに、リコがうっとりと目を細めた。
スカートの裾を気にしながらしゃがみ込み、小川にそっと手を入れてみる。
指の間を流れ過ぎゆく透き通った水が、冷たくてどこかくすぐったくて気
持ちがいい。
そんなリコを優しく見つめ、キタジマも隣にしゃがみ込む。
既に日焼けしてしまっている長い腕で膝を抱えるように背中を丸めしゃが
むと目の高さが合って一瞬二人の視線が絡み合った。
キタジマは慌てて目を逸らし、正面の川面へと視線を戻した。
『俺が子供の頃は、小さい魚とか取って遊んだんだよ。』
その言葉に『今もとれるっ?!』と、子供のような無邪気な顔でリコが
隣のキタジマを覗き込んだ。
『今か・・・ 今はどうだろなぁ~?』
幼く素直過ぎるその反応に、キタジマがやわらかく微笑んだ。
するとその時、一瞬強い風がそよいだ。
穏やかな川面が波立つようにざわめき、辺り一面に轟音が響き渡る。
その乱暴な夏風は、驚き肩をすくめたリコの麦藁帽子のツバを下からすくっ
て飛ばしかけた。ふんわり浮いたそれをキタジマが素早く立ち上がって片手
で瞬時にキャッチし、再びリコの頭に乗せる。
そしてポンポンと麦藁帽子の頭を軽く叩くと『しっかり被っとけ。』と頬を
緩め笑った。
瞬きを忘れ見つめるリコの胸が、こそばゆく音を立てた・・・
二人はまた、のんびりと田舎道を歩きだした。
珍しくキタジマが言葉多く色々な事をリコに話して聞かせる。
気が付くと並んで歩きながら、二人の笑い声が高く広い空に響いていた。




