■第146話 逢いたい気持ち
ひんやり冷たいケータイの奥から流れる、あの低くてぶっきら棒な声に
リコは涙が出そうになっていた。
朴訥なその口調も、本当は情が深く極度の照れ屋だということを知って
いるリコにとっては、より愛おしさが込み上げて仕方がない。
数日一緒にいないだけなのに、こんなに気持ちは揺り動かされる。
普段当たり前に来る日も来る日も絵具だらけの空き教室で顔を合わせて
いた事が、どれだけ凄いことだったかを痛感する。
思わず涙ぐんでしまって喉が詰まり声が出せないでいるリコに、キタジ
マは静かに話し掛けた。
『・・・どうした?
でも、まぁ
描けない時は無理して描こうとしないでボケっとしてろ。
毎日毎日描き続けることには何の意味もねぇぞ。
スポーツじゃないんだし・・・。』
ケータイ越しに微かに聞こえる震える息遣いで、リコが泣いている事に
キタジマは気が付いていた。
リコは決して言わないけれど、なにかに落ち込んで元気がない事にも勿
論気が付いていたし、本音を言えば傍にいたい。隣にいたところで気の
効いた言葉も掛けてあげられはしないけれど、それでも、ほんの少しで
もリコが元気になるのなら。リコが笑ってくれるなら・・・
キタジマの喉の奥で、言いたくて言いたくて仕方がない一言が出かかっ
て震える。言ってしまおうか、言ってもいいのだろうかと自問自答し、
それに呼応するように胸の奥で心臓だけがバクバクと破裂しそうで。
暫く互いに黙っていた。
耳に響くのは互いの息遣いだけで、リコにはその沈黙が怖かった。
特に用が無いのならばキタジマからアッサリとケータイを切られてしま
いそうで、この心許ない繋がりにすがるように慌てて話し始める。
『そっちはどうですか・・・?
・・・のんびりしてますか・・・?』
『ボ~っとしたり、散歩したり、釣りしたりしてる。
バアサン手伝って、畑もちょっとイジった。
トマト嫌いだって言ってんのに、無理矢理食わされてる・・・。』
リコがぷっと吹き出して笑った。
苦い顔をしながらキタジマが渋々トマトを口に入れる姿を想像し、可笑し
くて声を出してケラケラと笑う。
軽快にピアノが弾けるようなその笑い声がキタジマの耳に響き、久々に聴
いたやわらかい声色に胸がきゅっと切なく音を立てる。
『・・・楽しそう。』 散々笑った後で、小さく寂しそうにリコは呟いた。
キタジマは、一人ポツンと部屋で小さく丸くなって座っているリコを想像
する。潤んだ目を伏せて、頬も鼻の頭も真っ赤に染めて、唇をきゅっと結
んだそれを。
もう堪え切れなくなり、思わず上ずりながらも口に出してしまった。
『こ、こっちに来・・・』
『シュン~! 納屋に来てくれないかぁ~。』
決死の言葉を言いかけた瞬間、祖母キヨに呼ばれキタジマは最後までそ
れを伝える事が出来なかった。
ハっと我に返ったように慌てて口をつぐみ、哀しげに目を伏せると、
『バアサン呼んでるから、また・・・。』 そう告げて電話を切った。
ツーツーツー・・・
リコの耳に、呆気なく通話が終了した冷たい機械音が聴こえる。
最後にキタジマが言いかけた言葉に気が付いていたリコ。
”こ、こっちに来・・・ ”
歯がゆくて、切なくて、胸が苦しい。
あの言葉の続きを聴きたくて、続きを言ってほしくて、もうとっくに切れ
てしまっているのに諦め切れずに耳にケータイを当てていた。
しかし、当たり前にそれはもう聴くことは出来ない。
切れたケータイを見つめながら、そっと呟いた。
『逢いたいよぉ・・・。』
ゆらゆらと揺らぐ瞳をつぶった瞬間、大粒の雫が頬を伝ってこぼれ落ちた。
そして、キタジマもまた、切ったケータイをジーンズのポケットに突っ込
みながらリコを想っていた。
ギュっと目をつぶって、頭を左右にブンブン振る。
それは、心の迷いを振り払うかのように。間違いを犯しかけているのだと
必死に自分に言い聞かせるように。
しかし、頭の中から追い出そうとすればする程、耳に心地よいリコの笑声
が苦しいくらいにリフレインする。
ポケットからゆっくりケータイを取り出した。
微かに震える親指で、メールを打ちはじめたキタジマ。
たった2行のメールを打つと最後の送信ボタンに指をかけ、止まる。
(いいのか・・・?
コレを送ってしまって、いいのか・・・?)
メールを送信したい気持ちと、送信してしまったらもう後戻り出来なく
なるという気持ちがせめぎ合う。息苦しいほどに脈が速く打ち付けた。
顔を歪め、ぎゅっと目をつぶる。
するとその真っ暗な世界の向こうに、それは見えた。
リコの、まぶしそうに目を細め屈託なく笑う顔が・・・
ピ・・・
”送 信 ”
◆明日の朝イチの電車で、里見駅まで来い。
迎えに行くから。
目を見張りケータイを見つめるリコが、子供のように声を上げて泣いた。




