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■第142話 憂う夏休み


 

 

 『もうすぐ夏休みか・・・。』

 

 

キタジマの何気ない一言に、リコが咄嗟に浮かない顔をした。

 

 

あれからナチとはケンカ別れしたままで、一度も連絡を取り合っていなか

った。高校の時と違い短大の夏休みはやけに長期で、今までいつも長い休

みの時には、必ずナチと一緒に過ごしていたリコには他になにも予定はな

くそれが重く圧し掛かり憂鬱で仕方がない。


しかし、あんなケンカをしてしまった今、『どこかに出掛けよう』なんて

簡単に声など掛けられる状況ではなかったし、ナチから連絡が来る気配も

皆無だった。

 

 

 

 『キタジマさんは、普段通りここで描いてるんですか?』

 

 

 

休み中もキタジマの所に通い詰めたいと一縷の望みを込めて訊いたリコに、

キタジマはどこか冷たく言う。

 

 

 

 『・・・休み中は来なくていいぞ。』

  

 

 

それはまるで、その一言でこの会話は終わらせようとしているみたいに。

 

 

 

キタジマは、あの早朝の出来事を思い返していた。


眠った振りをし続けるキタジマに気付かずに、手を取って頬にあてた、

あの日のリコのぬくもりを・・・

 

 

必要以上に一緒にいてはいけないと、そう考えはじめていた。

リコの為にも、そして自分自身の為にも。


いつの間にか ”その想い ”が大きくなってきている事に、もう目を逸ら

せなくなってきていた。

最初はほんの一瞬見せる表情とか、キタジマにチクリと嫌味を言う時に選

ぶワードとか、そんな小さなものだった。しかし、それがどんどん回数が

増え ”その想い ”は膨れ上がってゆく。気のせいだと思えば思うほどに

似ているポイントを探すようになっていた。

 

 

リコに。

リコの中に。

 

 

 

  どうしても、無意識のうちに重ねてしまう亡き妻の面影を・・・

 

 

 

リコに求めてはいけない。

それは最もリコを振り回し、傷つける事になるのだから。

  

 

それでも珍しく聞き分けなくリコが食い下がる。 

 

 

 

 『わ、私・・・


  休み中ヒマなんです!!

 

 

  ・・・キタジマさんが、もし、ここで描・・・』

 

 

 

『ここには来ない。』 思い切り冷たく言い放ったキタジマ。


そして、息継ぎもせず語尾に重なる勢いで次の言葉を続ける。

沈黙が怖くて、リコが見せるであろう反応がツラくて、顔を伏せたまま。

 

 

 

 『田舎のバアサンのとこで、のんびりしてくる。』

  

 

 

その言葉に、あからさまにリコが肩を落とした。

下を向き、口をつぐんで、悲しげな視線は何処を見るでもなく彷徨う。

 

 

痛いくらいの沈黙が二人に襲いかかった。


キタジマはリコの寂しげな背中を見ないよう見ないようにと、必死に中空

に目をやり慌ててタバコに手を伸ばして、1本取り出し咥える。しかし咥

えて取り敢えず安心したのか、火を点けていない事にすら気付かない。

 

 

リコはまだ俯いていた。

年齢の割りにはしっかりしている方だと思っていたリコが、子供みたいに

いまだ不貞腐れて、否、ガッカリして泣きべそをかいてうな垂れている。

 

 

結局は気になって仕方なくてその様子を横目で盗み見てしまったキタジマ。

『来るか?』という言葉が口を突いて出そうになるのを、喉の奥にぐっと

力を込めて必死に堪える。 

 

 

『ご実家はどちらなんですか・・・?』 リコがやっと発したその一言は、

やはり落ち込む様子を隠そうともしない声音で、必死に口を噤むキタジマ

のそれを簡単に開いてしまえそうなほど。

 

 

 

 『・・・すげぇ田舎。 田んぼと山と川しかない。』

  

 

 

再びリコから視線をはずして、手持無沙汰に思い切りタバコを吸い込んだ

ところで火を点けていなかったことにやっと気付き、バツが悪そうにキタ

ジマはライターに手を伸ばした。そして勢いよく煙を吸っては吐く。

 

 

リコはそっと目を細めて優しく口元を緩めた。


”田んぼと山と川しかない ”というその風景を思い描きながら、どうし

ても諦め切れずに、寂しそうに呟く。 『行ってみたいなぁ・・・。』

 

 

その一言に、キタジマは思わずガバっと顔を上げリコを見つめる。

 

 

何かに酷く落ち込んでいるリコを気晴らしに連れ出したい気持ちが、

自分が生まれ育った田舎の素朴な景色を見せてあげたい気持ちが、

そして、リコが斜め後方から見つめる中で絵筆を握りたい気持ちが、

どうしようもなく溢れ止まらなくなりそうになる。 

 

 

 

 『・・・・・。』


 『・・・・・。』

 

 

 

リコとキタジマが、互いに何か言いたげに見つめ合った。


それは、何秒のことだったか何十秒だったのか分からない。

ジリジリと津波が押し寄せるような感覚が胸の中に広がっていた。

 

 

しかしひとつ大きく深く煙を吐き、キタジマが言った。

 

 

 

 

 『・・・休み明けに・・・ 描いたの、見せてやる。』

  

  

 

 

願った言葉がキタジマの口から聞けなかった事に、打ちひしがれながらも

リコは最後になんとか笑顔を作った。 『楽しみにしてます・・・。』

 

  

  

 

  

ナチは毎日毎日、ケータイを見つめていた。

あれから一度もリコと連絡を取り合っていない。

 

 

”きつく言い過ぎた、ごめんね ” そう一言メールするだけなのに出来ず

にいた。

 

 

ひとり、溜息をついてケータイをOFFにした。

 

 

 


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