■第139話 突然、ナチが
来客を示すドアチャイムの音に、リュータがノソノソと玄関へ進みドアを
開けると、そこにはナチが立ち竦んでいた。
『・・・今夜、泊めて。』
睨むように見眇めるその真剣な眼差しと、低く感情を押し殺したような声
にリュータは目を白黒させ、思いっきりアタフタと取り乱す。 ”泊めて ”
の意味を考えあぐねるも、どうしても不埒な願望の方に吸い寄せられ急激
にニヤけてゆく頬はもう自由が効かない。
『えっ?
ぁ、あの・・・
・・・えっ?! と、泊まるって・・・ ココに??』
その遣り取りを後ろで聞いていたアカリが、体を沈めていたソファーから
半身起きると、『私は外出とかした方がいいのかしら~?』 と半分冗談、
半分本気で呟いた。
ナチはリュータの明確な返事も待たずに玄関先で靴を脱ぐと、不機嫌そう
に足音をドシンドシンと響かせ勝手に部屋に上がりこみながら、凄い勢い
でまくし立てた。
『今夜は飲むっ! 飲むって決めたのっ!!
三人で朝まで飲んで、嫌な事は全部忘れるのっ!!』
やけくそ気味に声を張り上げると、両手にぶら下げていたコンビニ袋をリ
ビングのローテーブルの上に乱暴にドサっと置く。
その反動で、アルミ缶が数本テーブルの下に転がり落ち散らばった。
ビニール袋にはビールやチューハイやつまみが。ここにやって来る前に大
量に買い込んで来たらしい。
アカリはソファーから身を乗り出し喜んでビールに飛びつくと、一人で開
けて勝手に飲み始めながらチラリとナチへ視線を向け訊いた。
『何があったのよ? ナチらしくないじゃーん。』
一応言葉では心配している風を装っているが、アカリの口端にはつまみの
サキイカがしっかり覗き、その指先は次のつまみの柿ピーの袋を開けよう
と必死で。
『どした? ナチ・・・。』 リュータは心配そうに眉根をひそめナチを
覗き込み、その細い肩に手を置いた。その大きな手の平の熱が、ナチのカ
ットソーを通して優しく伝わり、じわじわと涙が込み上げそうになる。
暫くの間、ナチは口を真一文字に噤み黙ったまま、眉間に深く深くシワを
寄せていた。
そんな様子に、リュータもアカリも無理に聞き出そうとはせず、ビールを
飲みながら静かにナチを横目で観察していた。
すると黙りこくっていたナチは、突然両手でガッチリ掴んだまま一向に飲
もうとはしないチューハイの缶の底をテーブルにゴツンと打ち付ける。
『リコが・・・
・・・リコが、
キタジマって人の事、好きになりかけてる・・・。』
搾り出すように、なんだか息苦しそうに小さな声で呟いた。
ナチの不機嫌な様子はきっと ”リコの件 ”だろうと思っていたアカリは
『最近のリコの様子で感じてたけどねー。』 と、呆気らかんと声を上げ
それは他人事のように軽い。2本目のビールに手を伸ばすと真新しいネイ
ルの爪を気に掛けながらプルタブを引く。
『そんなの、私、ヤなの!!』 ナチが強い口調で言い切った。
完全なる八つ当たりになるけれど、アカリのその反応にも苛立つナチ。
勿論リコとの付き合いの長さは全く違うけれど、だからといって友達の事
をそんな風に簡単に、ぞんざいに出来るものかと神経を疑いたくなる。
すると、アカリはナチの不満気な様子に気が付き、ビール缶片手にソファ
に体を深く沈めながら、言葉が足りず思うように伝わらなかったそれをゆ
っくり冷静に言葉にする。
『リコだって散々頑張ってきたけど、
コースケさんはいつまで経っても相変わらずなんでしょ?
リコの気持ちが他の人にうつったとしても
責める権利なんか、誰にも無いんじゃない?』
ナチが唇を噛んで、ぐうの音も出せず俯く。
アカリの言っている事は見紛う事無く正論で、1ミリの非の打ち所もない。
ナチだってそんな事は分かっていた。誰よりリコの傍でリコを応援してきた
ナチ。誰よりもリコの幸せを願ってきたのだ。しかしコースケと幸せになっ
てほしいという気持ちが強すぎて、他を受け入れることなど考えた事がなか
ったのだ。
『悪いのは、コースケなんだよ・・・。』
それまで黙って聞いていたリュータが、テーブルに片肘を付いて背中を丸め
溜息混じりにボソっとこぼした。
『コースケは、もうちゃんと分かってんだよ・・・
自分が一番誰の傍にいたいのか、誰と一緒にいたいのか。
・・・でも、なんでか。
アイツは、踏み出さないんだよなぁ・・・。』
二人の想いは知らず知らずの間に通じ合っていたというのに、歯がゆい程
にそのベクトルは思わぬ方向に逸れてすれ違ってゆく。
『リコ・・・ もう疲れちゃったのかなぁ・・・。』
その一言は震えて涙声で寂しげに落ちた。
両手で顔を覆い、遂にしゃくり上げて泣き出してしまったナチ。
張り詰めていた糸がプツリと切れた音がした。
我慢の限界だった。




