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■第138話 ケンカ


 

 

ナチはただ黙ってリコを見ていた。

それは怒ったような哀しんでいるような、沈痛な面持ちで。

 

 

久々、休日にリコの家に遊びに来ていたナチ。 


2階のリコの部屋で最初のんびりと互いの近況を話し合っていたのだが、

ナチにはそんな事より何よりリコに訊きたいことが、確認しないとどう

しても気がおさまらない事があった。

 

 

 

 『ねぇ、リコ・・・

 

 

  最近、全然 ”コースケさん ”て名前が


  リコの話に出て来ないね・・・?』

  

 

 

ナチは言おう言おうと思って胸に溜め込んでいたそれを、やっと口にした。


今日は ”それ ”を訊くためにここに来たようなもの。一大決心するよう

に真顔で眉根をひそめ、座り直してフローリングの上で正座して姿勢を正

して。膝の上で拳にしたその手は、どこか緊張してぎゅっと力がこもった。

 

 

しかしリコは『そうかな?』と、然程気にもしていない様子に映る。


ベッドに背をもたれて脚を伸ばして座り、その爪先がゆらゆらと揺れてい

る様子が、ナチにはなんだか呑気に映って仕方がない。

 

 

ナチは意を決し、本当は口にしたくないその一言を小さく問いかける。

 

 

 

 『ねぇ・・・

 

 

  ・・・キタジマって人の事が、好きになったの?』

 

  

 

ナチは、リコをじっと注視した。瞬きもせず、じっと。


『そんな訳ないでしょっ!』と即答するはずだと、当たり前に思った。

キタジマが ”ただの絵の師匠 ”で、キタジマがどれだけ ”仙人 ”で

キタジマへの ”恋愛感情 ”などあるはずもないとバッサリ切り捨てる

そのリコの言葉を待った。

 

 

しかし、リコは一瞬驚いたようにナチを見ると、バツが悪そうにそっと

目を逸らした。

そして馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに小さく笑うも、その笑顔は頬が引

き攣り、なんだか必死に感情を隠そうとしているようなそれに見える。

 

 

 

 『ねぇ、リコ・・・


  コースケさんの事はいいの?

 

 

  なんか・・・ コースケさん、


  リコがキタジマさんのとこに通いっきりなのを


  凄く気にしてるみたいだよ?

 

 

  リコが口を開けばキタジマさんの名前を口にする事、


  凄く気にしてるみたいだよ?

 

 

  ・・・リコ・・・?』

  

 

 

ナチの訴えるようなその言葉を、リコは哀しげに微笑んで黙って聞いて

いる。ナチはリコがどう感じたか知りたかった。どう思っているのか知

りたいのに、誤魔化すように頬を緩めるだけで埒があかない。


ナチは身を乗り出してリコの二の腕を掴むと、答えを急ぐようにそれを

揺らして俯くリコを覗き込む。

乱暴に揺らされてリコの黒髪が左右に流れる。尚もナチは壊れたレコー

ドのように同じ問い掛けを繰り返し続けて。

 

 

リコが遂に唇を噛み締め、ギュっと目をつぶった。

頭を左右に振って、もうナチの話は聞きたくないとでもいう表情で。 

 

 

 

 『ねぇ!! リ・・・』

 

 

 『放っとけないの・・・。』

 

 

 

リコの喉の奥から絞り出したような低い一言に、ナチが目を見開いて固まる。


その言葉の意味を考えるナチ。

きっとリコの言う ”放っとけない ”は ”絵 ”に関することななずだ。

そうに決まっている。 ”人 ”として ”男性 ”としてな訳など無い、絶対。

 

 

しかし、一度言葉に出してしまったらリコの喉は息継ぎも忘れたかのように

キタジマへの本音を告げはじめて止まらない。

 

 

 

 『どうしても、どうしても気になるの・・・


  放っとけないの。


  一人ぼっちにしたくないの・・・

 

 

  ・・・だってねぇ、聞いて?


  キタジマさん、奥さんを亡くし・・・』

 

 

 

『そんなの聞きたくないっ!!!』 リコの話を無情にもバッサリ遮って、

ナチが今にも泣きそうな顔を向け声を張り上げた。


その瞬間、リコもまるで頬をぶたれたように哀しげに顔を歪めて目を眇め。

 

 

そして暫く二人とも無言で俯き、居心地の悪い時間が恐ろしくノロノロと

過ぎた。

  

 

 

 

重く苦しい沈黙が二人に圧し掛かる。


耳がキーンとするような痛みと、心臓が破裂しそうにバクバクと鳴り響く

音が更に息苦しさを助長する。

 

 

その沈黙を破ってナチが静かに呟いた。

 

 

 

 『別に・・・


  別に、リコが誰を好きでも私の知ったこっちゃない・・・

 

 

  だから、勝手に・・・


  ・・・リコは、リコが思うようにしたらいいよ・・・。』

 

 

 

その突き放すような一言に、リコが救いを求めるような目を向ける。


今まで誰より近くにいて、誰より分かり合ってきたナチ。嬉しいことも

哀しいことも全部二人で共有しあっていたそのナチが、初めてリコを軽

蔑するような嫌悪が滲むような声色で吐き捨てた。

 

 

 

 『ナチも・・・


  ナチも、きっと・・・ キタジマさんに会っ・・・』

 

 

 『会わないっ!!!


  キタジマなんて人、知らないし、興味ないっ!!!』

 

  

 

リコの言葉を最後まで言わせない、ナチ。


顔を背け、怒りと哀しみが入り交じった真っ赤な顔で涙をこらえるナチ

自身、リコにこんな風に酷い怒鳴り方をしてしまった事に驚くも、もう

後には引けなくて震える唇を歯がゆく噛み締める。

 

 

すると、今度はリコが爆発した。

  

 

 

 『好きな人と ”当たり前に一緒にいられる ”ナチになんか・・・


  分かる訳ないよっ!! ・・・こんな気持ちっ!!』

 

 

 

必死に我慢して我慢して、それも限界でリコの頬には涙がとめどなく流れ

落ちる。まるでダムが決壊したかのように流れ続ける雫は、リコの顎を伝

い次々とフローリングにこぼれて小さな水溜りを作った。

 

 

 

キタジマが寂しげに微笑んで呟いた、あの夕暮れの一言がよぎる。

 

 

 

 

  (・・・曲名ぐらい、訊いとけば良かったな。)

 

 

 

 

もう二度と届くことのない想いが、リコの胸をナイフで刺したように痛め

つけて苦しくて仕方が無い。

 

 

しかし、その涙の本当の理由をナチは知らない。

 

 

 

  リコの、”コースケへの受け止めてはもらえない想い ”と


  キタジマの、”もう二度と逢えない妻への想い ”の事など。

 

 

 

ナチも弾かれたように負けずに強く言い返す。

 

 

 

 『ちゃんと、自分の気持ち伝えてもいないリコになんか


  そんなこと言う資格ない・・・。』

 

 

 

すると、その非情な一言にリコが遂にしゃがみ込んで震える両手で顔を

覆い泣き崩れた。

 

 

 

 『・・・ちゃんとぶつかったもん、私だって・・・。』

 

 

 



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