↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
136/227

■第136話 命日


 

 

リコは、ただただキタジマを見つめていた。

 

 

キタジマはそんな視線に気付いていながら決してリコの方を向こうとはしな

い。怠そうに喪服の上着を脱ぐと乱雑にイスの背に放り投げ、真っ白く汚れ

ひとつないワイシャツの袖を肘まで捲ると絵を描くいつものスタイルになり

始めた。

 

 

それを、リコが慌てて止める。

両手を前に出して ”ダメダメ ”と左右に小刻みに振って。

 

 

 

 『ぇ、絵の具付いちゃいますよっ!!』

 

 

 

そうリコに制止され、『あぁ・・・。』と気の抜けた感じで返事をすると、

猫背で少し立ち竦んでなにか考え込み、諦めたようにイスに深く腰掛けた。

 

 

互いになにも喋らない時間が流れる。


耳に届くのは、キタジマがタバコの煙を吸って吐く小さなそれのみ。

それはいつもの事なはずなのに、なんだか今はその沈黙が重く感じるリコ。

 

 

 

 『・・・お葬式かなんかだったんですかぁ?』

 

 

 

キタジマが放り投げた喪服の上着をハンガーにかけ、既に少し付いてしま

った埃を手の平で軽く払いながらリコは何気なく訊いた。

 

 

すると、『命日。』とたった一言キタジマがポツリと呟いた。

 

 

近親者か誰か他界しているのかと、それ以上はなんとなく聞いてはいけな

い気がして、リコは黙った。

 

 

キタジマはイスに背を預けまるでそれに包まれるように深く沈むと、首の

後ろで両手を組みぼんやりと天井の継ぎ目を見ている。

 

 

そして、それはあまりに優しく哀しい音で静かに響いた。

  

  

 

    『・・・嫁さんの、命日。』

  

  

 

その言葉にリコが目を見張り、言葉を失って振り返った。

その瞬間、ハンガーから上着が傾き絵具で汚れた床へ落ちる。

 

 

キタジマを真っ直ぐ見つめるだけで、何も言い返せないリコ。

足元にはキタジマの喪服が哀しげに丸まってしおれている。

  

  

 

 『3年前に。 死んだんだ、事故で。』

  

  

 

それはまるで天気の話でもするかのような、普段のトーンの声色で響いた。

しかしそれはどこか必死にそう装っているように思えて仕方が無い。


キタジマは首を後ろに反って、タバコの煙をふ~と天井に向かって吐いた。

頭をガシガシ掻いて、首を左右にバキバキ鳴らしながら。言ってしまって

後悔している胸の内を必死に隠そうとしているみたいに。

 

 

リコの胸が、突然ぎゅぅっと締め付けられるように苦しくなる。

 

 

キタジマのこれほどまでに不器用な佇まいは、きっと、最愛の奥さんを亡

くしたから・・・


険しい表情で立ち尽くすリコ。潤んでゆく目を眇め、ぎゅっと口をつぐみ、

両の手はきつく握り締められている。

 

 

それを横目で見て、キタジマが抑揚なく低く呟いた。 

 

 

 

 『なんでお前がそんな顔してんだよ?』

 

  

 

2本目のタバコに火をつけながら。

 

 

人に同情されたり可哀想だと思われるのが何より嫌なキタジマは、リコに

そんな顔をされたくはなかった。それでも亡き妻のことをリコに話してし

まった事に自分自身で少し驚いていた。話すべきだったのか、否か。自分

がそんな話をしなければ、目の前のリコはこんな顔などしないのに。

 

 

自己嫌悪に似た溜息をひとつ付いて、首元の緩めた黒いネクタイに指を掛

け思い切り引っ張り抜く。襟の隙間からシュルシュルと音を立て生地を擦

って、まるでヘビのように1本のそれになった。


沈黙を埋めようとでもしているみたいに気怠く右手で左肩を揉み、またし

ても首をバキっと鳴らした。

 

 

 

 『人は、みんな死ぬんだよ。 遅かれ早かれ・・・

 

 

  受け入れなきゃダメなんだよ。


  ・・・キッパリサッパリ、な・・・。』

 

  

 

そう口では言ったが、普段のキタジマを見る限り ”受け入れ ”られてい

るようには到底見えなかった。


必死に自分で自分に言い聞かせているようにしか。

未だにもがいて足掻いて、苦しんでいるようにしか・・・ 

 

 

イスに深く沈み遠くを見つめているキタジマの横顔を、リコはそっと見つ

めていた。今まで毎日見てきたそれなはずなのに、今、初めて素顔を見た

ような気がする。

 

 

 

 『なんか・・・


  私が、悲しくなってきちゃいました・・・。』

 

 

 

我慢し切れなくなったリコがその場に膝を抱えてしゃがみ込んだ。

コンパクトに縮まったその華奢な身体。長い黒髪は真っ直ぐに垂れて揺れ

哀しく歪んでゆく顔を隠す。

 

 

鼻の奥がツンとして痛い。

ノドが詰まるような苦しさを憶える。

今にも涙がこぼれそうなのを必死に堪えた。

 

 

 

 『タカナシ、今日はもう帰っていいぞ。』

  

 

 

そのキタジマの優しい声が、更に胸を締め付ける。


そう言われはしたけれど、リコはどうしてもキタジマを一人にしたくなか

った。キタジマへ何かしてあげられる訳ではないけれど、何も求められた

りしないのは分かっているけれど、それでも、せめて同じ空間にいたい。

 

 

しゃがみ込んだまま、俯いて、首を横に振るリコ。その揺れに併せて黒髪

がたゆたう。遂に涙は溢れ、頬をつたって顎から滴ったそれは抱え込む膝

に次々こぼれ落ちた。

 

 

その迷子の子供のような心許ない背中を目に、ゆっくりとイスから立ち上

がったキタジマ。

磨き上げられた黒色の革靴が静かに近付いて来るのがリコの潤んで霞んだ

視界に入る。


そして、リコの正面で立ち止まるとおもむろに胡坐をかき床に座り込んだ。


せっかくのキレイにアイロンがかかったスラックスが、汚れた床の埃にす

すけた色が付いた。

 

 

 

 『ったく、ガキか・・・。』

 

 

 

呆れたように笑い、キタジマはリコの頬の涙を乱暴にティッシュで拭った。

 

 

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。